第2話 交錯点
最近、変な夢を見る。だれかが呼んでいるような…腕を引っ張られるような気がして。今日は誰かに肩を叩かれて目が覚めた。気持ち悪い。寝付きが悪くて今日も寝不足だ、入学式なのに。
なんとか自力で直したセーラー服を着る。かなり無理矢理繋げたけど、多分気づかれないと思う。というかそうであって欲しい…
癖のある髪に手間取っていたら、いつの間にかバスの時間が迫ってきた。というかもう5分しかない!捨て台詞を吐くように「行ってきます」と叫んで家を飛び出した。
4月10日の朝、校舎は賑やかな歓声に包まれていた。あのとき見た、同じセーラー服を着た群れの中に、私がいま立っている。抱えまくったありとあらゆる不安で一杯だが、もう引き返せない。高校生としての時計の針は既に動き始めている。昇降口には、クラスの一覧表が張り出されていた。
「生徒番号2300238…あった!」
私は今日から、1年5組の一員になるらしい。
中庭の花壇に、中学の知り合いを見かけて声をかける。
「玲奈〜!久しぶり!」
「あっ!優衣ちゃん一緒なんだ」
玲奈は、中学での「知り合い」。部活で一緒だったものの、クラスは違ったからあまり絡みはなかった。それでも、1人だった私にアドバイスをくれたり、合間に軽く雑談したことはあって、ある程度話せる関係だ。
「南中の子他にいる?」
「んー…私達以外には見てないかな…」
そうだ、私は随分無理してここを受けたんだった。友達も、大抵はもっと行きやすくて、難易度の低いところに行った。私はこの制服が着たい一心で、通学も学力も正直身の丈に合ってない想青を目指した。
彼女に、"部活どうしようかな〜"と話題を振りかけようとした。
「あ、ごめん先クラス行って良い?」
「あ…うん、これからよろしく〜」
彼女は軽い笑顔とともに手を振り返し、歓喜と雑踏の中に消えていった。そうだ、私も早くクラスに行って顔を覚えなきゃ。
上着の裾を枝に引っ掛けたような、一抹の心残りと一杯の不安を胸に抱え、私も雑踏の中に飲み込まれていった。
「はぁ、はぁ…」
この学校、そういえば1年生は最上階だった。遅刻しそうになったら結構きつそう…
1年5組…1年5組… とか探す間もなく、階段の目の前にその教室は佇んでいた。あのドアを開けた瞬間、私の3年間が始まるんだ。最前線の兵士かと思うような心拍数のまま、ドアに手をかけた。
外の喧騒と壁1枚で隔たれるように、教室は思ったより落ち着いていた。みんな緊張しているのか、ささやき声と、春先の強い風が窓を叩きつける音しか聞こえない。中年ぐらいの男性が、教壇の上に立っているのが見えた。入って一歩目、担任の先生から座席表を見て指示があるまで席で待つように言われる。まるで新品のように綺麗な黒板に、座席表が張り出されている。
私、自分から話しかけたことってあったかな。そう思うと、今から起こす行動が遥かに高いハードルの向こう側にも思えた。私は意を決して、暇そうに机で伸びをしている、短髪で色白な少女に話しかけた。
「あの…隣、よろしくお願いします」
「ん!…よろしくね〜」
サラサラの髪が揺れた。急いで姿勢を元に戻し、そのまま彼女は小声で続けてくれる。フランクな人?でよかった〜…
「私、みう。名前は?」
「西田優衣、優衣でいいよ」
「ゆいちゃん、おっけー」
そうしているうちに、先生から号令がかかる。
「えー、では時間になりましたので移動します。廊下に番号順で2列に並んでください」
ガタガタと椅子を動かす音が鳴り始める。
「番号いくつ?」
「17番」
「17かー…じゃあ、またね」
そっか、隣の人は連番じゃないんだった…
──────────────
「これより、想青高等学校、令和4年度入学式を始めます。」
