如月ソラリス

江呂川蘭子

第1話 KRABAT

 如月ソラリス


 スマートフォンの電源を三日ぶりに入れた。

 どうにも、このテレビなのかコンピューターなのか電話なのか、よくわからない機械のことがアタシは好きになれないのだ。

 ヨーロッパか、どこかでひとり働いている七つ年上の兄からのメッセージで、アタシは最近十八歳になったのだと知る。

 アタシが、この廃墟のようになってからも随分と年月が過ぎた古書店の残骸から、兄が出て行って、アタシが独りで暮らすようになってから、たぶん五年ぐらいになったと思う。

 兄は定期的にアタシの口座にまとまった貯金を入れてくれているので、今のところは、生活には困ったことはない。

 アタシは、兄がなんの仕事をしているか、知らないし聞いた事もないのだが、それはアタシが兄を避けているからではなく、アタシは兄が好き過ぎて、兄ちゃんの交友関係なんかを聞きたくないからなのだ。

 もし、兄に彼女が、できたなんて聞いてしまったらアタシは食事も喉が通らなくなって、アスファルトの上に放り出されたオオミミズのように、干涸びて死んでしまうだろう。

 兄もアタシに、同じように熱い思いを抱いている筈だから、余計なことは書かずに当たり障りのない事だけを書いてくるのだ。

 兄ちゃんが重度のシスコンだという事は、本人さえも気付いていないようだが、アタシにはお見通しなのだ。子供の頃からアタシを舐め回すような熱い視線で見ていたような気がしてならない。それを思い出すだけで、アタシの全身は熱く昂揚するのだから……

 アタシは、以前に自分のことを非の打ち所のないお嬢様っぽいだろ?っと兄に言ったことがある。

 それを聞いた兄は、

「ロックが好きで、魔法少女になりたいボロボロの古本屋で、汚い爺さんと暮らしている髪も切らないお嬢様ねぇ」と言った。

 あれは、遠回しにアタシを世界一の素敵なお嬢様と認めたのだと判断している。

 まぁ、それぐらいお嬢様のアタシなのだが、つい最近まで、中学を卒業してから、食品を買いにいく以外は殆ど外に出る事もなかったのである。

 世間のことは、あまり知らないが、お嬢様には、よくある症状なのだと幼い頃に精神科の先生が、ネット診療か何かで、さもめんどくさそうに言っていた気がする。

 そう、先日アタシの数少ない持ち物である兄からもらったブロークンアローという名のギターの弦が切れて、街までソフトケースに収めたギターを担いで、楽器屋さんまで弦を買いに行った。

 電車に乗るのは何年ぶりだろうと考えながら、アタシは券売機で切符を買おうとしたのだが、買い方がわからず券売機の前で、スマートフォンを使って切符の買い方を調べていると、後ろから日本の昔話に出てくるヤマンバのような、それはそれは恐ろしい屈強なババア共が文句を言ってくるので、恐れ慄いて、今にも失禁してしまいそうになったアタシは、勇気を振り絞って

「うっせえ!この腐れマンコが、目ぇ噛んで死ねや」と丁寧に挨拶していると、お洒落なお姉さんがアタシの近くに来て、

「ムッちゃん!久しぶり生きてたんだ」と面白い生き物でも見るように話かけてきた。一瞬誰だかわからなかったのだが、同じ中学に通っていた二つ年上のクミだった。

「お!クミ。切符の買い方わかんねぇ!」とアタシがいうと、クミは自分の財布から現金を出して、

「どこまで行くの?」と聞き、アタシが行き先を言うと、そのまま買ってくれた。お嬢様のアタシは、後ろのマンコババアを睨みつけてから、改札に向かう。

「待ってよムッちゃん。私も行き先一緒だから」とクミが懐いてきた。

 群れるのは嫌いだが切符代は返さなければならないと思い、クミといっしょに改札からホームに入る。

「ムッちゃん、背が高くなったね、なんかラモーンズみたい」人と会わなくなってパンツの裾が短くなったと思っていたのだが、中学の頃は、ずいぶん大きいと思っていたクミが、小さく見えるので、そういうことなんだと思った。

「髪の毛も伸びっぱなしで、雷太さんにそっくりだね」クミは、うちの兄ちゃんのことが好きだった事を思い出す。兄ちゃんの名前を聞いたのも、誰かと会話するのも何年ぶりだろう。

「このライダーも兄ちゃんの服」とアタシは羨ましがらせてやろうと思ったが、やっぱり!と言われただけだったので、アタシの承認欲求は満たされなかった。

 そういえば兄ちゃんは近所で、一部の人間どもからロックンロールヒーローと呼ばれていたのを思い出した。

 各駅停車のローカル電車は、空席が多かったので、アタシとクミは並んで座った。

「私も結婚してから、地元に戻ってきたのは半年ぶりなんだよ」とクミが言った。

 クソ!お前は、どうせ男も出来んだろうし相変わらずオナニーばっかしやってんだろ?とアタシの脳には、そう届いた。

「バカにすんな!健康のためにやってんだよ、別に男とか欲しくないし……」と口走ってしまう。

「ヘッ???」と言ってクミは笑い出した。なんだかアタシは、ばつが悪くなって、これからギターの弦を買いに行くのだと説明して言葉が続かないので、一弦の切れたエレキギターをソフトケースから取り出し、コルトレーンのモーメントノーティスをマイクスターンのコピーで弾きまくった。クミは目が点になってアタシを見ていた。

「ムッちゃん、そこまでギター弾けたんだ。いまバンドとかやってる」とクミは、拍手をしながら、嬉しそうに微笑んで意味不明な事を聞いてきた。

「バンド?いや、した事ないよ。そもそも人と合わせた事とかない」と正直者のアタシは嘘偽りない答えを返した。

 クミはスマートフォンを取り出し誰かに連絡を取り出したので、アタシはギターをケースにしまってから、いつものように宇宙と交信をすることにしたが、どうも家と違って電車の中ではノイズが多くて未知の気配すら感じることが出来なかった。そんな具合ですごくストレスが溜まって、とてもオナニーがしたくなったのだが、兄ちゃんと人前では絶対オナニーをしないと約束をしているので我慢した。中二の頃に授業中ずっとオナニーしてたら問題にされて保護者を呼び出されて大変なことになった事を思い出す。

 そういえば、あれ以来アタシに話かけてくれる子はクミしかいなくなったのだった。でも、アタシは悪いことはしていない。家から出ると怖いのだ不安になるのだ!オナニーをすれば心が安らぐのだ。

「ムッちゃん!ムッちゃん!大丈夫??顔が真っ青だよ。立てる??」クミがアタシを抱きしめてくれていた。アタシは自分がブルブルと震えながら泣いているのに気づいた。

「怖い!怖い!」そうだアタシは頭にアルミホイルを巻いてくるのを忘れていた。きっと、それが原因だ。

 電車を降りると、クミは一時間近くアタシを抱きしめてくれていたようだ。

「ムッちゃん歩けそう?」クミが言った。知らない間にクミの横にイケメンが居た。アタシはイケメンに緊張したので、うん!と言いながら激しく頷いた。多分周りには激しくヘドバンしているようにしか見えなかったのか、クミとイケメンが楽しそうに笑っていた。

「ムッちゃん、この人が私の旦那!神沼くんていうの」クミが言った。

「はじめまして、神沼真二です」とイケメンが爽やかに笑う。

「あ!あ!あうう……六美ちゃんどえす……」と言いながら、なぜかズボンの上から神沼さんのチンポを握ってしまった。

「あぎゃ!うぎゃ おおおおおおお」とアタシは言いながら駅のホームでダンゴムシのように丸くなった。クミと神沼くんの笑い声だけが響いていた。

 アタシはウケたことに気をよくして昆虫モードからヒューマノイドモードに変形することができた。

「ちょっと……待ってて……」とアタシはクミにギターを預けて、トイレに駆け込み自慰行為で心を落ち着かせた。

 それから、クミの夫婦はギターの弦を買うのを付き合ってくれたり、飲食店でご馳走したりしてくれた。

 しかもアタシ一人では、到底入店する事もできないような、お洒落な店にだ。

 これは大事件だ!今日は家に帰ったら、お爺ちゃんと猫のマゾに報告しなければならないと思った。

 ご飯も全部奢って貰ったし、お土産にお菓子まで買ってくれたので、昔に兄ちゃんから教えてもらったブードゥーの踊りを激しく舞いながら、お礼を言った。

 いっしょにバンドをしないかと誘われたので、こんな親切な人たちの申し出を断る理由がないので、悪党を退治するお嬢様風にオッケーした。

 二人が、ひとりで家に帰れるか心配するので、スーパーでアルミホイルを買って頭に巻き付けて、これさえあれば何の不安もないと言ったのだが、二人は心配だと言ってアタシの家のある駅まで送ってくれた。


 アタシは家に戻ると、業務用の大型冷凍庫を開き、随分前に亡くなったお爺ちゃんと、昨年亡くなった黒猫のマゾに報告をした。

 あら?今日は二人の声が聞こえないと思ったら、アルミホイルのせいだった。

 お爺ちゃんもマゾも、アタシに新しい友達ができたと聞くと、冷凍庫から飛び出しそうなぐらい喜んでくれた。

 かなり昔のことにはなるが、お爺ちゃんが亡くなった時に、メッセージでお兄ちゃんに知らせたのだが、兄ちゃんが日本に帰ったら手続きをしてくれると返事が来たまま、それから何年も、このままになっているのだけれど。

 黒猫のマゾが死んでしまったことは、兄ちゃんに言ってないことを思い出した。

 まあ、お爺ちゃんの眠る下には、アタシがよく知らないお兄ちゃんの友達が何人かいるし、気にするのはやめようと思いなおした。

 きっと、お兄ちゃんならお嬢様のアタシが死体の処理なんかで、オロオロしてたら、馬鹿だなあと笑いながら、お風呂に入れてくれるに違いない。お兄ちゃんとお風呂に入ってたのを思い出して……全身が熱く火照る。

 晩御飯にクミから、もらったお菓子を食べた。

 とても美味しかったのだが、こんな美味しいものを食べてしまっては、明日からは、いつものポテトチップという晩御飯に戻すことができるだろうかと、少し不安になった。

 アタシはいつもより豪華な晩御飯を食べてから、いつも飲んでいる少し石油みたいな匂いのする、不味いお茶を飲んでいると、クミからメッセージが届いた。

 何か演奏したい曲はあるか?と聞いてきたので、チョコウォッチバンドかストロベリーアラームクロックかピンクフロイドがいいと返事を返した。

 それとクミの旦那の神沼くんのことなのだが、アタシは、お嬢様なので、人の名前に君とか継承をつけて、呼ぶのは嫌いだから、彼に相応しいニックネームをつけて、カミヌマを呼び易くカヌマーンと読んでいいかと聞いてみた。

 クミは直ぐに、いいよの横にWを二つもつけて返してきた。これでアタシはイケメンをカヌマーンと呼ぶ権利を手に入れたのだと、一人歓喜の舞を踊ってみた。

 そうだ、今日生まれてはじめて、イケメンのチンポをパンツの上からではあるが触った事を、お爺ちゃんと黒猫のマゾに報告するのを忘れていたが、いらぬことを言って、死人に心配をかけるのもどうかと思い止まり、カヌマーンのチンポを握ったことがお爺ちゃんにバレないように、アタシは、また頭にアルミホイルをグルグルと巻き付けて、心の声が霊体であるお爺ちゃんに聞こえないようにした。

 おそらく気のせいだとは思うのだが、アタシは以前にカヌマーンが前世蚊だった頃に会ったことがあるような気がした。

 アタシの記憶は、ところどころ欠損していて思い出せないことがあるので、変なデジャヴュが頻繁に起こるので、そんなことはどうでもいいと思いなおす。

 それよりも、今日は生まれてはじめて大人のチンポを握った日なのだと考えると、少し興奮してきた。

 なんせイケメンのチンポ握るなんざ、たぶん生まれてはじめてだと思うのだ。

 気づくとアタシはチンポを触った手をベロベロと舐めていたが、手のひらが唾臭くなっただけだった。

 アタシは、イケメンのチンポを握ったお嬢様と、イケメンのチンポはどんなだろうと、スマホで、検索をかけるとゲイの動画がわんさか出てきた。チッ、これだからスマートフォンってヤツは困ったもんだぜ!

