第11話「エーテルの真実」

 数千年の時を封じてきた巨大な扉を前に、三人は立ち尽くしていた。

「科学と、魔法……」リアーナが、信じられないといった様子で呟いた。「両方の鍵がなければ開かない、ですって……? そんなことが、本当にありえるのでしょうか」

「ありえん」ガレイドが、吐き捨てるように言った。「そんな話、どんな古い伝承にも記されてはおらん。我らを試すための、ただの謎かけだろう」

 二人の反応は、当然だった。異なる法則を持つ二つの力が、一つの錠前を構成している。それは、この世界の常識では、天地がひっくり返るほどの矛盾だった。

 だが、アレンは、その絶望的な状況の中に、むしろ一条の光を見ていた。

「いいえ、これは絶望じゃない」彼は、二人に向き直り、静かに、しかし力強く言った。「これは、テストです。僕ら二つの世界が、手を取り合えるかどうかを、この扉は、はるか昔からここで待ちながら、試しているのかもしれない」

 その前向きな言葉は、まるで魔法のように、リアーナとガレイドの心に宿っていた諦念の影を、わずかに払いのけた。


 三人の、前代未聞の共同作業が始まった。

 アレンは、扉に刻まれた電子回路の前に座り込んだ。ケイローン・バンドを扉に接続し、ソラリスと共に、その複雑怪奇なアルゴリズムの解析に没頭する。彼の目の前の空間には、青い光のホログラムが展開され、常人には意味不明な数式やフローチャートが、目まぐるしい速さで流れ、再構築されていく。それは、科学という名の剣で、見えざる論理の怪物に挑む、孤高の騎士の姿のようだった。

 一方、リアーナは、魔法陣が刻まれた区画の前に、静かに膝をついた。彼女は目を閉じ、意識を集中させ、自らのマナを微弱な糸のように伸ばして、魔法陣の表面をなぞっていく。彼女の研ぎ澄まされた感覚には、幾何学模様が、もはや単なる線や図形には見えていなかった。それは、マナが流れるための川であり、エネルギーが溜まる湖であり、そして力を増幅させるための滝だった。王家に代々伝わる古文書の知識と、彼女が持つ天性の魔法的直感を頼りに、その複雑な「マナの水路」の法則性を、一つ一つ丁寧に読み解いていく。

 そしてガレイドは、そんな二人の背後、数メートル離れた場所に、微動だにせず立っていた。彼は、二人がそれぞれの世界の方法で、同じ一つの目的に向かっていく姿を、ただ黙って見守っていた。科学と魔法。そのどちらも、彼には理解できない。だが、目の前で起こっていることが、このアルカディアの、いや、世界の歴史が大きく変わる瞬間の始まりであることだけは、肌で感じていた。彼の役目は、二人にいかなる危険も近づけさせないこと。彼は、その身を、新しい時代の到来を護るための、揺るがぬ盾としていた。


 どれほどの時間が過ぎただろうか。

 不意に、アレンが「分かった……!」と叫んだ。

「この電子回路は、ロックを解除するために、五種類の異なる周波数のエネルギーパルスを、素数に基づいた順番で、特定のゲートに入力する必要がある!」

 ほぼ同時に、リアーナもまた、はっと目を開いた。

「私もです! この魔法陣は、五大元素――火、水、風、土、そして生命のマナを、この世界の二つの月の満ち欠けに対応する順番で、五つの紋様に注ぎ込まなければ、決して起動しません!」

 二人は、互いが導き出した答えを口にして、そして、顔を見合わせた。五つの要素。特定の順番。その答えの「構造」が、奇妙なほどに似通っている。科学と魔法が、異なる言語で、同じ詩を詠んでいるかのようだった。

