2話:赤子の天才:両親を困惑させる異常な成長
次に意識が覚醒した時、健太――いや、リアムは、自分が高品質な木製のゆりかごに寝かされていることに気づいた。微かに香る上質な木の匂い。頭上には、繊細な彫刻が施された天蓋。
目の前には、見慣れない天井。壁にはタペストリーが飾られ、窓の外からは鳥のさえずりが聞こえる。そして、ぼんやりとだが、人の話し声が聞こえてくる。
「ああ、なんて可愛いのでしょう、リアム」
優しく、それでいてどこか気品のある女性の声。母親となるリリアーナの声だ。その声には、底なしの愛情が込められているのが、赤子であるリアムにもはっきりと伝わってきた。
そして、その横から、少し硬質な、しかし愛情のこもった男性の声が聞こえる。父親であるロザリオスの声だ。
「ああ、リリアーナ。我らの息子は、きっと素晴らしい人物になるだろう。このアークライト家の歴史に、新たな名を刻むに違いない」
リアムは、自分の身体が、小さく、そして未発達な赤子であることに気づいた。手足をばたつかせようにも、思うように動かない。まるで、自分の意思と体が乖離しているような奇妙な感覚。だが、その視覚、聴覚、そして思考力は、明らかに成人としてのものだった。
――つまり、赤子の状態で、意識だけが前世のまま、ということか。
これはまずい。すぐに言葉を話し、歩き出したりしたら、親が困惑するどころか、もっと大事になるだろう。貴族の家系だと神様は言っていた。異常な赤子など、きっとろくなことにならない。
神様に与えられた「全知全能(アルティメット)」の知識が、脳内に大量の情報として流れ込んできた。それはただ羅列されているのではなく、まるで膨大なデータベースが瞬時に検索され、必要な情報が整理されて提示されるような感覚だ。
この世界「アースガルディア」の言語、歴史、文化、そして魔法の体系まで。政治、経済、地理、果ては各国の軍事力や主要人物の性格まで、全てが頭の中に流れ込んでくる。数秒と経たないうちに、それはまるで生まれつき知っていたかのように、リアムの記憶に定着した。
その知識から導き出されるのは、自分が生まれ落ちた「アークライト家」が、この国の有力な貴族であるということ。そして、貴族の家で、赤子が異常な成長を見せれば、それは間違いなく「神の子」か「悪魔の子」か、どちらかに判断されるということだ。前者は崇められるだろうが、後者は……。
「……面倒なことになりそうだ」
赤子にあるまじき、渋い表情でリアムは呟いた。もちろん、声にはならず、ただ「あうー」という、いかにも赤子らしい声が出るだけだったが。
しかし、彼の身体の成長速度は、彼の意識とは裏腹に、驚くべきものだった。
生後三ヶ月で首が座り、五ヶ月でハイハイを始めた。通常の子どもであれば、半年から一年かけて行うことを、彼はあっという間にこなしていく。その度に、両親や侍女たちは「なんて賢い子でしょう!」と歓声を上げ、リアムは内心でため息をついた。これでも相当抑えている方なのだ。本気を出せば、今すぐにでも走り出せるし、流暢に言葉を操れる。だが、それをすれば、きっと屋敷中が大騒ぎになるだろう。
そして、生後八ヶ月。リアムは、初めての言葉を発した。
「パパ……ママ……」
その言葉に、母親のリリアーナは感極まって涙を流し、父親のロザリオスも目を潤ませていた。
「なんという早さだ!我が息子はやはり天才だ!」
「ええ、この子の未来が楽しみですわ!」
貴族の子とはいえ、ここまで早く言葉を話すのは稀だ、と侍女たちが囁いているのも、リアムの耳には届いていた。侍女たちはリアムの成長の早さに驚き、同時にどこか畏敬の念を抱いているようだった。
「リアム坊ちゃまは、本当に賢しいお子様ですわね」
「ええ、まるで大人のようですわ。あの目つきは……」
侍女たちの言葉に、リアムは内心でため息をついた。賢いどころじゃない。中身はおっさんだ。しかし、これでもかなり抑えている方なのだ。本当なら、もっと早く話せるし、もっと早く歩ける。だが、それではあまりに異常すぎる。
そして、生後一年を迎える頃には、リアムはよちよち歩きながらも、部屋の中を自由に動き回れるようになっていた。その成長速度に、両親は喜びながらも、どこか困惑の表情を隠せないでいた。彼らの喜びは、同時に不安へと変わっていく。
ある日のこと。リアムは庭で遊んでいた。侍女が目を離した隙に、彼は茂みの奥へと分け入っていく。目の前に、小さな蝶がひらひらと舞っている。色鮮やかなその姿に、リアムは興味を引かれた。
「ふむ……魔力の操作の練習にちょうどいいか」
リアムは、手を伸ばした。その瞬間、手のひらから、淡い光が放たれた。光は蝶を優しく包み込み、そのままふわふわと宙に浮かび上がらせた。繊細な魔力操作で、蝶の羽ばたきを邪魔しないように、そっと。
「あら、リアム、どうしたのかしら?」
近くで作業をしていた侍女が、その光景に目を丸くする。赤子が、何らかの光を放ち、蝶を浮かせるなど、前代未聞の出来事だ。
リアムは、自分が無意識に魔力を使ってしまったことに気づき、慌てて手を引っ込めた。この世界の魔法体系では、これほどの微細な魔力操作は、熟練の魔術師でも難しいはずだ。だが、自分にとっては、ごく当たり前の感覚だった。
すると、蝶はふわりと地面に降り立ち、何事もなかったかのように舞い去った。
「いまの、は……?」
侍女は呆然と立ち尽くしていた。赤子が、魔力を使った。それも、無詠唱で、まるで呼吸をするかのように。信じられない光景に、彼女はただ、震えることしかできなかった。
その日の夕食時、侍女は震える声で、ロザリオスとリリアーナに庭での出来事を報告した。
「だ、旦那様、奥様……リアム坊ちゃまが……」
二人は最初、信じられない、といった表情だったが、侍女の真剣な様子に、顔色を変えた。
「リアムが、魔力を……それも、無詠唱で?」
ロザリオスが、信じられないというように呟く。魔法の習得は、通常早くても十歳を過ぎてから。ましてや、無詠唱など、選ばれた天才しか成しえない領域だ。それが、たった一歳の赤子が?
「はい……確かに、淡い光が、蝶を浮かせました……」
侍女は怯えながらも、見たままを話した。
リリアーナは、心配そうな目でリアムを見つめた。リアムは、いつもと変わらぬ無邪気な表情で、スプーンでスープを口に運んでいる。しかし、その瞳の奥には、どこか大人びた光が宿っているように見えた。
「リアム……お前は、一体……」
ロザリオスは、小さすぎる息子に、畏敬の念すら抱き始めていた。彼らの息子は、普通の赤子ではなかった。それは、疑いようのない事実だった。この規格外の存在が、将来どんな騒動を巻き起こすのか、彼らには想像すらできなかった。
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