その剣に花を贈る
沙伊
一通目
ランス王国の王太子であるアナベルにローディウム帝国から縁談が舞い込んだのは、彼女が十九歳の時だった。
アナベルはつい最近、婚約が破談になったばかりだった。
未来の王配となるはずだったその男は、密かに別の令嬢と恋人となり、彼女を囲おうと画策していたのだ。婚姻の前からそんなことをしていた男と結婚するわけにはいかず、破談となったわけである。
別にアナベルは元婚約者を好きだったわけではないし、前々からその言動に不信感を覚えていたので、むしろ破談は喜んで受け入れたのだが、最後に彼に会った時に言われたことが引っかかっていた。
「貴女みたいな女だてらに剣を振る野蛮な人間より、か弱い彼女を守りたいだけだったのに」
──ランス王国は魔物を討伐して生存圏を広げた国である。それゆえ王家に生まれた者は一定以上の武技が求められる。
アナベルもまた、幼少期より剣を習い、親しんできた。
だがその才能は、義務としての実力を逸脱していた。
アナベルは十歳を過ぎた頃から、大人の騎士と渡り合えるだけの剣を身に着けていた。それは成長するごとに冴え渡り、現在では騎士団の中で相手になるのは片手で数えられるほどだ。その数少ない者達も、本気のアナベルに勝てる者はいない。
魔物の脅威から民を護る王太子としては頼もしい実力が、元婚約者にとっては厭わしい部分だったらしい。
未来の女王の伴侶になるのだから、血筋は確かで、彼自身も相当な実力者だった。だがそれだけに女のアナベルに勝てない事実を認められなかったのかもしれない。
別にアナベルは自分に勝てる人間でなれば婿にしないなどと言ったことは無いし、思ってもいない。だが彼はアナベルの圧倒的な実力に向き合えず、別の女性に逃げたのである。
そんな折だ、ローディウム帝国から打診があったのは。
「ルキウス──皇弟殿下との婚約、ですか」
父王の執務室を訪れたアナベルは首を傾げた。
「そうだ。おまえも覚えているだろう。六年前まで、我が国の騎士団に出入りしていたのだからな」
「ええ、まあ⋯⋯」
アナベルは頷いた。
現皇帝の弟ルキウスは、前皇帝である父親に疎まれていた。母親である皇妃が出産と同時に死亡したため、皇妃を深く愛していた前皇帝は複雑な感情を抱いていたらしい。それを気の毒に思った兄の計らいで、留学という形でこの国にやってきた。
アナベルとルキウスは、彼が王国騎士団に出入りしている時に出会った。
ルキウスは線の細い少年だった。剣の才能はあったが身体ができあがっていなかったため、筋力と体力が圧倒的に足りなかった。同じ弱点を持つ者同士ということで、アナベルとはよく打ち合いをしていたし、その合間にぽつりぽつりと話すこともあった。
だがそんな日々は唐突に終わりを告げる。前皇帝が急死したのだ。急きょ皇帝となった兄を支えるべく、ルキウスは帰国した。
帰国の挨拶は無かった。ただ簡素な手紙で帰国する旨とその理由、挨拶できなかったことへの謝罪が伝えられた。
「帝国も随分とごたついていたが、最近は落ち着いてきているようだ。そこで、両国の関係強化のために婚約を結びたいとのことだ」
「なるほど」
「勿論、断ることもできる。ほかに婚約したい者がいるなら、言ってくれ」
「いえ、特にそういう方はいません。ありがたくお受けします」
「そうか。ではあちらには了承の手紙を送ろう」
「お願いいたします」
アナベルは頭を下げ、執務室から退室した。
───
思えば、あれは初恋だったな──当時を振り返り、アナベルは思う。
ルキウスとは男女の仲に発展したことは無い。それらしい会話も、触れ合いも無かった。贈り物さえしたことがない。
それでもアナベルがルキウスを好きだと思えたのは、彼の剣筋が美しかったから。剣にひたすら真摯だったから。
その姿に同じ剣士として心惹かれたのは、自然の流れだったろう。
ただ、その時は同世代の尊敬できる存在程度に留まっていた。ルキウスが王国を去り、六年の歳月を経て婚約する運びとなって、ようやくあれは恋だったと思い返すことができたのだ。
そんな相手と婚約することができるのは、幸運だろう。顔も知らない、年齢差も大きい相手と結婚することも多い王侯貴族である。初恋の人との婚約など、夢見がちな令嬢なら天にものぼる気持ちになるはずだ。
もっともアナベルは、それで浮かれるほど夢想家ではなかったが。
「そもそも人となりが変わってない保証も無いしね」
自身の執務室で書類をまとめ、一息ついたアナベルはそう呟いた。
六年という歳月は、少年少女を大人にするには充分な時間だ。アナベルだって、少女期からそれなりに変わった。ルキウスだって同じだろう。
アナベルはしばし考え、おもむろに便箋を取り出した。
相手の人となりを知るには、直接会うのが一番である。だが隣国とはいえ帝国まで会いに行くには時間がかかり過ぎる。お互い忙しい身の上だから、おそらく会えるのは正式に婚約を結ぶ時になるだろう。
ならば会う必要の無い交流で相手を見定めるしかない。
すなわち、文通である。
「ルキウスが乗ってくれるといいけど」
アナベルはしばらく便箋とにらめっこをしていたが、観念してペンを走らせ始めた。
『拝啓、ルキウス皇弟殿下へ。
お久しぶりです、お元気でしょうか。このたび婚約を結ぶことになり、改めてご挨拶を申し上げるため、ペンを取っております。
知らぬ仲ではないとはいえ、六年前に別れたきりである貴方様はどのようにお過ごしだったのでしょうか。
決して平穏な日々ではなかったでしょう。お兄様である皇帝陛下を支えるため、決意と共に帰国された貴方が送った六年は、大変な六年だったでしょう。
そんな貴方がこのたび私の未来の夫になること、どのようにお考えなのでしょうか。
私は、今の貴方が知りたいのです。
お返事お待ちしております。
未来の妻、アナベルより』
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