第十六話 謝罪――、ある義兄妹の物語

「……ふむ、それで――、あの男北兲子が、流派の正統継承者の証である【極天神剣】を奪おうと襲ってきた――と」


 慧仙姑の言葉に、眉を歪めながら泠煌は頷く。雷太はその内容を聞いて敬愛する教主様に問うた。


「そのような話があったんですね? 吉備津討羅仙君様の、その正当な後継者に与えられる特別な宝貝【極天神剣】ですか?」


 ――だが、泠煌は心のなかで疑問を得ていた。

 なぜなら、結構長く仙道として生きてはいるが――、吉備津討羅仙君の手に宝貝【極天神剣】有り、とそのような話を聞いたことが無かったからである。

 無論、表立っては秘匿された事柄である可能性もあるが――、なにか引っかかるものを感じていた。


(――しかし、だ……。この慧仙姑の言葉には全く嘘がない――。なにかが在ると踏んでを使用したが――、彼女の言葉はすべて嘘などではない)


 ――ならば、彼女の言葉通り、北兲子が流派の正統継承者の証である【極天神剣】を授けられた妹弟子――慧仙姑に嫉妬して、それで【極天神剣】を奪おうと襲っているのか?


(北兲子は根っからの武人で――、とても融通の聞くような男ではなかった。かなりの石頭では在るが――、それが妹弟子に嫉妬――か)


 何かと堅物で、勝負しか頭にない阿呆という評価では在るのだが、――泠煌はなにか妙な引っ掛かりがあってひたすら首を傾げた。


「……と、とにかく教主様――。そうである以上、彼女を保護したほうがいいかと」

「うむ……、まあそうじゃな――。仙境本部であれば北兲子も手は出せまい」


 その泠煌の言葉に、慧仙姑は一瞬表情を明るくしてから――、すぐにそれを消して妙に眼を泳がせた。――その様子に泠煌は小さな疑問を得た。


「……で、だ――。慧仙姑殿――、その【極天神剣】を授けた討羅仙君様の行方はわかるか?」

「――そ、それが……、最近、ここ近年師匠は表にめったに出ることもなく、御部屋に引きこもっておいでで――、【極天神剣】を授かった時を最後に、御部屋を覗くこともしなくて……」

「むう、お主も行方がわからぬ……と?」

「――ええ、でも、そうなるすぐ前に――、兄師――北兲子が仙境に帰ってきて。――なにか、御部屋で話をしていた様子ではあります」


 その言葉に泠煌は頷く。今の内容にも嘘は見られなかった。ならばやはり、全ての元凶はあの北兲子なのであろう。

 泠煌はため息を付いて慧仙姑に言う。


「わかった……、今から仙境本部へと向かう。――手早く移動宝貝を使うゆえに……」

「あ……あの!」


 不意に慧仙姑が顔を真赤にしながら声を上げる。それを眉をひそめて見つめる泠煌。


「……なんじゃ? どうした……」

「……えっと、お花摘みを――」


 その言葉を聞いて雷太は首を傾げる。


「え? 花? 今からですか?!」

「……雷太」

「――な、何で睨むんですか?! 教主様?!」


 狼狽える弟子を一瞥し、泠煌はジト目で慧仙姑を見つめて言う。


「……後には出来んか? 仙境本部にも――」

「ごめんなさい……」


 そうとだけ呟く慧仙姑に――、泠煌は、ため息を付きながら手をヒラヒラさせた。


「――早く行って来い」


 そういう泠煌に頭を下げると――、慧仙姑は静かに森の向こうへと姿を消したのである。



◆◇◆



 ――しばらくして泠煌は眉をひそめて呟く。


「……判断を誤ったかもしれん」

「え? 何がです?」

「――先程の言葉……に嘘はない。だが――、もし彼女が本心でそうなら、うそを見抜く道術にはかからぬ」

「え?」


 教主様の言葉に首を傾げる雷太。そんな弟子に向かって、泠煌は一言呟いた。


「あの娘は……、今何をしておる?」

「あ!」


 驚く雷太を後に、慧仙姑が消えた森へと奔る泠煌。

 ――そう、二人はまさしくのである。



◆◇◆



「……はあ、はあ――」


 森の中を必死に奔る慧仙姑。――あの二人を騙す気は全くなかった。

 しかし、森の奥へと進んで時に――、何故か彼女の足は彼らから離れるように奔っていたのである。その、心のなかに一つの思いが浮かび上がる。


 ――あと少し。


 一体何がなのか、実は慧仙姑自体理解してはいない。

 しかし、それまでは誰の保護も受けずに、事は理解していた。それはまるで動物の持つ野生の本能であるかのように。


「はあ――、私は……」


 心の奥にほんの僅かに疑問が浮かぶ。

 なぜ自分は逃げているのか? なぜ自分は兄師に追われているのか?