 これはもう動画を見るしかないとゲイ動画を再生すると、動画の中にイケメンはいなかったが、パンパンに膨れ上がったチンポだけがスマホの画面を占領していた。

 マッカーサーが日本を占領した時に日本人は皆、今のアタシのような気分になったのではなかろうかと、少しだけ思ったが、絶対違うとも思った。

 スマホの中のチンポの先から白いドロドロした液体が飛び交う頃、クミからまたメッセージがきた。

『ムッちゃん四人囃子とか好き?あと、センスオブワンダーは?』と来たので、

『センスオブワンダーは知らんけど、森園勝敏は大好物です』と返した。

 大好物だ!メッセージを送信後も、イキリ立ったチンポが、スマホの画面を占領し続けていたので、なんだか複雑な気分になるのだが、オナニーをする気分でもなかったので、チンポ動画を消して、レコード棚から、四人囃子のアルバム一触即発の、ビニール盤をレコードプレーヤーのターンテーブルにのせる。

 やっぱり森園勝敏のギターはカッコいいな!などと思いながらも、ぼんやり聴いていると、三曲目にアタシの好きな歌である『おまつり』が流れだす。

 曲の流れている最中に、スマホがブーッと震えた。アタシは、クミからのメッセージだと思ったが、念のために確認すると、やはりクミからの連絡だった。

 内容は、少し急かもしれないが、来月にイベントのライブに誘われたので、出ないかという。

 持ち時間は三十分と書いてあり、その後にクミたちが演奏したい曲の希望リストがあった。


 一曲目 夏への扉 センス・オブワンダー

 二曲目 おまつり 四人囃子

 三曲目 レディ・ヴァイオレッタ 四人囃子

 四曲目 インセンス&ペパーミント ストロベリー・アラーム・クロック


『四人囃子のおまつりは、ムッちゃん歌えるかなぁ?夏への扉とインセンス&ペパーミントは神沼くんが歌うって言ってる。それとインセンス&ペパーミントは皆んなでハモリたいです』と書いてあった。

『でアタシのパートは、ギターと歌で、そっちのパートは?』とアタシは、クミ夫婦の楽器パートを聞いていないことを思い出し、確認しておこうとメッセージを送る。

『神沼くんのパートは太鼓と歌だよ。私はキーボードで、今回は鍵盤でノードリードに、新しく買った足鍵盤をつけて演奏しようと思っています。私はエレキベースも弾けるけど、今回はトリオで演奏したいので、鍵盤奏者に徹したいと思います。あとムッちゃんは譜面が必要ですか?』とすぐに返事が来た。

『アタシは譜面は読めない。耳コピ派なの楽譜は要りません。キーが違ったりすると困るので、コピー元の音源だけは、同じもので合わせときましょう』と送りかえす。

 しばらくして動画サイトのURLの書かれたメッセージがクミから届く。

 来週の水曜日は、カヌマーンの仕事が休みなので、昼から三人で、二時間ほどスタジオでリハーサルをすることにした。

 昼前にカヌマーンの車で、アタシん家まで迎えに来てくれるので、電車に乗って怖い思いをしなくて済むと安心した。

 お嬢様とは人混みが苦手なのだと、兄ちゃんは、よく言っていたのを思い出す。その途端に、ひどく緊張していた気が緩み久しぶりにお漏らしをしてしまう。

 仕方がないので、一週間ぶりにお風呂でシャワーを浴びた。

 髪が伸び放題で、乾かすのが面倒なのだが、美容院に行くのは怖いので行けない。

 買い物に行くときに、どこからともなく、貞子という呼び声が聞こえるので、本当は髪を切りたい。

 顔が見えると、柴咲コウという女優に似てるとか言われた記憶があるので、前髪をパッツンにしたいのだが、以前に失敗した写真を兄ちゃんに送ったら、早川義夫とか灰野敬二とか言われてから、怖くて自分で髪が切れなくなり、すっかり貞子になってしまった。

 早く柴咲コウになりたい!なんて考えていたら悲しくなったので、レコード棚から、妖怪人間ベムのソノシートを探し出してレコードプレーヤーのターンテーブルに置いた。

 レコード棚は、全部が兄ちゃんのコレクションだと思うのだがなんでもある。

 元々この家は、古本屋であり中古レコードも扱っていたのだが、兄ちゃんは、絶対に売らないと言っていたことを時々思い出す。

 兄ちゃんは、このレコード棚をとても気に入っていた。

 そして、アタシはこの店で一番気に入っているのは、昭和のSM雑誌コーナーである。

 あの昭和のイラストや写真がたまらないのです。兄ちゃんからは、いつもメッセージで励まされている。

『六美は、令和のエログロナンセンスになれるよ』といつも褒めてくれる。

 アタシは、今では身長が百七十センチぐらいあるようなのだが、残念すぎることに胸が薄すぎるのである。この、自分の身長という新情報はクミから得たものなので、アタシ的には超最新情報なのだ。

 自慢ではないが、アタシより胸の薄い女に会った事がない、とても悔しい。

 いつの日にか、前髪を切って貞子から柴咲コウに変身して、胸があれば毎日イケメンのチンポを握りながらオナニーができる素敵なレディと呼ばれるに違いない。

 そうなれば、アタシが高校に通ったとして、授業中に教室でオナニーをしていても皆んなが憧れの美少女だと褒めてくれるんだろうな。

 クソ!クミの奴は、毎日毎日カヌマーンのチンポを右腕でガシッと握り、左手で自分のお股をこねくりまわしての、オナニー三昧なんだろうなぁ。

 くそお!もう羨まし過ぎて負けた気にすらなれない。ちっ!


 クミにメッセージをしながら寝落ちしてしまう。

 それから夢を見た、久しぶりに学校の夢を見た。

 体育館に全校生徒が集まって、アタシのオナニーショーで大盛り上がりする夢だった。

 夢の中では、カヌマーンとクミが、最前列でアタシの太腿に息が掛かるほど、食い付いて見てくれていた。

 なぜか、主催の校長先生も担任の先生も他の生徒たちも顔がなかった。けれど、彼らはアタシを見て大興奮してくれた。

 何度も何度もアンコールが繰り返されて、アタシはクタクタに疲れてしまうのだけれど、アタシはみんなのリクエストに応えた。

「本当はさ、アタシだって怖いんだ!みんなの顔を見るだけでも怖いんだ。でも、みんなが!呼んでくれるならアタシは何度だって、立ち上がるよ!みんなありがとう。本当にありがとう」と大声で叫び、感動で涙をながしながら目を覚ました。

 だが、アタシはオネショをしたようで、布団がビチャビチャになっていた。ずいぶん早い時間だったので裸のままベランダに出て布団を干す。

 少し興奮した。このまま全裸でコンビニに行きたい衝動に駆られたのだが、我慢した。

 なんせ、いまアタシにはバンドがあるのだ。アマチュアだとは思うのだが、万が一にも公然猥褻罪で警官に銃殺されたりすると、数年後の未来に出来る、アタシのファンが、あまりにも可哀想だと考えて思いとどまった。

 バンドに加入して一日で、こんなに考える事が多いなんて、今まで思いもしなかったので、プロミュージシャンとは本当に大変な仕事なのだろうと、理解するのに時間はかからなかった。

 もし、クミが完全プロ志向だったら、どうしようか……

 やはり、その時は、

「クミ!カヌマーン!すまない。アタシには全裸でコンビニに行きたくなる時があるので、バンド活動を続けるのは無理かも知れない。ギターを弾いたり歌ったり、恥ずかしい衣装でステージに立つのも、大好きなんだけど、プロミュージシャンってそれだけじゃダメなんだと思うんだ」と口に出して言ってみたら、自分がとんでもないアホに思えたので、またシャワーを浴びた。バンドマンになっていきなり清潔になった自分に少し戸惑ってしまったが、ステージ衣装はどんなのがいいか、マリアナ海溝より深く考えた。

 ボンデージスーツが着たいのだが、シャワーの水滴を浴びる自分のバストをみて、衣装のこともプロ活動のことも、考えちゃダメなんだと思った。

 アタシは、今朝の夢に出てきた大勢のファンと、沢山の校長先生に心の底から謝っていた。そして浴槽に水を貯めて自分から頭を沈めて、顔のないファンたちに赦しをこう。アタシは自分の頭を自分で押さえつけて、自分にうんと罰を与える。

「やめて!こんなに嫌だって言ってるのに、なんでそんな酷いことばかりするの」とアタシは浴槽と自分自身に怒りをむけるのだが、急に天井や壁の中から、大勢の人たちに、見られているように思えてくる。

 アタシは壁や天井の、みんなを笑わせてやりたい気分になり、いきなり四つん這いで二階のベランダまで駆け上がり、ベランダで貞子の真似を一時間ほどしていたら、すっかり疲れてしまった。

 ドライヤーで髪を乾かしてから、スマホでステージ衣装を探して、注文をしているうちに、すっかり夜になっていた。


 曲を覚えてギターの個人練習をしている間に、すっかり時間が経ってしまい気がつけば火曜日になっていた。

「ありゃ、もう明日スタジオかぁ」と朝から百回ぐらい独り言を言っていた。昼頃にスマートフォンが振るえる、着信者を見るとクミだったので電話に出る。

「ムッちゃん!今日は暇かな?もしムッちゃんが暇だったら、今から行っていい」と言ってきた。

 もちろんアタシが忙しいはずがないので、ぜひ遊びに来いと告げる。

 クミは、昼の三時ごろには来てくれるという。カヌマーンは荷物を車に積んで明日の朝には、車で来てスタジオまでアタシたち二人を連れて行ってくれるそうだ。


 クミは、少しでも早くアタシに会いたかったのか、二時半ぐらいにやってきた。

 アタシは少し嬉しくなった。実はイケメンと同じぐらいに、可愛い女の子も大好きなのだ。

 クミの、住んでいるところには、あの安売りの殿堂と呼ばれている『ドングリ・ホーテ』があるそうで、晩御飯用にサンドイッチやお菓子に、アタシの大好きなルートビアまで買ってきてくれた。

 アタシは、クミが大好物のルートビアを覚えてくれていたことに感動した。

 これは……そ!そうか、カヌマーンを家において、アタシん家で二人で過ごしたかったのか、クミはずっとアタシがタイプで、ずっと狙っていたんだ。でも、アタシにはお兄ちゃんが……だが、突然に悪魔の囁きがアタシを支配する。

「ありがとうクミ!アタシも、あんたの事キライじゃないぜ」と言いながらクミの耳たぶをベロベロと舐めたら、

「きゃああ!!冗談でもヤメて」とクミはマジで怯えていた。しまったと思い、クミをベロベロに酔わせてから、様子を伺うことにした。

 まあいい、『ドングリ・ホーテ』の安売りチラシには、マスコットキャラクターのモイラちゃんが描かれていたが、モイラちゃんはピンク色で、アワビに手足をつけたようなキャラクターで、アタシはかなり好きなのだ、実はぬいぐるみやキーホルダーなんかも集めていて、風呂場で自分の淫部をモイラちゃんに見立てて綺麗にする時は、優しくマッサージをしながら洗い、

「もう、モイラはいつも可愛いね、照れなくてもいいんだから……」とか話しかけて丁寧に磨きをかけていると、すぐに四時間ぐらい経つのだ。そうだ、夜遅くなってクミが酔っ払ったら、お風呂に入って洗いっこしないか?と遠回しに誘ってみよう。

 クミは昼間なので、遠慮しているだけの可能性が非常に強い。

「そうだ、クミ!ネットでステージ衣装を多めに買い込んだので、お揃いで着てでない?」とアタシは話題を変えることにした。

「え!意外、ムッちゃんって、そういうの気にしないタイプだと思ってた」とクミは陽気に応えた。

「十色以上も買っちゃって、クミは何色がいい?」とアタシは封筒の中から、たくさんのマイクロビキニを取り出し、クミの前に並べた。

「アタシは、胸が小さい方だから黒色にすれば、逆に映えると思うんだ。クミは白がいいと思うよ!だってクミって腰はすごく細いのに、お尻も胸も形が良いじゃない、白いマイクロビキニで敢えてピンク色の乳首を透けて見せるとカッコイイんじゃないかな」と言いながらアタシはクミの右手をギュッと掴む。

「ひえええええ」クミが悲鳴をあげて、アタシの手を払いのけて立ち上がった。

「ごめん!!私、同性には興味が持てなくって。でも、なんとなく……わからないでもないから、いや、わかんないけど……」クミは相当狼狽えていた。

「お前!わかるのか?わかんないのか?どっちなんだよ……」アタシはちょっと腹が立ったので、クミを睨み付けてしまった。

「あ……あの、わかります!なんとなく、だけどわかります……だから、そんな怖い顔しないで……殺したりしないよね、お願いだから酷いことはしないで……」クミは、いまにも泣き出しそうな顔で、床に散らばったマイクロビキニを見つめていた。

「冗談じゃない、いや冗談よ!もうクミったら」とアタシはクミが逃げ出さないように愛想をする。

「びっくりした、ムッちゃんってマジでそっち系の人かと思ったよ。怖かった!」クミはそのまま座り直して、缶ビールを空けて飲み出した。だがアタシから少し距離をあけて、かなり警戒している様にみえた。


「そうだ、実は私ね神沼くんのことで相談があって、ムッちゃんとこに泊まりにきたの」クミは少しお酒がまわってくると安心したようで、どんどん饒舌になっていった。

「相談って、どんなこと?男性のことなら、なんでも相談してね!アタシね歳のわりに経験が豊富だから」とアタシは嘘をついた。

 男女含めて密室で二人きりになったことなど、いまが初めてでクミは気が合うから喋ることができるだけで、普段なら微笑みかけることすらできずに、部屋の隅で震えているところだが、今日のアタシは違う!もう、なんでも出来る気がする。お兄ちゃんのレコードコレクションから世良公則を爆音でかけたいぐらいである。

 ♪ トゥナイトトゥナイト トゥナイトゥナイト 今夜こそ お前を堕としてみせる ♫

 と考えながら、お爺ちゃんが元気に生きてる頃は、店のまえを掃除しながら、若い女の子を見る度にこの曲を歌っていた事を思い出した。

「カヌマーンって浮気とかしてるの?」アタシはクミの唇が触れる寸前まで近づく、クミは後ずさる、

「それは、わかんないけど!最近壁の中に誰かが居て、自分たちを見てるとか、気味の悪いことばっかり言って、眠れないのか夜中もブツブツ言ってて、おかげで私も眠れなくって」とクミは困った様子で話す。アルコールの効果が出てきたのか、目が妙に色っぽいのでアタシはクミの熟れた唇に吸い付き舌を絡める。

