一緒にいきたい
夜桜満月
第1話
懐かしさを覚えながら夕涼みを兼ねて川沿いの道をゆっくりと歩いていた。セミの鳴く声が少しずつ少なくなり、代わりに鈴虫の鳴く声が多く聞こえるようになったのに、夏のような暑気を感じるのはいまだ季節が移ろってはいないことを示しているのだろうか。しかし、流れる川を通る空気は、その身を冷やし、川沿いの道もまたゆっくりと冷やしていった。
川面に目をやると、街や月の光が写り込んでいた。それらが水の動きとともに揺れる姿は、幻想的なものにも見える。川沿いの道の脇には小さな階段があり、そこを降りると川岸に作られた芝生へ行くことができた。水面からうつる光のおかげで、カップルであったり、ランニングや運動をする人であったり、私と同じ会社帰りのサラリーマンであったりといろいろな人の姿が見えた。
少しの涼を求めて、私は芝生へと降りていく。護岸工事が施された上に作られた芝生は、歩くと植物のやわらかさを、革靴を通して足の裏に伝えてくる。
緩やかにふく風と水面からの涼が忙しかった一日の疲れを暑さとともに取り払っているようにも感じられた。時々、街の明かりや月の光を眺めながら歩く。
ふと、バッグの中の何かが揺れているのに気づく。
のぞき込むと、スマホが青白く光を放っているのが見えた。その横には光に照らされた葉書が見える。内容はわからないが日付は明日になっていた。
葉書を詳しく見るよりもスマホを改めてみると、ディスプレイには懐かしい人物の名前が表示されていた。
中学の頃から知ってはいたが、大学に入ってから仲が良くなった女友達だ。高校までは特に印象はないが、大学生になって、大学の構内や他の友達と遊びに行った時に、なぜか一緒にいることが多かった。卒業以来、一度だけ飲んだがその日もどこかの教会の前を、意味を持たない会話をしながら歩いていた記憶しかない。
バッグの中からスマホを取り出し、着信の応答をする。
「もしもし? ジュン? 元気?」
「桜香か? 久しぶりだな。どうした、突然電話なんてかけてきて?」
懐かしい呼び方だ。
一瞬で学生の時に戻ってしまったかのような、そんな感覚に襲われる。そう思えるほどに彼女の声に変わった様子は感じられなかった。
「いきなりゴメンね。なんか、ジュンの声が聞きたくなって」
「珍しいことをいうなぁ。何かあったのか?」
懐かしいことをいう桜香に私は思わず尋ねた。まったく他意はなく、話の流れとして出した言葉だった。
「んー? 何にもないんだけどね。ところでさ、今から会えないかな?」
「いきなりだな。仕事帰りだし、時間もあるから大丈夫だ。どこにいけばいい?」
んー、という声がスマホの向こうから聞こえてくる。どこに来いというのかわかならないが、久しぶりに会うんだから、どこへだって行きたい。
「そうだね。川原の近くにある公園なんてどうかな? 大きな桜の樹とブランコがあるあそこ」
「ちょうどよかった。今、その川沿いを歩いている。もう少しいった先に公園があるけど、そこあってるか?」
「うん。そこでよろしく。またあとで」
そういって、通話が切れる。川を流れる水の音が耳にまで届く。その音で本当なら落ち着きそうなものだが、桜香に久しぶりに会えるということに、どこか浮ついた感情が胸の奥に広がっているのがわかる。
さっきよりほんの少しだけ公園へと向かう歩みは早くなっていた。
高い位置に設置されている街灯と月に照らされて、その桜の樹はその存在をはっきりと示していた。季節が合えば美しい夜桜を見せてくれていたのだろうが、残念ながら今の季節ではその姿を目にすることはできない。
葉桜の姿を見せているが、それはそれで美しいと思ってしまう自分がいた。
桜の樹に小さく穿たれた穴からは、月の光が差し込んでいて葉桜とともにみると、どこか幻想的なものを表現しているようでもあった。
桜の樹を見上げることができる位置に、石で作られたベンチのようなものがある。ゴツゴツとした感触はあるが、立っているよりはいいと思い、腰を落ち着ける。少し速足で歩いていたせいか、足に軽い疲労感を感じた。しかし、それは決して苦痛を伴うものではなく、緩やかにふきぬけていく風が運び去ってくれそうな、そんな感じのするものだった。
金属のきしむ音が耳に入ってきた。公園にある唯一の遊具、ブランコだろう。
視線をブランコへと移すとそこには一人の女性がジーンズを履いてブランコに座り、ゆっくりと加速をつけて漕いでいた。そのブランコに重なるように十字架の影が伸びていた。
