第16話「賢者の警告」

 科学と精霊術。二つの世界の力が手を取り合う、前代未聞の共同作業が始まった。

 エルドラの住処である巨大樹のうろは、にわか作りの作戦司令室と化していた。アレンが投影した、森の汚染を示す立体地図のホログラム。その赤い光を、エルドラと彼女の弟子である若いエルフたちが、真剣な、しかしどこか訝しげな表情で見つめている。

「最初の目標は、ここです」アレンは、地図上で最も汚染が深刻な、黒く澱んだ泉を指し示した。「ソラリスの計算によれば、この“病巣の核”を浄化できれば、下流に広がる森の汚染レベルを、三十四パーセントは低減できるはずです」

 しかし、エルフの一人が、静かに首を振った。

「ですが、賢者様。我ら精霊の徒が感じる、精霊たちの悲鳴が最も大きいのは、その泉ではありません。そこから少し離れた、あの『嘆きの岩場』の方です」

 科学が導き出した、論理的な正解。そして、精霊との対話がもたらす、感覚的な真実。二つの答えは、わずかに、しかし明確に、食い違っていた。部屋の空気が、かすかに緊張する。アレンは、データに基づいた自らの正しさを主張しようとして、はっと口をつぐんだ。


 浄化の儀式は、まずエルフたちの主張する「嘆きの岩場」で行われた。だが、その効果は、芳しいものではなかった。彼らがどれほど清らかな歌を捧げても、汚染の根源である泉から、次々と黒い瘴気が流れ込んでくる。それは、まるで底の抜けた桶で、水を汲み続けようとするような、終わりなき戦いだった。

 アレンは、焦りと無力感に苛まれた。データは、完璧なはずだ。なぜ、うまくいかない? やはり、この世界の理は、科学では割り切れないというのか……?

 その時、彼の脳裏に、エルドラの言葉が蘇った。

 ――汝は、歌そのものを聴こうとせず、必死に楽譜を読み解こうとしている。

 アレンは、おもむろにケイローン・バンドのホログラム表示をオフにすると、その場で目を閉じ、深く、深く、瞑想を始めた。自らの内にある、科学者としての理性の声を、一度、静かに脇へ置く。そして、ただ耳を澄ませる。森の呼吸に。精霊たちの、声なき声に。

 すると、彼にも「感じ」られた。泉から、まるで病んだ血のように、汚染されたエーテルが流れ出している感覚。そして、その流れが、川下の岩場で堰き止められ、淀み、溜まっている感覚。その淀みこそが、精霊たちが最も苦しむ、「痛み」の場所なのだ。

「……そうか。両方、正しかったんだ」

 アレンは、ゆっくりと目を開けた。

「病気の原因は泉にあります。ですが、その症状が最も重く出ているのが、岩場なのです。治療するには、まず泉にある病原を断ち、それから、岩場に溜まった痛みを和らげる。二つの手順が、同時に必要だったんだ!」

 彼のその発見に、ずっと黙って様子を見ていたエルドラが、静かに頷いた。彼女は、アレンが、データと感覚の、二つの真実を、自らの力で統合するのを、ただ待っていたのだ。


 新たな作戦に基づき、浄化の儀式が再開された。

 エルドラと数人のエルフたちが、病の根源である泉を囲んで輪になる。そして、古の歌を捧げ始めた。それは、世界の創生と、生命の循環を謳う、力強い精霊術だった。彼らの歌声に呼応し、泉の水面から、黒い竜巻のような瘴気が、天に向かって引きずり出されていく。

 それと同時に、アレンは岩場の前に立ち、ソラリスと連携していた。彼は、自らが感じた清らかなエーテルの流れをイメージし、そのパターンを模した微弱なクリーン・エネルギーのパルスを、カドゥケウスから照射する。それは物理的な浄化ではない。澱んだエーテルの流れを整え、再びスムーズに流れるよう促す、科学的な「補助療法」だった。

 その瞬間、奇跡が起こった。

 アレンのパルスに導かれるように、エルフたちの歌声の力が、まるで増幅されたかのように力強さを増したのだ。彼らの歌は、引きずり出された黒い瘴気を完全に包み込み、陽光に溶かすように、霧散させていく。

 科学と精霊術。二つの異なる力が、互いを高め合い、一つの巨大な奇跡となって、森を蝕む病を癒していく。

 その共同作業を数日間続けた結果、森は、見る見るうちに、かつての生命の輝きを取り戻していった。そして、アレンの腕を蝕んでいた、あの忌まわしい呪いの紋様もまた、森の回復と共に、朝日を浴びた霜のように、跡形もなく消え去っていた。


                     ※


 森の回復を祝う、ささやかな宴の夜。エルフたちの奏でる音楽と、優しい歌声が、キャンプ地を包んでいた。アレンは、シルフヘイムの民から、もはや「異物」としてではなく、森を救った「友」として、温かく迎え入れられていた。

 その輪から少し離れた場所で、エルドラが、アレンを手招きした。彼女は、アレンを連れ、巨大樹の蔦が作る天然の螺旋階段を、上へ、上へと登っていく。やがて、二人は、星々の海に手が届きそうなほど高い、巨大樹の頂上へとたどり着いた。

「よくやった、鉄の子よ」満天の星の下で、エルドラは静かに言った。「汝は、ただ森を救ったのではない。科学と魔法が共存しうる、新たな調和の形を、この世界に示したのだ」

 そして、彼女は、その瞳に真剣な光を宿すと、アレンに語り始めた。

「だが、本当の戦いはこれからだ。汝に、警告を与えておかねばならぬ」

 エルドラは、まず一つの警告を告げた。

「ヴォイドは、汝が思うよりも、遥かに狡猾な存在。あれは、ただの捕食者ではない。宇宙の法則そのものを、自らの都合のいいように書き換える、知性ある『病』そのものだ。そして、意図的に次元震を引き起こし、異なる宇宙を衝突させることで、自らの餌場を、無限に広げようとしている」

 アレンは、息を呑んだ。ヴォイドは、天災などではない。明確な意志を持った、侵略者なのだ。

「そして、もう一つ」エルドラは、アレンの目をじっと見つめた。「鉄の子よ。汝が乗る鉄の船。その心臓が放つ、時空を歪めるほどの力は、暗闇の中で煌々と灯る、松明のようなものだ。汝が星を渡るたび、ヴォイドは、その光を目指して、飢えた獣のように集うだろう」

「……では、僕は、どうすれば」

 自分が災厄を呼び寄せている。その事実に、アレンは打ちのめされそうになった。

「恐れるな」エルドラは、静かに諭した。「始まりの民もまた、ヴォイドと戦った。彼らが遺した知識、『エーテル物理学』の全てを解き明かすのだ。さすれば、汝は、その危険な松明を、闇を隅々まで払い清める、太陽の輝きへと変えることもできよう」

 彼女は、南の夜空を、その細い指で指し示した。

「次なる知識の断片は、あそこにある。大地を深く、深く穿ち、マグマの熱を友とする、頑固な者たちの国。地下帝国ヴォルガノン。そこへ行くがよい。汝の求める答えの、さらなる一部が、そこで汝を待っている」

 アレンは、エルドラが指し示す、何もないはずの夜空を見つめた。自らが背負ってしまった、あまりにも重い宿命。そして、それでも進まねばならない、遥かなる道。

 彼の次なる旅の舞台が、今、確かに示されたのだった。

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