 クミは、はあはあと息を荒げ、アタシに抱きついてくると思ったのだが、マジギレされて殴り倒される。

 アタシは、ゴキブリのようにカサカサと床を這い回り、ペラペラの仙兵衛布団に逃げ込みオイオイと泣いた。

 窓から朝日が差し込んできて、アタシは目を覚ます。クミが同じベッドで裸で寝ている。

「お風呂を貸してね。シャワー浴びてくる」クミはアタシの顔をジイーッと見つめてから、

「私が白のビキニで、ムッちゃんは黒で決まりね。うふふふふふ」クミは裸のまま浴室までかけて行った。彼女は一晩で驚くほど何回も絶頂していたような気がする、ムッちゃんなしでは生きられないよ!と彼女は一晩中喘いでいた気がするのだが、それはアタシの妄想かもしれない。アタシは起きあがろうとした時に、自分が布団に縛り付けられて、動けないことに気づく。

 悔しいので、アタシはイケメンの妻を奪ったかも知れない!と思い込むことにした。言葉に出すと頭の痛い娘と馬鹿にされそうなので、思い込むだけに留めておく。

 アタシは、布団から抜け出すと生まれて初めて部屋に友人を泊めた喜びに心が躍り、ドヴォルザークの『新世界より』をかけたが、すぐに曲が嫌になり、ジョン・コルトレーンの『至上の愛』をかけなおした。

 おや??何か変だと思ったら、いつになく嬉しそうな爺ちゃんとマゾが家の中をウロウロしている。

「なんだ……うまく行きすぎると思ってたんだ」アタシが言葉を発すると、爺ちゃんと黒猫のマゾは、すーっと冷凍庫の中に入っていった。

 だが、夜中に縛ったままのアタシの身体にクミは優しく愛してくれた気がする。あれは、おそらくクミは死人と死猫に操られていただけなのだ。爺ちゃんとマゾが、クミを操っていただけなんだ。クミの希望ではなかったのだろう、この家から出ればクミはアタシと二人に起こったことなんか忘れてしまうに違いない。ということがあった事にしたい。

 なんだか、妄想ばかりしている自分に悲しくなってきたけれど、誰も悪くはないし、これがアタシなのだと、なんとかこの情けない状況をカッコよくできる方法はないかと、変な決めポーズとか考える。

「ぎゃああああああああああ」と風呂場からクミの悲鳴が、家中に響き渡る。

 アタシは嫌な予感がして風呂場に駆け込む。浴室の鏡は布を画鋲で止めて使えなくしておいたのに、布が取り払われていた。

 アタシは布をかけ直してもう一度画鋲で止めた。

「クミ、見ちゃったんだ」アタシは裸で怯えているクミにバスタオルをかけて、部屋に連れて行く。

「鏡の中にたくさんの人が居た……なんなの 鏡から出ようと、中で暴れていたわ」クミはベッドに潜り込んでいた。

「ずいぶん前、と言っても兄ちゃんが居なくなって、そんなに経ってない頃だから五年ぐらい前かなぁ。アタシひとりでバス旅行に行った事があったんだ。そん時にねバスが横転してね崖から落ちたのよ。でもねニュースにもなってないんだ……」アタシはクミに言う。

「ムッちゃんがひとりで旅行??……それより、なんで報道されてないの酷い事故だったんでしょ……」クミは、鏡の中の人たちの事を聞かせてくれと言いたいようだった。

「バスも、アタシ以外の乗客も消えちゃったのよ」アタシは自分に起こったことをそのまま話すしかなかった。

「どういうこと?」クミは掛布団から顔を覗かせて聞いた。

「バスは雪山で崖から落ちたんだけど、その後、何もなかったかのように、雪一つない田舎道をバスは走っていたんだ。ずっと線路の横を走っていたの、いったんバスは止まったんだけど、アタシ以外は、誰もバスから降りなかった……そこからの記憶がハッキリしないの、ついさっきまで鏡のことも忘れてたぐらい……バスから降りてからの記憶はなくて、アタシは目を覚ますと、自分の部屋のベッドの上で兄ちゃんのギターを持ったかっこで立っていたの……バスに乗っていた時の服装のままで靴も履いたままでね……」アタシはクミの顔を見て話し、一旦言葉を切ってから話を続けた。

「アタシも、何が何だかわからなかったわ。アタシがバスに乗ったのは北海道だったんだから、この家に戻ってからだけど、夜になってお風呂に入ろうとしたら、風呂場の鏡に、そのバスの乗客と運転手さんが閉じ込められているのよ。そん時はハッキリと覚えてたんだけれど、今まで何で鏡に布を貼ってたのかさえ忘れたのよ……」とアタシは自分がいま事実だと思える事だけをクミに伝えた。

 鏡の中がどこかの異空間に繋がっていると、兄ちゃんと爺ちゃんが言っていた気がするのだが、いつ聞いたのか、どこで聞いたのかも覚えていないし、爺ちゃんの話をすると、アタシが特定の死人と、普段から会話をしている事も、話さなくてはならなくなるので、その話をするのはヤメておいた。

 おそらく兄ちゃんが、アタシを現実の世界に戻すために、風呂場の鏡を使っていたような記憶が、夢の断片ぐらいなのだが、薄らとはあるのだ。

 自分でも、なぜだかわからないんだけれど、時々アタシは、兄ちゃんは未だに、バスが迷い込んだ世界にいるのではないかと、思う時があるのだが、それだと、定期的に口座に入金している存在がわからなくなってしまうので、考えないようにしている。

 アタシの現実離れしたおかしな話を聞いたクミは、また布団の中に隠れてしまった。

 だからなのか、自分でもよくわからないのだけれど、アタシはカヌマーンが自分たちの部屋に人の気配がするという事を聞いても、別段不思議にも思っていなかった。なんといっても生きているのか死んでいるのか分からない人達や、死人や死猫が家中を歩き回ること自体が、アタシには珍しいことではなかったからだ。こんなことは日常茶飯事で、鏡のことだって忘れていたぐらいなのだから。

 それはアタシの家に限られた事ではあると思っていたのだが。はたしてそうなのだろうか?

「そろそろカヌマーンが車で、お迎えに来てくれるんじゃない?クミも服を着たら」とアタシはいう。

 クミは、アタシのあげたマイクロビキニのことを分かっているのかどうか、自分の下着に履き替えずに、白いマイクロビキニを来たまま、その上から自分の普段着を着ていた。


 それから、クミは鏡の件など見なかったように、淡々とバンドのサウンドについて、話していた。まるで何かに取り憑かれているようにも見えた。実際そうだったのかもしれないけれど、アタシは霊媒師でも何でもなく、死んだ家族や猫と話せるだけで、それ以外に特に霊能力のようなものは無いので、クミの話に答えているだけだった。そうこうしていると、カヌマーンがやってきたので、クミは自分の着替えなんかの入った鞄を持って、古い本とレコードだけが山積みになった、廃墟のような我が家から出て行った。

 アタシは、ブロークンアローとエフェクターケース持って玄関に向かう。エフェクターケースには、兄ちゃんがくれたビッグマフと、ワウペダルと、古いローランドのコーラスに、ブースター用のコンプレッサーが並べてあるシンプルな組み合わせになっている。

 爺ちゃんは、死人のくせに嫌な予感がするなんて言うので、死んだ黒猫のマゾの霊体を連れて行くことになった。あまり気乗りのしないアタシは、渋々マゾを肩に乗せる。

 まぁ乗せるったってマゾには実体がないので、重いわけでもないし殆どの人には、見えさえしないのだから、いっこうにかまわないと思っていたが、カヌマーンが目でマゾを追っているように感じた。

 カヌマーンは、マゾの事には触れなかったので、わざわざ死んでる猫を連れて行くとは言わなかった。

 彼の車は街でよく見かける、黒いミニバンと呼ばれているタイプの車だった。アタシは車には興味がないので、よくわからないが、助手席にクミが乗り、広い後部座席にアタシが乗った。ギターとエフェクターもシートの横に置いたが、窮屈さは感じなかった。車内は、静かで乗り心地もよいので、カヌマーンの選曲と思われるドナルドフェイゲンをBGMにアタシはすぐに眠ってしまった。


「なんで!ここどこなのよ」普段とは違う、クミの怒っているような怯えているような、落ち着きのない大きめの声で目が覚めた。

「どうしたの?」アタシは二人に声をかけた。

「あ!ムッちゃんが起きた」クミがセクシーポーズで遊んでいるアタシを見て、カヌマーンに言っているようだ。

「ごめん、なんか道を間違えちゃったみたいで」と言いながらカヌマーンが車を止めた。

「だから、神沼くんが変なトンネルに入るからじゃないの」クミはアタシが目を覚ましたことで、少し安心したのか、拗ねたようにカヌマーンに言ってから、助手席のドアを開けて車の外に出た。

 周りはすっかり夜になっていた。アタシもクミを追って車外に出たのだが、そこは街灯ひとつない舗装すらされていない田舎道で、秋の虫たちがうるさく鳴いていた。

「ここどこ?」とアタシも言ってしまった。

「それがさあ、カーナビも故障したみたいで、よくわかんないんだよ」とアタシたち二人を追いかけてきたカヌマーンこと神沼が言った。

「はじめに迷った時に、変なトンネルがあって、そこを通って来たら凄い田舎道に出てね。引き返して元の道に戻ろうとしたんだけど、トンネルも見つからなくって、もう二時間ぐらい線路の横の一本道を走ってる状態」クミの表情と話かたで、彼女の不安が伝わってくる。

 アタシはどこかで見た風景だと思いながら、考えをめぐらせる。アタシが三時間寝ていたとしても陽が沈むには早すぎる。

 暗闇に目が慣れてくると横に単線の線路見えてくる。次に遠くから電車の灯りが近づいてくるように思えた。

「あ!電車来るよ」クミは少し安心したように言った。

 三両編成の電車がアタシたちの横を通り過ぎて行くが、客車には誰も乗っていないように見えた。

「今って何時なの」アタシは二人に聞いた。

「三時半……」とクミとカヌマーンが、同じタイミングで言った。

「え!!!」アタシは革ジャンのポケットから、スマートフォンを引っ張り出すと、時刻は十五時三十二分を示していた。

「ホントだ……でもアンテナはたってるねえ」アタシは地図情報を調べようとした。

「俺、スタジオに連絡しとくわ!迷ったって」カヌマーンも安心したように見えた。

「ミャー」と足元で黒猫のマゾが鳴いた。

「ムッちゃん家の猫も連れてきてたんだ」クミは、そう言いながら、マゾの喉を撫でると猫はゴロゴロと喉を鳴らした。アタシはクミが、マゾを見えていたことに少し驚く。

「何?猫?どう言うこと?」カヌマーンは見えていなかったのだ。まあ見えなくて当たり前なのだが……

「あっ電話つながった。今日三人でスタジオ予約してた神沼です。ちょっと道に迷っちゃいまして……いま単線の電車が走ってる線路の横を車で並走してる感じです。 えっ、そうなんですか、 はい、 遠くになんか駅っぽいのありますねぇ ああそうなんですか はい、はい、それじゃあ行けるんじゃないかなあ もしまた迷ったら 電話しますね。はい、とりあえず行きます」カヌマーンが電話を切って車の前まで行ってから、線路の先にある駅らしき灯りを指差す。

「あれが駅だったら、駅前の十字路を右折して五百メートルだって」カヌマーンは落ち着いて、そう言った。

「でも六美ちゃん、そのカッコはやり過ぎじゃない……それは、もうパンクというより変質者だよ……」車のヘッドライトに照らされたアタシをカヌマーンは変態と呼んだ。

「え!10ホールのマーチンだし、ショットのライダーだし、白いロングのスカーフだし」とアタシはいう。

「そこまでは良いと思うんだけけど、その下は?」カヌマーンは何か汚いものでも見るように、目を細めてため息を吐く。

「ファスナー全開で黒のマイクロビキニだけだよ。なんか悪い」と言い切るしかなかった。確か家を出る時に、下着のうえにTシャツとジーンズを着た気がするのだけれど……と思いながらクミを見た。

「えええ!」クミの服装が、20ホールの白いマーチン、白いマイクロビキニ、真っ白なエナメルコートに鮮血のような赤いロングスカーフだった。間違いなくクミは、マイクロビキニ以外はこんな服装じゃなかった。

「カヌマーン!!アタシよりクミはどうなの?」とアタシは聞いてみた。

「クミはいつものエナメルコートだよ?」とカヌマーンが不思議そうに言う。

「ムッちゃんから、もらったビキニにいつもの白のエナメルコートを合わせたんだけど変だったかなあ」とクミが言った。カヌマーンの服装が黒いモッズスーツだった。ミッシェルかよと思ったが、うちに迎えにきた時は、この服装ではなかった……はずなのだが、なぜだか、その服装を思い出すことが出来なかった。

「いやあクミはスタイルがいいから似合ってるよ」とカヌマーンが言い出した。いやいや胸が大きい分、アタシよりヤバいと思うんですけど。尖った乳首が透けてセクシーですよ。まあ目の保養なので、こちらは一向に構わないんだが、何かがおかしいのだった。

