葵と綾と美羽、そして風

蒼井 凌

Part.1

 小学5年生の美羽は、塾の夏期講習を終えて帰る途中だった。

 駅の連絡通路を歩きながら、特に何も考えずに屋根のない通路に足を踏み入れた。

 夏の陽射しを避けるためか、風は少し強く吹き始めていた。

 美羽はただ歩いているだけだったが、次第にその風の強さが気になり始めた。


(やばっ、風強い……。)


 美羽は咄嗟に、右手をお尻に当てた。


 つい最近までは、スカートの裾なんて気にしたこともなかった。

 けれど先月、親友のハナと遊びに行ったときだった。

 階段を上るとき、ハナがふとお尻を押さえたのを見て、無意識にそれを真似た。


 その日から、美羽はふとしたときにスカートの裾が気になるようになった。

 特にお気に入りのフレアスカートは、その可愛さと引き換えに、少しの風でも、美羽が不安になるほど広がってしまう。


 美羽は急に強くなった向かい風を感じ、手のひらに力が入った。

 風が吹く音が耳に響き、少し怖くなった。


(どうしよう……今日は絶対見られたくないのに……)


 クマのイラストがついた、お気に入りのやつ。

 子どもっぽいのは分かっていた。

 でも、肌触りが好きで、なかなか捨てられなくて――。


「美羽、まだそれ穿いてんの?そろそろパンツも大人のにしなよ~」


 昨日、姉にそうからかわれて、顔を赤くして誤魔化したばかりだった。


(うわっ、風強い……これ、大丈夫かな……)


 ふと前を見ると、高校生の女の子が二人、同じ方向に歩いていた。

 そのうちの一人が、両方の手のひらをお尻に当てて歩いている。


(あ、そうだ、左手!)


 美羽は肩にかけたカバンが落ちないように気をつけながら、彼女の真似をした。

 こんなに風が強い日に、このスカートで出かけたことはなかった。

 初めて見る暴れ方に、美羽の不安はどんどん膨らんでいく。

 

(駅まで……駅まで行けば……!)


 美羽は足を速めた。


 ――突然、強い横風が加わり、スカートが横に揺さぶられた。


 次の瞬間、押さえていなかったスカートの前側がフワ~っと浮き上がってきた。


(わっ!ダメッ、ダメっ!!)


 慌てて両手を前に回してスカートを押さえ込むと、バフッと音を立てて、スカートの膨らみが収まった。

 心臓の鼓動が早くなる。


(大丈夫……だよね……あぶなかった……)


 ひとまず落ち着いた美羽は、ほっと息をつこうとした。


 そのとき、美羽の右肘に何かが当たった。

 驚いて振り向くと、手を放してしまった後ろ側が大きく膨らんでいる。


「……っ!!」


 慌てて今度は両手を後ろに回す。

 しかし、その瞬間、美羽の頭の中に不安が湧き上がる。


(どうしよう……見えちゃったかも……)


 スカートを押さえる手に力が入り、汗がにじみ出す。

 見られたかどうかもわからない、その“わからなさ”が、いちばん怖かった。  


 なおもひらひらと揺れるスカート。

 まるで風が"次の機会"をうかがっているようで、美羽は背筋が寒くなる。


(これだとまた前がめくれちゃう……どうしよう……)


 片手で前を、片手でお尻を押さえるも、今度は押さえていない横が膨らむ。


(助けて……助けて……)


 一瞬、前から何かが突き上げる感覚がした。


「えっ……?」


 驚きと戸惑いが一気に押し寄せ、美羽は足元を見る。

 そこに広がっていたのは、あまりにも無防備な姿の自分だった。


 頭が真っ白になった美羽は、ようやくその恐ろしい事実に気づく。


「……うわぁぁぁああああああっ!!!」


 思わず美羽は大声を上げ、両手を振り回した。

 しかし、その手は空を切るばかり。

 何も掴めない、何もできない。


「やだっ……やだっ……やだぁああああ!!!」


 美羽の声は、必死に自分を守ろうとする叫びに変わり、両手を振り回した。

 視界は涙でぐちゃぐちゃに歪み、何も見えない。

 まるでどこかへ溺れていくようで、自分の叫びだけが、頭の奥で反響していた。



   ――その時。



 突然、何かが猛スピードで近づいてきた。

 そして、無防備になった美羽の足元を覆い隠すように、何かが勢いよく、温かく巻き付いた。


(つづく)

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