六月 出会いの散歩道







 研究授業だかなんだかで、昨日に引き続き早帰りだったヒナタはさっさと夕飯の下準備を済ませてエプロンを椅子にかけた。

 ダイニングテーブルの上には昨日颯馬そうまにもらった小さな向日葵が一輪挿しに飾られている。ヒナタと同じ名前のついた黄色い花を見ると、自然と口元が緩んだ。


 ヒナタは鼻歌交じりに音を立てて外階段を降りると、階下の接骨院の勝手口の方から入り、診察室兼待合室にひょこっと顔を出した。

 施術中の繁じいや昴よりも、先に待合室で順番を待っていた顔見知りの患者がヒナタに気がつく。


「おやぁ、ヒナタちゃん久しぶりだねぇ」

「久しぶりって山岸さん、先週会ったじゃない。……また腰が痛いの?」

「一週間も会えてなきゃ老い先短い儂らには久しぶりだよ。腰痛は友だちみたいなもんさ」


 ここに来るのはもう趣味みたいなもんだしな、と笑う七十過ぎの山岸に「ウチは雀荘じゃないんじゃぞぉ」と呆れた顔をした繁じいが施術の手を止めて顔を出した。


「あ、繁じい。私もうやること粗方終わったからアカツキの散歩行くね」

「悪いのぉ、ヒナタ。帰ってきたら横宮の婆さんが持ってきてくれた饅頭があるから持っていきなさい」

「はぁい」


 間延びした返事をして、「気をつけていけよ」と声をかけた昴と待合室に座る患者達にも「またねー」とひらひらと手を振ってまた勝手口から出ていく。


「ヒナタちゃんみたいな愛嬌のある子が妹だと若先生は心配だねぇ」と施術中の患者に笑われて、治療をしながら昴は「ですねぇ」と眉を下げた。




 勝手口を出たヒナタは朝比奈接骨院の隣にある繁じいの平屋建ての家に回る。ブロック塀に囲まれた門を通り抜けると玄関の片隅の犬小屋から黒の柴犬が飛び出してきた。


「アカツキ、お散歩行くよ!」


 アカツキは今年六歳になる柴犬の女の子だ。元々一人暮らしだった繁じいが番犬に……と近所の患者さんの家に生まれてきた仔犬を貰ってきたのだが、人懐こくて穏やかなアカツキはとりあえず未だに番犬になりそうな気配はない。道行く人にブロック塀から顔を出し尻尾をふるので町の人には可愛がってもらえているが、泥棒が来ても尻尾を振りそうな所が玉に瑕だ。とは言え、ヒナタでも引きづられることなく散歩に行けるのは有り難い。


 大学の敷地の周りを反時計回りにぐるっと一周して接骨院の前の元来た道に戻るルートをいつものように歩く。次の角を曲がれば接骨院前の道に出る……という所まで来た所で、目の前に鮮やかな色が飛び込んできた。


(うわ……、派手な赤毛……!)


 ヒナタの少し先の道に現れたのは、銅褐色の髪の襟足を刈り上げて上部を縛り、カーキ色のカーゴパンツに上は黒のタンクトップという、いかにもいかつい格好の青年で。ちらりと見えた横顔は彫りが深くてどう見ても日本人ではない。


(軍人さん? いやいや、この辺にアメリカ基地とかないし)


 隣をすれ違う時にチラリと見た顔は、とても優しそうには見えなかったから、絡まれないように少し距離を開けてすれ違う。

 ただ、すれ違った際に彼が何やらブツブツと呟いていて、通り過ぎて角を曲がろうと思った時に振り返ると赤毛の青年は小さな紙を見ながらキョロキョロと周りを見ている。それはどう見ても何かを探している者の行動だ。


「……」


 ヒナタは道の角を曲がったが、立ち止まった。急に止まったヒナタをアカツキがどうしたの? と言わんばかりに首を傾げてヒナタを見上げてくる。


「……怖い人だったら頼むよ、アカツキ」


 そう言ってヒナタは曲がった角を戻って赤毛の青年の所に近づいた。


「な、何かお探しですか?」


 声をかけてから日本語じゃ通じないかもしれないと思い至る。


(え、えーと、こういう時、英語でなんて言うんだっけ?)


 通り過ぎた女の子が戻ってきて急に声をかけてきたのだ、赤毛の青年も些か面食らった顔をしていた。


「あ、アー、えーと、メ、May I help you?」


 テンパりながらも学校で習ったなけなしの英語を思い出して口にする。

 ……しまった。助けがいるか質問することは出来たが、この後何か返されても返事の出来る英語力はヒナタにはない。声をかけておいてこの先どうしようと内心焦っているヒナタに、意外にも赤毛の青年からは流暢な日本語が返ってきた。


「アー、俺、日本語喋れる。ここの住所に行きたいんだけれど。漢字がちょっと解りづらくて……。知ってるか?」


 見た目から受ける印象よりかは落ち着いた声が返ってきて、ヒナタは肩の力を少し抜いて青年の差し出した紙を覗き込んだ。


「え、えーと……なになに……あさひな接骨院……ってウチ!?」


 紙に書かれていた住所と名前を見てびっくりしたヒナタは紙と青年の顔を思わず見比べる。


 見上げた青年の顔を見て、思わず目を見開いた。



(この人の目、凄い綺麗なすみれ色――)



 日本人には絶対にないその色彩に、ヒナタは思わず目を奪われて立ちすくんだ。

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