 皆で車に乗ると、カヌマーンは駅に向かってミニバンを発進させる。

「ニャアア!ムツミなんだか、この世界はバグってる感じがするニャン。気をつけるニャア」と黒猫のマゾが危機感のない顔をしていう。まあ猫だから、当たり前かとおもう。

 アタシは、ぼんやりと助手席に座るクミを見ていた。白い肌と大きめの胸が綺麗だと見惚れる。それとクミの衣装は純潔の生け贄である人身御供を連想させるものに思えた。


 そして、走る車の窓から、この景色は、以前にアタシがバスで彷徨い込んだ異界の景色と同じだと確信した。

 そうだ、ここは我が家のバスルームの鏡の中から繋がる異界に違いないのだと思った。

 少しすると、車はすぐに駅前に着いたが、随分古い駅舎に人影はなかった。アタシの家の近所に、こんな単線が走っている筈はなかった、いくらアタシが家から出ないといっても、六歳の頃から引っ越しもした事はないし、地方都市の中では、人口も多くけっこうな都会なのである。

 おそらくクミも同じように考えていたに違いない。

「ムッちゃん!きさらぎ駅ってかいてあるんだけど知ってる?」クミが助手席と運転席の隙間から顔を覗かせて、アタシに話しかけてきた。

「知らないなあ?近所にこんな田舎みたいなところないけどなあ……」アタシはこたえる。

「昭和風のテーマパークでも作るんでしょうかね」と冗談なのか本気なのか、カヌマーンがハンドルを右に切りながら無感情に言った。アタシは五年前のバスの事で、もっと大事なことを忘れている気がする……思い出そうとすると、頭の中に白いもやの様なものが湧き出して、それ以上の思考を諦めてしまう。

 道は相変わらず街灯も少なく、一台の車ともすれ違わなければ、誰ひとり歩行者すら見かけない。

「ここじゃないかなぁ」カヌマーンは一旦車を停車させて言った。

 そこは、立派な西洋風のお屋敷で、大きな門を潜って少し進むと庭に駐車場があって、屋敷の入り口とは別に、スタジオの入り口があり『クラバート』と看板が掲げてあった。

「ここだよ、きさらぎ駅のスタジオ・クラバート」カヌマーンは車を駐車場に入れると、車を降りてスタジオに入っていく、クミとアタシも、カヌマーンに続いてスタジオに入ると、そこは古い映画に出てくるホテルのロビーのようで、受付にゴスロリ風の、真っ黒なドレスをまとった人形のような女性がいた。

 その女性は、作り物のように美しいが、陶器で作られた人形のように無表情で、まるで冷たい機械を連想させるところがあった。

「さっき電話した神沼です。スタジオの受付ってここでよかったのかな?はじめて使わせてもらう場所なんで勝手がわからなくて」カヌマーンは静かに、ゴスロリ女性に話しかけるが、女性はチラッとカヌマーンを見るだけで、

「あなたが白土久美さんね。少し奥で、お話しさせてもらっていいですか」ニコりと笑って、クミを奥の部屋に招き入れようとする。

 そのあとで、

「あっち」と無表情のままアゴで、アタシたちの右側の通路を指し示した。アタシとカヌマーンに対しては、余りにも感じが悪かったので、黙って右側の通路に向かって歩き出す。

「あなた、母堂雷太さんの妹さんですよね」とゴスロリが言った。

「え?なんで兄ちゃん……」とアタシは意外なゴスロリ女の言葉に向き直り尋ねる。

「何年か前に、二人でバスでいらっしゃったのをお忘れですか」笑いもせず無愛想に女が言った。

「ねえ、それってバスで、このスタジオに来たってこと?」アタシも不機嫌に言う。

「ムッちゃんの知り合いなの」カヌマーンが驚いたように言う。

「カヌマーン!先にスタジオ入ってて、アタシこの腐れマン子に聞きたい事ができた」とカヌマーンにいう。

「その店員さんは、クサレマンコさんって名前なんだ」とカヌマーンは真面目なのかふざけているのか、無表情で聞いてきた。んなワケねえだろ馬鹿!と言葉にはせずにカヌマーンに頭の中でだけ怒りをぶつける。

「なんで、お前が兄ちゃんのこと知ってんだよ」アタシは、このゴスロリが恐ろしかったのだ。なぜ、アタシを知っているのか?何故兄ちゃんを知っているのか?この女はアタシが思い出してはいけない事を言おうとしているのではないだろうか?アタシは自分が震えているのが分かった。アタシは恐怖が極限に達すると、いとも簡単に人が変わってしまうことが多い……あれ……これも忘れていた記憶だ。

 アタシは恐怖で人格が交代するかのように簡単に豹変するのだ。

 カヌマーンは乱暴者が苦手なようで、アタシの態度を見て、ささっとスタジオに向かって歩いて行った。

「あら!」ゴスロリもアタシの豹変具合に危険を感じたようだ。

「あ!じゃねえよ。なんで兄ちゃんのこと知ってんだって聞いてんだよ」アタシは、こうなると、全く歯止めが効かなくなってしまうのだ。思わずゴスロリの胸ぐらを掴んでしまう。

「いえいえ、何年か前に母堂雷太さんと……ご一緒に来られたことを覚えているか?と聞いただけですよ」ゴスロリは、少し困った様子で、

「団体バスで、お兄様とご一緒に来られたのを私が覚えておりまして、ムツミさんは、ご記憶にございませんか」ゴスロリは姿勢を正して話だした。アタシは、この無表情な女が怖かった。去勢をはっていないと、アタシはワケもなく泣きながら、この女に許しを乞うてしまいそうなのだ。

「ごめんね、ちょっとお前の態度に腹を立てちゃって、ごめんね!つぎに舐めた口聴いたらアタシのギターで、お前の頭を叩き割るからな」とアタシは理不尽に虚勢を貼り続けた。そうする事で、アタシは少し冷静になれた。

「そうなんだ?それって五年ぐらい前かな?アタシそん時のこと全然覚えてないんだ。ちょっと、そん時のことを教えてもらえないかな」そうか、やっぱり兄ちゃんは、あのときに一緒にいて、ここから帰ってこれてないんだ。いやアタシの頭の端に、うっすらと兄ちゃんの記憶が蘇りはじめる。

「では六美さんも奥の部屋に、クミさんと一緒に来ていただいてよろしいですか、美味しい紅茶と、ちょっとしたお菓子もございますので」機械のようなゴスロリへの恐怖もおさまり、自分はこの女と話すことで、思い出さなければいけない記憶が、ある筈だと思った。それは兄ちゃんに繋がる大事な記憶だと、アタシは何故か、五年もの間思い出せずにいたのだ。

 このゴスロリ女は、その理由や兄ちゃんのことも知っている気がするのだった。おそらくアタシの恐怖は、そこから来ているのだろう。

 この女は、アタシの思い出せない、アタシの大切な記憶を知っているに違いない……


 このスタジオは随分と古い洋風建築の屋敷の一部を増築して造られたようで、現代的な建物のスタジオ部分と、明治時代からあるのではなかろうかと思わせられる程の、古い建物を改装したような居住スペースとの落差に驚かされた。

 アタシたちは、廊下を抜けて母屋に案内される。

 さらに奥に通され、骨董品のように、ご立派な木製の分厚い扉の部屋に入ると、洒落た細長いダイニングテーブルがあり、アタシが腰掛けると、

「少しは、思い出されましたか?」とゴスロリが、アタシに問いかけるのだった。

 ゴスロリが、クミに目配せをする。

「少し席を外しますので、ゆっくりしていてください」とゴスロリは、アタシに言うとクミを連れて部屋を出ていった。

 廊下でなにやら二人が話す声が聞こえたが、二人はすぐに戻ってきた。

 アタシがクミに話しかけるのだが、彼女はひどく機嫌が悪く微笑みもせずに睨みつけてくる。

「アタシが何をしたって言うのよ」とこちらも不機嫌になり睨み返す。

「ムッちゃんまで、騙してたんだ!考えもしなかった……怪異楽団って何よ?あんたは、知ってたんでしょ」クミはそう言うと席を立ち上がり、部屋を出て行こうとした。

「アタシが?どう言う意味なの」アタシの質問に応える気がないのか、スタスタと扉に向かって歩いて行くので、アタシはテーブルの上に乗っていたスコーンをクミに投げつけた。

「このおおおお」クミはアタシに向かって走ってくると、飛びかかってきた。

 アタシは慌てて椅子ごとひっくり返った。

「みんなで私を騙すんだ!バカにしやがって」クミは仰向けに倒れたアタシの上に、馬乗りで乗っかると、顔を目掛けて右の拳を繰り出す。

 自分の体のどこに、そんな反射神経があったのかと疑うほど素早く、左手でクミの拳を交わしながら、飛び退いて立ち上がった。

 バキバキと大きな音を立ててクミの右手が屋敷の床を破壊する。

 ものすごい勢いで、ゴスロリが、手際よくクミを羽交い締めにして動きを封じる。

「おやめください!少し行き違いがあったようです。少し話を聞いてください」とゴスロリはあいも変わらぬ落ち着き払った無表情な声で言った。嵩張る服装からは信じ難いような素早い動きで、アタシたちを驚かせるゴスロリだった。

 クミとアタシは、テーブルを挟んで向かえ合わせに座らされる。

 クミの横にゴスロリ女が座っているのだが、その整った容姿は量産型のアンドロイドように整っていた。アタシはこいつは最新型のセクサロイドに違いないと思い、

「あんた、量産型のセックスロボットでしょ」とアタシは聞いてやった。

「失礼ですね。私はあなた達と同じ種類の人間でして、鳥居灯と申します」と言った。アタシの前に座っているのはトリイアカリという女だとわかった。アカリ?懐かしい感じがしたが、思い違いだと深く考えるのをやめる。

「では、私から説明致しますね」アカリが話し始めたので、アタシもクミも何も言わず大人しく耳を傾けた。

「五年前に、ここに訪れたことを六美さんは覚えておられないようですので、そこから説明致します」とアカリは落ち着いた穏やかな声で話す。

「六美さんは、お兄様の雷太さんと一緒にバス乗員の、護衛任務と怪異楽団のサポートメンバーとして、ここに来られたのです。そして六美さんは、初任務を失敗されまして、その時に雷太さんは事実上亡くなられたというか、ここから更に異界に飛ばされてしまったのか未だに連絡は付かず行方不明のままです」アカリがアタシの顔を見る。

「そんな筈ないでしょ!兄ちゃんは時々メッセージをくれるし、口座に振込みだってしてくれてるのよ」とアタシはアカリを睨む。

「雷太さんは、六美さんの能力を信じて、自分の肉体を怪異封印の道具として、バスごと森に沈めたと、以前に六美さんから直接伺っております。あなたの自宅の鏡で、怪異を監視するのだとも仰られていました。お金の振り込みは私共から生前預かったお金を振り込んでいるだけです……ねえ、六美さん本当に、思い出せないのですか?今あなたが連れている黒猫さんも、ご存知ではないのですか」アカリの言葉をアタシの意識が拒絶した。

 兄ちゃんは生きているし、時々連絡もくれるしアタシは兄ちゃんに何も託されてなどいない。何も知らない!思い出したくない。嫌だ!怖いんだ!

「じゃあ、私はどうしたらいいの……ムッちゃんが雷太さんのかわりに成ったと言うことは変わらないのね」クミが、アカリに何か言っているのだが、アタシには理解できない世界のわからない人たちのことだ。

 嫌だ!知らない!真っ黒な森に兄ちゃんがバスといっしょに沈んでいったなんて見てない!最後に兄ちゃんが笑ってたなんて知らない!!

「おい、いつまで殻ん中に閉じこもってるんだニャア。出て来いよ!ムツミお前は、雷太からブロークンアローを預かったはずだニャア。あの中に雷太の伝言が封じ込められてるんだニャアア」黒猫のマゾが言った。

「僕はニャア、知ってるんだ!ムツミ、お前は、認めたくない現実が嫌になったから、頭ん中で雷太を作り出して、おまえに都合のいい一人芝居をしてるんだ。お前は本当はわかってるんだ雷太は死んで、怪異に喰われたってな。違うのかニャア。雷太と最後に行動したのはお前なんだニャア」とマゾは続けていう。だが、こいつは適当なことばかり言うので、あまり信用はできない。

 アタシは、知らない知らない!兄ちゃんはヨーロッパにいるんだ。アタシが何もしなくったって大丈夫だ。大丈夫だ……

「アカリさん!ムッちゃんが、このまま使い物にならなかったら、どうするの?」クミちゃんまで、変なことを言い出した。アタシは知らないし、何にもできない!だって怖いし!嫌なんだ!

「本部が言うには、本当に雷太の死骸で封印がされていて、それが完全に食い尽くされるまで、あとひと月、封印が解けたらあの世と、この世の関所になっている、スタジオのあるここの世界が食い尽くされる。だから、そこまで待ってられない。だから六美さんが使い物にならなくても、無理やり連れて行くしアタシとクミさんと神沼さんの三人でも争うしかないでしょうね!皆んな生きたまま怪異に惨たらしく食われる可能性もあるけどね」とアカリが笑う。なんだか表情が嘘っぽい。

「ムッちゃんは、こんなに弱かったんだ!私は雷太さんを助ける計画って、神沼から聞いてやろうと決めたの、詳しい方法も聞かないでね。それが、何よムッちゃんが逃げ越しなんだ。お前なんか要らないわ。ここで色々聞いてわかったわ!お前なんか泣き続けて哀れに死んじまえ!私は雷太さんの意志を継ぐわ!弾けないけどギターもらって行くから」クミがアタシのギターを取り上げて部屋を出て行った。返して、それはお兄ちゃんから預かった大切なギターなの。お願い!それがないと怖くて動けないの!返せ!返せ!アタシのブロークンアロー!!お兄ちゃんのブロークンアロー!


