Ⅲ 親友 藍内もも

 スクール・カウンセラー空地そらち蘭先生との面談が終わり、学園から徒歩二○分のワンルーム・マンション自室に戻ると親友の藍内あいうちももがお昼寝していた。わたしも彼女も親元から離れてひとり暮らしをしている。


 その寝顔があどけなく、見とれてしまう。わたしは同性愛者ではないが、もし男性に生まれていたら彼女と結婚したい。


 マンションのお隣さんで親友でもある彼女には部屋の合鍵を渡していた。同様に、わたしも彼女の部屋の合鍵を持っている。お互いの部屋への出入りは自由だった。


 部屋には机とベッドが所狭しと並んでいる。ももはアロマに詳しく、例に漏れず室内にはアールグレイの心地良い香りが漂っていた。彼女はわたしの帰宅を待っていてくれたのである。待ちくたびれて眠りの妖精に砂をかけられたのだろう。


 夕食の時間まで彼女を起こさず寝顔を観察した。サイドテーブルには読みかけの本が置いてある。彼女のほほを軽くつついた。マシュマロみたいに柔らかい。


「わたしは今日一日大変だったんだぞ」


 彼女に聞こえていない前提でささやいた。まさか世界の崩壊を止めるために未来人がわたしを訪ねてくるとは。


 壁のフォトフレームにはふたりの想い出が貼られている。入学式当日に意気投合して、ゲームセンターへ行き、ふたりで撮影したプリントシール。明治神宮にお参りして、夫婦楠の前で撮った写真。……すべてが尊い。


 彼女は姉であり妹、分身である。いつも夕食を摂る午後七時きっかりに彼女は目を覚ました。色気より食い気な女子高生である。彼女がわたしに気づいた。


「ぼくのこと起こさないで待っててくれたの?」

「うん」

 

 藍内ももの一人称は「ぼく」である。ぼくっは小学校ではよく見られるが、周囲からの圧力に屈して矯正されていくのが世のさだめだ。彼女は高校生なのに「ぼく」を使い続けている絶滅危惧種である。おまけに左利きというレアガール。


 温かい沈黙が流れた。信頼や絆とは心地良い刻を共有して培われる。


 今日はわたしの部屋で夕食をともにすることにした。コンビニエンスストアで購入した食品を電子レンジで温める。


 わたしはうどん、ももはハンバーグ弁当。わたしは小食で、一日の総摂取カロリーは彼女より三○○キロカロリーは少なかった。


「あんね氏は本当に小食だよね。ぼくは夕食にお肉を食べないと眠れないよ」


 ももがお行儀悪く、箸をパチパチさせる。わたしは温めたうどんに新鮮なたまごを投下した。熱で透明な白身が白濁していく。


「ももは戦闘民族だね。ところでさあ、『アンアリス』って名前の女子知らない?」


 灰児くんが語った破壊神と契約した女子、杏アリス。文学部である彼女に質問すれば手がかりを得られるかもしれない。


「あんありす? なんじゃあ、そりゃあ」

「杏アリスって子を探しているの」


 彼女が聞き慣れないワードに箸をとめ、柳眉を寄せた。視線が宙空を泳ぐ。真相を語ることはできないので、ももに伝えられるのは名前だけである。


「うちらの学校の生徒?」

「らしいんだ」


 素知らぬふりで食事を続ける。卵の皮膜が破られ、半熟の黄身がつゆと合流した。


「らしいって、よく知らないの?」

「う~ん……」


 ももが困っている顔をしている。これ以上は説明のしようがなかった。灰児くんにはできるだけ秘密を漏らさないよう口止めされているので、手帳に雑な筆記で説明する。


「こういう字を書くのだけど……」

「ぱっと思いついたのは、赤毛のアンと、不思議の国のアリスかな。ふたりを合体させて杏アリス」

「なるほど……。さすがもも」


『赤毛のアン』はカナダ人作家モンゴメリによる長編小説。孤児院出身のアン・シャーリーがプリンス・エドワーズ島に住むカスバート家に引き取られて数年間を過ごす物語である。日本では一作目の知名度が高いが続編も多数あり、アンの結婚や子どもを描く物語も存在する。


『不思議の国のアリス』はルイス・キャロルの児童小説。幼い少女アリスが、ウサギを追いかけて不思議の国に紛れ込んでしまうという物語。続編に『鏡の国のアリス』がある。



 だとすると、杏アリスは本名でない可能性が高い。文学に詳しい人物のペンネームだろうか。ももがどこ吹く風で箸運びを再開して、二分の一にしたハンバーグを頬張った。わたしも負けじとうどんをすする。つゆを一口ふくむと塩分が疲れた体に心地良い。


「文芸部に杏アリスって子いる?」

「いやあ、聞いたことないなあ」


 核心をつく質問をするが、芳しい返答はない。ももがハンバーグを完食し、残った白米をやっつけにかかった。彼女よりさきにわたしが食べ終わる。


「文芸部には幽霊部員もいるから、断定はできないけどね。知りたければ、部室に来るといいよ」


 満腹になった彼女がお茶を淹れる。わたしにはいつも通り紅茶を用意してくれた。


 部室に会報があれば、文芸部に杏アリスがいるか調べられるだろう。このことを灰児くんにも共有しなければ。そう思案して、彼と連絡先を交換していないことに気づいた。


「灰児くんも連れて行っていい?」

「転校生? いいけど。もうそんなに仲良くなったん?」


 わたしと灰児くんは言うなれば祖先と子孫の関係である。お互いへの理解ははやかったように感じた。人差し指で右ほほをかく。


「まあね」

「ところでさ、受験が終わったら鎌倉に卒業旅行しない?」

「鎌倉?」

「取材旅行に行きたいんだよね。あんね氏と一緒だったら心強いな」


 ももの提案が意外だったので鳩に豆鉄砲の顔をしてしまう。


 彼女は旅行好きで、関東周辺の観光地が好きだった。関東圏から足を伸ばせないのは、新幹線や飛行機のチケット代がお高いからというシンプルかつ深刻な理由。


 学園はバイト禁止なので、少ないお小遣いをやりくりしているのはどの生徒も同じである。


 鎌倉の景勝地が脳裏に浮かぶ。……楽しそうだ。

 世界の終末を巡る事件もそのころには解決しているだろう。


「いいよ」


 ももと約束をしたわたしは翌日に備えて就寝した。


 ……鎌倉には予定よりはやく訪れることになる。それは事件とも無関係ではない。


 未来予知の水晶など持ち合わせていないそのときのわたしには知るよしもないのだった。


 杏アリスが破壊神と契約して世界が終末を迎えるまであと一二一日。

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