第7話 澄良親王

◆◆◆


「な、何をっ!?」

「だから、大声はよしなさいって」


 東宮は、柔らかく維月を諌めた。


(さすがだわ……) 


 激しく動いたのに、烏帽子に乱れがない。


「あんまり、ここで騒ぐと、私の従者も貴方の女房たちも、即刻駆けつけて来ますよ」

「し、しかし」


 ……くつがないではないか。

 東宮が沓も履かずに外に出るなんて、前代未聞だ。


(私の沓を差し出すべきなのかしら?)


 困惑していたら、東宮は維月の目と鼻の先に近づきつつあった。


「あっ」


 恥じらいも忘れて、維月は東宮を凝視してしまった。

 切れ長の漆黒の瞳に、高い鼻梁。薄い唇。

 非の打ちどころもないくらい、整った顔立ちをされている。華奢ではあったが、背は高く堂々としていた。

 今日は、政務のついでのようで、先日の寛いだ直衣とは違い、凛とした衣冠姿だった。

 今まで、維月が会ったこともない、高貴で優美な御方……。


(やっぱり、この御方は主上になられるんだわ)


 澄良親王。

 御名前のとおりだ。

 そこに東宮がいるだけで、場の空気が澄んでいくようだった。


「ずいぶん、じろじろ見ますね? 私に何か憑いているのですか?」

「あっ、わっ、不躾に申し訳ありません!」


 さすがに不敬だ。

 維月が慌ただしく後退ると、東宮は目を丸くして、その姿を追っていた。


「……貴方は、感情豊かなのですね?」

「すいません。莫迦なのです」

「謝ることはありませんが」 


 ぽつりと言って、東宮は首を傾げた。


「まあ、確かに、常識から逸脱していますけどね。仮病まで装って、男装までして、こんな所に一人でいて、挙句、先日のことは忘れて欲しいと言ってくるなんて。作戦変更をやめて、自信満々に犯人を捕まえると息巻いているということは、貴方なりに、呪詛の犯人についての目星がついたということでしょう?」

「……あ」

「つまり、貴方と仲良くしていた方が、犯人を刺激するということですか? くだらないな」


 言下に一蹴した割には、東宮の黒い瞳は揺らいでいた。


 ――図星だ。


 どういうわけか、東宮と面会したことで、維月が張っていた網に敵が痕跡を残したのだ。

 それにしても、維月が良かれと思って口にしたことは、疑惑だけを東宮に抱かせてしまったらしい。本当に莫迦だった。


「それで、一体誰なんです? 私は昔から、帝や陰陽師たちに、呪詛を仕掛けられているなどと言われ続けてきましたが、そのような道具も目にしたことがありませんし。この通り、身体も頑健です。まったく見当もつきませんけど?」

「それは、まだ……。お話できるほど、確定とは言い難いんです。申し訳ないのですが」

「私には言えないと?」

「とんでもない! そういうわけじゃないのです。ただ私の判断では……」

「いい加減、きっちり話してみたら如何ですか? もし、貴方が私に、実家のことや貴方自身のことを信じて欲しいと思うのなら、少しでも私が納得するような事情説明が必要でしょう?」

「事情説明……ですか」


 維月の頭の中は、混乱の嵐が吹き荒れていた。


(困ったわ……)


 父からは、東宮には何も話すなと命じられている。

 維月にとって、東宮は雲の上の人だ。

 しかし、更に父の命令は、神仏からの啓示にも等しかった。

 ひとしきり考えてから、維月は差し当たりないことだけ話すことにした。


「実は……。私、夢を見て」

「夢?」

「ええ。それで、手掛かりを探して、男装して後宮内を歩いていたのです」

「呆れた人ですね。また帝の妃たちから、陰口を叩かれますよ」

「別にそれは、気にならないのですが」

「いや、気にした方が良いと思いますよ。貴方が後宮に長くいるつもりがあるのなら、もっと……」


 と、そこまで捲し立ててから、東宮ははっとなって、唐突に話題を元に戻した。


「……夢って、ここ淑景舎しげいしゃを見たのですか?」


 戸惑いながらも、維月は頷いた。


「あっ、はい。ここだと思います。私、部屋からほとんど出たことなかったので、見つかるかどうか心配だったのですが、分かって良かったです」


 後宮の端にひっそりと佇む殿舎。

 蔀を開けたりして、手入れはされているが、今は、無人らしい。


(絶対、ここだわ)


 鬼の形相をした女性が、まさしく、月草の植わっている近くに何かを埋めていた。

 まさか、そんないわくつきの場所が、維月の部屋のすぐ隣だとは思ってもいなかったが、これも運命なのだろう。


 ――維月は、夢の中で呪術の痕跡を辿ることが出来る。


 もっとも、古い痕跡を辿ることは出来ないし、東宮の近くにいないと不安定だったり……と、扱い辛い能力には違いないのだが……。


「こちらにお住まいだった方って、どのような方なのでしょう?」

「まさか、夢如きで、ここにお住まいだった御方を疑っているのですか?」

「滅相もございません!」


 大げさなほど、首を横に振っている維月に、溜息を零した東宮は、そっぽを向いて答えた。


「どうせ、すぐに分かることだから、お答えしますが、こちらは私の腹違いの弟の母君、桐壺の更衣殿が昨年までお住まいだった場所です。弟の喪が明ける頃まで、そちらにおられましたよ。私も今でも仲良くしてもらっています。今は、山科で静養に努めておられるはずです」

「弟君の母上様……ですか。確か、東宮さまの弟君は、二年前……」

「ええ、亡くなりましたよ。その辺り、九曜家の方が詳しいでしょう?」


 東宮の目が、探るように細くなった。

 敵意に似たような謎の緊迫感に、維月は身体を震わせた。


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