終末楽園ラジオ

天然王水

楽園は今日も平和です

 朝の六時。

 珈琲コーヒーの豊かな匂いが広がるキッチンで、ラジオの横に取り付けられている音量調節のボタンを押す。

 カチカチと云う乾いた音と共に、微かに聞こえて来るだけだった音が徐々に輪郭を帯びていった。

[楽園ラジオの時間です。ナレーターはわたくし、ヒバリがお送り致します]

 僅かなノイズを伴いながらも、少年の声は明瞭に聞こえる。

 陽溜ひだまりの様な明るさがありながらも、どこかかげりを帯びた声だった。

 珈琲を、一口。

[楽園は今日も平和です。石鯨セキゲイも低い場所を飛んでいて、空を見上げれば、泳ぐ姿を見られるエリアもあるでしょう]

「石鯨かぁ。珍しい」

 嚥下した後に、呟きが漏れた。

 全身が古びた石材によって構成されている、生物か非生物かも定かではない存在、石鯨。

 永遠に平和なこの世界『楽園』の各所を町一つは軽々と潰せる程の巨躯で悠然と飛び回り、楽園を守っていると云われる天使の一柱である。

 全世界を飛んでいる為、見られる者は幸運だ。

 もしかすると、今日外に出れば見られるかも知れない。

 そんな好奇心が、心の中で鎌首をもたげた。

 だが……

[ですが、同時に石鯨の身体から剥がれ落ちる石材の雨にも注意が必要です。石鯨が通るエリアの皆様は、魔法の杖の携行を忘れない様にして下さい]

 考えを汲んだ様に、少年が続けた。

「まぁ、そうなるよねぇ」

 そう。

 石鯨の身体は古びているのだ。

 空を泳いでいる最中に、その身体からは石材が崩れ落ちていき、通っていく場所に雨の様に降り注ぐ。

 凌ぐ事は余程の幸運があるか、魔法の杖を持っている事を前提としており、それが無ければ、命の危険が絶えず付き纏うだろう。

 上空から降り注ぐ岩の塊等、それだけで人の命を奪うには十分な物なのだから。

 ……楽園と云う言葉の意味を、辞書から引用したくなってくる。

 また、珈琲を一口。

[次に、天気予報です。今日、北部エリア、東部エリアは晴れ、西部エリアは曇り、南部エリアは雨となります。中でも、北部エリアは強い風、南部エリアは雨による水没にご注意下さい]

「今日は北と南か」

 楽園は東西南北にエリアが分けられ、それぞれ植生も、天気もバラバラだ。

 そして、エリア毎に幾つか、規模の異なる町も存在すると云う具合である。

 エリア間の移動に関しても少し時間を掛ければどこにでも足を運ぶ事が出来る為、観光を楽しむと云うのも良いだろう。

 しかし、ラジオで云っていた様に、風が強い日のエリアの天候は嵐のそれにも近く、雨の場合はエリア全体が水に沈む事もある。

 天気予報を正確に把握していなければ、吹き飛ばされるか、溺れる事になってしまうのだ。

「こっちに影響が無いなら、それで良いけどねぇ〜」

 立ち聞きも疲れてきたので、傍にあった椅子を引っ張って来て腰掛けた。

 幸い、ここは東部エリアだ。背後にある窓からリビングへと射し込む柔らかく暖かい陽射しが、ゆったりとした時間の流れを伝えている。

 空を見ても雲一つ無い快晴であり、西部エリア以外に行く場合はそれなりの準備が必要だが、外出するのも悪く無いと思える天気である。

 折角石鯨が見られるかも知れないのだ。図書館にでも行って、石鯨に関する歴史でも調べながら眺める事にでもしようか。

 思えば、石鯨がいつから存在しているのかも知らなかったし。

[エリア毎の情報です。北部エリアは強い風を利用した風力発電、南部エリアでは雨を利用した水力発電の様子が見られるでしょう。東部エリアは植物園の向日葵が見頃を迎え、西部エリアは今夜、空が二年ぶりに発生する星雲せいうんの光で照らされるとの事です]