 アタシは少し思い出したような気がした。

 忘れようとして、妄想に逃げていたら、本当に忘れてしまえたのだったかも知れない。アタシは馬鹿だから簡単に忘れられてしまうのかも知れない。

 アタシと兄に血の繋がりなどない。人工的に作り上げられたユートピアンチャイルドと呼ばれる、遺伝子組み換え食品程度の価値しか認められる事のない人造人間という種類の生き物だってことを。

 おそらく、クミもアカリも神沼も、ユートピアンチャイルドのはずだ。

 アタシたちは、通常の人間がやるには、非人道的だと組織が非難されるような事をさせられる為に生まれてきた。

 良くも悪くも地獄だ。兄ちゃんは何故だか、

「俺たちゃ生まれながらのロッカーだ!ボーントゥールーズじゃん」と言って、いつも面白そうに笑っていた。アタシはそんな兄ちゃんが好きだった。

 ライタ兄ちゃんが消えた時に、アタシのすべてがバラバラになって崩れて行った。本来ならアタシは簡単に廃棄処分にされていたはずだった。

 幸か不幸か偶然に、五年間の猶予期間が兄ちゃんがバスを犠牲にして行なった封印によって生まれたからだ。

 兄ちゃんは、ゴスロリのアカリと同じチームだった。元々は綾波志津子という隊長のいるトリオ編成の怪異楽団というチームだったが、綾波志津子行方不明になって、急きょ呼び出されたアタシが特別編成のチームとして、対峙する事になったのだった。

 そうだ、アカリ、ライタ兄ちゃん、アタシと怪異退治に五年前この場所で任務に加わったが、その時に兄ちゃんが。犠牲になってしまった。

 あの時に三人で森の中に入って行ったのだが、詳しく思い返そうとすると意識が飛びそうになるのだ。

 これは、怪異の仕業かもしれない。怪異は時として偽の記憶を植えつけることがあるという。アタシはあのとき何かの記憶を植えつけられた気がするのだ。

 そう、考えるとアタシが五年間も記憶をなくしていたことも頷けるのだ。

 アタシは、まだ今思い出した自分の記憶さえも全て信じることが出来ないでいた。なんだか何重にも記憶を上書きされているような、ひとつの事柄に相反する別の記憶が、べっとりと張りついているのだ。

 でも、たしか、あの時に兄ちゃんはいた。でもバスと自分の肉体を結界にして、異界の出入り口を封印することに成功したと、先ほどアカリの口からでた言葉が、どうも腑に落ちない。

 作戦の開始前に、兄ちゃんとアヤナミさんが、今回の封印はいくら長くても十年と言っていた記憶があるのだが、アタシが作戦に加わったのは、綾波志津子がいなくなったからなのに?なぜかアタシは綾波志津子の顔をハッキリと覚えている……確か、彼女には幼い娘がいた……

 ん?どういうことだ?まだ、記憶が正常に繋がっていないのか?それとも、これは偽りの記憶なのだろうか?

 このスタジオがある異界は、時として人の思いを実体化させてしまう。それが、この世界の厄介な部分で、世界が意識を持っていて、人の思いを実体化する事ができるのだ。

 五年前の作戦の後で、アタシの状態がおかしくなったので、急いで新しい後継者を何人か育てる必要があったのだと思われる。

 何を基準に導きだしのかはわからないが、組織の調査結果では封印は五年しか持たないと判断されたのだが、育成できた後継者はクミ独りだけのようで、もともと三人一組のトリオでなんとか防衛できていたチームは、なにがなんでもアタシを部隊に入れて、兄ちゃんの死後に頻繁に起き始めた新しい怪異の沈静化を含めて作戦を決行させたいようだ。

 カヌマーンとアカリが入れば四人組のチームとして森へと侵入ができるのだ。一人増えることでの作戦の成功率が、どうなるかなんて、実のところ誰もわかりはしないだろう。

 もうアタシは、こんな世界に生きたくはないのだ。兄ちゃんのいない世界なんて、何の興味もない。さっさとアタシを処分してくれ。

 だが、めずらしく優秀な能力者に選ばれたアタシを処分せず、なんとか任務を追行させようとする奴らの、思い通りになどアタシは成りたくないのだ。

 知るかよ!アタシたちが子供の頃から、どれだけの地獄を見て来たかをアイツらは、わかろうともしない、否自分たちが創り出したマシーンに心があるなんて思いもしないだけなんだろう。

 それだからこそ大きな災害が起こったり、干ばつで食糧危機なんて都合の悪いことが起これば、ものとして造り出されたアタシたちを優先的に放り出すのだろう。

 でもアタシには、自分の命で世界を救おうなんて、正義感はこれっぽっちもない。

 だから、傷つき心が壊れたフリをしていたら、アタシは本当に壊れてしまっていた。

 自分が思うより雷太兄ちゃんの存在としての死は、アタシの心を蝕んだようだった。

 兄ちゃんの事とアヤナミさんの最後を思い出そうとすると脳が焼けそうに熱くなる。

 こう言う時は絶対に何かがあるのだ。

 アタシは覚悟を決めて思い出さなければならない。こういう時はアタシ自身が記憶を隠蔽している可能性だって考えられるのだ。

 そう、アタシには何故か、まだ兄ちゃんが生きているような気がするのだ。

 だって兄ちゃんすら死んじまった世界を守る義理などアタシにはない。

 爺ちゃんも死んで霊体になってからは、優しい善人面をするようになったが、あのジジイも肉体がある時は鬼畜だった。

 何度殺してやろう思ったことか、結局アタシが手を下す事になってしまったのだが、アタシは霊体が存在するのを見た時には腰を抜かしてオシッコを漏らしてしまったのだけれど、肉体のない爺ちゃんは別人のように優しかった。

 霊体になってからの爺ちゃんは、罪滅ぼしにアタシの面倒を見てから、あの世とやらに行くと言って、いつも笑っている。

 だが、これだけ科学の発展した世界でも霊魂の存在は、科学的に証明できないらしい。

 そのくせに管理局のヤツらは、ユートピアンチャイルドには魂がないので転生する事はないと言い切りやがる。

 即ちお前ら作りもんには中身なんてないのだ。死んじまったらそれで終わりなんだよって言いたいようだ。

 まあ、兄ちゃんが死んでから現れない所を見ると、ユートピアンチャイルドは本当に魂なんてないのかも知れない。

 いいや、管理局の奴らの言う事など嘘ばかりなのだ。だからこそ兄ちゃんは死んでいないと思えるのかもしれない。

 でも、爺ちゃんと黒猫のマゾは、兄ちゃんは魂を使って結界を張っているので、連絡ができないだけだと言ってくれるのだが、爺ちゃんもマゾも、いつだって、適当でいい加減なことしか言わないので、真実は、どうなんだろう?真実はこの目で見たこと、この身で感じたことだけでいい。アタシにはそれが全てなのだ。


 アタシがスタジオのドリンクコーナーでルートビアを飲んでいたら、見知らぬ男が近づいてきた。

「ムツミ君!本当は記憶、戻ってんでしょ?早く行ったげなさいよ。子供んころから事務局から、たくさんお仕事もらってたでしょ?ライタ君だってね、命張ったんだよ!ねえムツミ君、君がやらなきゃいけないとは思わないのかい?ライタがブロークンアローはお前が使えって言ってるよ」と、その男が言った。この喋り方とイヤラしい目つき!どこかで見た……

「あ!おまえ、フルセだろ?古瀬幸助だろ!いつから居たんだ。気づかなかったわ!ふざけんなアタシら兄妹がどんだけ、事務局とお前に酷い目にあったか!なんだお前、顔と声まで変えやがって、そんなことしてもなぁアタシの目は誤魔化せねぇんだよ。この糞がよお」と積年の恨みをぶつけて……しまった……

「あ!アカリさん、ムツミ君の記憶が戻りました。すぐに戻ってきて明日作戦決行しましょう」フルセの野郎はニヤリと笑ってスマートフォンの通話を切って胸ポケットに仕舞い込んだ。

「くっそおおおお!フルセふざけやがって、またハメやがった」アタシはフルセの胸ぐらを掴んで振り回す。

「やめて、くださいよ!ムツミ君が記憶が戻らないって、とぼけるから僕が事務局から呼ばれたんですよ?困った人ですね。昔馴染みのよしみって奴で、たのんますね」そう言いながらアタシの腕を払い除けると、一瞬目が笑ったように見えた。

「僕が、ヤレるんなら!やるんですけどね。ライタとバスの人達の仇をとってください。お願いします」と言ってアタシに背を向けたままスタジオから出て行った。ヤツは間違いなく古瀬幸助だ。アイツには嫌な思い出しかない。

「やって!やるよ、やりゃいいんだろ」とアタシは小声で言いながら、自分が笑っていることに気づいた。


 アタシたちユートピアンチャイルドの存在は、一般には秘密にされている。

 アタシ達には、その基準はわからないのだが、特定の家庭に里子として譲渡されてから、ユートピアンチャイルドばかりが、通う小中高が一貫となった学校に入学させれられるのだが、そこで受けたテスト結果で、AランクからDランクまで能力別に篩にかけられて、クラス分けされるらしい。

 そこでDランク以下の不適応者は廃棄処分されていく。

 どこまでが本当のことかは、よくわからないんだけれど、廃棄されると豚や鶏の餌にされたり、農家の肥料に混ぜられると噂されていた。でも、それはアタシ達への脅しだけだったのかも知れないとも思えるのだ。

 兄ちゃんとアタシは、ギリギリ生かされたDクラスで、古本屋の糞兄妹『ビニ本ブラザース』とか『エロ本ブラザース』などと呼ばれていた。

 もちろん今の世に、ビニ本など存在しないのだけれど、アタシ達の行いの悪さとドスケベな本が、多い古本屋に里子に出されたせいで、周りからそう呼ばれていたんじゃねえ?と兄ちゃんは、いつも笑っていた。

 まあ、兄ちゃんとは年齢が七歳も離れているので、アタシが中学に上がる頃には兄ちゃんは学校にはいなかったんだけれど、管理局とフルセが、金の必要な子供達に汚い仕事を回してくれるので、裏仕事をこなす中ではアタシは最年少で、尚且つ荒っぽい、ちょっと頭のおかしい娘として有名だった。

 アタシが六歳で兄ちゃんが十三歳ときが初仕事だった。

 まあ、勉強はダメだったが、ユートピアンチャイルド管理局としては、寧ろそんな子供が好都合だったに違いなかった。

 裏仕事は金になったので、その点は高待遇だったのだが、そのお陰で、学内での成績で優遇されている子供達、すなわち裏仕事の存在など知りもしない、経済的に恵まれた上位クラスの連中とのいざこざとか、色々とくだらない事に巻き込まれたりすることも多かった。

 でも兄ちゃんが綾波志津子の特殊部隊に配属されてからは、アタシは裏仕事も辞めて、ずっと、ぼんやりしながら生きていた。

 それは兄ちゃんがアタシに楽をさせてやろうとしてくれた思いやりだったのだろうけれど、アタシには兄ちゃんに会えないことの方が苦痛だった。


 そしてただの、おとなしい頭の悪い生徒となったアタシの学校でのカースト的な地位は、さらに悪く成り、他の生徒のアタシへの態度もどんどん悪くなって行く一方だった。

 そうだ、あの頃から死にたい!と思うことが増えた。過度のストレスでアタシは上級生を殺してしまい、死骸の背中に極細の油性マジックで『死にたい』と背中が真っ黒になるほど細かく書き続けたこともあった。

 そうだアタシが上級生を惨殺してしまった中学時代の最狂事件は、やはり教室全裸自慰殺人事件と言われているアレだと思うのだ。ああ!思い出したくもない事が、頭をよぎった。

 どういうわけか、アタシは少年法以前に警察が関与しなかったので、多数の目撃者が居たにも関わらずなんのお咎め受けなかった。


 嫌なことを思い出していたら、クミとアカリが戻ってきた。

「やっと、まともな目つきに戻ったじゃない」とクミが笑いながら、ギターのソフトケースを手渡した。

「アタシが、まともな頃ってあったっけ?」と、まともな時なんか、なかったアタシは言った。

「あったよ!ムッちゃんが小学生の頃。あん頃のムッちゃんはマジで怖かった。あんたが三年の時にヤバすぎて近づけなかった」と言いながらクミは笑った。アカリは無表情にハトのような目でアタシの顔を見ていた。気持ちの悪い女だ。

「そうだっけ?覚えてないわ。あん頃は稼がないと廃棄処分にされるから、兄ちゃんと二人で必死で、つまらない仕事で必死だったからね……」アタシは本来の学費をジジイに使い込まれて、返済できなければ兄妹揃って廃棄処分にされるところ迄、追い込まれていた頃のことを少し思い出した。

 だからこそ最年少最狂なんて呼ばれるようになったのだ。 

「という事はムツミさんって、ライタの妹さんだから母堂六美……」アカリが言葉を止めて、鳩のような目でジロジロと見てくる。

「あれ?ひょっとして知らなかったの。そうよムッちゃんが、私が通ってた学校の校内で、五人の生徒を電動バイブで刺殺した。バイブレーター殺人事件の母堂六美よ。バイブで殺すというより、割れた機械の破片で斬り殺してたけどね……」とクミが笑う。そうだアタシは、あの頃ずっと引きこもってて、なんだかカッとなって、気がついたら血塗れになっていたのだった。アタシは『教室全裸自慰殺人事件』と呼ばれているのだと思っていたのだが、一般的には『バイブレーター殺人事件の母堂六美』とフルネームで覚えられていたのか……

