龍神は見鬼の娘に恋をする

華周夏

綺麗な小さな小さな白蛇〖第1話〗

『たすけて、オレ死んじゃうよぅ。オレ、まだ、見つけてない……見つけてないよぅ』

 叢の中で、微かに聞こえる。力を失った、多分『神様のこども』の声。

 段々秋も終わりに近づいて、神無月も過ぎ、全てが眠りにつく準備を始める。聞こえた『声』は、体力共に、神通力も弱っている。氷雨子は学校の裏山の叢に分け入った。

 降り始めた雨に風が混じり体温が下がっていく。草の露が制服を濡らす。跳ねる泥水がローファーの中に入って冷たい。はっきり言ってしまえば帰りたい。

 自分が何故こんなに懸命になって『何か』すら

知らない『神様のこども』を探しているのかも分らない。それでも弱々しくなっていく『たすけて』の声が耳から離れない。

 あの子も助けないと一生後悔すると感じた。直感した。こういう時の氷雨子の直感は当たる。惹きつけられる、弱っていく声。氷雨子は感じた。このままにしておけない。しない後悔はもうしない。

 あの時誓った。この首に下げた翡翠のネックレスをお母さんから貰ったとき誓った。

 今日のこのグシャグシャの仕上がりをみれば家に帰って、婆様に折檻されて、夕飯抜きだと分かっているけれど、今日は雷神様が連泊でいらしてる。知らない、宿泊予約をされていない神様を連れ帰っても──禁を破っても──雷神様の手前、家に受け入れてくれるはずだ。

 『巫女気』――簡単に言えば、人外の力。神通力だ。を使って探す。簡単に言えば神様のGPS探査だ。

『天地の神よ、産土の神よ、我が願いをお聴き入れ給へ────』

 貧血を起こしたみたいに、氷雨子は眩暈がしてふらふらになった。神への対価は術者や巫女の神通力。願いの大きさが大きいほど対価は大きい。願いによるが寿命や──命さえも対価として求められるという。氷雨子は神通力はあまり強くはないが、見鬼の才能、眼と耳と通詞力は強い。

 幼い頃、お母さんに『才は隠しなさい』と言われていた。『才は才に溺れるわ』お母さんはそう言っていた。昔、最高位の巫女の位まで女性で初めて上り詰めた母の子として、氷雨子は誇りを持っていた。きっと、美しく強いお母さんのように自分もなれるのではないか、と。

 けれど、現実は甘くない。巫女クラスの術の話題にはついていけなくなり、一人で購買で一番安い栄養ゼリーを裏庭で飲みながら、お母さんを思う。

「私、お母さんには似なかったんだね……」

 今、元々自分は、凡庸なただの見鬼の巫女だったと思っている。そう思い、今も特殊巫女クラスで一人だけ式神も呼べずに、肩身を狭くして学校に通っている。

 叢深くに隠れるようにして見つけたのは小さな小さな白ヘビだった。身体に露が降り、緑に染まったようにきらきら光を反射する綺麗な鱗。

 雨足が強くなってきた。すぐ、昔お母さんに貰ったお気にいりのマフラーを氷雨子は白ヘビに巻いた。雨に濡れて、体温も、神様の力の源の生命力、所謂『神通力』も命を繋ぐのに精一杯。子供のスニーカーの泥の足跡がついていた。多分、小さい身体で抵抗できず、こんなになるまでいたぶられたのだろう。

 『役立たず』と足蹴にされた小さな自分と重なる。両親のお葬式のあとだった。

 ──お前が代わりに死ねばよかったんだ!こんな半端な年で初陣なんて。輝美が……私の、輝美が!死んでしまうなんて。完璧に育てた私の、理想の巫女が──号泣する婆様が、深い忘れられていた記憶から浮かび上がってくる──。

