女体化BL短編集
星川過世
伊織と英二の場合
体だけ、女になった。
信じてもらえないと思うが、事実なのだ。朝起きたら女の体になっていた。
夢かと思って、もう一度寝てもそのまま。頬をつねったら痛いし、冷水のままのシャワーを浴びれば冷たい。
現実だとわかったら、今度は泣きたくなった。だって訳が分からなすぎる。
幸い今日は何の予定も無いが、明日は大学もバイトもある。この姿のまま知り合いに会えば混乱をもたらすことは想像に容易だった。
ネットで色々調べてみたが、一切の情報なし。
途方に暮れて、ベットの上に転がったところで、ベットの上に紙切れが落ちていることに気が付いた。
明朝体で文字が書いてある。
『誠に勝手ながら、あなたの体を一時的に女性のものに変えさせていただきました。一週間もすれば元に戻ります。もしそれより早く戻りたい場合は、男性の方と性行為をしてください。そのあとの睡眠中に元に戻ります』
「......は?」
は? としか言いようがない。困惑とか怒りとか、色々な意味で。
そもそもお前は誰だよとか、どうやったんだとかは、もうこの際どうでもいい。
何してくれてんだお前、とだけ思った。誠に勝手ながらって、本当に勝手すぎる。というかわかってるならやるなよ。悪趣味すぎる。始末に負えない。
などと恨み言を並べながら、頭の片隅でどうせならこの状況を最大限利用してやろうか、などと考えてしまう俺も始末に負えないが。
このわけのわからない状況を口実に、もしかしたら好きな男と性行為ができるかもしれない。
馬鹿なことを考えている、という自覚はある。俺の体を勝手にいじくったやつの思惑(が何なのかは知らないが)に乗ったようで癪だとも思う。
でも俺の片想い相手である伊織はおそらくヘテロで、こんなチャンスはおそらく二度と無い訳で。
というか、早く戻らないと明日困るし。手段は選んでられないよな。かと言って行きづりの男は、さすがに色々怖いし。
今の時間は、まだ学校に居ると思うけど。夜にでもアパートに行けば。
「......」
俺は一体、何を考えているんだろう。立ち上がると、いつもと目線が違ってなんだか気持ちが悪い。多分十センチ位違う。
浴室へ向かった。服を脱ぎ捨て、鏡に向かう。先ほどシャワーを浴びた時はまだ混乱していたので、改めて確認しようと思ったのだ。
今も混乱していないと言えば噓になるが。
顔は若いころの母親に似ていた。多分知り合いが今の姿を見たら最初に俺の姉妹だと思うだろう。体は、太っても痩せても居ない。男の体の時からそうだ。
ほくろも同じ位置にある。
本当にそのまま俺が女になったような感じで、こんな状況にも関わらず面白いなと思った。
女性の体に特に興味はなかったので、あまりまじまじと見たことはない。こんな感じなのか、としばらく他人事のように眺めていたがすぐに飽きた。
浴室を出て服を着る。
「あー、あー、あいうえお」
当然ながら声も高い。声変わりの前はこんな声だったような気がするが、昔過ぎて覚えていない。自分が話しているはずなのに聞き馴染みのない声が出るのは気味が悪い。出来るだけ声は出さないようにしよう。
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体に違和感を覚えつつも、適当に家にあるものを食べて漫画を読んだりサブスクで映画を見たりしていたら時間は過ぎた。
そろそろ伊織が帰って来る頃だ。今から出れば、着くころにはちょうどくつろいでいるだろう。早くしないと寝てしまう。
一つ目の問題として、伊織はこの訳の分からない状況に納得してくれるだろうか。俺だということをまず信じてくれない可能性が高い。俺が逆の立場なら絶対に信じない。
いやでも、伊織なら信じるかも。心配になるほど素直で単純だがら。
二つ目は、事情を話したところでじゃあ性行為をしましょうという話にはならないだろうということ。
いくら体が女でも、中身が俺なのだ。性別以前に友達というだけで性的なことをするのを躊躇う人はいる。ましてや中身は男で、明日には男に戻っているのだ。気まずそう。
顔も女性的とはいえ俺の面影がある。萎えないだろうか。最悪見えないようにするという手もあるけれど。
というかアイツ、経験あるのかな。今は彼女いないみたいだけど。伊織はあまりそういう話をしたがらないのだ。
初めてが俺は、ちょっと申し訳ない。俺の初めての相手もバーでその日に知り合った男だから、そんなにこだわるものでもないのかも知れないけれど。でも自分の意思で好みの相手と、というのと頼まれてというのは違うよな。
グルグルと考えて、行くだけ行こう、という結論に至った。
俺だと信じてもらえなければ、帰ろう。俺だと思っていないのだから後を引かない。
もし信じてもらえたら、相談する体で事情を話そう。なるべく向こうが断りやすいように、直球な頼み方はしない。
決意が鈍る前に支度を始めた。なるべく体型を問わず着れそうな服を選ぶ。上はどうとでもなるが、下は難しかった。ベルトで限界まで締める。
当然ながら女性用の下着など持っていないので、厚手の上着を羽織って誤魔化した。もう春先なので少々暑いが仕方ない。
最大の問題は靴だった。季節外れとはいえ、サンダルでもあればよかったのだが。残念ながらスニーカーと革靴しか持っていない。