「ムッちゃん、さっきまで人を殺した時と、同じような死んだ目をしてた……でも、なんか、今は急に悪童の頃の顔に戻ってるよ」とクミが不思議そうに言った。

「クミは知んない、だろうけどフルセってオッサンのおかげじゃないかな?ところでクミはカヌマーンとは仲がいいの?」とアタシが言うが、フルセはここの人間達とは、全く繋がりがないようだ。アイツは個人的にアタシに激励に来ただけなのだろうか?全く変なオッサンだ。きっとアタシのことが好きなんだろう。

「うん、フルセさんって人のことは知んない!神沼とは、この任務に就くときに形だけで夫婦としてコンビ組んだだけだから、彼は給料で吊られただけじゃない」とクミは言った。

「カヌマーンって、そういうタイプなんだ」アタシは夫婦の営みについて聞きたかったのだが、これでは答えてもらえそうにないではないか。

「じゃメンバーも揃ったとこで行きましょうか」クミが広いスタジオに向かって歩き出す。

「でバンド名とか、あんの?」とアタシは、能面ゴスロリ鳩ぽっぽ女アカリに聞いた。

「カレルゼマンよ!」とゴシックロリータは言った。

 ふん!カレルゼマンか。スタジオはクラバートだったな。……カレルゼマン……クラバート…………ソラリスと断片的に言葉がよぎりだす。

 何かが、思い出されたが、すぐに消えて、アタシに力をくれた……気がした。

 黒いカラスと銀色の姫様が、悪い魔法使いをぶっ殺しに行くぜっ!覚悟してやがれ。

 そうなのだ、この部隊は怪異や都市伝説的な謎を専門に引き受けるような、部署なのだが、アタシは一度だけしか仕事に加わっていないうえに、失敗で終わり記憶を無くしていたのだから、事実上初めてのお仕事のようなものである。

 さっき綾波志津子の顔を思い出した時に、アタシの背中に凄まじい悪寒が走った。

 この原因も、この作戦に参加する事でわかるのかも知れないとアタシは感じた。


 アタシの頭の中にはっていた靄が消えて行くのがわかった。

「そうだ……」アタシは狂ったように笑い出した。まあ、今回はライブ演奏で、怪異楽団として、怪異を鎮めるのが目的だったのだ。

 

 四人でリハーサルのためにスタジオで音を出した。アカリはフレットレスのジャズベを弾いていた。歌まで率なくこなすその姿は、エスペランサ・スポルディングのようですらあった。アタシは、ビッグマフとワウでラウドに弾きまくる。クミはエレピとオルガンを曲によって変えていた。カヌマーンはパワー不足ではあるがタイトにリズムを刻んでいた。

 リハは、いい音を出せていた。アカリは、その様子を見てニヤリと笑った。

 

 アタシが、古本屋の爺ちゃんに引き取られたのは、五歳の時だった。

 爺ちゃんは、容姿のいい女の子なら商売道具になるのではなかろうかなんて、良からぬことを考えて引き取ったようだが、愛想がなく凶暴で頭も悪いという事がわかってからは、さっさと返品してしまおうと思っていたようだが、ユートピアンチャイルド管理局は、そんなに甘くはなかった。

 管理局から子供を引き取れば、学費や養育費は支給される。

 爺ちゃんは、アタシより前に雷太という男の子を引き取って育てていたのだから、支給されるその金額に味をしめて、次は女の子をと、引き取ったようだったが、一旦預かった子供を管理局に返す場合は、ペナルティとして支度金として預かった金額の五倍の額を返さなければならない事を知らなかったのだ。

「えらい面倒なガキを背負い込んじまった」と爺さんの声が聞こえてきた。

「爺ちゃんは、学校に行かしたり飯を食わせときゃいいだけだろ」と当時十二歳の雷太兄ちゃんが言った。

 ちょうど、アタシが爺ちゃんの古本屋に、もらわれて一週間ぐらいの頃だった。

「それがなあ、この子を学校に行かす金を借金の返済で全部使っちまってよお。女の子ならすぐ商売させれると思ってたからよお」と爺さんは言い出した。

「おい!ジジイこんな小さい女の子に客とらせるつもりだったのか」と雷太兄ちゃんは呆れていたのを今でも覚えている。

「いやあ、ロリータってのはなぁ、けっこうな金になるんだぜ。それがだぞ。オレがコイツの服を脱がして写真を撮ろうとしたら、あのガキ噛みついて暴れるしよう。どうしようもならんぜ」ジジイの言葉を聞いて、アタシはさっさとジジイを殺して、山奥に逃げようかと考えていた。

「爺ちゃん、あの子をちゃんと学校に通わせねえと、あんたが刑務所行きになるんだぜ。そしたら、俺まで施設に戻されるんだぜ……」兄ちゃんは困ったなぁと言わんばかりにアタシを見たが、返事する言葉も思いつかないので、黙って晩飯を食べていた。施設よりは美味い食事だと喜んでいたのに、逆戻りかと思いジジイを殺すのはやめようと判断した。殺したら自分が不利になるだけだからだ。

「雷太、その子を見といてくれや、俺はどっか借金できねえか聞いてくるわ」と言って、その頃は、営業していた古本屋のシャッターも開けっぱなしで出て行った。

「困った爺さんだよ。おかわり食べる」と兄ちゃんは何も喋らないアタシに話しかけてきた。アタシは何も言わずに茶碗を差し出すと、兄ちゃんはご飯をよそいでくれた。

 アタシは夕飯を食べて、そのまま何もせず座っていた。あんとき兄ちゃんは食器を洗っていたと思う。

「俺、雷太。兄ちゃんって呼んでいいぜ」中学一年にしては体格もよく高校生と言われてもわからなかっただろう。アタシは、一眼見て兄ちゃんがタイプなので、嫁にもらってもらおうと決めた。

「おまえ名前は?ジジイがなんも教えてくれないんだ」と兄ちゃんは笑った。

「名前?ないよ。ずっと管理番号で呼ばれてたから」とアタシは正直に答えた。産まれて五年も誰にも、もらわれない子供は珍しかった。あと一月でアタシは廃棄処分される寸前だったのだ。

 施設の人間に廃棄処分にされたらどうなるか聞いた事があった。

 アイツらは笑いながら、お前ら廃棄されたら豚の餌になるんだよ!って言いやがった。それを聞いた夜、アタシは怖くて眠れなかった。生きたまま豚に食い殺されるんだと思っていた。アタシは今でもアイツらの笑った顔が忘れられない。

「ジジイは、あてにならないから、お前もアルバイト手伝うか?俺が稼ぐよ」と兄ちゃんからの意外な提案があった。

「絶対に脱がないから!アタシみたいな子供は脱いだら玩具にされて、次は臓器を売られて、バラバラにされて最後は豚の餌にされるんだよ。アンタ知らないんだろ」アタシがそういうと、兄ちゃんは一瞬きょとんとしたが、次に泣きそうな顔になって、

「……俺が、そんなことさせねえから!守ってやっから……」って言いながらアタシの肩を強く掴んだ。

「痛い!肩をつかむな」とアタシは言ったが、この優しい少年にアタシが大人になったら、この身体を好きにさせてやろうと決めた。

「ごめん!おまえ……おまえってよくないよな。施設では何て呼ばれてたんだ」兄ちゃんはそう言いながら、肩から手を離した。

「六十三号。それがアタシの名前だ。可哀想とか思うなよ」とアタシは生気の無い目で睨んでいたと思う。

「じゃあロクちゃん……いや、ムーちゃんにしよう」雷太兄ちゃんは名前をくれた。

「ええ、ムーちゃんよりムッちゃんがいい」と自分で決めた。

「じゃあ、ムッちゃん。俺はジジイが頼んないから、フルセってチャイルドの事務局のオッさんから仕事もらってんだ。ろくなヤツじゃないけど事情を話せば、金だって貸してくれるぜ。今回は俺が溜め込んだ金があるからジジイに内緒で、明日になったら学校に払いに行こうぜ。俺がフルセから借りたことにするから」雷太兄ちゃんは頼りになりそうなので、アタシは未来の夫として利用することにした。

「ありがとう、アタシもバイト紹介してくれるの?五歳だけど」アタシは少し安心した。豚の餌にならずに済んだようだと思った。豚の餌になってもかまわないが、アタシの大嫌いな恵まれた奴らが豚を食うと、アタシがそいつらの血肉にされる。そう考えたら怒りが収まらないだけだった。


 まあ雷太兄ちゃんとの出会いは、こんな感じだったと思うが、はっきりとは覚えていない。

 そのあとで、フルセと言う男に仕事をもらうために会いに行った様に思う。

 フルセは、管理局によくいる感情が欠如したような、年齢もよくわからないロボットのような男だったが、珍しく正義感を少しは持っているようで、うちの爺さんがアタシの学費を使い込んだことに怒りを感じた様子で、優先的に裏バイトを紹介してくれる様になった。

 そのころに、フルセが教えてくれた事なのだけど、アタシはユートピアンチャイルドの中でも、科学者が力を入れて造っていた頃の、通称キメラ体と呼ばれたタイプの最終ロットらしく、優秀な個体のはずだと言っていた。

 もちろん人間が造ったものなんだから個体差はあるだろうね、なんて皮肉っぽく笑っていたのも覚えている。

 要するにアタシは、人造人間に金をかけれた時代の最終型で、普通に販売すると高額なものになり、金額的に買い渋りされるので、意図的にDランクに指定されているだけだろうというのが本当のところだと、数年後にフルセ本人から聞かされた。

 そして、フルセがくれたリミッターの解除プログラムの、おかげでアタシはSランク以上の能力を得ることになった。

 その頃になると、アタシは兄ちゃんに対して芽生えた、恋愛感情のようなものに悩まされる様になった。

 それから、というものアタシは兄ちゃんが、アタシの虜になるようなプログラムを作り、週に一度はアップデートとインストールを彼の睡眠後に繰り返した。


 何だかんだとフルセという男には、世話になることが多かった。

 最初の頃の仕事は、アタシが見ず知らずの親父どもの娘役をするという、レンタル娘の仕事が多かった。そんな依頼をしてくる親父どもは、アタシの肉体が目的で、違法行為を楽しもうとする輩が殆どで、アタシがあられもない格好に、衣服を剥ぎ取られた頃を見計らって、フルセと兄ちゃんが親父どもを取り押さえるという算段で、けっこうなアルバイト代を手に入れて、爺さんの使い込んだ金額なんかすぐに返すことができた。

 そこから得た収入で、アタシは自分たちにも有益なプログラムをマスターし、兄ちゃんを異常なぐらい妹大好きなシスコン兄貴へと少し洗脳をしたのだった。

 だが、問題はプログラムじたいが、間違っている可能性が高いことだった。

 そんなアタシの気持ちも知らずに、ジジイは怪異調査班の綾波志津子という、二十代後半の現場責任者と雷太兄ちゃんの縁談を企みだしたのである。

 ジジイの目的は、綾波志津子の収入と、その財産だった。彼女もアタシたちと同じユートピアンチャイルドだが、怪異調査班の現場責任者の給与は高く、まず兄ちゃんをアヤナミの部下として就業させてから虎視眈々と計画を進め、アタシの幸福を壊し始めたのだった。

 兄ちゃんは泊まりの仕事が増え、段々と家に帰らなくなった。アタシはジジイの計画など知る由もなく、ぼんやりと兄ちゃんの帰りを待つ日々だった。

 そんな計画を知ったのは、フルセからのメッセージだった。アタシは迷うことなくジジイを殺害し死骸を冷凍庫に放り込んだ。

 そこまでしたというのに、兄ちゃんは、すっかりアタシのことなんか忘れて、綾波志津子に、のぼせ上がっているとフルセから聞いた。

 アタシは、ろくに食事もとらずに家の迎えの公園にあるベンチにぼんやり座って空ばかり見ていた。あの頃に黒猫のマゾを拾ったのだったと思う。

 フルセは、そんなアタシの様子を何処かから見ていたようで、突然に怪異調査のアルバイトの仕事を持って現れたのだ。

 アタシは、兄ちゃんに逢いたい一心で怪異調査班のアルバイトに行くのだが、再開した兄ちゃんはアタシなんか忘れたかの様に振る舞い、綾波志津子に夢中でいつもべったりしているのだった。

 アタシは、そんな兄ちゃんを見たことがショックで、半日でバイトを辞めて、家に帰りジジイの死骸に、マジックで落書きをして、もの凄い変な顔にしてウサを晴らした。

 そう、それが五年前でアタシは、ゴスロリの計画に参加することにした、きっかけであり最大の理由なのだ。

 当時は、きさらぎ駅は都市伝説として話題にはなるものの、ネットから忘れられようとしており特に被害もなく問題視されているわけではなかった。

 アタシといえば、兄ちゃんが綾波志津子と仲良しカップルに成り果てたショックから、働きもせずに毎日を家の前の公園で過ごし、公園のバッタばかり食べていたので、近所の子供達から『バッタの姉ちゃん』と呼ばれていた。


 そんな夏も終わろうとする頃の夕暮れ、真っ赤な夕日が東の空へ沈もうとする時間、バッタも食べ飽きたので、オオカマキリを食べようとして、カマで唇を挟まれて苦痛で泣き叫んでいた時に、

