第13話血糖値スパイク
大学帰りの飼い主は、毎日ボバリー夫人の屋敷による。
今日は帰りに、ボバリー夫人宅で、葡萄をもらっていた。
「領地から送られてきたのよ、食べきれないから、お裾分け」
甘い果物は飼い主の大好物で、家に帰る途中に歩きながら一粒、一粒と籠の中から摘まみ食べる。
「ベルもほら」
一粒吾輩の口の前に飼い主が持ってくるのでいただくが、領主の母親に献上される品だ、甘く、瑞々しい。
「ありゃ、けっこう食べちゃった、このまま家に持って帰っても、奥さんやメイドさんたちに分けてあげる分もないし、ここは食べきっちゃおう」
おい嘘だろ飼い主よ、三房は葡萄が籠に入っていたはずだ。
吾輩は首を伸ばし籠の中を見ると、まだ二房のこっている。
ただ好物を、独り占めしたいだけであろう。
お裾分けとは言っても、貴族から貴族への贈り物だ、これはつがいに言わないと面倒なことになるはずだが。
飼い主はきょろきょろあたりを見渡し、庭が通りに面していて、従業員が出入りするような簡単な木板でできている勝手口を見つけ、こともあろうかスススと中に入っていった。
不法侵入である。
飼い主は勝手に人の家の庭にあるベンチに腰掛け、葡萄を頬張る。
「甘いね、季節がいいのかな? 本当に甘い」
目を細め、口いっぱいに葡萄を頬張り、二房食べきると、大学の授業、研究、家庭教師と一日の仕事を終え、疲れているところに好物を腹いっぱい食べ、眠気が来たのだろう、うつらうつらと舟を漕ぎ出す飼い主。
さすがに他人の家の庭、ここで寝ては大問題になるので、頬を肉球でぺちぺち叩くと、
「むん、ベルもいっしょに一休み」
と、吾輩を抱きしめ、本格的に眠り込んでしまった。
こうなると小一時間はおきぬかもしれぬ、夏の終わりで、まだ暑いが、飼い主はつがいに買ってもらった最高級ローブの体温調節の魔法により、暑くはないだろう。吾輩も夕焼けになってきている空を見ながら、あくびを一つ。
どうせ、吾輩ではどうにもできぬ、なら一緒に寝込んでしまうの一興かと目を閉じる。
飼い主に危機が迫れば、おきればいいのだ。
どれほど寝ていたのだろうか?
「雨が降るよ坊や、こんなところで寝てないで、部屋にお入り」
と、言う声がきこえ、目を開けると、一人のエルフが飼い主の肩をゆするが、飼い主はむにゃむにゃ言うだけで埒が明かず、エルフは仕方なく飼い主を抱き上げ、家の中まで運び、揺り椅子に飼い主を寝かせ、薄掛けを体にかけてやる。
吾輩は飼い主の胸からおり、床で大きく伸びをする。
「猫もいたんだね、どうだい? かわいい坊やがおきるまで、ミルクでも」
エルフは平皿にミルクを入れ、床に置く。
吾輩は忝いと、にゃーんと一鳴き、ミルクをいただく。
「それにしても、どこの坊やだろう、エルフの森からの使者か? いやそれにしては幼いし、どこかの貴族か魔法使いの丁稚だろうか?」
いや、大学講師で、五十を越えている大人だ。
目の前のエルフは、エルフ特有の中性感があるが、たぶん男だろう。
それにこの旧市街に家を持つなら、貴族か、高位の魔法使い。多分魔法使い、魔力が高い、飼い主のつがいには遠く及ばないが。
エルフが庭から葡萄が入っていた籠を持ってきて、中を覗き込み、
「葡萄の茎しか残っていない? 坊やはお使い中の葡萄を食べちゃったのかな?」
と、少し困った顔をする。
そして籠に敷かれている布を手に取り、縫われている紋章の刺繍を見て、
「フローベール、この近くならボバリー夫人か……」
と、言い、着ているシャツの胸のポケットから、鼠を一匹出す。
「チム、すまないけどボバリー夫人宅まで、丁稚の坊やが迷子ではありませんか? と、きいて来てくれ」
と、言い、走らせる。
「それで、君は誰の使い魔? この坊やのではないでしょう? 君ほどの使い魔、いや魔法使いだって見たことはないよ」
エルフは吾輩の方を見て、そう言ったので、目の前に魔力の光を使い、飼い主のつがいの紋章、ヘルゼーノフ侯爵家の紋章に枠が二重についたヘルゼーノフ・アシモフ家の紋章を空中に描いた。
エルフは目を見張り、
「『最高傑作』の使い魔、もしかして、この坊やは『最高傑作』の家のものなのかい?」
吾輩がにゃーんと一鳴きすると、エルフは頭を抱える。
鼠がすぐにボバリー夫人宅のメイドと馬丁を連れてきて、メイドが飼い主を見て、
「あら先生ではないですか、どうしてランズデール様の家に?」
「先生?」
「ええ、奥様に詩学を教えに来て下さる大学の先生です。確かアシモフ先生ですわ」
「それではこの坊や、坊やではない?」
「ええ、確か五十を少し超えているとおっしゃっていましたわ、私もさすがに信じてはいませんが、成人はしていらっしゃるはずです、ご結婚も」
「この見た目で、成人している?」
エルフも驚き、まじまじ寝ている飼い主を見て、
「信じられんな」
と、言葉を漏らす。
「それより、なぜ先生がこちらに?」
