第14話
具合の悪さを押して、観客席と審査員に向かって最後に礼を執ってから退場する。
魔力切れによる体調不良を起こしていることを気取られたくなくて、可能な限り健康であるかのように振る舞いながらステージを下りると、まっすぐ観客席へ向かって歩いた。できるだけ早く座りたかったし、この後に控えている演者の魔法が見たかった。
幾人かが俺の顔色の悪さに振り返ったようだったが、立ち止まることなく参加者用通路を通って観客席へと歩みを進める。先ほどまで俺が座っていた隅には誰も座わらなかったようで空席のままだった。具合の悪さを押し殺しながらそこまでなんとか辿り着くと、やっと腰を下ろして一息つく。
汗と動悸が止まらないことに不安を覚えたが、しばらくそのままそこでじっとしていると徐々に具合の悪さが収まっていった。良かった。
汗をぬぐい、体の調子が戻ってきてやっと俺の頭が回り始めた。
自然先ほど自分の身に起こったことを思い返す。初めての経験だった。あんなに誰かに称賛されたことは今までなかったことで、観客の拍手や声援がまだ耳に残っている。少しだけ、自分が確かにここにいるのだという実感が生まれた。
言い知れぬ達成感と幸福感が体を満たしていて、俺は知らず拳を握りしめていた。
それから気持ちを落ち着けるためにわざと大きく深呼吸をしてみたけれど、まだ興奮は冷めやらない。その冷めぬ興奮を感じながら、俺は自分の目を会場中央へと向けた。
俺よりも成績が上の同級生たちが、一人また一人と準備してきた魔法を披露していく様が目に入った。それをぼんやり眺めながら、俺は今までにないほどの穏やかな気持ちで座席に座っている自分を感じていた。
今また一人の演技が終わり、会場全体の空気はますます熱を帯びていく。
しばらく後、司会進行人が次の出場者の名前を読み上げる。その名前が耳に届いたとき、俺は前のめりになって中央舞台を見つめた。
俺の視線は、堂々とした態度で舞台に向かって進み出る男の姿を追いかけた。俺の居る一番端の席からではその人物は遠く小さく、顔をはっきりと窺い知ることはできない。しかし、見えなくとも俺にははっきりとその顔を思い浮かべることができる。
舞台上に現れたのはこの国の第一王子アルベルト殿下その人だった。
彼の登場に、会場にいる人々の歓声はいやましに大きくなる。彼は夏の日差しを浴びて金色に輝く髪の毛を風に揺らしながらゆったりと短い階段を上っていく。周囲で感嘆の吐息が漏らすのは女性たち。
大勢の観客からの熱い視線を一身に受けてなお、彼は全くの普通だった。いつものように背筋をすっと伸ばして、まっすぐに立っている。その余裕。醸し出す雰囲気。
俺には無いものだった。
そして、俺はただ静かにその時を待つ。彼の魔法を見るために。
司会進行が宣言をして、王子の魔法演技が始まった。
それは開始直後から圧倒的だった。去年見た三年生の演技で、今のアルベルトに並ぶ演技をした者はいなかったと思う。
炎が舞台上に迸り、完璧に操られたそれはまるで生きているかのように会場中をうねり跳ねまわった。
それは見る者の目を奪い、あっという間に彼の世界へと引き込んだ。
暗闇の魔法が展開され、彼の周囲に闇が生まれる。その中で、まるで数多の星のように火の粉が舞い、流星のように炎が流れた。
これほどの炎の大胆な動きと、大規模な暗闇の魔法の展開とを同時に為すには魔力量と魔法の素質の両方が備わっていなければ不可能だ。
その完成度は、彼の後で披露された昨年一位のデミアンの演技と全く遜色なく、双璧を成すものだった。
これが彼の本気なのだと、言葉にされなくとも理解できた。俺のこじんまりとした魔法なんか、及ぶべくもなかった。
ステージを見つめながらただ思ったことは、やっぱり、アルベルトはすごいなと、そういう馬鹿みたいな感想だった。
夢のような魔法演技がいつの間にか終わり、呆けた俺に万雷の拍手が届いた。俺のときなんかとは比べ物にならないほどの拍手が巻き起こっていた。俺も遅れて手を叩いていた。
そうして、しばらく声援に手を振って応えていた彼が退場していく。その後ろ姿をぼんやり見つめていた。そこには全く疲れたそぶりは微塵もなく、現れた時と同じように彼は優雅に歩き去った。
ただ、俺は夢を見ていたかのように、それを眺めていただけだった。