「あなたって、本当にバカだったのね」と言いながら、ゴスロリがアタシをたずねてやって来たのだった。アタシはカマキリをバリバリと食い殺しながら霊長類としての威厳をカマキリにわからせると、立ち話もなんだから家においでと、アカリを招待したが玄関を見て、家が汚くて入りたくない!と言われ仕方なく近所の牛丼チェーン店に行くと、見知った顔がたくさんあり、

「バッタ女」とか「頭のおかしい女」とか「貞子」とか大きな声で悪口を言われ、アカリがゴスロリの分際で、笑いを堪えているのを見るのが、たまらなく悔しかった。

 アカリはきさらぎ駅の話を始めた。

「私たちは、あの空間自体が意思を持っているのだと思っているの」と言い出す。そんなことはどうでも良かった。アタシは手塩にかけて育てたお兄ちゃんを返して欲しいだけだと言いたかった。


 ゴスロリのアカリが言うには、あの異界に存在する、きさらぎ駅は都市伝説にある、きさらぎ駅を真似て名づけたモノであり、怪異調査班が異星から入手した鉱石が生み出したもので、道具さえ揃っていれば、簡単に行き来できる場所なのだという。

「六美さん、私たちは、組織からある石を奪いとって新しい世界を作ろうと考えているの、それには組織の言いなりに動く、綾波志津子とあなたのお兄さんが計画の障害になっているの」とゴスロリは牛丼のチェーン店で話しだした。

 話の内容と聞かされる場所のおかげで、真実味のかけらさえ感じなかった。後々すべてが真っ赤な嘘だったと知る事になる。

「何が言いたいのか、まったく理解できないのですが」とアタシは正直にアカリに伝えた。

「でも、お兄さんを取り戻したいんでしょ?」とゴスロリのアカリが言いながら、ピンポン玉ぐらいの大きさで薄っすらと光る青い宝石のようなものを差し出した。

「兄ちゃんを取り戻せるのなら……なんだってするよ」とアタシは言って、青い石を受け取った。

「じゃあ六美さんの部屋にその石を置いてちょうだい、今日の深夜二時にきさらぎ駅へのゲートを開くわ」アカリはそういうと、アタシの代金も支払って帰っていった。牛丼が美味しかったので、もうバッタやカマキリを食べるのはやめようと思った。


 アタシは住まいの古書店の、SM雑誌のコーナーの床に青い石を固定して、夜中の二時がくるのを待った。

 時間丁度に青い石は輝き始めたかと思うと、床に魔法陣のような絵面が浮かんでアタシは吸い込まれて行った。

 景色が変わり、目の前にはゴスロリのアカリが突っ立っていた。駅の構内にいるようで、確かにきさらぎ駅というプレートもあった。

 アタシはアカリに連れられて駅から霧に覆われた道を歩くと、立派な洋館に辿り着いた。

 奥の洋間に通された。そこは家なのかと思ったのだが、

「これが昼間に言った鉱石なの」とゴスロリは机の引き出しを開けて乳白色の鉱石を見せた。

「どういう事なのか、理解できないんだけど」とアタシがいうと、

「実は、さっきの駅もこの家もアタシの思い描いた景色が実像になっているの、ここは山奥の何もない廃村でアタシが鉱石を盗み出したの」と言っては笑う。

「アカリが魔法の石を盗み出してアタシに見せている……という事だけは理解した。でもそれが本当かは信じていないけどね。あとお兄ちゃんを取り戻すということも、繋がって来ない」とアタシは言った。

 アカリは自分のカバンから二十センチ四方の黒い箱を取り出す。

「このブラックボックスに石を入れてフタをして完全に外部から遮断して見て」と言うのでアタシは言われた通りに、乳白色の石を引き出しからブラックボックスに移動させて蓋をしてみると、そこは近代的なビルの一室のような部屋だった。

「へえ!普通の部屋だ」アタシはそう言うと、ブラックボックスを抱えて部屋から飛び出し、全力で駆け出した。廊下を抜けると雑居ビルの一階だと分かったので、そのまま表に出て走り続ける。

 真夜中ではあるが、異界ではなく通常の世界のようで酔っ払った学生が、コンビニエンスストアの前で煙草をふかしたりしていた。

 だが、自分がこの国のどこにいるかは、わからなかった。

 まあ、アタシみたいな中学生の少女がひとりで夜中に徘徊していると、警察に見つかっても面倒なのでアカリのところに戻る方が安全だと判断して、来た道を戻ると向こうから、ゴスロリが歩いて来たのが見えた。

 まあ、とくに逃げる理由もなかったので、アタシは手を振ってみた。顔まではわからないけれど、おそらく間違えることはないだろうし、間違ったところで深夜にうろうろと歩いているゴスロリに害があるとも思えなかった。

「思った通り、考えもなく石を持って飛び出した」とゴスロリは笑いながら近寄ってきたので、アタシはブラックボックスを渡す。

「ん?軽いけど、石を落としたりしてない?」と丁寧にアカリが言った。

「ライダースのポケットに入れてあるよ」とアタシは革ジャンのポケットから乳白色の石を覗かせた。

「その石を裸で持ってると、周りの思考に反応してなにが起こるかわからないよ」とゴスロリが言ったが、アタシは無視した。

「まあ、コンビニの駐車場に車を置いてるから行きましょう」と言われるので、酔っ払い学生の溜まっているコンビニに戻り、ゴスロリの車と思われる赤いスポーツカーの助手席に乗った。

 車が走り出すと、周りは白いモヤに覆われて視界がハッキリとすると、きさらぎ駅に停まっていた。

「ここがデフォルトになっているの?」とアタシは尋ねてみた。

「で、ここを曲がると私の屋敷に着くの、なんでこうなるかは分からないだけれど……ソラリスの海みたいなものかもね」とアカリはいう。

 ソラリスの海ってなんだろうと思ったが、そう言うもんなんだろうと思い考えるのをやめる。

 どうせ、考えたところで異界と繋げる石のことなんかわからないだろう。

 ひょっとすると、この石が異界を創り出しているのかもしれないのだから。  

「この世界って石が作り出したの」とアタシは聞いてみたら、石は複数あるがこの空間にしか辿りつかないので、異空間は元々存在していたのか、石とは別に異空間自体が人間の意識に反応して色々なものを作り出す様なのである。この洋館はアカリの生まれ育った屋敷にそっくりで、彼女がこの空間に入った時に、屋敷が生まれた様だと言っていた。

 この空間とアタシたちの日常空間を自由に行き来できるのは、アカリが最初で、彼女しか行き来することが出来なかったようで、最初に迷い込んだ時には、干からびた人の死骸や白骨が、そこいら中に散乱していたようだった。

 アカリの次に、この空間から出入りできたのは、兄ちゃんと綾波志津子の二人だったらしく、アタシが憎むアヤナミがこの石とブラックボックスをみつけたという事だ。

 あとわかっている事としては、この空間で死亡していた人たちの持ち物から推測して、古いものでもせいぜい三十年ぐらいしか経っていないのだ。それゆえに、ここは新しい空間ではないかと言われているらしい。

 アカリが、この世界に迷い込んで、洋館が現れたのが何故かは、誰にもわからないのだが、アカリが言うには、彼女が空間に好かれたのだという。

 そのためか、どうかはわからないらしいが、アカリは生活の大半をこの怪しげな世界で過ごしているとのことだ。

 アタシは、ゴスロリから嬉しい情報を聞いた。それは二日ほど前に綾波志津子が、この空間で行方不明になったという事と、来週から彼女の捜索隊の一人として雷太兄ちゃんも来るという事だった。

 アカリは、そのチームにアタシも加わるように言うのだった。

 北海道の観光スポットに繋がる道に、この異界へと繋がる道があるらしく、多くのユートピアンチャイルドを乗せた観光バスで、きさらぎ駅を目指すらしい。

 まあ、その実験にアタシも参加しないかという事だ。


 ユートピアンチャイルドの値打ちなんて、モルモット程度のものだと改めてわからされる。

 だが、どうしてわざわざアタシを指名するのかと、アカリに聞くとユートピアンチャイルドの中でも、キメラ種はかなり少ないようで、初期ロットのゴスロリのアカリが異空間に好かれているので、最終ロットのアタシもうまく行くのではないかという憶測からだったらしいが、キメラ種は軍事利用される事が多かった為、日本で残っているのがゴスロリのアカリとアタシの二人しかいないということだった。

 キメラ種の生産を何故やめたかとアタシは聞いて見たところ、キメラ種はサイコパス気質が強く、元々軍事利用が目的で造られたのだが、ユートピアンチャイルドの存在自体が被人道的だと世界中で問題になった頃に、問題行動の多いキメラ種から優先的に生産を中止させたらしい。

 アタシは何となく自分の正体が分かった気がした。要するに兵器だと言われたのだ。

 まあ、けっこう傷つくので、お兄ちゃんにたくさん慰めてもらおうと思った。

 

 アカリが、少しこの空間に住んでみないかと言うので、屋敷の中の一部屋を借りて暮らす事にした。綾波志津子捜索の仕事に関しては、アカリからフルセに連絡をとって、アタシに依頼が来るような手筈にしたようだ。

 

 アカリと同居するまでは、無表情で機械のように冷たい女だと思っていたが、二人っきりでいると意外とよく笑うし、酒が好きで酔うと、抱きついて離れなかったりと意外と可愛い性格なので驚かされた。

 三日目になると、アカリはアタシから離れなくなった。

「いくら何でも、一日中べったりくっつくのはやめて欲しいんだけど」と夕食後にお風呂に入る時まで、離れないので言ってみたら、聞こえないふりでやり過ごされた上に、ずっと抱きついてきて

「この、国にはキメラ種として作られた者は、私たち二人きりなのに?どうして、そんな酷いことが言えるのかしら」と言いながらナイフを突きつけて来た。

 これは、アタシが兄ちゃんに、いつもやっていた事だと思い、アカリはアタシに恋をしてしまったのかも知れないと思ったので、

「アカリって、アタシのことが好きなの」と少しセクシーなポーズで聞いてみたら、

「ごめんなさい私、そういう下品な感じはダメなんです」と言っていきなり部屋を出て行ったかと思うと、お風呂は一緒に入ってきて、身体を洗いあうように要求される。アカリは何故かどんな時でもナイフを持っているし、自分が気に入らないと、すぐに刺そうとするので、

「アカリって頭おかしいよね」と言ってやったら、嬉しそうな顔をして軽く切られた。

 アタシの血を見て、少し興奮したのか頬を赤らめていたので、アタシはアカリが怖くなって、逆らったり口答えしたりするのはやめて、どんな事でも従おうと思った。

 アカリの思う壺だった……

 

 そんな日々は、あっという間に過ぎ去り、兄ちゃんと再会する日が来た。可愛い服を着たり鏡の前でポーズをとったりしていたら、アカリが物凄く不機嫌な顔をしているのだが、この日ばかりは、アタシだって譲る気はないので、数日間のストレスをアカリに返す事にした。

「この変態女め!お兄ちゃんのことで、ヤキモチ妬いてんだろ?お前なんか、お兄ちゃんに比べたら」というとこまで言ったらアカリはボロボロと泣き出したので、

「ごめん……」と言って抱きしめたら嘘泣きだった。

 

 誰が作ったのか、わからない転送装置が屋敷内にあって、その機械でアタシは札幌のバスターミナルまで、一瞬のうちに転送が可能だとアカリがいう。

 そして、このシステムに関しては、兄ちゃんにも誰にも言ってはいけないのだとアカリはいう。ユートピアンチャイルドとは別の組織が、アカリの後ろにいるのかも知れない。猫のマゾも、

「あの、女だけは気をつけるんだニャア。さっきも嘘泣きだからニャ」と警告するぐらいなのである。アタシは、アカリと仲良くするべきではなかったのかも知れないと、少し後悔していた。

 

 屋敷の転送装置というのは、床に魔法陣のようなものが刻まれただけの部屋なのだが、実際にアタシの古書店とも行き来できるようになっているので、札幌までも問題なく行けるだろう。

 十月の初めなので、まだ雪には少し早いだろうが釧路へと行く道に異界への通路が開く可能性が高いと、組織は予想して、雷太兄ちゃんとチャイルドたちをアカリのいる、きさらぎ迄運ぼうとしている。

 そうなるとアカリは、アタシ以外には殆どのことを隠していることは間違いない。フルセは、この件に関して、どこまで知っているのだろうかと思ったが、アタシは何も知らないことにしておくのが良さそうだ。

 なんといっても、アタシはアカリが恐ろしい、ひょっとするとアタシよりも頭がパーなのかも知れない。

 そんなことを考えていると、

「じゃあ行ってらっしゃい」とアカリが、いつものポーカーフェイスで手を振る。床の魔法陣が、青白く光り始める。アタシもアカリに手を振ってニコリと笑う。

 全身が閃光に包まれる。光が消え街の喧騒が押し寄せる。周りを見るとバスターミナルの近くに送られていた。アタシは着替えなんかを入れたリュックを背負ったままターミナルに向かう。

 自分が乗り込むバスを確認して乗り場に行くと、五十人近い人数が、バスはまだかと待っている様子だった。アタシはその中に懐かしい人影を見つけ駆け寄る。

「兄ちゃん!」アタシは問答無用で抱きついた。

「六美、少し大きくなったか」と兄ちゃんが笑う。約一年ぶりぐらいだったと思うのだが、アタシには、とてつもなく長い時間に思えた。何だか意味もなく涙が溢れてきた。

 兄ちゃんは、ポケットからルートビアを取り出すとアタシにくれた。

 任務の話は、何もしなかった。兄ちゃんもアタシが、なぜ来たのか聞いたりしなかった。二人で前の方に座った。アタシは兄ちゃんの髪を引っ張ったり、耳たぶに噛み付いたり、首筋を舐めたりしていたら、

