第13話 同情

◆◆◆


「朱音さま、何ですか? それは」

「先刻、帝を脅して、奪ってきました」

「はあ!?」


 ――と、こちらの動揺などお構いなしで、朱音は蓋を開けてしまった。

 箱の中身は、人型に彫られた木だった。

 赤字で漢字がびっしり書かれたそれは、下の部分が焼け焦げている。


「これ、厭魅えんみと言うらしいですね。私も初めて見ました。すでに呪いは抜けているそうですが。この正面の赤字に澄良親王とありますね。私のことでしょう」

「それは、淑景舎の下に埋まっていたものですね?」

「やはり、貴方は怖がらないのですね?」


 静かな問いかけに、維月は観念して頷いた。


「父が証拠を入手したという話は聞いていましたから。それが帝に渡っていたのだと……」

「二年前の呪詛騒動の際も、彼女の名は上がっていたそうですが、証拠が出なかったそうです。私は何も知りませんでした」

「朱音さまは、知らなくて良いことです」

「違います。知らなければならないことでした。まさか、桐壷の更衣が私を恨んでいたなんて。あの人は私にずっと優しく接してくれました。まるで、母のように……」


 夢の荒んだ印象からはかけ離れた桐壷の更衣の人物像に、維月は心を痛めていた。


(私、この御方にこんな御顔をさせたくなかった)


 何ができるわけでもない。分かってはいたが、維月は御簾の外に出て、朱音の前に座った。


「あの、朱音さま。慰めにもならないかもしれませんが、帝はその御方が呪詛をしていたなんて、信じたくなかったようですよ。二年前は痕跡も見つかってなかったですし。もし、桐壷の更衣さまが犯人だったとしても、二の宮が亡くなったことで、罰は十分受けたのではないかと仰って。その件は一度不問になったそうです」

「……そうだったのですか」


 朱音が小さく相槌を打った。

 それから、維月も言葉が出て来なくて、辺りは静寂に包まれた。

 夕闇が辺りを包み、朱音の影が畳にうっすら伸びる。


「……維月、お願いがあるのですが」

 

 深閑を破ったのは、朱音の掠れた声だった。


「もし、何か知っているのなら、教えてくれませんか? 貴方のお父君は私の弟の死に関わってはいないのですか? よもや、弟も私を呪っていたなんてことは……」

「朱音さま」


 維月は、両手をついて頭を下げた。


「申し訳ありません。私は本当に知らないのです。二年前のことは、少しだけ父から聞いただけで、何も……」


 本当のことだ。

 維月は、その件に一切関与していない。

 ――けれど。

 何があったのかは、想像がつく。


(おそらく……)


 しかし、維月はそれ以上、話すことができなかった。


(あれ?)


 急に目が回った。

 視界がぼやけて、現世と幽世が混在し始めた。

 白装束の女が鈍光する匕首で、維月の首を目掛けて切り掛かってくる。


(まずい、まだ呪詛は生きていたんだ)


 きっと、現在も、桐壷の更衣が山科で朱音相手に呪詛を仕掛けているのだろう。

 とっさに、抵抗しようしたが、先程の朱音の言葉が脳裏を掠めて出遅れた。


 ――優しく接してくれた。母のような人。


 そんな大切な人を、追い詰めて良いはずかない。


(どうする?)


 闇に吸い込まれる。

 頭の中で、女の高笑いが轟き、目の前が真っ赤に染まった。

 どうやら、自分は喀血してしまったらしい。


「維月……」


 朱音が呆然と呟いた。

 突然のことに、とっさに反応ができなかったのだろう。


(困ったな。こうなるのは、もっと先の予定だったのに……)


 はあ……と息を吐いて、維月はその場で前のめりに倒れた。


「維月っ!」


 薄れていく意識の中、事態を把握した朱音が維月の名を必死に叫ぶ声が聞こえていた。

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