第一〇一話 怒りに任せて
「ふざけるな、トリシアを傷つけやがって……ッ!!」
「俺は掴んで良いなどと許可していない、離せ」
バーナビーが鬱陶しげに手首を掴む私を振り払おうとするが、まるでびくともしないことに少々驚いたような表情を浮かべた。
おそらく侯爵家の子息としてわがままや癇癪はなんでも聞き入れてもらえる立場だったのだろう、こいつはパトリシアの隣に立つにはあまりに幼く、そして
そして、彼の行動から日常的に女性を殴り慣れている様が見て取れる……まるで躊躇しなかったし、平手打ちで言い聞かせるならまだしも、拳を叩きつけるのは明確な害意がなければ出来ようはずはない。
手に力が込められるのと同時に、私の女性離れした腕力にバーナビーの手首がギリリと締まったことで、彼は少し眉を顰めてからぎろり、と私を睨みつけた。
「警告だ、手を離せ」
「どうするってんだ? このままへし折ってやるよッ!」
「愚かな……いい加減に離れろッ!」
その言葉と同時に私の体がいきなりの衝撃で大きく跳ね飛ばされる……全身を巨大なハンマーで殴りつけられたような感覚とともに、私はそのまま駐機態勢をとっていたヴィギルスの装甲に叩きつけられ、悶絶する。
無詠唱で放たれた
無詠唱で使うケースは初めて見たが、魔力の大きさによっては
今私を跳ね飛ばした程度の威力であれば、相当に手加減はしている……とはいえ、全身の骨が軋むような痛みを発しており、私は軽い呻き声をあげた。
戦争中私の相棒だった
「ぐあッ!」
「ふん、警告はしたぞ?」
「アーシャさん!」
地面に倒れた私のそばにパトリシアが慌てて駆け寄るが、彼女の頬にもバーナビーによってつけられた殴打痕が腫れ上がって痛々しい。
貴族然とした美貌、そして整っていてきめ細やかな彼女の肌が赤く腫れ上がって、唇の端から血が溢れているのがみえ、私の胸が強く締め付けられる。
ああ、パトリシアがそんな顔をしないでほしい……そっと彼女の頬に手を添えて、大丈夫と伝えるために微笑むが、そんな私を見た彼女は怒りと悲しみが入り混じった表情のままボロボロと涙を流す。
そんな彼女の肩をぐい、とバーナビーの手が掴んだ……赤い瞳には感情の色はなく、ただ冷酷さを称えたひどく冷たい光が灯っている。
そんな彼へとパトリシアは怒りを込めて思い切り振り向きざまの平手打ちをしようとしたが、バーナビーは難なくその手を受け止めると、再びパトリシアを拳で殴りつけた。
「この愚図がッ!!」
「きゃあああっ!」
「トリ……ぐえっ!」
「手間をかけさせおって! バーナビー殿、こちらは私が押さえますぞ!」
バキイッ! という鈍い音とともに地面に投げ出されるように倒れたトリシアを助けようと、身を起こした私の背中にいきなり重いものが乗っかってきて私は潰れたカエルみたいな声をあげてうつ伏せのまま倒される。
見上げるとそこにはクラーク大佐がドヤ顔のまま背中に乗っかっている……ズシリと重い体重と、腐っても軍人らしく私の肩を極めた状態になったため、私は身動きが取れない。
なんとかその拘束から逃れようと身を捩るが、髪の毛を掴んだクラーク大佐はそのまま私の顔を地面へと数回叩きつけた。
ガンッ! という音とともに視界に火花が散る……くそ、立った状態で正面から殴り合うなら大佐なんか一撃で倒せるが、完全に不意打ちの状況下からの不利だったため、思考が定まらない。
「よろしい……さあパトリシア、お前は帝都に帰るのだ」
「うう……いや、です……私はアーシャさんと」
「まだ言うのか……仕方ない、大佐そいつを押さえておいてくれ」
「はい、どうされますか?」
クラーク大佐がニヤニヤと笑ったまま私を押さえつけ直すと、バーナビーは表情を変えずに腰に差していた
