Ⅱ 死の宣告

 灰児くんを置き去りにして親友の手を引きずるようにその場を離れる。本殿前の石段を登りきると人気ひとけがなくなった。


「あんね氏、さっきのは良くないよ」

 ももが叱責する。


 わたしは呵責という名前の重圧に押しつぶされそうになった。


 彼は子孫だが、魅力的で、好ましい男性である。いとこ同士の結婚は合法だと聞いたことがあるが、祖先と子孫はどうだろう。いや、そういうことではない。


 足にひどい疼痛が発生している。下駄の鼻緒が靴擦れしてしまったのだ。


「サイアク……」

「もう帰ろっか」足の具合を心配してくれるもも。「灰児くん、呼んでくるね」


 ももがわたしに石段に座るように指示して、灰児くんを探しに行った。彼女の浴衣姿が小さくなっていくのを見守る。


「わたし、なにをやっているんだろう」


 心の声を独語してしまう。世界の終末を回避する使命を忘れて、子孫の彼にときめいてしまった。


 周囲に人影はなく、花火鑑賞には穴場である。


 視線をあげると、夜空に一瞬だけ咲く光華……美しくせつない。恋慕の感情は花火に似ている。わたしは彼のことを好きになってしまったのだ。


「ここにいたのか、綾織戸あやおりと


 灰児くんの声が地上から響き、視線を下降させると階段の一段目に彼がいる。わたしのことを名字で呼ばない約束をしたばかりなのに……。


 気持ちの整理がつかず、無言で彼を見つめた。彼が一段一段踏みしめるように上ってくる。彼の全身が視界に入った。座っていたわたしが彼を見上げるように首を傾ける。


「きみを殺そうと思う」

「なに、言ってるの……? 灰児くん」


 彼の唐突すぎる宣言。わたしに対する殺害予告。唖然として息を呑む。全身から血の気が引いていく。


 不均衡な笑顔で問いかえした。きっとこれは彼のジョークである。そうであってほしい。


「世界の改変は許さない。おまえも、灰児も殺す」

「あなた、……誰なの?」


 彼の白目がどす黒く変色した。ふつうの人間じゃない。


 とっさにでた自分の発言を疑った。彼の声紋は灰児悠兎くんのもので間違いない。


 わたしの脳内人物データベースが混乱し、神経パルスが大脳皮質を右往左往している。


『彼』がわたしの首をつかんで締めあげた。つめが食い込むほど必死に振りほどこうとして、その感触が人間のものではないことに気づく。


 人間の骨格が感じられない。硬質のゴムでできているような肌触りだ。


 首への圧力が次第に強くなっていく。『彼』はわたしが苦しむのを鑑賞して楽しんでいるかのようだ。


『彼』が口を開くとお歯黒を塗ったかのような漆黒の闇が垣間見える。『怪物』だ。


 もう脳に酸素が……。

 思考ができな……。

 これがわたしのじんせいでさいごにみるこうけい……




「彼女から離れろ!」


 誰かの声が聞こえる。いまわたしを殺そうとした怪物と声紋は同じだが、明らかに感情の質が違う。意識を失いかけたわたしはそれが誰だか認知できなかった。


 怪物がわたしを離した。崩れ落ちた体は階段を転げ落ちそうになる。なすすべもなく石段に打ちつけられる寸前で誰かに受けとめられた。


 かすかに感じる彼の汗ばんだ体臭は、とても懐かしい。昔から知っているようなにおい……本物の彼。


 怪物の視線が冷気を帯びる。声紋が変声機にかけたように変調した。


「ふたりとも消去デリートする」


 灰児くんがわたしの体を優しく下ろして、ポケットから取りだしたナックルダスターを自らの指に装着する。その打突部分には真球の玉が埋め込まれていた。


「ついに現れたな! 番犬め」

 彼は怪物の正体を知っているようだ。


 灰児くんに番犬と呼ばれた怪物が襲いかかってきた。わたしは脱力したまなこでふたりを見守ることしかできない。


 灰児くんはすばやかった。飛電が走るかのごとき一撃を番犬に喰らわす。

 番犬のくちびるが歪んだ。威力がないことをあざ笑っている……いや違う。苦痛に醜く変形していた。


「なんだ、それは……。いまなにを使った……?」


 番犬の胴体に風穴が空いている。


「メテオライトのナックルだ。おまえたちに対する毒だよ」


 怪物は風穴が全身に広がり、体を構成していた黒の粒子が雲散霧消した。悲鳴も、遺言すら残さず……。


「あんね、だいじょうぶか?」

「あれはなんだったの?」


 わたしを気遣う彼の眼差しは本物の灰児くんで間違いない。


 いままで世界の終末を巡る事件をどこか他人事のように捉えていたわたしは、生命の危機に瀕して認識があまかったことを認めざるを得ない。


「時空の監査官インスペクター。クロノスの番犬と呼ばれている。やつらのターゲットはおれだ」


 灰児くんが内蔵から声を絞りだす。


 やつらは時空のホメオスタシス監査官。

 生物にはホメオスタシスという生体恒常性、生理機能を一定に保つシステムがある。


 彼が言うことには、宇宙全体、パラレルワールドもふくめたすべての時空にもホメオスタシスが存在するという。

 

 クロノスの番犬は世界線を改変しようとする時間遡行者を嗅ぎつけ暗殺する役割を果たす化物だ。


 わたしたちの存在する宇宙は一般には三次元として認識されているが、最新の科学である超ひも理論によると九次元である可能性が予言されている。


 クロノスの番犬は余剰次元から現れる。つまりこれはいつ・どこからでも出現できるということだ。この世界の物理法則を超越した恐るべき暗殺者。


 完全に無生物でありながら、極めて生物に近い特徴を持ち、現世に降臨する際は時間遡行者のドッペルゲンガーとして出現する。


 やつらの恐ろしいところは一定の知性を持ち、人語を解するところ。現世界で言う生成AIのような概念を持っているらしい。

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