第十九話 世界を侵食する偽典――、真なる首魁

 ――熱田那藝野仙洞あつたなぎのせんどう、本部大社の個別修練場室にて。


 ――1207。


「ふふふ……、此奴め、そのようなモノをわしに向かって突き出すとは、なんと破廉恥なモノよ……」


 ――1208。


「はあ……、なんと大きくなってきておるではないか? それに……、そのようなねばついたものを……」


 ――120……9。


「ふむ……、わしの手を貴様の体液で汚すとは――。ほとほと困った……」


 ――だああああああああああああああ!!


 ついに雷太は大声を張り上げて叫び初めた。

 彼は現在――、個別修練室で師匠である泠煌を背に乗せて、彼女を重し代わりにをしていたのだが……。


「お願いですから、俺の背中の上で――妙な言葉を言わないでください!!」

「……ふむ? おお、すまんすまん――、お前の背中に這わしたと会話しておったのじゃ……、――許すが良い」

「そんなモノどこで捕まえてきたんですか?! ……っていうか俺の背中に這わせないでください!!」


 その雷太の訴えに――、なんとも嬉しそうと言うか……、まさしくのような怪しい微笑みを浮かべて、泠煌は彼を見下ろして言った。


「ほう? 雷太よ……、なんぞ赤くなっておるが――、貴様……、先程の言葉に劣情でも抱いたのか?」

「……うぐ」

「――ああ、なんと……、師匠であるわしに向かって、そのようなイヤラシイ想いを抱くとは――。……これは困った弟子じゃのう?」


 怪しく笑う泠煌に困った様子で黙り込む雷太。――そんな彼の耳元に唇を寄せて泠煌は小さく呟いた。


「――ふふ、仕方がないから――、幼子のときのようにわしに甘えるか?」

「――!!」

「……ああ、でも、流石に乳も出ぬからのう? それでは――、イケナイコトに……」


 雷太は涙目で心のなかで叫んだ。


(――ああああああ!! ここに師匠の姿をしたがいます!!)


「ふふふふ……」


 その雷太の様子を、いたく満足そうに見下ろす泠煌に向かって、――不意に声がかけられた。


「……相変わらず何やってるにゃ――、教主様……」

「む? ……小玉玄女か――」


 いつの間にやら個別修練場室に入ってきていた小玉玄女が、心底呆れた様子で泠煌たちを見つめている。

 その姿を見て雷太は恥ずかしそうにそっぽを向き、泠煌はつまらなそうに小さく鼻を鳴らした。


「……むう、修行の邪魔をするでない――」

「――最近の修行は……、なんとも前衛的かつ背徳的だにゃ。――ウチ驚きだにゃ」


 小玉玄女はジト目で泠煌に向かって言葉を続ける。


「……そんな事してると、いつかケダモノにクラスチェンジした雷太に、性的に襲われるにゃよ――」

「……」

「……」

「……なにか問題が在るのか?」


 ――その泠煌の答えに、小玉玄女は思わず叫んでツッコミを入れた。


「――大アリだろうが!!(←素に戻ってる)」

「いや――、そのような破廉恥な事はしません!!」


 ――ついでに雷太も顔を赤くして叫んだ。

 その姿を、なんともつまらぬ――、といった風で泠煌はため息をついた。


「――この色ボケ教主様は……」


 ――そう言いつつも、小玉玄女は心のなかで考える。


(……まあ、教主様にとって――、雷太は癒やしそのものだにゃ。教主様は無駄に生真面目で、常に張り詰めた様子だからにゃ。――力あるものは弱者の守護者であれ、上に立つものは配下を律する支配者であれ――、それが教主様の考え方であり、……雷太がいないと際限なく突き進んで、心を壊しかねない危うさが在るからにゃ)


 ぶっちゃけ泠煌は指導者気質が過ぎるのである。

 其処らへんうまく息抜きをしているかの――、もといの方が上に立つものとしては優れているとも言えた。


「むう……、わしに手を出さぬとは意気地のない――」

「いや……、流石にそういうわけにはいきませんから」

「……つまらんのぅ」


 その二人の様子を見て――、


(――教主様は、真人としてはある意味異質では在るが、その本質はまさに真人そのもの――。ようは――だにゃ)


