『恋愛厳禁クラブは今日も改革中』

mynameis愛

第1話 空き部室の救世主

 四月五日、午後五時。

 翔稜学園・南校舎――その一番端、壁のひび割れが目立つ三階の角部屋に、夕陽が差し込んでいた。

 部屋の主が去って久しいのか、床には埃が舞い、窓際には使い古されたフィルム缶がいくつも転がっている。書きかけのポスター、はみ出したビデオケーブル、開かずのロッカー――そのすべてが、時の止まった証だった。

 その空間のど真ん中に、ただ一人、麗が立っていた。手にした書類を握りしめ、奥歯を噛みしめる。

「……嘘、でしょ……」

 読み返しても、文章は変わらなかった。

《旧映像研究部室は、当該団体の活動休止期間が1年以上経過しているため、今月末をもって明け渡し対象とする。異議申立てには、再稼働の明確な計画書および最低5名の活動メンバーを添えて提出のこと。期限は5月末日まで。》

 ――活動を続けていたはずの友人が、退学していた。

 ――守るべき場所が、取り壊されようとしている。

 ――自分が気づいたときには、もう“最後通告”だった。

 麗は俯き、息を詰める。冷静を保とうとしても、指先はかすかに震えていた。

 そのとき、ガラリと扉が開いた。

「お、おじゃまします……あれ、誰かいる?」

 入り口から覗いたのは、映像科の匡だった。無造作に肩からカメラバッグを下げている。撮影後の立ち寄りか、それとも……。

「匡?」

 麗が驚いたように顔を上げると、彼もまた「あ」と小さく頷いた。

「麗? ここ、まだ使ってたんだ?」

「正確には、“使ってた人がいた”けど……いまはもう、いないの」

 そう言って、書類を差し出す。匡は目を通し、ぽつりと漏らす。

「……期限、あと二ヶ月か。ギリだな」

「そう。ギリすぎて、今日ここに来なかったら、気づかないままだったかも」

 麗は皮肉めいた笑みを浮かべ、部屋の中をぐるりと見渡した。

「でも、私は――この部屋を、あの人の“居場所”ごと消されたくない。だから……再建する。今からでも遅くないって、証明したいの」

 匡は黙ったまま、床に落ちたフィルム缶を拾い上げた。ラベルには薄く「文化祭上映用」と書かれている。誰かの手で作られ、忘れ去られた夢。

「……それ、頼まれごと?」

「違う。私の“決めたこと”。それじゃ、弱いかな」

「いや――」

 匡はそう呟くと、バッグからノートPCを取り出して電源を入れる。電源コードも、三脚も、音もなく次々と準備されていく。数分も経たぬうちに、小さな編集ブースが机の上に出来上がった。