「あ〜星雲もあるのかぁ」

 楽園は、少なくとも五千年前には既に存在していたと云われている。

 同様に、木々が大きくしなる程の強風や、町が沈む様な大雨も、また。

 それ程の昔から最早天変地異とも云える様な天候が繰り返し起こり続けていると云う事は、その天候を前提とした文化や、活用する物が作られると云う事。

 町も、風が吹けば風力発電、雨が降れば水力発電が出来る様に作られているし、物によっては水上に浮かぶ様に造られている町もある。

 日が強い時には太陽光発電と云う徹底ぶりだ。

 楽園の平和は、そうした先人の努力によっても維持されているのだろう。

 曇りの夜に立ち込める雲から神秘的な光が見える現象である星雲も起こる様だし、それも見に行く事にしよう。

 そうなると、今日のスケジュールは結構に詰め込まれた物になりそうだ。

「それにしても、向日葵かぁ……」

 懐かしい感慨に右手の壁に掛けたカレンダーを見遣ると、光陰矢の如しと云うのか、もう七月を示していた。

 夏が、盛りになろうとしている。

[次に、お便りです。楽園ラジオ放送局にお送り頂いたお便りに、私ヒバリがお答えします]

 お便りコーナーを楽しみに思い始めたのは、いつからだっただろうか。

 下らない話題を持ち掛ける便りも多い為か、以前は興味も湧かなかったが、一枚一枚に真摯に向き合うナレーターの姿勢に、少しずつ耳を傾ける様になっていった気がする。

 ヒバリと云う名前で共通点を持っているから、と云うのもあるかも知れないが。

 今日は、どんな便りが届いているのか。

[PN.リキンチリさんからのお便りです。『この世界に神様はいますか』だそうです]

「ま〜た変な物を送ったもんだ……」

 そんな事を知った所で何になるのか。

 返事を貰っても、何の利益にもならないだろうに。

 もしかすると、ナレーターがどの様な返事をするかが知りたいのかも知れない。

 だとしても、と云う話ではあるが。

[神様ですかぁ……長い事論じられている話題ではありますが、個人的な意見としては、『居るけれど、見える様な物では無い』と思っています]

「ほう?」

 居るけれど、見えないか。

 その論拠は何なのだろうか。

 そこまで考えて、先程まで便りの内容を貶していた癖に、それに対する返答に興味を引かれている事に気付いた。

「やられたなぁ……」

 右の蟀谷こめかみに、手を添える。

 この様な返事が聞けるのであれば、確かにそんな便りを送りたくもなるだろう。

[理由は、まぁ……そんなに面白い物でも無いですが……神様が見えたとしても、多分助けてはくれないから、ですかね]

「そりゃそうだ。助けてくれるなら苦労しない」

 信じる者は救われると云う言葉があるが、それが事実であるのなら、民族自決と云う言葉が生まれる事も無かったと思う。

 神を信じるだけで腹が膨れて、衣類も整って、満足に暮らして行ける住居まで出て来るのなら、今頃世界は宗教大国以外存在しないだろう。

[リキンチリさん、お便り有難う御座いました。次はPN.レルヒェさんからのお便りです]

「レルヒェ……?」

 頭の片隅に引っ掛かる言葉だった。

 いつか、どこかで聞いた事がある気がするが、どこだっただろうか。

[『貴方は今、どこに居ますか』だそうです]

「何だそれ。放送局に決まってるだろ」

 最初の便りを超える意味不明さに、聞き覚えの正体に手を掛けていた疑問も思考の奥底に消えてしまった。

 放送局でラジオのナレーターをしている人間に対して、貴方は今どこに居ますかなんて質問は、頭が可笑しいとしか云えない。

[ええっと……私は今、楽園の中心にある放送局の放送室に居ます。他のエリアに行く際に中央連絡通路を使った時、移動中の電車の窓から見えた人も居るのではないでしょうか]

「良くこんなのにそんな返し出来るな……」

 僅かに困惑した様な声色だが、それにしてはしっかりとした返答をしたものだ。

 便りに返答をしながら話題の転換もしているのは、流石はラジオのナレーターと云った所か。

[これは蛇足になりますが、実はラジオって、録音した物を流しているんじゃないか、再放送なんじゃないかと疑う人も居るんですが、このラジオに関しては全て生放送なんです。勿論、動画配信サービス等では過去の物を聞く事が出来ますよ]