 アレンは、リアーナに向かって、力強く頷いた。

「やりましょう」


 扉の解放シークエンスは、息詰まるような緊張感の中で始まった。

 アレンが、ケイローン・バンドを扉にかざす。リアーナもまた、両の手のひらを、魔法陣の中心にある紋様に向けた。

「タイミングを合わせます。僕の合図で」

 アレンの声に、リアーナが頷く。

「第一パルス、照射!」

 アレンの腕から、微弱なエネルギーの光線が放たれ、電子回路の一点に吸い込まれる。

「火のマナを!」

 リアーナの手のひらから、凝縮された赤いマナが迸り、魔法陣へと注がれる。扉の模様が、ぼうっと、血のような赤色に輝いた。

「次、第二パルス!」

「水のマナを!」

 アレンの声と、リアーナの声が、まるで一つの詠唱のように重なっていく。扉の模様は、青、緑、茶、そして白金と、次々にその色を変え、その輝きを増していく。二つの異なるエネルギーが、扉の中で共鳴し、高まり合い、一つの巨大な力のうねりとなっていくのが、ガレイドにも感じられた。

 そして、最後のエネルギーが注ぎ込まれた、その瞬間。

 全ての幾何学模様が、目も眩むほどの純白の光を放った。ゴゴゴゴゴ……と、地響きのような、星の呻きのような重低音が響き渡り、数千年の間、誰をも拒み続けてきた巨大な扉が、ゆっくりと、荘厳に、その口を開き始めた。


 扉の奥は、巨大なドーム状の空間だった。しかし、そこに王の財宝や、神の玉座はなかった。ただ、静かで、清浄で、どこか物悲しい空気が満ちているだけ。

 そして、部屋の中央に、それは静かに鎮座していた。

 黒い水晶(クリスタル)でできた、巨大な角柱。表面には、扉と同じ幾何学模様が淡い光を放ちながら流れている。一種のデータバンクか、あるいは墓標か。壁や天井には、宇宙の星図や、アレンが見たこともない複雑な数式、そして生命の系統樹を思わせる図が、まるで幽霊のように、淡い光で描かれては消えていく。

 アレンは、何かに吸い寄せられるように、その黒いクリスタルへと近づいた。そして、おそるおそる、自らのケイローン・バンドを、その表面にかざした。

『……接続シークエンス、開始』ソラリスの声が、アレンの脳内に直接響いた。『……接続、成功。これは、超古代文明……あなた方の言う『始まりの民』の、情報アーカイヴです。言語体系は、既知のいかなるものとも異なりますが……待ってください。構造的類似性を検知。対象、アーサー・クロフォード博士の『統一言語理論モデル』。類似性、八十九パーセント。……解読、可能です』

 祖父の名。アレンの心臓が、大きく跳ねた。なぜ、こんな場所に、祖父の研究の痕跡が?

 次の瞬間、アレンたちの目の前の空間に、クリスタルから放たれた光が、断片的な言葉と映像をホログラムとして結び始めた。


『……我々の宇宙は、高次元エネルギー《エーテル》の海に浮かぶ、ささやかな島……』

 映し出されたのは、銀河に似た、しかし全く異なる構造を持つ、光の渦だった。


『……外なる宇宙より、エーテルを喰らい、法則を汚染する捕食者ヴォイド接近……』

 光の渦が、墨を垂らしたように、黒い染みに侵食されていく映像。


『……法則の異なる宇宙との接触は、ブレーンを弱め、ヴォイドを呼び寄せる災厄となる……』


『……我々は、この美しき世界を護るため、他の宇宙へ通じる全ての扉(ゲート)を、永遠に閉ざす。これは、別離の記録。我々、始まりの民が、この地に楽園を築き、そして、自らの故郷へと帰っていくまでの、最後の……』


 ヴォイド。

 その、不吉で、おぞましい響きを持つ言葉。

 そして、この世界の創生に関わる、あまりにも巨大で、そして哀しい秘密。

 アレンは、自分が足を踏み入れたのが、単なる古代遺跡などではないことを悟った。これは、彼の個人的な旅が、二つの宇宙の存亡をかけた、逃れられない戦いへと変貌する、その始まりの場所なのだ。

 三人は、言葉もなく、目の前で明滅する古代のメッセージを、ただ見つめるしかなかった。

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