吹奏楽部による盛大な歓迎を受け、式が始まった。今日まで色々あった。けど、この日を迎えられただけでも、胸を撫で下ろしたような気分だ。
──────────────
大量のプリントが配られたあと、先生が教壇に立つ。
「これから3年間の高校生活が、みなさんの人生にとって良い経験になるよう、自主性をもって挑戦していってください」
「それでは、今日は終わりです。自由解散で」
途端に教室は騒がしくなる。それぞれの椅子が動き出す。
私もみうに話しかけようとした。
「みう」
「ごめん、向こうで話してくるね」
あ…
みうは教室後ろの、女子グループに歩き去って行った。入学して3時間も経たない内に、すでに人の輪は作られ始めていた。いや、きっと入学する前から繋がっていたんだ。
「はぁ」
話してる間に割って入って、会話を乱したくない。あれだけ仲良くしてる中にいきなり入っていく勇気はない。みうは行ってしまった。私は…
「あ、あの…はじめまして」
出席番号で連番の人に話しかけた。
こっちから話しかけることに慣れなさすぎて、声が緊張している。
「ん?…あぁ、よろしくね」
ポニーテールの女子が、落ち着いた声で答える。体育館までの移動中、隣で歩いてた人。さっきは先生の指示で話しかけなかったから、ちょっと気まずかった。
「西田優衣、優衣でお願い」
「私は沼田咲。咲って呼んでよ」
すべての関係は軽い自己紹介から。と、とにかく会話を、続かせないと
「中学どこ出身?」
「やよい南中学ってところ」
「えー!わたし緑苑都市の近くだよ」
「結構近いね」
「うん」
会話はワンラウンド・ツーラウンドで途切れてしまう。
あれ…新しく関係を作るのって、こんなに難しかったっけ…
一声がその場を引き裂いてゆく。
「さき〜!」
「お、また会ったね」
知らない子が咲に話しかけ、私との会話はタスクキルされた。
「知り合い…?」
「うん、優衣ちゃんだって」
「
「あぁえっと…優衣です、よろしく」
話を聞く限り、2人は採寸のときに知り合ったらしい。そして私は…会話においていかれる。
「優衣は部活なんか考えてる?」
「うーん…まだなにも、かな」
本当は文芸とか漫研を考えてたけど、あんまり良い印象なさそうだし…曖昧な返事しかできなかった。
「私バド行きたい!」
「良いね〜中学バド部だっけ?」
話のバランスは一気にあおいへ傾いていく。
そもそも咲はあおいを待ってたんだし…私が会話を乱すのも、ちょっと嫌だ。
「あ、このあと用事だから帰るね〜」
嘘だ、完全に嘘。でも頭には逃げ出すことに埋め尽くされてそれ以上の発想はなかった。
「おっけー、また明日!」
2人は優しく返した。話題も振ってくれたのに、勝手に焦りとか不安とかで一杯になって、脳内大混乱になってる私が申し訳なく思った。座席表だけこっそり写真を撮って、私はカバンの紐を襟の下に隠した。
結局、話せた人は美羽、葵と、咲ちゃんだけ。周囲を見渡すと、いくつも集団になっていて、楽しそうにしている。なのに私は、私は…劣等感を感じざるを得なかった。
校門から出るやいなや、私は外界とシャットアウトして、イヤホンを付ける。
「もうやだ…」
プレイリストに突っ込んでおいた、好きなボカロの曲を再生した。
"あぁ 君はもう居ないから〜"
先行き不透明な明日も、嫌いな自分も、この軽快なリズムですべて吹き飛ばしてしまえるようだった。
信号機にかかる。あー…
曲の一番盛り上がるサビで足止めを食らう。気持ちよく聴いてたのに。
プレイリストで次の曲が再生される頃、信号が青になった。すっかり気分を損ねて、イヤホンは外してしまった。最近こんなことばっかだ、変な夢は見るし、親に振り回されるし…
