第13話



「おい目黒、お前、俺になんか恨みでもあるのかよ」


 度の強そうな黒縁メガネに黒髪ポニーテール、見るからに真面目系委員長タイプの女子を見つけると、俺はずかずかと教室に入り、彼女に近づいていく。周りにいた女子たちが俺を見るや否や、蜘蛛の子を散らしたように逃げていくのが見えたので、よほど怖い顔をしていたのだろう。


 しかし目黒は、


「志伊良……なんで怒ってんの?」


 タスクが直接乗り込んでいっても動じることなく、「ははーん」と含み笑いを浮かべる。


「もしかしてクラスの女子に袋叩きにでもされた?」

「お前、面白がってるだろ」

「別にぃ? あんたのことなんて興味ないし」


 ――嘘つけ。


「だったら塩沢に俺の情報流すなよ」

「塩沢? ああ、夏鈴のことね。言っとくけど私、別に夏鈴のこと応援してるとかじゃないから。むしろ嫌いだし」


 ――そうなのか?


 それでわざと塩沢を逆上させるような情報ばかり伝えたのか。

 タスクが甘神とよりを戻したとかなんとか。


「でもあいつ、志伊良と同じで自信満々だから、いつも変な方向へいっちゃうんだよね。志伊良のファンを敵に回しても平気みたいだし。もしくはどうでもいいって思ってるのかも」


 ――俺だったら嫌いな奴とは口きかねーけど。


「目黒ってこえーよな」

「そう? 無視しないだけマシじゃない?」


 塩沢は相手によって露骨に態度を変えるので――ブスやブサメンにはきつい態度をとるがイケメンには優しい――がり勉女を自称した目黒も何かしら思うところがあったのだろう。


「なら、塩沢が俺の家に泊ったとか、俺と付き合ってるっていうのも、お前が言いふらしているんじゃないのか?」

「なんで私がそんなことするの? もしもそれが嘘の情報だったら、袋叩きにされるのは私のほうだよ?」


 ――それもそうか。


「言いふらしているのは夏鈴本人だよ。だから皆も信じたんだと思う。志伊良とヤったって」

「やったって何を?」

「今さらとぼけるつもり? キス以上のことだよ」


 確かにキスはした。

 俺じゃなくてタスクが。


 けど、キス以上のことってなんだ。


「身に覚えないけど」

「そうなの? けどあんたの家に泊ったってことは、そういうことでしょ」


 その時、タスク父に押し付けられた避妊用のゴムが俺の脳裏を過った。


 ――通りで、タスクを見る女子の目が冷たかったわけだ。


「塩沢の言っていることは全部デタラメだ」

「だったら私に突っかかるんじゃなくて、皆にそう言えば?」


 だがその前に塩沢をなんとかしないと。

 このままではただの水掛け論になってしまう。


「目黒って塩沢と同じ中学だったよな? あいつこと詳しいの?」

「言ったでしょ、嫌いだって」


 ――そういえば胆沢も言ってたな、女子に嫌われてるって。


「塩沢って元ヤン?」

「らしいね。中二の時にうちの学校に転入してきたんだけど、前の学校で教師殴ったって自慢してたから」


 ――こえー。


 女子は見た目によらないというのは本当らしい。

 清純派のモデルが実は元ヤンだったという話はよく聞くし。


 タスクよ、お前はなんて恐ろしい女に……以下略。


「志伊良も気を付けたほうがいいと思うよ。夏鈴、キレると何するか分からないから」


 だったら昨日、甘神を先に帰したのは正解だったようだ。

 これからも、塩沢を彼女に近づけないようにしないと。


 ――いっそこのまま、タスクのふりをして塩沢と付き合うか?


 しかし甘神に真実を打ち明けた今、それだけはできなかった。

 彼女を傷つけることになる。


 ともあれ、甘神とよりを戻すという選択肢もありえない。


 逆上した塩沢が甘神に何をするか分からない、という以前に、いくら中身が俺でも、肉体はタスクのもの。俺は断じて、好きな女子がよその男に触れられて喜ぶ変態ではない。NTRは俺的にはNGだ。


