第15話

「小隊長~今日こそ飲みに行きましょうよ~」


能天気マーカスが性懲りもなく今日も俺に声を掛けてくる。これで三日連続だ。


「いやだ!」


俺は一字一字区切って、聞き間違いの起こらないよう丁寧に発音して拒絶する。


「なんでですかぁ?毎日頼んでるんですよ。行きましょうよ~。可愛い部下のお願いを無視するんですかぁ?」


一度の拒絶、いや数度の拒絶でもへこたれるような殊勝な性格ではない。そんな遠慮は母親の腹の中に置き忘れてきたような男だ。


マーカスの言葉に他のやつらも同調する。面白がっているのが大半だろうが、中にはあわよくばと考えているやつもいるだろう。辛い。期待に満ちた視線がいくつか俺に注がれている。大半はまたかという冷めた視線だが、幾人かはマーカス同様諦めが悪い。


「俺も行きたいっす!」

「俺も~」

「腹減りました」


次々に上がる同調の声。腹減りの大合唱で俺の周囲は仕事上がりのこの時間は騒がしくなる。こんなんだから俺は他の隊長格のやつらや上役たちに睨まれているんだぞ、わかってるのか?と内心で悪態をつく。指揮官として統率が甘いとお小言をもらうことはしばしばだった。


「腹減ったって騒げば俺が親鳥みたいに餌を運んでくるのか?違うだろ。解散解散。今日はこれでお終い。また明日。お前らだけで帰れ。仲間同士で飯食ってこい」


周囲でえぇという気色悪い嘆きの声が上がる。


俺はそれに顔を歪めながら、しっしと追い払う仕草をしてみせる。何が悲しくてこいつらに餌付けせねばならんのだ。人の金だと思って際限なく飲み食いしくさりやがって。俺が質素な生活を送ってるのはお前らのためじゃないっつぅの。先生に送金するためなんだっつぅの、と言葉にせず心の中だけで悪態をつく。


そんな、喉元まで出かかっている言葉を堪える。そして、一拍置いてからオブラートに包んで伝える。大きな声でゆっくりはっきりと。


「お前らに使う金はねぇんだわ。な?俺の金は俺の出身の孤児院への寄付のためなの。わかる?毎月俺が少ない給料をやりくりして送金してるの見てるだろ?分かれよ、クソガキども。お前らは鬼か!」