どうせタクシーで行くつもりだからなんとかなるか。なんとかなれ。鞄のなかに財布だけ入れてアプリでタクシーを呼ぶ。
家を出る前にもう一度鏡を見ると、何から何までぶかぶかで笑ってしまった。身に着けているのは全部俺のものなのに、借りものみたいだ。
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何度もスニーカーが脱げそうになりながら、なんとか伊織の部屋の前まで来た。インターホンを押そうと伸ばした手が震えていて、失笑する。
伊織はすぐに出てきて、俺の姿を見るなり首を傾げた。
知らない人だからという以上に、俺の格好が奇妙だからだろう。外はもう暗いが、玄関の明りでお互いの姿がはっきり見える。
「どちらさまでしょうか」
緊張に痛む胸のあたりを抑えながら、なるべく平静を装った。
「俺だよ。葛西英二」
沈黙が落ちる。そのあとに伊織が「え?」と言った。
「なんか今朝、目が覚めたら女の体になってた」
俺だったら絶対信じないな、と思いながら言った。
「英二? え、ほんとに? そんなことあるの?」
コイツすごいな、と思った。同時に大丈夫かな、とも。そのうち犯罪に巻き込まれそうで心配だ。
「とりあえず、入って」
家にあげるのかよ。もうちょっと防犯意識を持った方がいいぞ、と思ったが都合がいいので言わなかった。
「お茶でいい?」
「ああ。悪いな。こんな遅くにいきなり来ちまったし」
「緊急事態だし仕方ないよ」
緊急事態だと思っているようには見えない呑気さだった。
出してもらったお茶を飲みながら、「よくこんな突拍子もないこと信じられるな」と言うと、「顔そんなに変わんないし、服も英二のだし」と返ってきた。
「そういうもん?」
「そういうもん」
少し迷ったが、すぐに事情を説明することにした。ポケットに入れてあった紙切れを見せる。
「よかった。戻る目途は立ってるんだな」
「よくねぇよ。明日は学校もバイトもあんのに」
「じゃあ」
伊織は確実に何かを言いかけ、そしてやめた。気まずい空気が流れる。
「......どっかに俺と寝てもいいって男がいればいいんだけどな」
わざとそう言うと、伊織の肩が跳ねた。
「お前、男と寝れるのか?」
伊織は俺がゲイだと知らない。
「......まぁ、仕方ないよな」
再び沈黙が落ちた。これは無理なやつだ。俺は何をしているんだろう。
「ごめん、変なこと言って。帰るわ」
さすがに計画が杜撰すぎた。
「え。どうすんだよ」
「......今から考える」
立ち上がった拍子にズボンの裾を踏んでよろけた。
「ま、待って」
「ん?」
「お、俺」
目が泳いでいる。首を傾げて先を促すと、目を逸らしてから言われた。
「俺じゃ、駄目か?」
「何が?」
「わかれよ! ......お前の体を戻すのだよ!」
「え......」
当初の狙い通りの展開になったわけだが、この流れでそうなるとは思わなかった。
失敗した、と思ったのに。
正直嬉しい。でも伊織がひどくきまり悪い表情をしていて、申し訳なくなった。
「......無理しなくていい」
「無理なんかじゃ......いや、お前が無理なら、アレだけど」
「いや、俺としては有難いけどさ......いきずりの男とってのは、ちょっと」
三度目の沈黙となった。
「......本当にいいの? あんまりお前の優しさにつけ込みたくないんだけど」
「俺はいい。別に大したことじゃないだろ」
「そっか」
大したことじゃないのか。それならよかった。
「じゃ、頼む。シャワー借りていいか?」
「おう」
ここには何度か泊まったことがある。いつもと同じようにシャワーを浴びる。
でも、意味合いは全然違う。
まだ構造がよくわからない体をできるだけ丁寧に洗いながら、なるべくこれから起きることを考えないようにした。
いつもの様にタオルで体を拭き、いつもの様に貸してもらった服を身にまとう。
「......おまたせ」
いつもと違う声を掛けると、緊張した面持ちの伊織が居た。さっきと同じ場所に座っている。
「俺はお前が来る直前にシャワー浴びてたんだけど......」
「じゃ、いいよ。始めよう」
わざとそっけなく言った。伊織がベットに向かったのを見て、咄嗟に服を脱ぎ捨てる。ムードみたいなものができるのが怖くて。
「え、ちょっと......」
伊織が驚いたようにこちらを見て、息を飲んだ。
女の体を見て、息を飲む伊織。今から伊織は俺を抱くわけだけど、それは俺であって俺じゃない。違和感しかないこの体を、あくまで女を抱くつもりで抱くのだ。
俺はこんな体になろうとも間違いなく男で、二十年間男として生きてきて、明日からも男として生きていく。
そして、男として愛されたいと思っている。別に相手は伊織に限った話じゃなく。
伊織は、女にしか恋しないし女にしか興奮しない。多分これから先もずっと。
伊織と気まずくなるのは嫌だが、きっと今夜何をしても明日から俺を見る伊織の目は変わらない。
「......英二」
多分俺は今明るい表情をしていない。伊織の反応でわかった。
ただでさえ俺はお願いする立場なのだ。これ以上負担をかけるわけにはいかない。
「無理しなくて、いいんじゃないか」
俺はゆるゆると首を振って、無言で伊織の唇に自分のそれを押し当てた。
きっとこんな機会、二度とないから。
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