 ――兄師は――、北兲子は何よりも慧仙姑じぶんを大事にしてくれていた。

 いろいろな事で辛くて泣いた時に、その頭を撫でてくれた事。――縋る自分を抱きしめてくれた事。

 今でも鮮明に思い出すことが出来る。でも――、


 ――だから逃げなければならない。


(……兄師――。巌流――兄様……)

 

 心の奥に小さな恐怖が宿る。――自分は一体何に突き動かされているのか?


「――見つけたぞ。やはり――、奴らから逃げてきたのか」


 不意に目前に、その兄師――北兲子が立ちふさがる。その眼には怒りが宿っており――、慧仙姑ははっきりと理解する。


 ――あの眼が睨んでいるのは慧仙姑じぶんではない――と。


「く!!」


 しかし、その自分の腕が自然に腰の【無影幻刀むげんえいとう】に伸びる。嫌だ――、そう悲鳴を上げようとしても声は出なかった。


「……ああ!!」


 その大太刀の、黒い霧の刃がひらめく。――そして――。


 ドス!


 ――その兄師は――、北兲子は全く抵抗することもなく、その身にその刃を受け止めた。


「――え? あ? 兄、師?」

「……すまなかった慧子けいこ


 その名は――、自分の本名。


「初めからこうしておれば――、お前をここまで苦しめる必要のなかったのだ」

「兄、師?! ……巌流、――兄様ぁ?!」

「……これで、やっと――、俺ののろいは無効になった――。お前に俺の言葉を伝えられる――」


 その傷は――、まさに致命傷。もはや彼は――、明確な死へと向かっていた。――だからこそ。

 その状況を理解しながら、慧仙姑は悲鳴を上げる。


「いやああああああああああ!! 兄様ぁああああああ!!」

「――ああ、また泣かせてしまったな。俺は――」

「何故?! 私――」

「……大丈夫だ、今なら思い出せる――。俺の言葉で――」


 不意になにか嫌な記憶が蘇りそうになる。それを背後に背負った闇が止める。


「――お前は、お前の記憶は間違っている。そのお前の背後にある――、【極天神剣】によって埋め込まれた記憶……」

「え? あ!」


 背中に背負う闇が、自分の心に触手を伸ばしてくる。――その意識が消えかける。

 でも、その最悪な事態を、北兲子のあの優しい包容が押し留めた。


「……我が流派に【極天神剣】などというものはない。何者かが師匠に渡し――。それゆえに師匠も苦しむ羽目になった――」

「……あ!」

「師匠なき今……、こいつは宿主をお前に決めた。だが……」


 北兲子は血を大量に吐き、苦しみうめきながらもその手を【極天神剣】へと伸ばす。そして、その瞬間【極天神剣】から膨大な闇が生まれ広がり――。


「……大丈夫だ慧子けいこ――、この義兄あにが……、お前を助けてみせる――」


 その言葉にやっと慧仙姑は――、慧子はすべてを思い出したのである。



◆◇◆



「……」

「……あの」


 その日、本当に久しぶりに兄師が仙境に帰ってきた。私は無論、眼に怒りを込めて、でもにこやかに微笑みながら兄師を見る。

 兄師は、バツの悪そうに頭をかきながら私に問うた。


「……師匠は――、今どこに――」

「……兄様――」

「うぐ……」


 その言葉だけで兄師は言葉を失った。そうして私が見つめていると――。


「……あああ!! すまん!! 慧子!! 俺が悪かった!!」

「――ふむ、一体何が悪かったというのでしょうか?」

「――好敵手を失って、荒れに荒れて――、無用な乱暴を働き――。それがバツが悪くて、俺は――、俺はここに近づくことが出来なかった」


 そう言って兄師は必死に私に頭を下げる。


「……師匠が、病がどうとかで引きこもっておると聞いて。流石に不味いと理解して帰ってきた――。師匠の死に目にあえねば、死んでも死にきれん……」

「……に、い、さ、ま――」


 私は思いっきり怒りを込めて兄師を見下ろす。


「……師匠は、病ごときで死ぬほどヤワでは有りません! ……まあ全く御部屋から出てきませんし、心配ではありますが――」

