第36話「やさしさが痛い時もある」

久美子の暴走と龍人の介入により、神前式は中止となった。


明確な敵意と、思いがけない方向からの衝撃的事実をぶつけられ、花純は限界がきて意識を失ってしまう。


”鬼の誘惑”と罪をつきつけられるが、身に覚えがないと突っぱねられるほど無縁の言葉でもない。


何度も好意を示してくれた紫暮の言葉でさえ、結局はホンモノでなかったと知り、夢のなかで真っ暗闇をさ迷った。


涼しい風と風鈴の音色が、何度も花純を呼ぶ。


そんなにさみしそうな声で呼ばないでとゆっくりまぶたをあげると、朝露のような雫を落とす蛍がいた。


「蛍ちゃ……」

「かすみっ! やっとおきた! うあああああんっ!!」

「えぇ……?」


どうして泣くのだろうと困り果て、身体を起こすと額から濡れたタオルが落ちる。


風が吹くたびに風鈴が揺れ、縁側のすぐ外には水を撒いた跡があった。


どうやら少しでも涼しくしようと蛍が考えて、形にしてくれたようだ。


頑なに口を閉ざしてばかりだった蛍が泣いている。


この子は寂しさに気づいてもらえなかった時、糸が切れたように泣く子だったと思いだして花純はそっと蛍を抱き寄せた。


「ありがとー。私、結構寝ちゃってた?」


「ぐずっ……。きのう、シグゥがだっこしてもどってきた。しっ……しらない人もいでっ……!」


「知らない人……」


あぁ、いやだ。昨日の出来事がどんどん頭のなかで膨れ上がる。


紫暮の”本当の番”だと名乗り出た梨亜奈。証拠に紫暮の尾が薄紅色の毛に染まっていた。


動揺する花純が”鬼の誘惑”のせいで、紫暮は番を勘違いしたと指摘された。


そもそも花純は”鬼の誘惑”を知らない。

だが完全否定ができなかった。


花純には”鬼の血”が流れているため、何の力もないと思っていたが隠れていた可能性はある。


受け止める勇気もないくせにどこか「それもそうか」と納得し、安堵に似た皮肉だらけの息を吐いた。


「! かすみ?」


花純は虚ろな目をして蛍を抱きしめ、首を横に振った。


(契約は終わりね。……蛍ちゃんは守る。誰かに頼ろうなんて甘えてた)


これからどうしようか。

南条家には戻れないだろうから働き口を探すことからはじめるべきか。


少なくとももうここにはいられない。


(胸が苦しいの……)


「花純っ!!」


突然バタバタと縁側を走る音がして顔をあげると、角から何やらいかつい機械を抱えた紫暮が現れる。


花純が目を覚ましているのを確認すると、血相を変えて駆け寄り、荷物を置くとすぐさま蛍ごと抱きしめてきた。


「きゃっ!?」

「よかった! 目を覚まさなかったらどうしようかと!」

「あっ……あの……紫暮様……」

「本当に……よかった……」


全身震えている。どうしてそんな風に沈痛な面持ちなのだろう。


番でないと判明した花純にやさしくする理由はないはずなのに、どうして子どもみたいに泣きそうな顔をしているの?


切実な抱擁を受け、これでは蛍の方がよっぽど我慢強い大人に見えると、花純は受け方に戸惑っていた。


「シグゥ、くるしい」


一緒に抱きしめられ、間に挟まれ潰れそうになる蛍。


焦燥感にかられていた紫暮は「すまない」と慌てて身をひき、瞳に不安を揺らしながら花純の頬に指を滑らせた。


紫暮の一途な視線に気恥ずかしくなって、花純はとっさに物珍しい機械を指す。


「あ、あれはいったい……? はじめてみました……」


「あぁ、電気扇風機だ。部屋だと空気がこもるからな。こうして電気を通して……」


電気を通すと羽根のようなものが軸を中心にまわりだす。


カタカタと奇妙な揺れ方をするが、たしかに風が生み出されて涼しさに汗が拭きとんだ。


花純が眠っている間になんとか暑さにバテないよう、試行錯誤してくれたようだ。


おそらく外の水撒き跡は蛍がしたのだろう。


やさしくされる理由がないのに、紫暮の真っ直ぐな親切心に花純の心は歪んでいく――。



――番じゃないのに。ニセモノなんかにやさしくしないで。


辛く当たられる方が楽かもしれない。


知らなかった温かさに希望を抱いてしまうから。


ニセモノだとしても”花純だから”大切にしてくれるのではと、期待してしまうから。


「やめてください……」


この場で一番幼子のようなのは花純だろう。


我慢もできずに視界をにじませて、零れないようにと天井に顔を向けて鼻をすすった。

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