とまぁこんな感じだ。彼らに婉曲な言葉は届かない。どんな馬鹿にも分かる平易で明確な言葉で話さねばならない。


「俺ら平民の期待の星が何いっちゃってるんですかぁ、キース隊長~。孤児院小隊なんて言われてる俺らを養ってくれるのはもう隊長しかいないんすよぉ。頼みます~」


マーカスに続いてジャンも騒ぎ出した。やめろやめろ。この二人が揃うと各段に手に負えなくなる。


「そんな金があるのなら、今目の前にいて困っている俺らにこそ寄付してくださいよ。もう手持ちがかつかつなんすよぉ。月末まで生きられないっす」


哀れっぽい雰囲気を精一杯醸し出しながら、大根役者もかくやという風に誰かが言ったその言葉の調子に、俺の部下たちからどっと笑いが起こる。はぁ、頭が痛い。


「まじで無いんすよ!俺の財布見ますか!」


ジャンがそう言って俺に詰め寄る。


「いらねぇよ!見なくても分かってる。どうせまたお前ら、娼館に通い詰めてほとんどの金を使い切っただけだろう。馬鹿どもめ」

「女の子と楽しいことする以外、生きる希望なんて無いんすよぅ」

「だから俺ら体調にお願いしてるんですよ!」

「なんなら隊長も一緒に行きませんか!かわいい子がいっぱい揃ってるんすよ!絶対隊長も嵌りますって!一回行けば俺らの気持ちが理解できるんすよ!」

「てか隊長、女の子と経験あるんすかぁ?」


そこでゲラゲラと笑い声が上がる。本当に品性の欠片もない馬鹿ばっかりだ。


「俺には必要ない」

「そんなぁ、またまたぁ。一回だけ!一回だけ俺らと行きましょうよ。何人かは隊長に会いたいって言ってる女の子もいるんすよ」

「何故俺が見ず知らずの女に会わねばならんのだ」

「人生の楽しみのほとんどを損してますよ」

「そんな人生の楽しみなどいらん!」


俺は机を叩いて黙らせる。


「そんな金があるのなら将来のために貯めておけと何度も言っている!お前ら、そんなんでいいと思ってるのか!」

「いいんすよ、隊長」

「ですよぉ。どうせ貯金する意味なんて俺らにはないんすからぁ」


幾人かがマーカスの言葉に同意する。


「それでもだ。せめて月末まで計画的に金を使え!娼館に通う回数を減らせ、馬鹿ども」

「女の子と過ごす時間が無いと俺死んじまいますよぉ」

「そうだとしてもだ。回数が多すぎるぞ、特にジャンとマーカス!」

「なんで俺らが多いって知ってるんすか!」

「知らいでか!とにもかくにも行く回数を減らせ!」

「それは無理ですよ、隊長。後ちょっとでマリーちゃんを落とせそうだって、マーカスが張り切ってるんです!」


できるだけ哀れそうな声を出して俺の同情を引こうとしているマーカスに、近くに立つルイスが同士討ちをかます。


「馬鹿じゃないのか、お前は!騙されてるんだ、それは!自分に特別な感情を持っていると勘違いさせて、金を落とさせる。そんなの馬鹿な男から金を搾り取るためによく使われる手段だろう!なんでお前はそんな古典的な方法に引っ掛かってるんだ……」

「えぇ、マリーちゃんはそんなんじゃないっすよ!」

「目を覚ませ!」


そう叫ぶが彼らはあっけらかんと笑っている。気にしない性格なのか本気で信じているのか。


そんな彼らの様子を見ながら、俺は胸に走る痛みを堪える。悪い奴らじゃないんだ。根は素直でいい奴らだ。ちょっと教養が無いだけで。ちょっと快楽に弱いだけで。ちょっと先のことを考えようとしないだけで……。


俺は馬鹿騒ぎをしている部下たちを見遣る。


その陽気さは、しかし彼らの陰鬱な現実の裏返しだ。俺は知っている。


孤児院出身の彼らの多くは、自分の欲望を抑えられないのだ。金を貯めておけない。先のことを考えて行動できない。幼少期の記憶が、彼らに明日を信じさせないから、金をもらったらすぐに使ってしまう。享楽的な消費に依存してしまう。


彼らの楽し気な笑い声が俺の耳に痛々しい響きを持って届く。


悲しみが、俺の心の奥に降り積もっていく。雪のように。


俺はそんな彼らに向かって怒鳴りつける。自分の心の声をかき消すために。


「ばっか、お前らほんと馬鹿ばっかだな!今日だけだぞ!これ以上は知らん!もう今月は絶対に奢らないからな!」

「やったー!」

「うひょー!」


周囲で一斉に歓声が上がる。俺の預かる小隊の面々が騒ぎ出す。全くこいつらときたら……。


彼らの嬉しそうな満面の笑みを見つめながら、内心でこれからしばらく続くであろう粗食生活へと思いを馳せる。はぁ。


「来月もお願いしまーす!」


能天気マーカスが大声を張り上げた。ぶん殴ってやるべく俺は腕をまくって椅子から立ち上がると、あわててマーカスとジャンが逃げ出した。


俺の預かる小隊の人数は三十人だぞ?一回の食事でどんだけ金が掛かると思ってんだよ、死ねよ!毎度毎度遠慮会釈なく好き勝手飲み食いしくさりやがって!


俺はそんな悪態を内心でつく。無理にでもそう思わなければ、彼らの悲惨さに心が耐えられそうにないから。


俺が小隊長に昇格してから任されたこの小隊は、軍の中で最も規模の小さい三十人編成のものだった。そして、その構成員のほとんどがこの辺境の孤児院出身者だった。


彼らは成人する十六歳ですぐに辺境軍へ入隊してくる。なんの準備もなく入隊してくる。


勤め先が見つからないから……。


命を落とす可能性の高いこの辺境軍へ、生活費を稼ぐという理由のためだけに、毎年何人も、彼らのような孤児院出身の子供らが入隊してくる。


危険な任務故、とりあえず頭数を必要とする軍は彼らを受け入れる。常に人手不足な軍は来るものを拒まない。成人したてであっても、教養が無くとも、体が丈夫でありさえすればほとんど形だけの審査で入隊ができる。


入隊してしまえば、軍から衣食住から金まで全てが提供される。その金が安かろうとも。その食がどれほどまずくとも。衣も住も、どれほど粗末であっても、生きるためには必要なものだった。彼らが欲するものが最低限保証されている。