 婆様は、自分の完璧に育てた、いや完璧に作った母さんと言う作品を壊した私が許せない。きっと、ずっと。氷雨子はそうあの日を思い出し俯く。

『たすけて、だ、誰か……まだ、見つけてないんだ、死ねないんだよぅ……』

 ぎゅっと掴まってと言うように、マフラーをくるくると巻いてこの白ヘビを腕に抱き上げた。

『私が助けるよ。私が助けるから』 

 神様になぞらえるのは不敬だけど、氷雨子は、かつての《あの時》何も出来なかった自分も、何処か、少しだけでも救えるような気がした。

『すぐに暖かくなるからね。もう大丈夫だよ。怖かったね。痛かったね』

 氷雨子は小さな白ヘビを、ぎゅっとマフラーごと抱きしめた。涙が氷雨子の頬を伝う。ただ嬉しかった。この白ヘビがひとまず助かったことが、単純に嬉しかった。誰にも何にも逆らわずに生きてきた。初めて家の禁を破ろうと思った。この子を連れて帰る。もう、いい。決まりなんて、皆人間本位で作られたものだ。片手で印を組んで、念じる。かなり疲れるが、氷雨子は神通力を白ヘビに分けた。ミズチは、胸元に翠色の光が氷雨子を包むのを見た。

『身体が軽い!……不思議。どうしてオレの言葉分かる?それと……何故泣いてる?』

『私、見鬼なの。それに、あなたが生きていて、嬉しいの』

 嬉しいんだよ……。後悔は、もう嫌なの……がんじがらめに縛られるのも。そう言い泣く氷雨子の涙を、白ヘビは初めて『ニンゲンの涙はあまりにも悲しいものかもしれない』と、そして『この娘の涙は、美しい』と思った。そして、不謹慎だと解っていながら、只々氷雨子を見つめた。悪戯に、ペロッと白ヘビは氷雨子の涙をなめた。

『涙、しょっぱい。でも甘い。どうして?』

 氷雨子は微笑んで、

『ヒトの涙は感情で、色んな味がするんだよ。涙が甘いのは、あなたが元気になってきたから。嬉しいから。マフラー、暖かい?』

『うん。オレ、ミズチっていう!あの、名前は何ていうの?』

『喜多見氷雨子。昔、鬼を喜ぶの字に変えたの。私は見鬼の巫女なの。キタミ、ヒメコだよ。ミズチ、様って呼べばいいの……?』

『ミズチって呼んでよ。オレはヒメコって呼んでいい?』

『あ、うん。ミズチ……?』

 ミズチの言葉のイントネーションが不意に大人びて感じた。思いの外、やわらかで甘いミズチのふとした声に、氷雨子はマフラーに包まれ心地よさそうにしている白ヘビを見つめ、そっと控えめに、もう一度『ミズチ?』と呼んだ。ミズチは嬉しそうに身体をくねらせ、

『氷雨子、ヒメコ。いい名前。冷たい雨は嫌いじゃない。でも、オレ、もうヒメコ泣かせたりしない。オレ、ヒメコ泣くと、オレも悲しい。ヒメコ泣くのオレのせい、もっと悲しい。心の臓が苦しくなる。泣かないで。でも、甘い涙ならいっぱい、泣いて。ドキドキする!オレ、ドキドキしてるよ!恋なのか。ヒメコ、ヒメコだ!オレの、オレの、運命の相手!ずっと探してた。ヒメコが生まれる前から、ずっとオレ、運命の相手探してた!』

 嬉しそうに、また身体をくねらせ、小さな小さな白ヘビは笑っているようだった。

 ミズチはまだ子供だね──悲しみを伴わない涙なんかないの。何処か、切ない感情がついて回るの。

『ヒメコ?』

『なんでもないの。ところで、運命の相手って?』

『心でわかるの。心が震えるの。解るんだ……わかるんだよ、ヒメコ。それで……ヒメコのこと、つらいこと、記憶、過去、全部解ってしまう……ごめんね。勝手に覗いて……嫌いにならないで……』

『構わないよ。嫌いになんかならないよ。それに、ミズチには秘密は少ないほうがいいな……歪な笑顔を作るのは、もう、やめたいの』

『ヒメコ……ヒメコは、俺が全力で守るから。ヒメコの笑顔を守るから』

『ありがと。やさしいね、ミズチは。私には……もう誰もいないの。守りたいものも、生きる理由も。……じゃ、行こうか』

 氷雨子はお気に入りのマフラーに、泥だらけの白ヘビをぐるぐる巻きにして、折檻されて、粗末な食事を貰うだけの家に急ぐ。

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