その背中はまだ遠く
夕雲
その背中はまだ遠く
物心着く前から父の背中をずっと見てきた。
自分が母に無理矢理起こされて、ノソノソと制服に着替えている隣で父はパンを口に放り込み一言
「言ってきます」
と言って仕事に出かけていく姿を見てきた。
帰りが遅れると連絡があり夕食は先に済ませ、食べ終わる頃にガチャリとドアが空いて
「ただいま」
って声が玄関からすることも珍しくない。
夕食を済ませた自分が父が食事しているのを見ていると
「いるか?」
と問いかけてくれて、好きなおかずを分けてくれたりもした。
休日になると車を走らせて、ショッピングモールやテーマーパークに連れて行ってくれた。
後部座席からみる運転している父の姿はカッコよく見えた。
普段は買ってくれないようなものも、遠出をした時には買ってくれた時もあった。
たまに公園でキャッチボールをする時もあった。
まだ幼い頃は方が全然なくて父の元へ届けるにワンバウンドが必要だった。
それでも成長していくにつれてノーバウンドで届くようになっていき、その度に父は距離を広げて
「今度はここまで届かせろ」
なんてことを言っていた。
中学、高校、大学に進むにつれて父との会話は少なくなっていった。
遊んだりして父より帰るのが遅くなるといった日も、日に日に増えてきた。
「今度の休みどこかに行こうか」
父がそう言ってくれた時も、自分は断って自分の用事を優先した。
その時の父の顔は嬉しそうな寂しそうな、そんな表情だった。
近所迷惑になるほどの大声で喧嘩をした時もあった。
理由は覚えていないが、自分がムカついたからとかそんなことだった気がする。
怒鳴って、罵って、怒りのままにその日を終えて、互いに会話も謝ることもなく数ヶ月を過ごした。
それが解消されたのは家族で出かけた旅行先でだった。
半ば無理矢理連れてこられた農園で過ごすうちにいつの間にか会話をするようになって、お互いに謝ったり、蒸し返したりはしなかったけど以前のように話していた。
二十歳になると、父は誕生日の夜にお酒を持ち出してきてドンと机の上に置いてから
「もう飲める歳になったな」
と言って、こちらのコップにビールをついでから
「ん」
とぶっきらぼうに父自身の空のコップを傾けてビールをつぐように促してきた。
初めて他人についだビールは上手く泡が経たずに白い泡の部分の層は薄かった。
それでも父は満足気に微笑んで
「乾杯」
と言ってコップをチンと鳴らした。
この乾杯が自分が二十歳になったのだと実感した瞬間だった。
社会人になり一人暮らしを始めた。
家賃、食費、水道代、電気代といった生活費を捻出していき、手元に残るのは残りわずか。
たまにくる仕送りに感謝しながら日々を過ごす。
朝、誰にも起こされることもなく急いで起床して朝ごはんを食べることもなく出社。
夜はヘトヘトになりながらようやく帰宅して有り合わせの惣菜で夕食を済ませてそのまま床につく。
そんな日々を繰り返した。
しばらくして長期休みになり、たまには戻ってこいと言われたので新幹線と電車を乗り継ぎ帰省する。
久々に帰る地元の空気に懐かしさを覚えながら実家の玄関を開けた。
その夜に父と卓を囲んで酒を飲みながらポツポツと言葉を交える。
「一人暮らしはどうだ」
「職場は大丈夫そうか」
「仕事は順調か」
「しっかり食べてるか」
そんな単調な会話を、テレビを見ながら交わしていく。当たり障りのない自分の答えを肴にしながら父は
「そうか。ならいいんだ」
と言って酒を進めていた。
翌日になって日が十分に登った頃、父に起こされ、外に出る。
ちょっとだけ歩いた先は小さい頃に遊んでいた公園だった。
ボールとグローブを渡されて戸惑う自分に
「もうここまで届くだろう」
と言いながら父はかなり離れた場所にたつ。
キャッチボールなんて小さな頃にやったっきりだ。
そう思いながら投げて父の元へとボールを届かせる。
パンと乾いた音をさせながら、父が投げ返したボールを受け取りそれを再び投げ返していく。
会話は無かった。
ただ乾いた音だけが公園に響いていた。
しばらく投げたあと、父は
「そろそろ終わるか」
と言って切り上げて帰宅の準備をする。
帰り道、父は静かに呟いた。
「大きくなったな」
そう呟いた父の背中は何故か誇らしげに見えた。
大きくなったと父は言ってくれたけど、自分はまだそうは思えない。
長年家族を支えてきた目の前の大きな背中は、こんなにも近く見えるのに、まだ遠くて追いつけそうにもない。
自分もいつかはこんな背中になれるのだろうか。
この背中に届くことが出来るのだろうか。
その背中はまだ遠く 夕雲 @yugumo___
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