「ついでに平和的な解決法を教えてくれると助かる」

「なんで私に訊くのよ」

「だって目黒、頭良いだろ? 首席で入学したし」

「なら夏鈴の前で排便すれば? もしくは裸で登校するとか?」


 いや、それは俺も一度は考えたけれども。

 女子が「排便する」とか言っちゃダメ。


「受けるダメージがでかすぎる」

「死ぬよりはマシでしょ?」


 涼しげな顔で目黒は言った。


「夏鈴が殴った教師、まだ入院してるんだって。意識が戻らないみたい。学校側は事故として処理したみたいだけど」


 その言葉ですーと背筋が冷える。


 ――だったら、タスクを階段から突き飛ばしたのは……。


 一方の目黒は、そんな俺を観察するように見上げている。


「それにしても志伊良、だいぶ雰囲気変わったよね。前は私みたいなガリ勉女とは口も利かなかったくせに。別人みたい」

「……それはたぶん、階段から落ちたせいだと思う。記憶障害ってやつ。だから以前の俺とはかなり違うと思う」


 甘神や塩沢の時と同じように説明すると、


「うん、夏鈴から聞いたよ、その話。けど別人っていうか、最近の志伊良、なんだか御伽っぽいんだよね」


 まさかノーマークの人物から指摘されるとは思わず、ギクッとした。


「私さぁ、密かに御伽のこと好きだったんだよねぇ。好きっていっても、少し気になる程度だけどさ。それでよく目で追ってたんだけど、今の志伊良って、喋り方だけじゃなくて、歩き方まで御伽に似ててさ、ちょっと怖いくらいだよ」


 歩き方?

 それはさすがに盲点だった。


「私、御伽のお見舞いに行ったこともあるんだよ。そこで志伊良のことも何度か見かけたことがあるんだ。君は私に一度も気づかなかったみたいだけど」


 目黒を締め上げて情報を聞き出すつもりが、逆に窮地に陥っているのは俺のほう――な気がする。


「君ってさぁ、本当に志伊良タスクなの?」


 目黒に追い詰められているような状況だが、ある意味、これはチャンスではないかと俺は思い直した。

 秘密を共有でき、協力者を得るチャンス。


 だからこそ、俺は開き直って答えた。



「目黒の言う通り、俺はタスクじゃない。御伽草士だ。事故に遭って、偶然タスクと中身が入れ替わったらしい」


 しばらくぽかんとして俺を見ていた目黒だったが、


「ここまでひどいとは思わなかったわ。ねぇ、志伊良、同一化って言葉知ってる?」


 言いながら、目黒がスマホである記事を見せてくれる。


 簡単に言えば、ファンが好きな有名人のファッションや髪型を真似たり、その人が経験したことを我が事のように感じて一喜一憂することらしい。人間とはたいてい、好きだったり憧れたりする人物の言動や外見を真似するものである。自身の価値を高めるための行為であり、また外的ストレスから身を守るための防衛機能も兼ねているらしいが――。


「志伊良、あんたがそこまで御伽のことを好きだったとはねぇ」


 どうやら甘神の時と同様の勘違いをされていると、そこで気づいた。

 タスク草士の真似をするほど好きだと。


「そういえば中学の時、御伽と仲良かったんだってね。女みたいな外見のあんたを、御伽が何度もいじめから救ったって話、聞いたよ。ヒーローじゃん」


「……胆沢だな」

「当たり。実は私、あいつと予備校、同じなの」


 悪びれもなく答える目黒に、俺は呆れる。


 だが、俺の知っている胆沢はベラベラと他人様の個人情報を漏らすような男ではない。いかつい見た目に反して、女子を前にするとうまく喋れない、シャイな男だ。


「どうせお前のほうから話を振って、無理やり聞き出したんだろ」

「人聞きの悪いこと言わないでよ。まぁ、あながち間違ってはないけど。胆沢くん、口か堅いから苦労したわ」

「……金輪際あいつには近づくなよ」

「その言い方もなんか御伽っぽいよねぇ」


 ふふふと笑われて、むっとする。


「ごまかすなよ」

「私なんてまだ可愛いほうだよ。誰構わず志伊良のこと聞きまわっている子もいるくらいだから」

「……誰だよ、そいつ。塩沢?」


 聞いても目黒は答えず、


「アイドルの追っかけみたいなもんだから、害はないと思う。好き嫌いは分かれるけどね」

「……お前ほんとなんでも知ってるよな」


「私は単に記憶力が良いだけだって。興味のない話題って、たいてい皆すぐに忘れちゃうでしょ? 情報通は私の回りにいる子たちで、私はそんな子たちの話をただ聞いてるだけだし。だから本当に知りたいことは何も知らないの」


「本当に知りたいことって?」

「御伽が事故に遭った理由とか。噂じゃ、自殺じゃないかって……」


 途端、表情を暗くする目黒に、なぜか胸が痛んだ。


「御伽のこと、何か分かったら教えてよ。その代わり、夏鈴の言っていることは嘘だって、それとなく流しておくから」

「……助かる」

「念のために確認しとくけど、マジで夏鈴とシてないんだよね?」


 弁護士のような顔をした目黒に念押しされて、拘留中の囚人にでもなった気分で俺は答える。


「やってない。タスクは無実だ」





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