その代わり、下っ端連中は死んだらそれまで。何かのはずみで死んでしまえば、弔いを簡単にされて郊外の墓地へぶちこまれる。名前の無い墓にぶち込まれる。それで終わり。誰の記憶にも残らない。生きた証などどこにもない。なのに、その杜撰さがここでは許されている。


まぁ、だから俺も入れたのだけれど。


俺がここ辺境へ流れついて五年経っていた。


生涯務めあげるつもりだった社会福祉局はだめになった。卒業式の一週間前に、採用取り消しの書面が寮に届けられた。


足元にぽっかりと穴が開き、そこに自分が落ちて行くような気がした。


何故?と思った。


俺はすぐさま社会福祉局へ駆けつけて事の詳細を尋ねようとしたけれど、けんもほろろに門前払いを受けた。門兵に乱暴につまみ出され、話を聞くことなんてできなかった。


失意のうちに学園に戻ってきた俺に、あのにやにや顔の王子の腰巾着どもが近寄ってきて言った。金魚のフンの一人がわざわざ教えてくれて事の次第が発覚した。


なんとそいつの実家であるところの、なんとか子爵家から圧力をかけて、俺の採用を取り消したらしい。しかもご丁寧に、既に俺から採用を辞退したかのように処理がなされてしまっているらしかった。


呆然とする俺にそいつはニヤニヤしながら言った。もう俺の代わりに別の人物が採用されており、俺の入り込む余地はないのだと教えてくれた。下卑た笑い声とともにそう言われた。


俺は足に力が入らなくて、その場に頽れた。彼らはそんな俺の姿に満足したのか、それぞれに罵声を投げつけると悠々と歩き去っていった。俺はその後ろ姿をただ見送ることしかできなかった。


失意の中で俺がまず最初に思ったことは、院長先生に何と言えばいいのだろうかということだった。孤児院を再建するために、俺は自分の働いて得た金で支援するつもりだった。その計画がだめになってしまった。


孤児院のぼろ屋を思い出す。孤児院のチビ達を思い出した。


応援してくれた仲間やアルベルト、デミアンに合わせる顔が無いと思った。俺は結局卒業式の数日前に荷物を纏めると学園を出た。寮を出る手続きは既に終わっていたから、いつ寮から出ても問題は無かった。


去り際に、二人にもらったタキシードはクローゼットにそっくりそのまま残してきた。デミアンに返して欲しい旨のメモ書きとともに。


寮を出る前に俺は街へ出て職を探したけれどすぐには見つかるはずもなくて、それから、もう王都にもいられないと思ったから、遠くへ行くことを決めた。王都にいては、いつ知り合いに会うかわからなかった。俺は知り合いに会うことを恐れた。恥ずかしかった。だから、街を出た。


普通の精神状態でなかったのだろう。今から思えば、ほんとうに思い切った決断だったと思う。


俺は着の身着のままの自分にできる仕事を求めた。荷役仕事はこりごりだった。薄給な上に酷い職場環境だったから。


商会への就職も頭をよぎったけれど、今から探しても決まるのはずっとずっと後になるだろうことは分かっていた。俺はいますぐに生活費を稼がなければいけなかった。手持ちはもう残りわずかだったから。


それに、孤児院に寄付もしたかった。いますぐにでも経営破綻しそうな孤児院を守らなければいけなかった。


だから、俺は傭兵になった。剣もそこそこ仕えて魔法も仕える俺はすぐに採用された。


それから、仕事に合わせて町を移動しながら、とうとう俺は一年かけて、ここドラケンヴァルトへ辿り着いた。辺境の地。


ここは、この国でもっとも危険な地域に接している。魑魅魍魎が跋扈する深い森と高い山が他国からこの国を守る天然の要害となっている。そして同時に、魔物がはびこる危険地帯だ。


ドラケンヴァルトは常に外敵に脅かされる土地柄だった。それ故、常に辺境軍は人材を募集していて、かつこの国の国民で体が健康でありさえすれば、誰にでもその門戸を開放していた。国からの補助金もあって安いながらも給料ももらえる。


