Ⅱ 破壊神ジャバウォック

 ひとりの女の子が破壊神と契約して人類の歴史が終了する……。


 ディストピアになった近未来を描いた映画が脳裏に浮かんだ。それよりも凄惨な未来に身の毛がよだつ。


「彼女には巫女としての力があったらしい。祖先を遡れば女王卑弥呼にたどり着く。本人は知らなかっただろうがね。シャーマン能力で破壊神と契約したのだ。

 そして破壊の限りを尽くした神は休眠に入った。おれのいた未来で人類の総人口は一万人程度だ」


 生き残った人類も極端に生殖能力が低下してしまったそうだ。そのかわり異能力に目覚める者が現れたとか。わたしの子孫に救世主メシアとなる人物がいるという。


 彼の表情を観察したが、ひとつの事実として未来の惨禍を受容しているようだ。


「わたしは破壊神が降臨しても生き延びることができるの?」


 彼は言葉を濁したが、やがて肯定した。情報を与えることは未来に干渉しかねないのだが、未来の血縁者である彼がいまここにいる以上、認めざるを得ない。


 絶望の未来を生き延びたわたしは誰かと子どもをつくり、その子孫が目の前にいる彼なのだ。


「大破壊を免れたきみはある男に……。いや、やめよう」

「まさか乱暴されるの⁉」


 血の気が引いていく。性的暴行で処女を失うなんて、最大の苦痛である。いままでどこか他人事だった世界の終末が身近に迫ってきた。


「いや、そういうことじゃない。これ以上は勘弁してくれ。未来に干渉する」


 彼の言を借りると、世界が崩壊する未来を改変すれば、彼が知っている未来など訪れないのだから意味がないとのことである。


 彼は未来人だが携帯電話を持っていたのでRINNEリンネ(この世界のSNSアプリ)を交換した。どうやって契約したのか質問すると、企業秘密だという。


「杏アリスがこの学園でいじめを受けているなら、スクール・カウンセラーの蘭ちゃんがなにか知っているかもしれないね」

「ふむ……」


 尊敬しているスクール・カウンセラーの空地そらち蘭先生の整った顔が脳裏に浮かぶ。


「もうひとつ訊いていい? 破壊神の名前は?」


 質問しながら、訊いてはいけないことを訊いているような気分になった。カップを持つ手が若干震えている。それは彼も同じだった。未来人である彼は破壊神に対する恐怖が遺伝子にすり込まれているらしい。


 彼の表情が曇った。破壊神の名前は忌み名であるという。声量を低くして教えてくれた。


「破壊神ジャバウォック。おれたちはそう呼んでいる」

「ジャバウォック……」


 復唱したわたしの二の腕に鳥肌が走った。カップをソーサーに戻す。霊感のないわたしにも、言霊が持つ響きに強大な魔力が感じられる。


 コードネーム=JABBERWOCK


 灰児くんが所属する未来のエージェント組織では杏アリスが契約した破壊神をそう呼称しているそうだ。これは『鏡の国のアリス』作中に登場する生物の名前である。


「キリスト教圏ではサタン。インドではシヴァ。北欧ではフェンリルウルフなどとも呼ばれていた。人類文明は滅んでしまったがね。破壊神はおおぐま座のチェシャネコ銀河団に存在する超巨大質量ブラックホールのなかに座するらしい」


 灰児くんが過去を語った……それはわたしにとっては未来に起こりうることである。


 チェシャネコ銀河団とは、おおぐま座の方向、地球からおよそ四六光年離れたところにある。ニヤニヤと笑っているネコのように見えることから名づけられた。


 チェシャネコの左目部分に超巨大質量ブラックホールが存在することが予測されている。


 まさかそんなところに破壊神が住み着いているなんて。


『不思議の国のアリス』に登場するチェシャネコというキーワードは、破壊神と契約する杏アリスとの偶然の一致シンクロニシティだろうか。


「おおぐま座は春の星座だよ。いまの季節に肉眼では見えません」

「ブラックホールはもともと観測できる存在ではないよ。肉眼で目視できるかは契約には関係ない」


 たしかに彼の言うとおりだ。ブラックホールは通常の天体望遠鏡などでは観測できない。


 あらゆる電磁波(光をふくむ)を吸収してしまうからだ。


 ブラックホールの周囲のガスはX線やガンマ線などを放射しているので間接的に捉えることはできる。


 チリのアンデスに設置されたアルマ望遠鏡は、巨大な電波望遠鏡を複数台設置して宇宙の深淵を捉えようとする試みである。


 イベント・ホライズン・テレスコープという国際協力プロジェクトでは、地球上に存在する電波望遠鏡を結合して仮想・巨大望遠鏡をつくりブラックホールの撮影に成功したことを二〇一九年に発表して話題になった。


 ジャバウォックは電磁波宇宙を超越した高次元の存在であり、肉眼で観測できる存在ではない。目視すると失明するという。だから、『それ』を見たものは人類には存在しないそうだ。



「よし、来週の月曜日、文芸部に行こう。文芸部員に杏アリスがいないか、調べるのだ」


 灰児くんとわたしは部活見学者を装って文芸部を捜査することにした。

 破壊神が降臨して世界が終末を迎えるまであと一一二日。

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