メイドがそうきくと、
「いや、僕の庭で、寝ていたので、雨も降りそうでしたし、家にあげたの」
「なぜ我が家に?」
「籠の敷布に、紋章が」
「なるほど」
メイドとエルフが話していると、雨が降り出した。
外の庭に咲く花々に、葉に、雨が当たる音がきこえる。
そして、蹄の音がきこえる。
ジャン、ジャン、ジャン、ジャン。
旧市街の砂利道を踏みしめる、魔動具で作られた巨大な魔動馬独特の蹄の音。
この旧市街で、軍事用魔動馬なんてものを所有しているのは、魔王殺しであり、帝国南部の君主であるヘルゼーノフ家の財力を持つ飼い主のつがいだけだろう。
ジャン、ジャン、ジャン、ジャン。
どんどん蹄の音がエルフの家に近づいてくる。
道を挟み、庭を挟んでいても感じる飼い主のつがいの空間を歪めるような殺気と、溢れ出ているのだろう濃密な、蜂蜜のような粘り気を持った魔力。
馬丁やメイドにすら感じる魔力の濃度に、二人はガタガタ膝を震わせる。
エルフは掛けてあったローブを着て、立てかけてあったエルフの身長を超える木でできた杖を握る。
「新しい魔王でも生まれたかな?」
口調は柔らかくとも、エルフの表情は険しい。
魔王よりも強いものだよエルフよ、魔王殺しだ。
魔動馬の蹄の音が、エルフの庭の前で止まり、キーと庭の勝手口の開く音がきこえる。
ノックの音。
「誰かな?」
エルフの声は上ずっている。
ドアの向こうから、女の声がする。
「我が家の主人が、ここにいるか?」
飼い主のつがいの声だ。
うむ、怒っている。かなり怒っている。晩御飯までに帰らず、その上の雨、心配が反転し、怒りに変わったのだろう。
「主人とは?」
おお、エルフ、それは悪手だ、怒っている女に理屈は通じぬ。ここは下手に出て機嫌をうかがわねばならぬ。
エルフの家のドアが粉々に粉砕され吹き飛ぶ。
足首まである雨合羽を着込み、フードをかぶった魔王殺しが豹のように音もなく、家の中に入ってきた。
手には薪を割る斧。
目は座り切っている。
「ん? 『顎割れ』ではないか、お前が旦那様を浚ったのか? よしよし、殺してやろう」
つがいはエルフを見て、そう言い、一歩踏み出し、殺そうとしたので、吾輩がにゃーんと鳴いて、制する。
飼い主はこのエルフの庭に勝手に上がりこみ、寝てしまっただけなのである。
このエルフは飼い主に雨が当たらないように、家に入れただけ、そこにいるメイドと馬丁はボバリー夫人の家の者、エルフが勘違いし、呼んだだけ。
吾輩がそう告げると、つがいは殺すのを止め、メイドと馬丁に、話しをきき、葡萄の礼を言い、飼い主を胸に抱き、雨合羽の中に入れ、
「『顎割れ』行き違いがあったようだ、気にするな」
と、言い残し、魔動馬に乗り込み、家に帰った。
飼い主の胸に潜りこむ寸前、『顎割れ』と呼ばれたエルフが床にへたり込むのを見た気がするが、気にする程ではない。
飼い主が目を覚ましたのは翌朝で、良く寝たもんだ。
飼い主は寝ぼけていたようで、いまいち昨日のことは覚えておらず、気にせず大学に出かけていく。
車は酔うので歩いて大学に向かう飼い主。
「なんか、今日は道が荒れてるね」
そりゃそうだ、昨日お前のつがいが、馬の三十倍は重い魔動馬を走らせたからな。
昨日飼い主が勝手に入り込んだ庭の勝手口が見えてくる。
そこには昨日床にへたり込んだエルフが勝手口の前に立っていた。
「おはようございます」
エルフが飼い主に声をかける。
「おはよーございます!!」
元気よく手をあげ答える飼い主。
エルフが飼い主の横を歩き出す。
横を歩くエルフを見上げる飼い主。
「ん? どこにお出かけですか?」
飼い主の質問に、エルフはにっこり笑い。
「職場ですよ」
と、答える。
旧市街を抜け、ダウンタウンを通り、新市街に入り、大学構内に入っても、エルフは飼い主の横を歩いていた。
不思議そうにエルフを見上げる飼い主に、
「それでは私、こちらなので」
と、言い、校内で一番大きい校舎に向かい歩き出した。
一号館、魔法学科・神聖魔法専攻。
「うわー、殺されなくて良かった」
飼い主が足早に自分の研究室に向かう。
研究室につくと、虎頭の前公爵とメイドがすでに出勤していた。
「アシモフ先生、学院長の交代の話し、きいておるかね?」
お茶をしている前公爵の声にキョトンとする飼い主。
「新しい学院長は神聖魔法専攻のランズデール教授、帝国国家魔術師序列第二位『顎割れ』のランズデールじゃの」
「へ~」
我関せずで、今日のお茶うけのミニタルトを口に放り込む飼い主。
研究室のドアがノックされる。
虎頭のメイドがドアを開けると、そこには教務の職員が二人立っていた。
「アシモフ講師、研究費の横領の容疑が出ています、お話しをおきかせ下さい」
新しい学院長は、清廉な潔白な人物らしい。
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