第五章 杏アリスは誰?
Ⅰ 手がかり
文化祭以後、天文部の部長・木村さんが消滅した世界線に記憶が整合されていく。副部長だった矢島さんがもともと部長だったという事実になり、副部長は鳴瀬さんになった。
わたしの頭脳のなかで木村さんが部長だったときの記憶と、矢島さんが部長である記憶が重なり合っている。灰児くんの言うことにはいずれ統合されるそうだ。
この星と人類が滅亡するのを未然に防ぐために未来からやってきた
彼は
彼に質問するとふたりの友情を維持するために詮索しないでほしいと丁重に謝絶されてしまった。好奇心は猫を殺すとも。
はぐらかされてしまったようにも感じるが、未来人である彼のことを知ろうとしすぎると宇宙の整合性に影響すると言われれば、問い詰めることはできない。
文化祭が終了した。翌日の一〇月一一日(月曜日)はスポーツの日で祝日である。
わたしこと
木村さんのご両親には、娘が生まれなかったことになり、彼女の友人・クラスメイトたちの記憶からも存在が削除される。彼女が最初から存在しなかったことに整合性が取れるように歴史が修正されるのだ。
唯一、木村さんが番犬に襲われる瞬間を目撃したわたしと灰児くんだけは彼女のことを覚えていた。
木村さんのご両親に申し訳がない。殺人より残酷な『存在抹消』である。
灰児くんはそんな恐ろしい存在に付け狙われているのだ。いつわたしも巻き添えになるかもしれない。だが、彼は未来からやってきたわたしの子孫。いまさら他人の顔をして無関係を装うことはできない。
親友の藍内ももがわたしを気遣ってくれるが、文化祭の疲れがでたと伝えた。彼女を、彼女だけは世界の終末を巡る事件に巻き込みたくはない。
クロノスの番犬に襲われたのは逆神学園の図書ルーム。灰児くんは図書室に事件の鍵があるのではないかと睨んでいる。図書室は番犬によって消火栓が破裂した影響で使用禁止になってしまった。それが解除されたのは一〇月下旬になってから。
一〇月二九日の金曜日のお昼休み、わたしと灰児くんは番犬が出現した図書室を調べることにした。
「おれたちが図書室にいたときに番犬は現れた。あの近辺にこの事件の鍵があるような気がするのだ」
灰児くんが確信的な瞳を輝かせる。彼には探偵としての資質があるように見受けられた。
クロノスの番犬とは宇宙のホメオスタシス監査官。無生物かつ、生物的な探知能力を持ち、歴史を改編しようとする者を付け狙う存在である。
灰児くんが未来からやってきて二ケ月ほどになるが、学園内に番犬は現れなかった。それなのに、わたしたちが図書室にいるときにやつらが出現したのは歴史の改編に関わる事実、あるいは真相に近づいたからではないかというのである。
破壊神と契約して世界を滅ぼした少女杏アリスの手がかりがあると見たわたしたちは図書室の書籍を調査した。
ふたたびやつらが現れるのではないか心配したが、灰児くんいわく、番犬が同じ場所に連続で出現することはないとのことである。
あのとき、図書室でわたしが手に取った書籍は『鏡の国のアリス』だった。それを調べることにした。
精査に読み込んで観察すると内容ではなく、ページの空白部分に筆記跡があることに気づく。
作品内におけるジャバウォックの詩が書かれたページである。
図書館で借りた本に書き込みをすることは厳禁だ。それは学校の図書でも変わらない。薄紙を押しあてて、鉛筆でこすってみると文字が浮かびあがった。
『やつらを許さない。必ず復讐する』
文字が目に入ったとき、心拍が跳ねあがる。灰児くんが未来から持ち込んだ杏アリスの日記から、これが彼女の筆跡と同じものであることが判明した。
推測もふくまれるが、この学校でいじめを受けた杏アリスが世界への復讐を誓う一文である。なぜ図書室の本に書き込んだのかは謎のまま。
彼が以前に調査したときは内容を検閲しただけで、筆跡まで気が回らなかったのだ。
この書き込みが誰のものであるか、調べようとしたが手がかりは途絶えてしまった。いつ書き込まれたか、知るものはおらず。
当時の図書委員が書き込みを消したのだろう。直近で知るものがいないということは、書き込みは数年前に行われた可能性がある。わたしたちは確信に近づいている。杏アリスがこの学園の生徒である確証が得られた。
書き込みのあった『鏡の国のアリス』を借りて持ち歩くことにした。杏アリス当人がこれを見れば反応を起こすはずだから。
灰児くんが危険性を指摘したが、杏アリスが女子である以上、わたしのほうが適任である。護身用に灰児くんからあるものを手渡された。真球のメテオライトを撃ちだすスリングショットである。
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