私はゆっくりと立ち上がり、ブランコのところにいく。
「いきなりブランコを漕ぎだすなんてな。一声かけてくれてもいいんじゃないか」
「見たら急に乗りたくなったのよ。ジュンも乗ったら?」
桜香は悪びれることもなく、私をブランコへと誘う。
大人の私が乗っても大丈夫なのか。そんな不安を感じながら、ブランコへと近づき、ゆっくりと腰を下ろす。私の体重にブランコが小さく音を出す。ブランコにとっての悲鳴なのか、あるいは座ってもいいという合図なのかはわからない。ただ、ゆっくりと漕ぎ出しても、壊れるということはなかった。
「久しぶりだね、ジュン。元気にしてた?」
「ああ。突然で驚いた。そっちも元気にしてたか?」
桜香は強くブランコを漕ぎながら、こちらを見てくる。ブランコの動きに合わせて視線を動かすのは大変だ。
「元気だよ。携帯見てたらふと名前が見えてね。思わず電話しちゃった」
言って、勢いよくブランコから飛び降りる。
ブランコから抗議の声のように金具の鳴る音が聞こえてきた。その音もやがて静かになる。
「いきなりいなくなって……どこに行ってたの?」
「実は転勤でいろんなところにな。昨日こっちに戻ってきた」
「ふーん」
桜香が息を吐くように小さく言った。
沈黙が二人の間におとずれる。
「で、いきなりなんだけどさ……今から一緒にどこかいかない?」
「えっ? ああ、どこかメシでも食べにいくか?」
「ううん。そういう意味じゃないよ。どこか、
一瞬何を言っているのかの理解が追いつかなくなる。てっきり他愛もない話でもするのか、せいぜいがメシでも一緒に行くのかと思っていた。
だが、彼女の中では近くではなく、遠くの場所に行くつもりだったようだ。しかも、場所は決まっていないらしい。
「い、いきなりどうしたんだよ? それに遠くってどこだ?」
どうしてもしどろもどろに話してしまう私自身がいた。いったい何を考えているのか。
「いきなり思いついたから、いきなり言ったんだけどね。それに場所は決めてない。一つ決まっていることがあるとすれば、ジュンと一緒に行きたい、ってことだけかな。場所はどこだっていいよ。ジュンが一緒にいてくれるなら」
漕いでいたブランコを、地面に両足をつけて無理矢理止める。軽い衝撃がおそってきたがそれよりも、心臓がドキリと跳ねたのがはっきりとわかった。言葉の意味をはっきりとくみ取ることができないでいる。だが、桜香は私と一緒にいることを求めていることだけはわかる。しかし、なぜ、そう思っているのか。
「桜香。遠くってどういう意味だ? 旅行みたいなものか? それにどうして私なんだ?」
「そうだね。旅行……でもいいし、それ以上でもいいかな。誰も知らない土地で一緒に暮らすのも楽しいかもしれない。ジュンを選んだ理由は、本当に何となく。ジュンと一緒に行きたいと思ったから」
暮らす。
それはつまり一緒に生活するということだよな。その相手が私。
桜香はいったい何を考えているのか。どんどんわからなくなっていく。
「……一緒に暮らすっていうのはつまり……」
「同居、同棲、居候。どんな言葉でもいいけど、一緒にいたいってことかな」
言葉の一つ一つがとてつもなく大きな衝撃をもって、私のところにぶつかってくる。そして、そのすべての言葉が私自身の心を大きく揺さぶってくる。彼女のいっていることは、つまり同じ意味ということにも聞こえてくる。
桜香の表情を見る。
明るく、楽しそうにしていることはわかるが、それ以上の変化は見つけられない。恥ずかしそうにしているとか、照れているとか、そんな様子は見えない。上手く隠しているのかもしれないが、私には読み解くことができなかった。
私は家族以外の他人と暮らしたことはないし、一人で暮らしたこともない。桜香も社会人になってからはわからないが、大学の頃に一人暮らしはしていないはず。実家から行ける距離だったし。
「ちょっと待ってくれ! いきなりすぎて頭が追いつかない」
「まぁ、そうよね。わかった。ちょっと待ってて。すぐ戻るから」
桜香が公園から走り去っていく。
どこに行くのかはわからない。が、彼女が待て、と言っているのだから、今は待とう。
彼女が何を考えているのか、待つあいだにまとめようとも思ったが、およそそんなことができるような冷静さは残っていなかった。
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