第3話 迷い道

「名前、なんて言うの?」

彼女はそう問い詰める。

未だに寝ぼけたような、不明瞭な霧が思考を覆っている。その上でこんな理解不能な事が起きてるんだから、私の脳はエラーを吐いている。

「優衣…西田優衣です…」

「優衣さん、優衣って呼んでいい?」

まず誰かも分からない人なのに、私は頷いている。このセーラー服を着てるってことは…同じ高校なんだろうけど。

あんなにも綺麗な髪をさらっと靡かせて、爽やかな笑顔で彼女は言う。

「私は松浦夏摘まつうらなつみ。なつみでいいよ!」

「なつみ…ちゃん」

「うん!」

私はしばらく、視線を釘付けにされていた。色白でどこまでも艶のある肌、吸い込まれそうな青眼に、一糸乱れぬサラサラのロングヘア。非の打ち所のない、漫画や小説の主人公みたいな雰囲気。私もあんな憧れの人になりたい…絶対的に不可能な現実を忘れて、そんな考えに浸ってしまう。

そよ風が私の前を横切る。

あ、そうだった。

ハッとしたように、周りの風景を見渡す。

彼女なら、何か知ってるかもしれない。

「あの…起きたらここで、よくわからなくて…」

すると、夏摘は申し訳なさそうに答える。

「あー…えっとね、私がここに呼んだの。ごめんなさい」

「よ、呼んだ?」

「うん。ここは私もよく分からないけど…私の世界なの」


え???

呼んだ?私の世界?

ますますよく分からなくなってくる。

目の前に居るのは神とかそういう類いなんだろうか、書店のラノベでよく見る異世界転生ものみたいな。


「私の…?」

「…私は、優衣ちゃんの高校、想青高校の3年生…だったの。」


そう言うと、夏摘の表情は曇り始める。


「高校生活もあと1年もない、なのに後悔しかなくて、最初に戻りたくて。そしたら…」

「もうちょっとで受験、頑張らないとって時期だった。あの日私は下校中で、駅の反対側の信号に居て…」


その瞬間、彼女は覚悟を決めたように口に出す。


「轢かれた。車に。」

「…!」

「サイレンとか、周りから怒号とかざわめきとかが聞こえたまでは覚えてる、けどもう意識はもたなかった」

「妙にあったかいなって思って起きた。そしたらこんな所でね」

彼女は、文字通りの苦笑を浮かべる。

夏摘は車に轢かれて、多分死んだんだ。そして、起きたらこの世界に…じゃあ、ここはやっぱり…!?

「え、じゃあ私も…死んだの?」

なつみは微笑みながら首を横に振る。

「ううん、違う。その制服、ボロボロだったよね」

「あ…うん」

数週間前を思い出す。親に振り回されて、こんなのしかなくて、絶望して。それでもなんとか縫い直した時には、一つの達成感もあった。

「私が着てたやつだよ、それ」

「えぇ!?!?」

私もなんであんなビリビリになったのか、不思議だった。学校が嫌になって破いたとか、そんなことだと思ってた。見るも無残なセーラー服に、もはや可哀想だとも思った。交通事故で轢かれて…そういうことだったんだ。