俯いて歩いていたら、横断歩道の半分を過ぎたあたり、白いバツ印があった。なにかの工事のためだとか、よく見るそんな印の一つだろう。でも今日は、そんなものになぜか視線を奪われていた。
「うぅっ…!?」
突然心臓がドクンと脈を打つ。胸が苦しくなる。思わず一瞬フリーズしてしまった。なんだろう、昨日全然寝れなかったからかな…。
見上げると信号が点滅していた。危ない危ない、早く行かないと。引きつる足を引っ張って歩道までたどり着いた。
「はぁ、はぁ…」
はぁ、今日はもうダメだ、ダメな日だ。早く帰ってベッドで寝よう。じゃないと絶対明日やばい…
いつもより早足で家に帰る。なんだかどんどん眠くなってきた。ああ、早く帰りたい…
何とか家に帰ってきた。もう頭の中は寝ることしか考えてない。身体中が睡眠を求めている。もう、本当になんなんだろ…
親はこの時間仕事に行ってるから、ただいまも言わずに自室に走る。はあ、着いた、私のオアシス。
その瞬間、ついに眠気が限界に達し、突然糸が切れるかのようにベッドに寝た。いや、「気絶」した。制服を脱ぐ間もなく、意識が沈んで…
────────────────────
視界が眩しくて目を開ける。状況が分からない。あれ…私が帰ったのは夕方だから…朝まで寝てたってこと…?いや、親が起こしに来たのかも。嫌だなぁ、また勝手に部屋に入られた…
辺りを見渡す。そこは自分の部屋ではない。
「…え、どこ…」
辺り一帯は草原…じゃなくて、白い花が一面に咲き誇る。真ん中に、舗装もされていない砂利の一本道が果てしなく続く。その先に、一つの大樹がある。周りには何かが漂っている気もする。
というか、私は土の上に寝てるみたいだ。あーあ、制服が汚れる…じゃなくて、意味がわからない。なんで?
真っ先に夢だと思った。けど、自分は今、ここが現実か夢か考えていられるほどに思考がまとまっていて、意識を感じる。手足を触って感触がはっきりあることを確かめる。これは…夢じゃない?
「私…死んだ、?」
夢じゃないなら、天国かな。体調不良は数え切れないぐらいに心当たりがある。私は、倒れたあとに死んだんだろうか。
ダッダッダッ…
遠くから走る音が近づいてくる。全力に近い走りで、なにか自分の視線よりかなり大きいものが。
「はぁ!はぁ!おーい!」
その声は自分の後ろにある。
「はぁ!はぁ!ごめん!大丈夫!?」
その声はほぼ真後ろにある。私はそれが、同い年かそれ以上の女性の声だとわかると、急いで振り返る。
「あーえっと…突然ごめんね、意識はある?」
見上げるとそこに女性が居た。なぜかひたすら謝っている。
眩しさの中、太陽を遮るように私の顔を覗き込み、私の肩に長い髪がかかる。
「う…だれ…?」
彼女は私と同じセーラー服を着ている。息を呑むほど、綺麗な人だった。私は到底及ばない。紺の襟と長い黒髪が一緒になびいて、太陽の光を反射している。
髪だけでも直さなきゃ…
髪を触ろうとすると、またなにか喋っている。頭の理解が追いついてなくて、耳に入った情報もシャットアウトしてしまいそうになる。
「髪の毛よりほら、起きてよ」
思い出した、私は倒れてるんだった。
眼前に立ち止まる彼女は、私に手を差し伸べて起きるよう促す。
「えっと、ありがとう…」
彼女の腕につかまって立ち上がる。砂ぼこりを払おうとしたが、服は1ミリも汚れていなかった。
彼女の全体像がはっきりと分かる。色白な肌で、毛並みのそろったロングヘア。私と同じ制服を着ているが、よく見るとセーラー服とスカートの右側が破れていたり、千切れていたりして…なぜか見覚えがある気がした。
「名前、なんて言うの?」
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