「そんな事考える奴居るのかねぇ」

 ラジオに再放送と云う概念は存在するのだろうか。

 そんな事を考えながらまた一口含んだ珈琲は、少しぬるくなっていた。

 ラジオに聴き入っている内に、冷めてきていたらしい。

[PN.レルヒェさん。お便り有難う御座いました。次のお便りです。今回は、これで最後ですね]

「最後かぁ。そろそろ終わりだなぁ」

[………………]

「……ん?」

 独り言を呟いてから、五秒程沈黙が続いた。

 何が起こっているのだろう。

 一応は最新型である為、ラジオの不調は有り得ない。

 となると、電波が悪くなったか。

 それもそれで、考え難い物ではあるが。

 どちらにせよ、最後の便りが聞けないと云うのは靄々とした違和感が残る。

「こんな時に……電波障害でも起きたのかぁ?」

[…………ください]

「お、直ったか?」

 途中から聞こえたので、何を云っていたのかは解らないが、取り敢えずはまた聞ける様になって良かった。

 肝心の聞こえなかった部分は、ナレーターが云っていた様に、動画配信サービスでも使って聞く事にしよう。

「───助けて、ください」

「…………え?」

 助けてください……?

 予想もしなかった言葉に、思考が停滞する。

 最後の便りは、何かしらの助けを乞う物だったのだろうか。

[僕の名前は、つむぎと云います。合歓ねむの木の、英語の名前から取ったそうです]

「急に自己紹介……?」

 僅かに震えを帯びた声で為された自己紹介は、どうやらナレーターの物である様だ。

 何か、只事では無い事が起こっている。

 そう、感じさせる声色だった。

[僕の眼の前で、多くの人が眠りに就きました]

 先程続いた沈黙も、恐らくは電波障害では無い。

[お便りも、もう届かなくなりました]

 ただ、この話をする為の心構えをしていたのだ。

[神様も、助けてはくれません]

 そうだ。

[僕は、ここに居ます]

 レルヒェとは、雲雀ひばりを意味する言葉だった。

[来られないのなら、お便りでも構いません]

 概ね、他の便りのPNも、同じ意味を持っているのだろう。

[誰か、助けてください]

 僅かだった声の震えも、徐々に大きく……。

 それどころか、泣き声と云っても良い程の状態にまでなっていた。

[一人は……寂しいです……]

 そこから少しの間、はなを啜る様な音と、吃逆しゃっくりにも似た声が断続的に聞こえた。

 収まるまでに、結構な時間を要していた様に思う。

[…………今回の楽園ラジオは、これにて終了となります]

 泣き声も収まり、静かになったかと思い始めた時、紬は続きを話し始めた。

 未だ震えの残る声は、どうにも痛々しい。

[今日も、明日も、その先も……楽園は、永遠に平和です……]

 直後、ラジオから聞こえる音は、砂嵐だけになった。

「………………」

 ザラついた音を発するラジオを見ながら、考える。

 何だったのだろう。

 今まで、こんな事は無かったのに。

 演出にしては手が込んでいたが……。

 去来する様々な考えは、しかし確かな答えを形作る事は無く……。

 時間だけが、無為に過ぎて行くだけだった。

「考えていても、埒が明かないか……」

 ラジオの電源を落とし、リビングのソファに無造作に置いてあった鞄を引っ掴む。

「行ってみりゃ、全部解るんだ」

 どちらにせよ今日は外に出る予定だったのだ。

 寄り道が一つ増えても、問題は無いだろう。

「全く……とんだナレーターが居たもんだよ」

 鉛筆、スケッチブック、財布、家の鍵、予備の服一式、あと魔法の杖とラジオを鞄に突っ込んで背負う。

 リビングの置き時計を見遣ると、六時半を指している。

 今から行けば、電車の時刻には間に合うだろう。

 服は……外でも着られる奴だし、着替えなくても良いか。

 食事も、行き掛けでどこかに寄って買った物で済ませよう。

「変なラジオしやがって……顔拝んで馬鹿にしてやる」

 玄関の扉を開け、外に踏み出す。

 軒先を照らす陽光と周囲に咲く花々は、今では信用のならない存在へと変貌していた。

「待ってろよ。紬とやら」

 こっちの用事を多少なりとも狂わせたんだ。

 責任を、取って貰うぞ。

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