相当な業物なのか、その刀身は鈍い光を放っており切れ味は見ただけでも簡単に予想できるものだ……彼はそのまま私の首元に刃を突きつける。
チクッ、と言う軽い痛みと共にその鋭すぎる刃が私の首に小さな傷をつけ、その傷から血がこぼれ落ちるのを感じた。
だが、それはクラーク大佐にとっても予想外だったのだろう、彼は私を押さえつけたまま慌ててバーナビーへと話しかける。
「バーナビー殿? それは困ります! いくら痛めつけても、犯しても文句は言われないでしょうけど……殺してしまうと流石に!」
「殺しはせぬよ……パトリシア、お前が帰らぬなら俺にも考えがある」
「やめてください、アーシャさんに何を!」
「こいつの顔に傷をつけたくなければ俺と帰ると言え、自発的に帰りたいと思えば文句も言えまい?」
首筋に突きつけられていた刃先がぬるりとした滑らかな動きで頬へと移動する……その腕前は見事なもので、私の肌に傷をつけることもなくその無機質な冷たさだけが感じられた。
大粒の涙を溜めながら、パトリシアは私の瞳をじっと見つめる……だが、私は別に貴族令嬢としては失格だという認識があるため、今更顔に傷がつこうがあまり気にはしていない。
『何も言わなくていい』と私はそっと心の中で彼女へと伝える……だが、そんな私の考えと契約で繋がる魂でわかっているパトリシアは拒絶するように首を横に振った。
彼女は夜寝る前に私の頬を手で撫でるのが好きだ、と話していた……そんなパトリシアだからこそ、私が傷つくのをひどく嫌がっていた。
「わ、私は」
「どうした早く言え、『バーナビー様に従い帝都に戻ります、そしてなんでも言うことを聞きます』とな」
「私はバーナビー様に……したがって」
「それ以上は言わなくていい、よくがんばりましたね」
パトリシアが搾り出すように言葉を紡ごうとした瞬間……彼女の背後から力強い声が響く。
全員がその声に反応するように視線を向けたその先に、一人の女性が立っていた……燻んだ灰色の髪と整った顔立ち、そして意思の強そうな鋭い瞳を持つ老婦人は、パトリシアのそばへと優雅に歩み出た。
齢五〇を超えてもなお、このライオトリシアの最高権力者として君臨し『
マルガリータ・カリェーハ女伯爵は少し表情を緩めて、驚いたように自分を見上げるパトリシアの頭をそっと撫でると、バーナビー・レミントンの前へと歩み出た。
呆気に取られていた彼だが、相手が何者か理解したのか慌ててボウ・アンド・スクレープを披露して見せた。
「失礼、カリェーハ女伯爵でしたか……私の名前は」
「知っていますよバーナビー・レミントン……父君はご息災かしら?」
「え、ええ……元気ですが」
困惑したようにバーナビーは剣をしまうと彼女に向かって頭を下げる……貴族の階級としてはレミントン侯爵家の方が格上に見えるかもしれないが、女伯爵はいわゆる辺境伯家に相当する家柄である。
中央から離れて地方を収める大きな権限を与えられたいくつかの辺境伯家は、地方の王族に匹敵する巨大な権力と富が備わっている。
帝都であれば侯爵家の令息であるバーナビーは家格を盾に無法も出来ようものだが、このライオトリシアでは違う。
ここでの絶対権力者は目の前で少し不機嫌そうな顔を浮かべているマルガリータ・カリェーハ女伯爵であり、今この場において彼女は皇帝にも等しい力を有している。
つまり……今この場で最も権威と権力、そして法を捻じ曲げる無法を備えた人物がこのカリェーハ女伯爵になるのだ。
女伯爵は頬を腫らしたパトリシアと、そしてクラーク大佐に押さえつけられている私を交互に見ると、軽くため息をついた。
「おおよそ淑女に対する礼儀がなっていない……帝国軍人も地に落ちたものね、今すぐアーシャを解放なさい」
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