「私、ここからでも、制服を通じて現実を見ることはできるらしくて」

「一年生の春、初々しさとあの頃が懐かしくて…ちょっと話したくて、ここに呼んだの」

非現実的で、超常的な現象に理解は追いつかない。でも、なぜか納得はした。

夏摘は、元々昔に戻りたいって気持ちがあった。そんな中で事故に遭って、きっとその無念だとかがここを作ったんだ。

「ごめんなさい、びっくりしたよね。ちゃんと戻れるから…」

「いやいや、平気!戻れるんだし」

全然大丈夫じゃなかった。彼女はもう現実には居ないから、戻れる試しもないし。ただ、この会話を途切れさせたくないと思った。

「もし嫌だったら、もうしないから…」

「全然!私も友達できなくて、話せる人が欲しかったし…」

悲しい理由すぎる。夏摘はもっと辛い思いをしているはずなのに、メンヘラ的な発言をしてしまった。

夏摘は私の言葉で表情が変わる。少し真面目に、なにか思い出したように。

「あの、さ」

「もし…学校が苦しかったら、相談してほしい」

「新入生を導くのは義務だからさ」

学校で苦しいこと…それはもう、一つや二つじゃない、山を越えて摩天楼のように積み上がっている。入学式からもう挫折しそうだなんて、目も当てられない。

この状況、夏摘なら吐き出してもいいのかな…考えている内に夏摘から切り込んでくる

「私、見てたんだけど…話しかけるのが苦手、なの?」

うわあ、いきなり痛いところを突かれた。

そっか、最近変な夢を見たのも、夏摘が呼んでたからなんだ。私はこのセーラー服を買ったときから、夏摘に見られていた、と。

気持ち悪いとか怖いとか、そういう感情は不思議と現れなかった。現実離れしたこの景色で、逆に背中を押されているようにも思えた。

「うん…」

「みんな、今日より前から知り合ってて、グループ出来てて…ちょっと無理だった」

正直、逃げ出そうかなとも思った。ここから出る方法以前に、こんな私を知られていることが恥ずかしくなった。でも、ここで逃げたら、全部終わりな気がした。

「グループでも、今なら突っ込んで大丈夫だよ。この時期で話すのを拒んだりする子は少ないと思う」

「それに、みうちゃん、だっけ?あの子に付いて行けば話せるはず!」

そうだ、もっと冷静になろう…初対面、しかも入学式直後で話しに行って拒否されるなんて、確かによほど悪い間合いじゃなきゃ起きない。あそこで美羽を呼び止めて付いて行けば、まだ今日一日もマシだったかもしれないな…

でも、私が入れたとして、その中で馴染めるかなんて想像もできない。実際、咲と話してる時なんて、あまりに会話が続かなくて自分から逃げてしまった。

「ありがとう、でも入れても話せるかな…」

「こういうのは自信持って喋ると行けるよ」

自信、自信…

私に自信なんてものはない。皆は打ち込めるものがあって、何かの強みがあるのに。私が中学の時は、誰かに助けてもらってる事ばかりだった。勉強も、いくら頑張っても評価されなかった。

「わ、私に自信持てるところなんて…」

「大丈夫、優衣は話す力もあるし、真面目で手を抜かないし…優衣は才能あるよ、絶対」

きっとお世辞だ。励ましたいだけだ。

けど、夏摘の言うことは信じたいと思った。

あれだけ目の前で、一心同体も同然の状態で、私を見ていてくれた。もし夏摘が私を信じてくれるなら…私も信じたい。

「本当?」

彼女は小さく頷く。私は胸に手を当てて、次への一歩を踏み出した。

「やってみるよ、明日」

「頑張れ〜!」

夏摘は微笑んで、私の肩を叩いた。

彼女の手は制服越しにも伝わるほど温かく、ただ優しさに満ち溢れていた。彼女の笑顔は、空に映すどんな星よりも、太陽よりも眩しく感じた。

「じゃ、そろそろ帰る?」

まだ話していたいとは思う。

けど夏摘がアドバイスをくれたからには、無駄に出来ない。そして、その明日に向けて準備もしたい。

「そこの木の下で横になって、そしたら帰れる。一緒に行こっか」

夏摘がスニーカーの向きをグルっと変える。

どこかもわからない大草原のど真ん中で、セーラー服の少女2人が、歩み始めた。

歩きながら、夏摘が思い出したかのようにスカートのポケットを弄る。

「そうだそうだ!これ、あげるよ」

「キーホルダー?」

イルカのキーホルダーが夏摘の手のひらで輝いていた。

「お守りだと思って」

「良いの?」

そのキーホルダーは、プラスチックが黄ばんでいた。それでも、表面は傷一つ付いていない。きっと大切にしてたんだろう。

「これで可愛くなったら自信つくかな?」

長い髪をふわりと揺らして、私を覗き込む。

私は右手を差し出した。

「すごく大事な物そうに見えるけど…ありがとう」

「高1のときに買って2年使っただけだよ」

高校生の2年って凄く重いのに。夏摘からは大事な物を、2つも貰ってしまった。

そういえば、夏摘は3年生…あ!

「あ…ここに来た時点で3年生ってことは、大先輩じゃ…?」

「あは、そうなるね〜」

「なんかタメ口で話しちゃってごめんなさい!!!」

「も〜良いよそう言うの〜!友達だよ?」

高校で初めて出来た、友達。

それがこんな出会いからなんて…想像すらできなかった。

大木の下に着いて、歩みを止めた。言われた通りに、大木の太い根に腰をかける。

「じゃあ、そろそろ起きなよ、時間それなりに経ったし」

夏摘はぱっと笑って、私を見送った。彼女の表情はただ友達を見送るだけじゃなく、先輩として、後輩の背中を見守るような、優しい目をしていた。

「楽しかったです、せんぱーい!」

「だから良いってば〜〜〜!」

彼女のツッコミと共に、視界が明るくなっていく。またね、夏摘。

───────────────

起きるといつもの自室だった。

慌てて時計を見ると、針は18時13分を指していた。

「夢…?」

さっきのは長い夢、だったんだろうか。いや、違う。はっきりと違う。私の右手には、夏摘がくれたキーホルダーが残っていた。

「夏摘、うん覚えてる」

両手でキーホルダーを握る。

まるで視界が開けていくような、飛行機が雲から出るときのような、そんな気分になっていた。

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春風、後襟にひかれて 浜霧あお @Hamagiri

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