俺は入隊すれば衣食住が提供されるという理由だけで、軍に入隊することを決めた。


学園を去ってから最初の一年は自分の人生の不幸を呪った。三年間頑張ってきたことが全て無駄だったという事実に打ちのめされて、ただひたすら貴族を呪った。邪魔してきた貴族を呪った。王子を呪った。あいつが、きちんと側近どもの手綱を握っていたらこんなことにはならなかったのにと思った。


けれど、それでも、アルベルトのことを憎みきれない自分がいた。彼にもどうしようもないことなのだと、そう思う自分がいた。


長い間、悲しみと怒りと絶望とに苛まれた。夜一人でいるとき、無性に叫び出したい気持ちに駆られた。そんな時は、だまって頭を抱えて、その荒れ狂う気持ちが行き去るのをただただ耐えるしかできなかった。


何度も泣いた。涙が枯れたと思った次の日には、また涙がこぼれた。悔しさで胸がはちきれそうになると、自然と涙がこぼれた。


長い時間が経って、日々生きるために仕事をこなして、そうして徐々に自分の中の気持ちに整理がついていった。死んでしまいたいという気持ちは、少しずつ消えていった。


そうして、やっと前向きになれたころ、俺はこの辺境の地で軍に入ることを決意した。


過去のすべてを忘れて、新しい生活を求めた。新しい自分になろうと思った。


けれど、それは前向きだと言えるだろうか。


五年もここに居続けて、何故か昇進して、昨年小隊長という任に与ってなお、俺には分からない。もしかしたら、自暴自棄になっているだけなのかもしれない。いつ死ぬとも分からないここで、俺は、自分と同じ境遇のあいつらを世話しながらぼんやりとそんなことを思う。それは、もしかしたらあいつらと同じなのではないかと思うときがある。


だからなのだろう。彼らの境遇を思うと、俺は見捨てられない。彼らを見捨てて置けなかった。


まだ十六でしかない、孤児院を出たばかりの彼らは俺から見ればまだひよっこで、懐かしいチビたちを思い起こさせた。何も知らない彼らを、上手く導いてやらねばと思った。


ひねくれた心の持ち主の彼らは、ともすればすぐに死んでしまいそうだった。うまく軍に馴染めないように見えた。だから、なんとか彼らが無茶をしないよう見張っていた。


気付くと俺は班長になっていた。


貴族の命令に反発し通しの手の付けられない狂犬。彼らをまとめるのが俺の仕事になった。貴族でない者にはある程度打ち解けたところを見せるが、それでも他者と衝突することが多かった。彼らは人の視線に敏感だった。わずかな侮蔑や嘲笑や憐みに対してはすぐさま反応して、喧嘩をふっかけた。


戦わなければ生きられないということを、彼らは知っていた。しかし、それは、良くない方向へのみ作用していた。彼らの幼いやり方故に彼らは孤立していった。そして、除隊になりかけていた。


一発や二発殴った程度では矯正されない、誰の言うことも聞かない臆病者たち。


簡単に命を投げる彼らに、俺は死なないように教育を施した。生き残るために気を付けることを叩き込んだ。学園で習った剣術と魔法が彼らを黙らせるのに大いに役立った。


そんな彼らを上手く操ることができるとして、俺が班長に選ばれた。彼らは俺の言葉には良く従った。彼らは、俺から孤児院の匂いをかぎ取っていた。孤児院にいたときに優しくされた誰かを連想するらしかった。


俺の知らぬ間に、俺は孤児院出身者の保護者、あるいはお母さんと影で言われるようになっていた。俺の担当する班や隊は孤児院班とか孤児院部隊、あるいは隔離施設と揶揄されるようになった。


それから数年して、俺は孤児たちを集めた小隊の隊長にまでなってしまった。孤児院小隊の誕生である。


総勢三十人。よくもまぁこれだけ集まったものだ。他の隊で馴染めなかったがきんちょたちが、少しずつ俺の元へ島流しにあってやってきた。除隊の前に、或いは命令を無視して死んでしまう前に試しに預けてみるかと、ほかの隊の隊長らが俺の元へ子供らを預けにやってきた。


最初の内は自分よりもはるかに上の階級の人間が直接頼みにくるので面食らったけれど、徐々に慣れた。


仕方なしに俺が彼らを引き取って矯正した。それによって上手く他人と関われるようになった者たちは、別の隊へと引き取られていった。


いつの間にか、俺の部隊は隔離施設から更生施設なんて呼ばれるようになった。


この辺境の地では、孤児の数はとても多かったから、俺がお役御免になる気配は全くなかった。

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