第34話 浄界顕現
空間を裂いた白光は、まるで世界そのものの悲鳴のようだった。
《清浄顕現》によって展開された浄化の波動が、サクラの《幻願結界》に激突する。光と闇の奔流が倉庫の地下を奔り、天井を穿ち、壁を砕き、世界の輪郭を震わせる。
だが――崩れた空間の中、なおもサクラの身体は宙を舞っていた。
「いいよ……ユズハさん。もっと、もっと“醜く”舞って見せて」
柳サクラの声は穏やかだった。まるで、子どもが遊戯の続きを求めるような口調。
「希望だの、正しさだの……そんなもの、私にとってはただの“絵の具”にすぎないの」
その指先から、黒い結晶が無数に散布される。それぞれが空間に突き刺さり、虚像のような世界を支配していく。
ユズハは双剣を構えたまま、冷静に周囲を見渡す。目に映るのは、常識を拒絶する“歪み”の世界だった。
――照明は人の眼球となって回転し、床は肉のように蠢き、壁のひび割れからは黒い手が這い出ている。
《幻願結界》の真骨頂。それはただ“見せる”幻ではない。
この空間そのものが、柳サクラの“願い”によって改変され、実体すら持ち始めていた。
(……このままじゃ、押し切られる)
ユズハの額に、じりと冷や汗が滲む。清浄なる結の力で押し返してはいるが、サクラの呪いは“精神”にも作用する。ほんの一瞬でも油断すれば、錯覚ではなく――正気を喰われる。
「ユズハさん。あなたって、本当に綺麗。ほんとに……完璧に近い。でも、それって“壊す価値がある”ってことなのよ」
次の瞬間、サクラの背後から巨大な花弁が咲き誇る。
《幻願結界・深層花牢(しんそうかろう)》
それは空間そのものを呪縛と幻覚の牢に変える、サクラのさらなる奥義。
花弁が開くたび、ユズハの目の前に“過去の幻”が広がっていく――
♦️
助けられる命を選び、幾度も命を天秤にかけてきた過去。
《幻願結界・深層花牢》は、ユズハの“記憶”を再構築し、その中に閉じ込めようとする。
(違う。これは……幻想よ。こんなものに、私は……)
だが視界は霞み、心に痛みが走る。
懐かしい顔が浮かぶ。すでに命を落とした者たち。かつてユズハが救えなかった人々。
「ユズハ……助けて……!」
幻影が、泣き叫ぶ。
「うるさいっ!!」
ユズハは咆哮した。両手の双剣を交差させ、白光の波動を爆発させる。
光が“過去”を焼き払い、花弁を吹き飛ばす。
「私は、過去に囚われない。いま、この瞬間を生きる人のために戦ってる!」
♦️
反撃の狼煙だった。
ユズハの周囲に、結の円陣が七重に展開される。混合術の連鎖発動。
それぞれが異なる“清浄”の術式を帯び、次の瞬間、複数の光剣が周囲に放たれる。
『
超高密度の結術。
まばゆい剣が一斉にサクラへと突き刺さる――だが、その直前で空間が裂けた。
「――“壊してあげる”。あなたの“信じてるもの”ごとね」
サクラが囁いた瞬間、彼女の結界は一層深く濃密な黒へと変化し、その中央に異形の“花柱”が出現する。
花柱の先端が割れ、中から“人のようで人でない”何かが這い出てくる。顔がない。肉が逆巻き、目と口が入れ替わったような存在。
《幻願体(げんがんたい)》――柳サクラの願いが結晶化した、実体化する悪夢。
「人の希望? そんなもの、幻想よ。誰もが心の奥では、誰かを見下してる。汚れてる。それを、私は教えてあげてるだけ」
幻願体が咆哮し、ユズハに向かって突進する。触れられた瞬間、“世界”は再び歪む。
だが――ユズハは踏みとどまった。
「違う……私が見てきた希望は、そんな薄っぺらなものじゃない」
結の粒子が、ユズハの身体からほとばしる。まるで命そのものが光になったような奔流。
「私の“願い”を見せてあげるわ」
彼女が静かに呟く。
次の瞬間、ユズハの全身が白い光に包まれ、さらに深く――“核心”へと到達する。
『
それは、結界すら書き換える。
地面が輝き、空間が反転する。柳サクラの《幻願結界》が軋み始める。
黒い花が一斉に枯れ、壁の肉が剥がれ、照明の“顔”が悲鳴を上げて崩れ落ちる。
「やめてっ……!!」
サクラの叫びが響いた。
初めてだった。彼女の“結界”が本気で脅かされたのは。
「私は……ただ、綺麗なものが……壊れていくのが、好きなだけなのに……!」
サクラの叫びが、ひび割れた空間に虚しくこだました。
しかし、もう遅かった。
《浄界顕現》の波動は、まるで天上から降り注ぐ審判のごとく、黒い結界を一枚一枚剥ぎ取り、深層に眠る“願い”の核へと到達する。
――次の瞬間、閃光が世界を包み込んだ。
爆ぜるように黒い花弁が霧散する。
《幻願体》は悲鳴もあげられずに光に焼かれ、結晶のように砕け散っていく。
サクラ自身もまた、その中心で全身を白光に貫かれていた。
「ッ、ぁ……」
彼女の両膝が折れる。血に染まった口元から、くぐもった呻きが漏れた。
「……うそ、でしょ……私の……願いが……」
全身を覆っていた黒い花びらが、はらはらと剥がれ落ちていく。
幻惑の力も、実体化していた空間の歪みも、すべてが霧のように消えていく。
――そこに残ったのは、力尽きたひとりの少女だった。
ユズハは、剣を下ろして静かに見つめる。
「……では教えてもらいましょうか、私たちが元に戻る方法を……」
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