それでも”私”はあきらめない!
ハラタケ≒ニートン
第1話
私は福島県のとある町で生まれた。
生まれる際、ヘソの緒が首にからまり死にかけた。
それでも私は生き延びた。
生き延びることができたんだ。
私の幼少期の記憶はもうすでに、霧のように薄れてしまった。
けれど覚えていることもある。
私の住む町は雪がたくさん降ったから、かまくらも作れたし、ソリでそこらじゅうを滑ることもできた。
温泉もあって、家族と通ってはトラブルを起こしたのも今となっては笑い話だ。
え? なにをやらかしたかって?
……今だから言うけれど、吐しゃ物のスプリンクラーになってしまったこととか、
温泉でショワァ……、だったりそれはそれは問題児だった。
そうだ! 銅像のおじさん、というものにひどく恐怖した覚えがある。
私の住む町には銅像が1つだけあった。
その銅像が夜になったらのっそり動き出す、との冗談を本気にしてしまい、かなりビビっていたのは内緒だ。
その後私は、保育園に入園する。
私は保育園では明るく、元気な子供だったように思う。
泥団子を作っては先生に「あげる!」と言ったり、積み木を積み重ねたり、
何の因果かテレビが取材に来たときは、テレビカメラを横切るようにくねくねダンスを披露したものだ。
後日、私のくねくねダンスは地元のテレビ放送にしっかりと映っていた、とだけ言っておこうかな。
私の家庭環境に関しても説明していこうか。
私の家庭は、父も母も警察官だった。
そのため町の交番兼自宅に私たち家族は住んでいた。
あの頃は楽しかった。
それはもう楽しかったよ。
家の庭を掘れば、ミミズがたくさん出てきて面白かったし、
家の庭を見れば、豊かな生命が視界いっぱいを埋め尽くしていた。
あの頃はケムシ遊びにはまっていたっけなぁ。
ケムシを素手で捕まえては、そのさわり心地がフワフワしていて気に入っていたものだ。
もちろん、手は真っ赤にはれ上がってしまってたけどね。
家族に関しても、あの頃は何も心配することがなくのびのびと暮らせていた。
一家離散することもないし、家族全員が精神的に参ってしまうこともなかった。
暴力も暴言も、一言の悪口すらなかった。
あの頃は楽しかった。
そして、
そんな私をあざ笑うように、残酷な試練がやってきた。
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