それから、デミアンの演技が最後にあって、長かったこの日の全ての演目が終了した。審査員が壇上から去り、成績発表のための舞台を整えるためにしばらくの休憩時間が挟まれた。出場した生徒はみな、中央舞台脇に学年ごとに等間隔で並び、自分の名前が呼ばれるのを待つ。俺は、一言も喋らずただ静かにその場に立っていた。
時刻は夕方に差し掛かっていた。
そして、結果発表を今か今かと待ちわびる観衆の忍耐が限界を迎えるころ、やっと順位発表が始まった。司会者によって一年生から順繰りに上位八人の名前が呼ばれ、その内三位までの三人が中央の舞台上へと上がっていく。
一年、二年と終わり、三学年の発表へと移った。
出場した三十人が横一列に並んで、その名が呼ばれるのを待っている。自分の名前が呼ばれるかもしれない可能性に、しかし俺の心は凪いだままだった。何の感慨も焦りも不安もなかった。ただ、静かに結果が発表されるのを待った。
八位から一人ずつ名前が呼ばれ、得点の内訳と講評が述べられる。呼ばれた人は嬉しそうに一歩前へ進み出て観客と審査員へ一礼する。それが一連の流れ。
そしてついに、三年間の学園生活の中で初めて、公式の場で俺の名前が呼ばれた。
五位。
嬉しかった。純粋に。八位入賞が果たせただけでもう十分だった。強がりではなかった。アルベルトのあの演技を見てしまっては、勝てるとは到底思えなかった。それに、俺は少し制限時間を超えてしまっていたらしい。その減点が響いた結果になったと知らされた。もしそうでなかったら三位入賞もあっただろうという講評を戴くことができた。
それで満足だった。
自分は精一杯やり遂げたし、王子の演技は俺の遥か上を行くものだった。
それが俺はただ嬉しかった。本気をだした王子が最大限その才能を発揮したという事実が嬉しかった。
天才はどこにでもいる。しかし、俺は天才ではなかった、ただそれだけのことで、俺にはそれだけでもう十分だった。初めてアルベルトと真剣勝負をしたという事実だけで、十分だった。
もう、この学園でやるべきことは終わったと思う。後はもう、俺は、俺にできることで彼を超えて行けばいいと、そう思った。それが何かはまだ分からなかったけれど、ゆっくり見つけて行けばいいと思えた。
その後はもうただ淡々と日々が過ぎて行った。社会福祉局の採用試験に向けた準備が忙しく、いざ面接が終わってしまえば、もう俺にやるべきことはほとんどなくて、日々を、残りの学園生活を静かに大人しく過ごした。
働き始めたときのために知識をつけようと、王立図書館まで足を運んで社会福祉や孤児に関する本を読んだ。民話や伝説、おとぎ話に関する文献も色々あって、気分転換に丁度良かった。
そんな風に過ごしていると、あっという間に第二学期が終わり冬休みになった。
俺は無事に社会福祉局に採用が決まった。真冬の雪がちらつく日だった。寮生の居なくなった静かな学生寮へ俺宛の分厚い立派な封筒が届けられた。管理人夫妻が俺の部屋までわざわざそれを届けに来てくれた。
彼らに見守られながらその中を開く時、柄にもなく緊張で指が震えるのが分かった。封を切り中身を取り出して折りたたまれた便せんを慎重に開く。そしてすぐに文面に目を走らせて内容を読み進めていくと、その半ばで採用の二文字が目に飛び込んできた。
その瞬間、俺は本当に嬉しかった。涙が出そうだった。
これが、俺の人生で二回目の成功体験となった。
管理人夫妻が小さく俺を祝ってくれた。
それにお礼の言葉を言ってから、すぐに院長先生に手紙を書いた。きっと先生は喜んでくれるだろうと思った。
あっという間に冬休みは終わって、学園に戻って来たマルコやリヴィをはじめとした平民仲間が、俺の採用を聞いて小さな祝いの席を用意してくれた。小さな居酒屋でみんなで酒を飲んだ。ささやかなお祝いだった。
年末に出した手紙の返事は一カ月以上後になってから学生寮に届いた。雪のために配達が滞ったためだった。
俺は手紙を受け取るとすぐに中を開いて読む。そこには先生から喜びに満ちたお祝いの返事が綴られていた。いつもは整っていて落ち着いた文字を書くのに、この時ばかりは便せんの上で文字が躍っているように見えた。先生から届けられたの喜びと応援の言葉はすんなりと俺の胸に届いた。
一人寒々しい部屋の中でその手紙を前にして、これから孤児院のために頑張っていこうと俺は気持ちを新たにした。そのために身を粉にして働く覚悟はできていた。
そして……。
冬の終わりの三月に卒業式があった。
俺の長い学園生活は終わりを迎えた。
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