第18話 絆と言葉
「ライル様?」
漆黒の髪が影を落とす目元、こんな場所でも小さな灯りを受けて輝く濃紺の瞳。
整ったライルの顔が目の前にあった。
「夢ではない、ですよね」
マリシアは呆けたように言葉をこぼす。
ライルは優しく笑って見せると、マリシアの首の傷をハンカチで拭い、さらりと頬を撫でる。
それがくすぐったくて、暖かくて。ちゃんと本物のライルがここに居るのだとわかった。
「間に合ってよかった」
強く抱き締められ、マリシアはそのままライルの腕の中に居たいと願う。
でも今はそんな時ではないと気持ちを振り払い、体を離した。
「ライル様、どうやってここに?」
「マリシアの通った道を追って来た。
不意に現れた理由はわかったけれど、ということは、外に出る方法は持たないということ。
マリシアは青くなる。
「急に何しやがる!」
大声が聞こえ目を向けると、ペドロが頭を押さえてふらふらと立ち上がる所だった。
ライルに蹴り飛ばされでもしたのだろうか、痛みに顔を歪めてこちらを睨んでいる。
「そこのお前」
ライルに指さされ、ペドロは声を荒げる。
「なんだよ!」
「お前が傷付けたのは、この俺にとって代わりのない唯一の大切な女性だ。ただで済むとは思わないことだな」
ライルが紡ぐ低い声に気圧され、ペドロはじりじりと後ろに下がる。
その両肩をエドゥアルドが強く掴んだ。
「今度こそ、大人しくしていてください」
エドゥアルドは彼の膝を折ると地面に叩きつける。
呻くペドロの上に乗り上げ、今度こそ逃すまいと体重をかけて押さえた。
その様子を目の端に捉えながら、マリシアは先ほどのライルの言葉を反芻していた。
大切な女性。
その言葉は少しの喜びと苦しさを同時に与える。
「ライル様、すでにご存知だと思うのですが、私はもう貴方のお役に立つことが出来ないのです……」
ライルはその言葉にゆっくりと首を左右に振った。
「俺はマリシアの魔力を望んでいるわけではない」
「でも私、他に役に立てる事はないです……十分に魔力を供給できないから、婚約者のフリももういってことだったんですよね」
自分を卑下する言葉が止まらなかった。
本当は、役に立てなくても、それでも側に居たいというただそれだけを伝えたかったのに。
でも否定されたらと思うと声にならない。
「あれはそんな意味ではなくて。……どう言えば伝わるだろうか、これではカミロに女性の気持ちがわからないと言われてしまうな」
ライルは真剣に悩み始める。そして、何かに気付いたのか顔を上げた。
「ああ、そうだな。大事な事を言っていないか」
ライルは跪いて、マリシアの手を取った。
「俺は魔源士でも、
言葉が耳に届いた瞬間、意味が理解できなかった。
しかし、ゆっくり、ゆっくりと言葉が響いて、そうしてマリシアは込み上げる感情を言葉にできず、静かに涙を流した。
それは、マリシアが一番聞きたかった言葉だったから。
涙を目にしたライルが慌てて立ち上がる。
「嫌だっただろうか?」
「違います、これは嬉しくて、とっても嬉しくて」
マリシアは泣き笑いの顔でライルを見上げた。
まだここから出られないという状況は変わっていないし、足元には呻き声を上げる男達が転がっている。
でもこの瞬間、マリシアは全てを忘れていた。
ライルはマリシアを抱き上げる。
「早くこんな所は出なくてはな」
「脱出方法について、策をお持ちでしょうか?」
声に振り返ると、エドゥアルドがペドロを含む鉱夫達の腕を縛り上げていた。
マリシアは一連のやりとりを見られていた事が急に恥ずかしくなり、下ろしてもらおうとライルに目で訴える。
「私は気にしておりませんので、どうぞそのままで」
エドゥアルドはライルの前に進み出て深く一礼する。
ライルが何者であるか、エドゥアルドにはすぐにわかったのだろう。
「鉱山監査人のエドゥアルド・モンタルバンでございます」
「この場においては王の代理だろう。俺に傅く必要はない」
エドゥアルドは真っ直ぐにライルを見て口を開く。
「それでは申し上げます。お気づきかとは思いますが、この場は濃い魔素に乱され、ほとんどの魔法が使用できません」
「そのようだな。幸い俺に魔素酔いの症状は無いが、魔法構築を阻害される感覚はある」
ライルは器用に片手でマリシアを抱えたまま、羽を広げた大鷲を模った小さな銀細工を取り出した。
台座に魔法石がふんだんに散りばめられているので、魔法道具であるらしい。
「これが役に立つだろう?」
不敵に笑うライル、エドゥアルドは微かに眉根を寄せて言葉を返す。
「それは許可なく持ち出すことが出来ないはずですが」
マリシアは彼らの会話が理解できず、首を傾げた。
「その魔法道具は?」
「魔素を浄化するものです。……鉱山の採掘許可がなければ手に入らないはずの、国が厳重に管理している物ですね」
マリシアは驚く。
まさに今、この場に欲しいものだったから。
「魔素酔いを起こす場所は鉱山だけでは無い、海の魔物の中には濃い魔素を吐く厄介な物もいるのでな、俺の船には国から許可を貰って乗せてある。それを持ってきた」
「なぜ、必要だとわかったのですか?」
マリシアが問うと、ライルは目を逸らした。
「怒らないで聞いてほしい……マリシアには護衛、というか監視が着いていてな」
「え?」