「――慧子」

「……でも、本当に良かった――。兄師が帰ってきてくれました」


 そう言って私は――、少し泣いた。そんな私を兄師は――、優しく見つめて……。


「……ああ、馬鹿な義兄あにを許してくれ。もう二度と己がすべきことを間違えはせんさ……」

「……にい、さま――」


 そのまま私は兄師にすがりつく。そんな私を兄師は優しく抱きとめてくれた。


 ――そのまま私の記憶は飛ぶ。


「……慧子!!」


 私に向かって必死に叫ぶ兄師。その時私は――、久しぶりに師匠の御部屋に呼ばれて、そしてこの事態におちいっていた。

 異変に気づいた兄師が駆けつけた頃には、事態はほぼ終わりに近づいていた。


「師匠?! これは!」


 事態が飲み込めず叫ぶ兄師。その目前では――。


 御部屋の中央に浮かぶ闇を纏った両刃長剣。それを挟むようにすべての宝貝――、決戦装備を纏った師匠と、相対する位置に私が浮かんでおり、剣が放出する闇に絡みとられているのである。

 不意に師匠が呻くように言葉を紡ぐ。


「【極天神剣】――。あのモノが――。それを破壊せよ――」

「師匠?!」

「心が支配される――。我は抵抗した――。しかし――」

「まさか?!」


 師匠に相対する位置に浮かぶ私を兄師は見る。


「宿主――。替える――。破壊せよ――。慧子を守れ――」

「師匠! わかった!!」

「頼んだ――。北兲子――」


 その瞬間、師匠はその手から光を放って時空を切り裂く。そのまま奈落と化した断絶へと自分から身を躍らせたのである。

 その意味するところを理解したらしく、兄師は頷いて私に手を伸ばした。しかし――。


【触れるでない下郎め……】


 不意に闇を放出する両刃長剣――【極天神剣】が言葉を紡ぐ。


「……。宝貝でありながら意思があるのか?!」

【我はこの娘を正しい宿主に決めた。邪魔をするな――】

「そのような話はきけん!!」


 怒りの籠もった眼で【極天神剣】に手を触れようとする兄師。


【触れるなと言ったぞ!! この下郎!!】

「……くお!!」


 闇に絡みとられて吹き飛ばされる兄師。私はそれを見て言葉にならない悲鳴を上げた。


「……くう。慧子! 心を強くもて!! そのようなモノに支配などされるな!!」

「にい、さま――。たす、けて……」

「……ああ、待っておれ! 俺が……」


 その瞬間、【極天神剣】の放つ闇の暴風が大きく爆発した。


【……ああ、なんと邪魔な下郎よ。本当に気に入らんな】

「く……。おのれ……」

【くくく……、いいだろう。我には貴様を殺す直接の手段はない――が、そのかわりにそれに匹敵する最悪を貴様に与えよう】

「な、に?」

【邪魔をしてくれた礼だ……。お前はこれから、誰にも真実を語ることが出来なくなる。そして――、皆に誤解され、愛する義妹にも憎まれて――、その手にかかる】


 それは宝貝が本来は持たぬはずの他者への嘲笑。――その言葉を私は苦しみの中で聞いた。


【ははははは!! ……さらばだ下郎よ! 精々、死ぬために――、我らを追ってくるがいい】

「……け、いこ――」


 ――兄様。


 そして、闇は三度爆発する。その後には意識を失った兄師だけが残された。



◆◇◆



 その瞬間【極天神剣】から悲鳴が上がる。


【おのれええええ!! ここまで邪魔をするとは!! ……しぶとすぎるぞ下郎!!】

「……この糞宝貝――」


 北兲子は怒りの眼で【極天神剣】を掴み取る。


【があああああああ!!】

「うるさい!! 糞宝貝が……、俺の大事な義妹けいこに――、手を出すなああああああああああああ!!」


 血に塗れながらも北兲子は、その手で【極天神剣】をそのまま握り砕いたのである。


 ――そして闇は爆発し。

 義妹を守り通した義兄は――、


 ――死んだのである。

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