美鷹のタカバヤシ——紅林サーガ02——

宝井星居

Vol.1 なんて残念なキャラクター!




「美鷹のタカバヤシ、美鷹の鷹林瑛一をよろしくお願いします。鳩でなくタカ、森ではなくバ・ヤ・シ、タカバヤシが、お願いに参りました。美鷹の皆様のお力を何卒お願いいたします。日曜日の都議会選挙で、投票用紙にはタカバヤシとお書きください!」


 東京都下美鷹市でも"辺境"と呼ばれる尾ノ頭七丁目。


 自宅洋館から道路を二本へだてた街道沿いを、愛犬のスカーレットとレッドを連れて軽快にジョギング中の紅林は、車のスピーカーからながれてきた名前にシェパードのように耳をぴんと立てた。

 もちろん例えである。紅林は人類なので、耳は顔の側面についている。ギリシャ彫刻を思わせるその横顔が、普通人よりかなり高い位置にあるのは、紅林がデンマークかどこかとのクォーターで百九十センチを超える身長の持ち主だからだ。

 栗色の髪をなびかせ、愛犬と走る姿は辺境の地でもかなり目立っているが、そのとき街道を走っていたのは都議会選の選挙カーだけだった。


「美鷹のタカバヤシ……?」紅林はつぶやいて立ち止まった。ドッグトレーナーに躾けられた二匹の犬も規律正しく止まった。

 そして選挙カーの方も、目立つ人物像と、貴族につき従う従者のような(それも風格のある)大型犬というパーティに刮目したように、スピードをゆるめると真横で停止したのであった。

 そうして車のドアが開き──

 紅林と愛犬たちのいる路肩(辺境美鷹に歩道なんぞというものはない)に、タイトなスカートからすんなり伸びた足とハイヒールを踏み出したのは、ひと目で選挙のサポーターと知れるショートヘアに眼鏡をかけた二十代なかばの女性だった。

 彼女は注意深く鋭い眼差しを、頭ひとつほど高い紅林の美貌に注ぎつつも、コーラルレッドに塗られた唇にプロフェッショナルの微笑を湛えていた。

「こんにちは、もし人違いでしたらお許しくださいませ。ロンリー・ハート・ブルーの紅林さまではございませんか?」

「ロンリー・ハート・ブルー」は二年ほど前に紅林の出演した、近未来アクション映画である。本職はファッションモデルなのだが一般人にはハリウッド映画の方で顔が売れてしまった。

「はい。その紅林香史郎ですが」

 紅林は見知らぬ妙齢女性に本人であることを認めた。個人情報保護はなやかなりし時勢だが経歴詐称をする気などないし、明治維新から先祖代々住みなしてきた土地で「紅林家のぼっちゃま」を知らないほうがむしろあやしいまであるが、そのとき紅林の心に引っかかっていたのは、さいぜんスピーカーががなっていた「美鷹のタカバヤシ」のほうだったから、逆に質問した。

「貴女は鷹林瑛一くんと、どのようなご関係ですか?」

 

「は?」と呆れた声がZ世代と呼ばれる、今どきの若くして社会に乗りだしたその女性の反応であった。自分の陣営の要望を伝えようとしているのに、先制された、誰何されたというか逆に攻撃されたと感じそのジェネレーションに固有のエマージェンシーが脳内に鳴り響いたとは、紅林の預かり知るところではなかったが。


「選挙ボランティアですよ、ボランティアスタッフ」

 ほぼ固まった状態の女性の後ろから、同じ選挙カーから降りてきた小柄な人物がささやきかけるまで十秒近い時間がついやされたが、紅林は少しも焦れたりしないし、怪しいとも思わなかった。世人にはさまざまな事情と都合と立場があり、その人なりのジャッジを下しその心情を表現するまでには時に時間を要する、三十余年の半生で学んできていた。現在の職業に落ち着くまで、世が世なら「紅林子爵家の若さま」はそれでも多様な社会経験を積んできていたのである。

 小柄な同乗者のささやきにハッとした女性は慌てたように胸ポケットをさぐると小さなカード状のものを取り出し、紅林に捧げるようにした。

公島きみしま紗惠子と申します、鷹林の私設応援チームで広報部門のマネージメントをさせて頂いています」

「そうか、公島さんは瑛一くんのマネージャーさんなんですね!」

 紅林はにっこりした。今まで選挙活動にも広報にも興味がなく、いけないと思いつつも海外での長期にわたる仕事も多かったため、不在者投票にも行かないでいた紅林である。

「美鷹のタカバヤシ」の第一声を聴きとるまで、今週末に迫っている都議会選のことも、自分が有権者だということも、完全に頭からすっぽぬけていた紅林である。


「さっき久しぶりに瑛一くんの名を聴いて思い出したことがあったんです。政治家をこころざすって、卒業文集にカレが書いていたことを。初心を貫徹するなんてえらいなあって、ボク今とっても感心してるんです!」

 話すうち、紅林の口調だけまるでタイムスリップしたように、小学校卒業時にもどっていた。話すほうはいい、昔を懐かしがるという感情は悪くない。だが話しかけられた者はとまどう。百九十センチはあろうかという日本人離れした美丈夫が一人称まで小学生帰りしてしまって、うす茶の色素の淡い瞳をキラキラさせているギャップは計りしれない。

 さっきのとはまた違った攻撃を精神に受け、公島紗惠子は立ちすくんでしまった。心身かたまってしまったのはもうひとりの選挙ボランティアも同様だった。


 ロンリー・ハート・ブルーで紅林が演じたのは、未来世界の特務機関に属す冷酷非情なサイボーグ。クールなキャラで主人公を完全に食っていたのに。。


(東京のど田舎美鷹には似合わない美形イケメンだし、ハリウッド進出という経歴の持ち主なのに・・なんて‼︎ )

 これが公島紗惠子26歳の紅林という男への第一印象であった。




















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