第25話「裏切り者の帰還」

 漆黒のビロードに散りばめられた、無数のダイヤモンド。アレン・クロフォードは、自らの故郷である太陽系の星空を、静かな感動と共に眺めていた。木星の巨大なガスの渦、土星の荘厳な環、そして、火星のテラフォーミングドームが放つ、いくつもの人工の光。見慣れたはずのその光景が、今は、とてつもなく愛おしく、そして懐かしいものに感じられた。

「……帰ってきたんだ」

 アレンは、ブリッジで、誰に言うともなく呟いた。

 アルカディア、シルフヘイム、ヴォルガノン。数々の異世界での旅は、彼を大きく成長させた。もはや、彼は、ただの漂流者ではない。二つの宇宙の未来を繋ぐという、重い使命を帯びた、使者なのだ。

 リアーナの気高い瞳、ガレイドの不器用な友情、エルドラの深い叡智、ボルガの豪快な笑顔。異世界の仲間たちの顔が、脳裏をよぎる。僕は、彼らの期待も、その両肩に背負っている。

 アレンは、これから始まるであろう、最も困難な交渉に向けて、決意を新たにしていた。


 彼は、地球統合政府(UGE)外務省、特殊交渉室へと繋がる、秘匿された通信回線を開いた。正規の、そして公式な手続きを踏んで、自らの帰還を報告する。

「こちら、恒星間外交船オデュッセウス。特使アレン・クロフォード。帰還した。最重要事項に関する、緊急報告の許可を要請する」

 通常であれば、長期間消息を絶っていたエージェントの帰還に、回線の向こうは安堵と歓迎の声で満たされるはずだった。

 だが、数秒の、異様に長い沈黙の後、返ってきたのは、彼のよく知る上司の声ではなかった。感情というものが一切介在しない、まるで自動音声のような、冷たく事務的な応答。

『了解した。アレン・クロフォード三等書記官。貴官は、これより、月面基地ジェネシスのセクター7、ドック3に速やかに入港し、次の指令があるまで、船内にて待機せよ』

 アレンの背筋を、冷たいものが走った。

 自分を「特使」ではなく、一介の「三等書記官」と呼ぶ、その響き。所属部署である外務省ではなく、軍が管轄する、厳重なセキュリティレベルのドックへの入港命令。

「ソラリス、今の通信は……」

『アレン、この通信プロトコルは、通常の外交回線のものではありません。UGE保安部、及び情報統制局が使用する、最高レベルの秘匿回線です。何者かが、あなたの帰還情報を、高度な情報統制下に置いています』

 罠だ。アレンは、直感的に悟った。だが、この太陽系の中で、統合政府の命令に逆らって逃げられる場所など、どこにもない。彼は、自ら虎の穴へと入っていくしかないことを、覚悟した。


 月面基地ジェネシス。人類が、母なる地球を離れて築いた、壮大な白銀の都市。その一角にある、セクター7のドック3に、《オデュッセウス》は、まるで罪人が刑場へ向かうかのように、静かに着艦した。

 ガラス張りのドームの向こうには、美しく、そしてあまりにも巨大な、青い地球が浮かんでいる。

 アレンが、外部との接続ハッチを開けようとした、その瞬間だった。

 ガガンッ、という、船全体を揺るがす衝撃と共に、《オデュッセウス》は外部から、強制的にロックダウンされた。赤い非常灯が、ブリッジを不気味に照らし出し、けたたましいアラート音が鳴り響く。

 ドックの巨大なゲートが、ゆっくりと開いていく。その向こうから現れたのは、歓迎の使節団ではなかった。

 完全武装に身を固めた、UGE保安部隊の兵士たち。その数は、異常なほどに多い。彼らが構えるパルスライフルの、冷たい銃口が、まるで一つの巨大な獣の目のように、一斉に、アレンが乗る《オデュッセウス》へと向けられていた。


 やがて、武装した兵士の壁が左右に割れ、その間から、冷たい銀色の髪をした、痩身の士官が、ゆっくりと進み出てきた。その瞳は、まるで爬虫類のように、一切の感情を映していなかった。

 彼は、アレンの目の前に立つと、ホログラムの逮捕状を、無言で突きつけた。

「アレン・クロフォード。君を、国家反逆罪の容疑で拘束する」

「……国家反逆罪、だと?」アレンは、愕然として聞き返した。「何を言っている。僕は、UGEの外交官として、与えられた任務を……」

「黙りたまえ」士官は、アレンの言葉を、冷たく遮った。「君は、統合政府の最高資産である、クロフォード・ドライブ搭載の実験艦を無断で持ち出し、一年以上にわたって、その消息を絶った。そして、ファースト・コンタクト規約アルファの最重要条項を無視し、複数の未接触文明と、許可なく接触した。これ以上の罪状が、必要かね?」

 その言葉の一つ一つが、アレンの心を、鋭い氷の刃のように突き刺した。

 全ては、仕組まれていたのだ。彼の失踪は、事故としてではなく、計画的な逃亡として処理されている。そして、彼が命がけで得た情報は、全て、彼の罪を証明するための、証拠として扱われている。

 政府内部に、強大な敵がいる。自分が掴んだ、異世界の存在と、ヴォイドの脅威という、あまりにも巨大な真実。それを、何らかの理由で、闇に葬り去ろうとしている者が。

 アレンは、無駄な抵抗を、諦めた。彼は、ゆっくりと、両手を上げた。

 屈強な兵士たちが、彼の腕を掴み、その手首に、冷たい金属の手錠を、容赦なくかけた。


 その時だった。別の特殊部隊が、ブリッジになだれ込み、ソラリスを、特殊なエネルギーフィールドで捕獲した。

『アレン!』

 ソラリスの、初めて聞く、悲痛な声が響いた。

『彼らは、私の深層メモリ、自己進化を司る人格模倣ルーチンに、強制的にアクセスしようとしています! 危険です! このままでは、私が、私でなくなってしまう……!』

「やめろ!」アレンは、心の底から叫んだ。「ソラリスに、手を出すな!」

 だが、その声も虚しく、兵士に押さえつけられ、身動き一つ取れない。彼の目の前で、最高の相棒が、まるで魂を抜き取られるかのように、無慈悲に運び去られていく。


 アレンは、囚人用の小型輸送艇に乗せられ、月面の、最高レベルのセキュリティを誇る収監施設へと、連行されていった。

 輸送艇の、冷たい金属壁に穿たれた、小さな窓。そこから、美しい地球が見えた。青く、白く、そしてどこまでも穏やかに輝く、かけがえのない故郷。

 異世界で、何度、この星の夢を見たことだろう。

 彼は、あの青い星を守るために、全てを賭けて、帰ってきたはずだった。リアーナやガレイド、エルドラ、ボルガ。かけがえのない仲間たちとの約束を、果たさなければならないのに。

 しかし、その故郷は、彼に、温かい歓迎の腕ではなく、氷のように冷たい、手錠をかけた。

 一体、誰が? そして、何のために?

 アレンの、孤独で、そして絶望的な戦いが、今、この銀河で最も美しい星を望む、最も暗い場所から、静かに、始まろうとしていた。

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