六月 朝比奈接骨院②
「ガヴィ・レイくん、か。いい身体しとるのぉ! なになに? 練習後の疲れが取れん、と……。なるほどなぁ、これは昴が専門じゃの」
おい昴、診てやんなさい、と繁じいに促されて診察室から昴が顔を出す。
いかにも好々爺、という感じの繁じいとは違い、自分と同じ位の青年が診察室から顔を出した事にガヴィは面食らう。促されて横になった診療台に上がってからもなんとなく落ち着かずにガヴィは居心地悪くそわそわとした。そんなガヴィに昴が笑う。
「……そんなに緊張しなくても大丈夫。颯馬の後輩なんだって? 俺も颯馬とは高校時代からの付き合いなんだ。フェンシングもやってた。ちゃんと施術師としての資格も持ってるから安心していいよ」
ヒナタの兄で昴といいます。年齢は君の一つ上かな。
そう言って柔らかく笑った昴にガヴィが驚く。
「……その歳で働いてんの。資格とれるんだ」
「とれますよ。独り立ちはまだだけれど。俺は君みたいなスポーツ選手のケアも視野に入れていきたいと思っているから特にその辺を勉強してるんだ。フェンシングもやってたからその視点からもアドバイスできると思うよ」
ガヴィの身体を色々触診して体のバランス等を診ていく。
「それで今日君の気になっているところは?」
「……ん。今までは練習後多少キツイことがあっても次の日には気にならなかったんだけど、最近次の日も筋肉のハリがとれないことがあって」
「うん。……今までと変わったトレーニングをしたとかある?」
「いえ、特には」
「そうか……んー、じゃあとりあえず一週間の練習のルーティンとかあったらここに書き出してくれるかな。簡単でいいから。あ、英語でもいいよ」
ドイツ語はちょっと解んないけど、と昴に笑って紙とペンを差し出されてガヴィはそれを受け取った。
「なる……ほどぉ……」
五分ほどでガヴィは練習メニューを書き、昴に渡した。
渡された紙にはみっちりと練習メニーが書き込まれている。
「ガヴィくん、外国人の割には勤勉だっていわれない?」
中高の部活動で叩き込まれた日本人ならいざ知らず、日本人もびっくり過密な練習メニーが紙には書かれている。
「……家にいても暇なんで。時間が空いたらとりあえずトレーニングしてます」
フットワークを巧みに使った競技でもあるフェンシングは下半身に筋肉がつくことが多い。けれどガヴィは上半身や二の腕にもしっかりと筋肉がのっていた。ヒナタが軍人かと思う程度には。
とりあえず強張った筋肉を解すための施術をし、後はカウンセリングに時間を割く。
「大学での練習メニューはいいとして……、帰宅後の筋トレがちょっと多いかなぁ……。このスケジュールを見るとほぼ毎日やっているよね? 今までは大丈夫だったかもしれないけれど、今までの疲労が蓄積されてオーバートレーニング症候群に近いものになってるんじゃないかな」
「オーバートレーニング症候群」
復唱したガヴィに昴が目線を合わせる。
「うん。筋肉ってさ、いじめてあげると成長するんだけれど、だからといっていじめすぎると修復できなくなるんだよ。人間関係と一緒だね。君は出来るからやっちゃうと思うんだけれど、三日やったら一日休ませる……くらいの方が筋肉って成長するんだ」
できればそれに加えて週一日は何にもしない日があると尚いいね。と言った昴にガヴィは眉根を寄せる。
「いや、でも、何にもしないってのも……落ち着かないし、衰える気がして」
困惑するガヴィに昴は穏やかに提案した。
「そうだね。気持ちはわかるよ。けれど実は休みを挟んだ方がパフォーマンスがあがるんだ。ただ、君みたいに熱心なタイプは休むってことがストレスにもなるかもしれないから……そうだな、週に二度の筋トレのお休み日は代わりにストレッチメニューにするといい。ストレッチで筋肉を解すこともトレーニングだと思えばやれるんじゃないか? あと、完全休養日は今後の人生の為にも競技と関係ないことをやるのをおすすめするよ」
意外と競技と全く関係のない所からヒントを得られる時もあるからねと微笑まれる。昴の笑顔は人を納得させる不思議な魅力があった。ガヴィは素直に頷いた。
会計を済ませ、待合室に戻ってきた所でヒナタがお茶を差し出す。
「はい」
ガヴィは目をパチクリとさせた。
「ウチの患者さんには施術後お茶を飲んで貰ってるんです。身体の循環が良くなるんですよ。あ、これお金はかかりません」
ノーマネー、ノーマネ―と手でバッテンを作る。
「外人の兄ちゃん、飲んでけ飲んでけ!」
「ヒナタちゃんから淹れてもらうなんて兄ちゃん幸せ者だなァ!」
診療所の待合室というよりすでに集会所のような待合室から他の患者の声が飛ぶ。
兄ちゃんここに座んな、と患者のじいさま達が席を開けてくれてガヴィはそこに大きな体を何とか入れた。
「はい、これお饅頭です。アンコも疲れが取れますよ」
そう言って手のひらに乗せられたのは一口サイズの薄皮まんじゅう。
口にいれると小豆の甘さが広がった。日本人には優しく感じる甘さだが、外国人のガヴィにとってアンコの甘さはなかなかの糖度を感じさせる。
「甘っ……!!」
ガヴィの反応に周りがどっと笑った。
ヒナタが慌てて二杯目のお茶を持ってくる。どうぞと差し出したお茶を受け取りながらガヴィは心底感心したようにヒナタを見た。
「お前、ちっこいのに偉いなァ……」
「へ?」
目をまんまるにしたヒナタにガヴィは悪気なく続ける。
「日本人は小学生から教育が行き届いてて凄いよな」
ぶちり、と何かが切れた音がして、常連の患者たちは耳をさっと抑えた。
「だ、誰が小学生よーーーー!!」
叫んだヒナタの声に、接骨院の窓がビリリと震えて、窓にかかっていた風鈴が、風流にチリンと鳴った。
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