 小玉玄女は、そう失礼極まりないことを考えながら、ため息を付きつつ頭を掻いたのである。



◆◇◆



 小玉玄女に連れられて大社の外へと出ると、そこにはこの間の事件で知り合った北兲子と慧仙姑がいた。

 慧仙姑は泠煌の姿を認めると、慌てた様子で走り寄って深く頭を下げた。


「暉燐教主様!! 以前の事件で助けていただき、ありがとうございます!!」


 その緊張しきった様子に泠煌は笑顔を向けて答えを返す。


「……ふふふ、そのように緊張せずともよいぞ? 先の事は気にするでない。わしはやるべき事を正しくこなしただけ故に……」


 その泠煌の言葉に、感動した様子で頬を赤らめる慧仙姑に、北兲子が優しげに微笑みながら言った。


「そうだぞ義妹いもうとよ――、此奴は見たまんまのお子様だから、適当におだてるだけで気を良くする娘だ……。緊張する必要などない」

「――お前のほうは、とりあえずわしを敬え唐変木とうへんぼく――」


 怒りマークを浮かべて言う泠煌に、北兲子は微笑みながら腰の太刀の柄に手を触れた。


「ふふふ……、言うようになったな小娘――」

「がるるるる……」


 そうしてその場に一触即発の雰囲気が漂い始め――、雷太と小玉玄女が苦笑いし、そして慧仙姑はその手のひらで北兲子のド頭を叩いた。


「に、い、さ、ま……。お願いですから、失礼な真似はよしてください」

「……う、む――」


 その慧仙姑の気迫に北兲子は冷や汗をかき後退り――、それを眺める雷太と小玉玄女は、この三者の間にかすかに法則性を感じていた。


(……なんか一瞬、三角関係っぽいものが――)(ふむ……、義妹いもうとさんを挟んで、二人がいがみ合ってるように見えたにゃ)


 とりあえずそんな事を考えつつ、その二人を加えた泠煌たちは、笑い合いながら熱田那藝野仙洞【龍泉魔嶺府】の市街地へと歩いていった。

 彼らがこの地へ来たのは、泠煌に正式に礼をすることと、師匠である吉備津討羅仙君きびつとうらせんくんが語ったある事実を伝える為であった。



◆◇◆



 ――富士赫奕仙洞ふじかくやくせんどう? いや――、明らかにそこではない別の大仙境。

 その無限海上空に浮かぶのは、色を失った大宮殿【新教本部殿】である。

 その中央統括室の椅子に、一人の歳若く見える仙人が、慈愛の微笑みを浮かべながら座っている。

 その前方に跪いて頭を垂れる相当数の仙人と思われる者たちは、皆異様な神気を放ち――、その場の雰囲気を緊迫したものへと変えていた。


「北斗七星君――、南斗六星君――。そして、現在までに復活……参集いたしました十一の副星仙人――、ひとまずこの場に集結いたしました」


 その一人の仙人の言葉に、中央統括室の椅子に座る、主である仙人は言葉を返す。


「……ふふふ、まさに壮観だな――。よくおれの元へと集まってくれたな貴様たち――」

「……」


 その主の尊大な言葉に、静かに垂れる頭を深くする仙人たち。それを満足そうに見つめながら言葉を続けた。


「――やっと始まる。ここからはじまるぞ貴様ら……。いやというのが正しいか?」

「……おめでとうございます」

「ああ――、めでたいとも――、めでたいついでにおれは、かつての古い名を捨てて新たな名を号する――」


 その名は――。


「貴様ら……、これよりおれの事は――、天極紫微偽典教主てんきょくしびぎてんきょうしゅ……、そう言う名であると理解せよ」


 その言葉に、その場の全員が垂れる頭を深くする。


「――偽典とは――、正しい律法でないということ。おれがこれから成すのは【正道】ではなく――」


 ――新たなる道なり。


 何処とも知れぬ場所にて――、新たな勢力が今まさに産声を上げたのである。

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