第29話 すれ違う心

 夜の王宮をあとにして、馬車の扉が閉まった瞬間――ようやく、緊張がふっと緩んだ。


 背筋を伸ばして普通に座っていたつもりだったけれど、膝が少しだけ震えていたことに気づいて、自分でも驚いた。


「……あの、先ほどは、申し訳ありませんでした」


 向かいに座る公爵に、静かに頭を下げる。

 あんなにも人前で、声を荒げてしまうなんて。

 しかも、相手は国王だったというのに。


「私、少し取り乱してしまって……」


 そのとき、すっとあたたかな指先が、私の手を包んだ。


「取り乱してなんかない。……堂々としていた。見事だったぞ」


 いつものような落ち着いた声音。けれど、どこかやわらかさを含んでいた。


「君が、アベラールを守ろうとしてくれたこと。嬉しかった。……正直に言えば、誇らしかった」


 馬車の魔導灯が、揺れる影を窓に映していた。

 でも、なぜか私の心も揺らいでいる気がして、まばたきをする。


「そんなふうに……おっしゃっていただけて嬉しい。安心しましたわ」


 静かにそう返した声が、どこか震えていたのは、やはりまだ緊張しているせいかしら。

 それとも、手を握られたままだから?


 ふと、公爵が小さく笑った。

「君は自分が思っているより、ずっと強くて素晴らしい女性だ。……俺はいつも驚かされると同時に感心してしまう」


 胸がトクンと軽やかに弾んだ。

 また……ときめいてしまったわ。

 はっ、いけない――これは、ただの家族としての会話なのよ。


 私は慌てて視線を逸らし、口元に笑みを作った。


ですもの。当たり前のことを申し上げたまでですわ」

「……そうだな。家族、か」


 その声が、ほんの少しだけがっかりした声音に感じたのは、きっと気のせいよね。

 だって、私は彼から宣言されているんだもの。

 『君を愛することはない』と。


 馬車の車輪が、夜の石畳を静かに転がる音が、小気味よく響いた。

 まるで私に身の程を知れ、って言っているみたい。

 ガラス越しに見る街灯の明かりが、かすかににじんでいた。


 【公爵視点】


 国王を前にして毅然と声を上げたジャネットは、俺が想像していた以上に――立派だったし、勇気があった。

 誰に対しても言うべきことは、きっちり言う。それは無謀でもなんでもなくて……公爵夫人としては絶対的に必要なことだ。

 

 知れば知るほど、ますます好きになっていく。

 今日こそ、告白しようと思っていた。

 

 馬車の中で手を握り『今だ!』と思っていたタイミングで、彼女の口から漏れた言葉。


ですもの。当たり前のことを申し上げたまでですわ」

 手を握って、やっと勇気を出して『ほんとうの意味での妻になってくれ』と言おうとしたのに……撃沈してしまった。


 まったく、俺はなにをやっているんだ?


 馬車を降りたあと、俺はサロンに執事を呼びつけ、簡単に夜の報告をした。あの場で起きたことを、全て。メイドには飲み物を用意させ、侍女達も近くにいたから話は聞こえていただろう。


 王の愚かさとキーリー公爵家の強さが自然に噂として広まるよう、俺はわざと大きな声で執事に話していた。最後に、この話は大いに公言してよい、と俺の意図を明確に伝える。


 この夜の出来事は数日と経たず、我が領地を越え、他の貴族領地、さらには王都全域へと広まった。

 『キーリー公爵夫人は、堂々と王の申し出を拒絶した』

 『キーリー公爵は炎玉を手にして王家に盾突いた』――そして屈服させた。

 そんな噂が、まるで伝説のように語られることとなった。

 

 王家など少しも怖くはない。

 怖いのは……ジャネットに嫌われたり拒絶されることなんだ。


 

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