慌てて後ろを振り返るが、誰かが居る気配はない。
ライルは申し訳なさそうに続ける。
「護衛は今、鉱山入り口で待機している。……嫌だろうが、王族に関わる以上どうしても必要なのは理解して欲しい」
そう言われ、マリシアは頷く。
「気にしていないとは言えないのですが、実際にそのお陰で助かったのですから……」
「そう言ってもらえると助かる。……護衛からの連絡で、マリシアが鉱山へ向かったことがわかった。なので備えを万全にと思い浄化の魔法道具も持って来たんだ」
ライルの手から魔法道具を両手で恭しく受け取ると、エドゥアルドは空間の中央辺りに膝を付いた。
丁寧に場所を選んで設置すると、手をかざし詠唱する。
「
空気が大きく動いた気がした。
みるみる、倒れ伏していた坑夫たちの顔色が元に戻ってゆく。
そんな彼らに、エドゥアルドは低い声で釘を刺した。
「動けるようになったからと言って、逃げようなどとは思わないように。……鉱山監査人の権限で、あなた方を極刑にする事もできるのですよ?」
男たちは声も出さずに揃って首を何度も振った。
「よろしい、では突破口を開きましょう」
エドゥアルドは岩と土砂に塞がれた出口に歩み寄った。
岩肌に触れ、再びの詠唱。
「
淡々と静かに声が広がり、次の瞬間、岩がさらさらと崩れた。
少し待っていると、人が通れる程度の道が開けていた。
「私は応援が来るまでは彼らを見張っております」
エドゥアルドの言葉に、ライルが力強く頷いた。
「後のことは任せておけ」
マリシアを抱えたままライルは駆け出す。
強い揺れにぎゅっと首元に捕まると、ライルは一層、速度を上げて駆ける。
進んでゆくと、暗い通路の向こうに仄かな明かりが見えて来た。
……水の匂いがする。
瞬間、目の前には大きな湖が広がっていた。
岩肌に囲まれた地底湖、それがペドロが言っていた湖だったのだ。
その湖には見慣れた船がいた。
船体側面に錨と剣を合わせた紋章が刻まれ、船首には水晶が輝いている。
港湾守護隊の魔法船だった。
「隊長! マリシア嬢!」
船の甲板から声をかけてきたのは副隊長のヴィセンテだった。
マリシアが大きく手を振ると、笑顔を返してくれる。
その脇を、ライルの指示を受けた数人の隊員が走り抜けてゆく。
採掘現場を検め、坑夫たちを捕えるのだろう。
ライルはマリシアを抱えたままで船に上がると、声を投げた。
「ヴィセンテ、状況を報告」
「王室財務卿から要請があったもんで、トラディトーレ商会の船を追ってたんですが、一歩及ばずで。そうしたら、隊長が合流する可能性があるのでその場所で待機せよと指示が」
「そうか、大叔父上が」
ライルの言葉に不思議そうな顔をしていると、ヴィセンテが小さな声で教えてくれる。
「監査人を取り纏めているのが、陛下の叔父上に当たる王室財務卿、モンテオーロ公爵アルベルト・ソルマリア殿下なんですよ」
「それで大叔父様なのですね」
小さな声を交わす2人の横でライルは船の人員を確認する。
「魔法士四名か、そのうち攻撃の魔法を扱える者は?」
「二名ですね。残りは船を動かす為に風の魔法を使う魔法士です」
「そうか、では近くに他の船は来ているか?」
「あと一時間待っていただければ、二艘は追いついて来ます」
ライルは眉根を寄せ考え込む。
「それでは間に合わんだろうな。……よし、船を出そう。この船が入れたということは、ここから海に繋がっているのだろう?」
「ええ、この先は地下水路がしばらく続いて、そこからバイア・デル・ソル海域に出ますね」
バイア・デル・ソル海域といえば、マリポルトから半日船を走らせれば着く場所。
マリポルトからバレ・デル・フエゴは陸路だと数日かかる距離なのに、船だとこんなに早く着く経路があったなんて。
「この水路はどの地図にも記載がないんです……かなり狭かったので、普通の船なら入ろうとしないでしょうが。そこから出入りしていたので、今までトラディトーレ商会の動きに気づかなかったようですね」
「追えるか?」
「今度こそ逃しませんよ」
ヴィセンテはライルに答え、手を上げた。
それを合図に、魔法士が船の帆に魔法を送る。
大きくぐらりと船が揺れたかと思うと、次の瞬間、マリシアの髪は強い風に煽られていた。
暗い地底湖を船首の魔法石が照らしている。
湖の先は操舵を誤れば船が岩壁に激突しかねない狭い水路だった。
操舵士と魔法士が息を合わせて、声をかけ合いながら船を走らせる。
緊張に思わず支えてくれているライルの手を強く掴んだマリシアに、自信に満ちた声で彼が告げる。
「安心していい。この程度の水路なら、目を閉じていても行ける」
「隊長、さすがに目は開けさせてくださいよ」
ヴィセンテは軽口を叩きながら、的確に指示を飛ばしていた。
「そろそろ海に出ますよ」
ヴィセンテの言葉通り、狭い水路の向こうに明るい出口が見えた。
船が飛び出すと、外は煌々と明るい月に照らされ、まるで昼間のようにしっかりと辺りが見えた。
「ああ、ちょっと遅れたかもしれません」
困ったようにヴィセンテが言い、先を指差した。
マリシアはそちらに目をやって言葉を失う。
月明かりの下には見たことがない光景が広がっていた。
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