「俺、あんまり自分で“選ぶ”とか苦手だけど……頼まれたなら、動けるよ」

「え?」

「今の言葉、俺にとっては“頼まれごと”みたいなもんだから」

 匡は、笑っていなかった。けれどその表情は、拒否ではなかった。

 むしろ、すでに“作業中”の顔だった。

「……つまり、協力してくれるってこと?」

「再建するんでしょ、ラボを。この部屋を、居場所に戻したいんでしょ?」

 夕陽が、二人の間に落ちていた埃を照らす。匡がPCに指を這わせるたび、まるで過去の時間までもが再編集されていくかのようだった。

「いいよ。俺も、ここがなくなるのは――もったいないって、思ったから」

 その言葉に、麗の心がかすかに揺れる。

 ――“思ったから”。

 それは、誰かの命令じゃない。誰かの期待でもない。

 匡が、はじめて自分の気持ちで動いた理由かもしれない。

 麗は、静かにうなずいた。

「ありがとう、匡。じゃあ……やろう、もう一度。

 二人だけでも、この場所から――始めよう」

 部屋の隅に転がっていた三脚を起こす。古びたポスターを丸め、机を拭う。夕陽の中で埃が舞い、それがまるで、新たな編集素材の粒のように見えた。

 その瞬間。ふと、足元を何かが滑った。

「あっ」

 麗が思わず声をあげた。散乱していた古いフィルムの一巻が、コロコロと転がって、部屋の中央で止まる。

 匡がそれを拾い、反射的に目を細める。

「……このフィルム、まだ使えるかもしれない」

「まさか」

「いや、再生できる装置があれば――今なら、デジタル変換して復元もできる」

 目を輝かせる匡。その横顔に、麗ははっとする。

 この人、やっぱり――好きなんだ。

 “作る”ってことが。

 麗の内心に、小さな灯がともった。


 窓の外では、春の夕陽が赤く傾いていた。

 この時間の校舎は、まるで時が止まっているように静かで、外の喧騒が嘘のようだ。

 麗は小さく息を吸い込むと、フィルム缶を抱えたままの匡に向き直った。

「……じゃあ、まずは現状整理しよう。再建の条件、私たちが満たすべき項目、全部洗い出して」

「うん、分かった。期限は五月末。あと二ヶ月もないけど……メンバーは今、ゼロ?」

「私と匡で“二”。最低“五”必要。でも数だけ揃えても、活動実態がなければ、許可されない」

「なるほど。じゃあ“形式だけの寄せ集め”じゃ意味ないんだ」

「うん。それに、同じ志の人じゃないと、またすぐ壊れる。だから……」

 そこで、麗の口調がわずかに固くなる。

「……“恋愛目的”の加入者は、お断り。断言する。私はもう、誰かの感情に振り回されるのはごめんだから」

 その言葉には、何か過去の傷をにじませる色があった。

 匡は、それを深追いしない。ただ小さく頷いて返した。

「分かった。俺も、そういうの得意じゃないし、トラブルは避けたい。

 “恋愛禁止”って、部のルールにする?」

「“恋愛ご遠慮クラブ”って名乗るのも、アリかもね」

 苦笑交じりに返した麗に、匡が珍しく「ぷっ」と吹き出す。

「それ……ネーミングとしては微妙だけど、インパクトはあるな」

「ね。意外と話題性、あるかも」

 二人は目を合わせて、少しだけ笑った。

 それはほんの一瞬のことだったが、この部屋に久しくなかった“温度”のある空気だった。

 再び麗は真顔に戻り、スケジュール帳を開く。

「最初の目標は、“五月末までに五人”。でも、どうせやるなら、学園祭プレゼンの“企画枠”狙いたい」

「学園祭の……プレゼン枠って、映像・デザイン・プレゼン込みの課外部門?」

「そう。毎年倍率は高いけど、出場団体は“正式な部活化”の実績にもなる。

 もし通れば、あとは実績で黙らせられる。恋愛じゃなく、成果でね」

 それが、麗の“戦い方”だった。

 口で人を説得するより、結果を突きつける。言い訳や誤解を挟ませない、唯一のやり方。

 匡は黙ってうなずき、そっと自分のバッグを開く。

 中から、一本の古びたUSBメモリを取り出した。

「これ……去年、映像科で自分用に編集した映像。プロモーションのサンプルになるかも」

「……見せて」

 麗は椅子を引き、匡の隣に腰を下ろした。

 モニターに、夕焼けの光が反射する。USBを差し込み、再生ボタンをクリック。

 映し出されたのは――静かな校舎の廊下に、誰かの足音が響くカット。

 風で舞うプリント。陽の差す階段。窓ガラスの反射。人の顔が一度も映らない、けれど“感情”だけが鮮明に伝わる。

「……すごい。これ、感情で編集してる」

「感覚で“選んだ”だけだけど……そう言ってもらえるの、初めて」

 匡は肩をすくめ、照れ隠しのように呟いた。

 麗はその横顔をちらりと見た。

 ――この人、もっと評価されるべきだ。

 ――なのに“頼まれたこと”しかやらないのは、きっと……何かが欠けてる。

「匡」

「ん?」

「あなた、誰かのためじゃなく、自分のために“選んで”動いたこと、ある?」

 その問いに、匡はしばし沈黙した。

「……ない、かも。いつも誰かが“やって”って言うから」

「じゃあ、今回が初めてかもしれないね。自分の居場所、自分で選ぶっていうのは」

 それは、麗自身にも向けた言葉だった。

 過去の失敗から逃げず、誰かのせいにせず、“決めた”のは自分だと。

 モニターには、動画のエンディングが流れていた。

 白地に浮かぶ一文――《ここから、また始めよう》。

 麗はそれを見つめながら、小さく微笑んだ。

「……じゃあ、始めようか。“恋愛禁止クラブ”の、初期メンバー募集作戦」

「うん。部室、まず掃除しないとだな。映像より先に、“現実”の編集から始めよう」

 二人は立ち上がり、散乱したケーブルや缶を一つずつ拾い始めた。

 夕陽の光の中で、フィルムの銀色がきらりと光った。

 そして――その日、部室の黒板には新しい文字が書かれた。

《仮称:クリエイトラボ復興計画 本日始動。目標:5月末までに最低5人。誓約:恋愛は禁止。目的:学園祭プレゼン出場。まずは、仲間を探せ。》

 ペンの軌跡を見届けた麗は、小さく囁いた。

「もう、誰にも振り回されない。私は、“やりたいこと”のために戦う」

 その決意に、匡はただ、隣で小さくうなずいた。


(第1話:了)

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