「こら!もう、やめろ」と言われた。兄ちゃんは何も変わっていなかった。少し面倒そうに優しく笑っていた。

「髪、伸びたね。けっこう似合ってる」とアタシはいう。

「六美、ちゃんと飯は食べてるか?なんか、また痩せてないか……」兄ちゃんは心配そうにアタシを見る。

「はやく、帰ってきてよ」とアタシは言った。兄ちゃんは、何も言わずに少し目を逸らした。

 

 バスが走り出した。おそらく運転手も、組織の人間なのだろうと思った。アタシ以外の乗客は皆、口も開かず人形のように座っていた。

 無言ではあるがアカリのように機械のように無感情という風ではなく、任務追行のために感情を殺しているような、雰囲気が伝わってくる。だから、嬉しそうにはしゃぐアタシを疎ましく見ているのが肌にピリピリと感じるのだ。兄ちゃんも、そんな雰囲気も含めて楽しんでいるように見えた。


 北海道はずいぶんと道が広く何もないんだと、兄ちゃんが話してくれるのだが、古本屋のまわりと学校しか知らないアタシには、どうもピンとこない。

「兄ちゃん、雪だよね」とアタシは窓の外を見ていう。

「俺も、よく知らないけど北海道って十月でも吹雪になるんだなぁ……」雷太兄ちゃんが、言っている間に周りは、一面の銀世界になっていた。

「こんなもんなの?」とアタシは言いながら、道幅や地形自体が変わってしまったように思った。

「……異界に、入ったのかもな……」少し緊張したような声で言った。

「兄ちゃんは、アカリと仲がいいの?」何となく聞いてみた。

「ああ、そんなには知らないけど!はじめの頃は愛想なかったけど、慣れてきたら面倒くさい」アタシは、やはりアカリは人見知りはするけれど、ほんとうは人懐っこいのだと思った。

「面倒くさいって、どんな感じに?」アタシは、兄いちゃんがアカリをどう思っているかに興味を持った。

「あいつ、よく変なポーズするだろ。それに懐いたら、自分のことを暗黒より来たる紅蓮の炎に包まれし灼熱の神クトゥグアとか、ふざけて名乗り出すから」と言って笑った。へえ、親しくなればアカリは、もっと面白い子に進化するのだと知る。

 アタシが想像してクスクス笑っていると、

「六美は、絶対変な名前をつけられると思うぞ……地獄の餓者髑髏みたいな奴」と言って兄ちゃんはニヤリと笑う。

 

 窓の外の雪の量が異常なほど多い、アタシたち以外の話し声が不気味なほど一切聞こえないので、後ろの席の人たちを振り返って見ると、皆が揃って死人のような顔で一点を見つめている。

「運転手さん、ひどい雪だけど大丈夫」と兄ちゃんは運転手に話しかけたが、バス内は静まり返ったままだ。静かすぎる、さっきまで聞こえていた風の音も、エンジン音も、何も聞こえて来ないのだ。

 バスが走っている感じすらしないのだ。フロントガラスから見える景色はテレビのモニターのように感じるほどだった。

 突然バスのブレーキ音が響き、車体が激しく横滑りして行くのを感じた。車内で一斉に悲鳴が広がる。

 バスはガードレールを突き破り、斜面を真っ逆さまに転げ落ちていった。アタシは激しい振動で意識を失った。


 どれぐらい経ったのだろうか、車内の騒めく声で意識が戻る。

 どうも運転手は、無線で連絡を取ろうとしているようだ。横や後ろの座席からも、他の乗客たちがスマートフォンで外部と連絡を取ろうとしているような感じがした。

 アタシは、このバスは組織が出した綾波志津子の救出部隊だとアカリから聞いていたので、観光客が事故に巻き込まれたような雰囲気に、奇妙な温度差を感じた。

 バスは車体を道の端につけて停車していた。兄ちゃんは何も言わず様子を見ているようだった。

 運転手は、無線も電話も通じず連絡が取れず、少しイラついているように見えた。

 乗客たちは、自分たちの状況を知ろうと運転手に詰め寄るのだが、運転手にも状況が飲み込めていないようなので、一旦バスから出てトイレ休憩を取る事になった。

 アタシと兄ちゃんは、真っ先にバスから出た。周りは雪などなく暖かく秋の虫たちが鳴いていた。

「兄ちゃん、道路が舗装されていないよ」とアタシがいうと、

「異界に来たようだ」と言いながら、バスの前方にある古いトンネルを見ていた。

 他の乗客たちは、運転手に群がり何とか状況を確認できないものかとヒステリックに詰め寄っていた。

「このバス自体が、綾波志津子さんの救出部隊って聞いてたんだけど……」アタシと兄ちゃんは、他の乗客たちと距離をおいて話していた。

「ひょっとしたら、その情報を知っているのは俺たち二人だけかも知れないな。チャイルドと保護者を何かの実験に使うためだけに載せたのかもね……やりそうな事だ」と兄ちゃんは不愉快そうに言った。


 バスの運転手からGPSも効かず、連絡も取れないので、怪しげな地域から離れるために、しばらくバスを走らせるので乗車するように言われた。

 走り出したバスの乗客は、なぜか札幌を出た時のように静かだった。

 この感じは、何なんだろう?てっきり任務を意識した集団だと思い込んでいた事が、的外れだったアタシは他の乗客たちの目的が理解できなくなっていた。

 バスは、トンネルに入り走り続けた。古く狭いトンネルは、かなり長いようで、もう一時間近くトンネルの中を走っていた。トンネルの天井に設置された照明は薄暗く、あちこちの電球が切れているのかチカチカと点滅していた。アタシは寝たふりで雷太兄ちゃんに抱きついて、兄臭を満喫する。

 アタシはまた眠ってしまったようで、兄ちゃんにコンコンと頭を小突かれ、目を開けると、バスはトンネルから出て、道の悪い深い森をゆっくりと走っていた。激しい尿意を感じて、雷太兄ちゃんに伝えると、兄ちゃんは運転手にトイレ休憩を提案してくれた。

 他の乗客もトイレに行きたかったようで、バスは森の中で止まった。乗客たちは怪しげな森を彷徨うバスに不安を感じていたようで、バスが止まると、運転手への不満を各々が言いはじめる。運転手の男もストレスがピークに達して、癇癪を起こしていた。そんな中でアタシは、一人で森の中に入り、木陰でこっそりと用を足す事ができたのだった。

 ほっとしたアタシは、その後で、少し森の中を見て回っていたのだが、森の木々がぐんぐんと見ていてもわかるほどに成長していることに気づき兄ちゃんが、他の乗客たちが残ったバスに戻るのだった。

「ムツミ逃げるぞ!」と言いながら、兄ちゃんが走ってきた。

 バスを見ると、草木に巻きつかれて、とても動けるような状態ではなかった。乗客は皆バスの中に逃げ込んでしまったようだった。

 バスの周りには、人とも獣ともつかぬ異形の怪しげな黒っぽいものがうごめいていた。運転手の男性は、単身バスの昇降口のドアを開けっぱなし、激しくマシンガンを連射しているのが見えた。

「兄ちゃん、あれが怪異なの」とアタシは聞くのだが、兄は何も答えずにアタシの手を引いて森の奥に逃げるのだった。

 薄暗くなっていく森の中を走るが、その後ろから薄気味の悪い、黒い影が追い掛けてくるのだ。                「あいつらの話は絶対聞くんじゃないぞ」と兄ちゃんは言う。アタシたちは森の奥へ奥へと逃げた。でもそれは、周りを崖で囲まれた行き止まりになった空き地へと追い詰められていたのだった。

「兄ちゃん、これ以上は行けないよ」アタシは怖気づいて、すっかり弱気になっていた。

「大丈夫だムツミ、ここなら何とかなる」兄ちゃんは、肩に担いでいたソフトケースからギターを取り出し、ストラップで肩から吊るしてブロークンアローをぶら下げ、腰につけていたワイヤレススピーカーを空中に展開させる。

 ものすごい数の異形の者たちが、こちらに迫ってくくるのが見えた。肌は黒くヌメヌメとして悪臭を放ち、歪んだ顔のような物の中に、大きなギョロギョロと、こちらを見つめる眼球を持っていた。

 アタシは、その気味の悪さに腰を抜かし、漏らしてしまう。

 兄ちゃんは腰に装着したワイヤレスエフェクターの電源を入れると、歪ませたギターをかき鳴らし始めた。

 ギャイーンと唸るディストーションサウンド。聞き慣れたクリムゾンの曲が流れ出すと、怪異が黒い霧になって消えはじめるのだが、怪異の数は多く、次から次へと増えていく。

「やべえな!ムツミ立てるか?森から追っかけてきた奴は片づけたから、もと来た道を戻れ」兄ちゃんは、そう言うと新たに崖から駆け降りてくる怪異に向かって、ギターをかまえる。

「無理!腰が抜けて立てないよ」アタシは泣き喚いていた。その時に空からドラムの音が響き渡る。兄ちゃんはドラムにあわせて、演奏に戻る。怪異はディストーションサウンドと、激しいドラムのビートに合わせてかき消されていった。

 怪異が消えると、大きなドローンにドラムセットがくっついたようなものが、空中から降りてきた。

「助かった!志津子さん。やっぱり生きてたんですね」と兄ちゃんは、ドラムを叩いていた女性に笑いかけた。

「雷太、もうここはダメよ。今は外宇宙から合流した光の戦士の救援で何とか、なってるだけだから」と志津子は言った。立ち上がって兄ちゃんに近づく。身体に張りつくようなピタピタのミニ丈のワンピースを着ていて、胸がデカく、尻もデカいくせに腰が細い。腹が立つほど腰が細いし、背も高いし、顔が綺麗なのだ。おのれ綾波志津子!

 兄ちゃんが綾波志津子に抱きついて、二人でねっとりとイヤらしいキスをしはじめる。

 アタシは、猛烈に腹が立つのだが、怪異の消えた安心から、オシッコが止まらないのだ。

 兄ちゃんと綾波志津子は、二人で話し合っていたが、少ししてお兄ちゃんと二人で、アタシに話があるので聞くようにいう。

「五年後に、この場所で会おう。この作戦をアカリには知られたくないんだ。だからアカリに会う前にムツミの記憶を書き替えておくよ。五年後に再開する前にはムツミの記憶は戻るように細工しておくから、俺は志津子さんと二人で、光の戦士たちと五年後の作戦の為に宇宙に行く」と兄ちゃんは信じられないことを言い出した。

「イヤだ!アタシも連れてって」とアタシは言う。

「ごめんねムツミちゃん、あなたには私の娘を見てて欲しいの、その子は魔法石をこの森で探さなければならないのだけれど、私たちには時間がないの、お願いね。さっき雷太が言った記憶操作も、娘の胡蝶がやってくれるから心配ないわ。でも鳥居灯にだけは気をつけてね」と綾波志津子は言った。アタシは返事もせずに睨み続けた。

「じゃこのギターを使ってくれ、胡蝶はすぐに来るから、じゃあな」と兄ちゃんは、ブロークンアローをアタシに渡すと、静子と二人でドローン乗って、イチャイチャとしながら大空へ消えていった。

「にいちゃーん!イヤだイヤだ」とアタシは空に叫んでいると、空から三人の特撮ヒーローみたいな全身銀色の宇宙人みたいなのと、五歳ぐらいの人間の女の子が空から舞い降りて来た。

「お姉ちゃんが六美ちゃんね、私は胡蝶、綾波志津子の娘です」なんか小さいくせに、大人びた喋り方をする気に入らないガキだった。アタシは返事もせずに、フン!と鼻を鳴らした。

「ありがとう光の戦士の皆さん、ここからは自分の力で魔法石を探します。またお会いしましょう」とマセ餓鬼は、特撮ヒーロー風の異星人に礼を言っていた。すると三人の銀色の異星人共は、ウッ!とかジャッ!とか掛け声を出して空に飛び上がると、そのまま消えて行きやがった。

「あらムツミちゃん、漏らしちゃったの?でも仕方ないよね、だって怪異は怖いもんね、でも私がいれば大丈夫よ。雷太兄ちゃんとママが結婚したら、ムツミちゃんと私は本当の姉妹になるのよね」とクソガキが意味不明のことを言い出したので、

「舐めんなよ、このガキがぁあああ」とアタシは、ガキの髪の毛を鷲掴みにすると頭を地面に擦り付けて、

「お姉ちゃんのオシッコ全部飲めよ!」と言いながらクソガキの頭を尿まみれにしてやっったら、クソガキはオイオイと泣き出したのでスッキリした。

 クソガキは少し反省したようで、そのあとは生意気な口を利かなくなった。

「ごめんなさい」とか「もう殴らないで」とか「何でも言われた通りにします」しか言わなくなったので、いっしょに魔法石とやらを探してやる事にした。

「胡蝶ちゃん魔法石って、この森のどこにあるの」と泥だらけになって、いつまでも半ベソをかいているガキんちょに聞いてみる。

「ママが言うには、池の近くにあるアーカムストアっていうコンビニに置いてあって、ママから預かった金貨と交換してくれるって言ってた」と胡蝶は言った。やっぱり、この母娘はアホなのかも知れない。

「そうなんだ、悪い奴が来たらいけないから、お姉ちゃんが、その金貨を預かってあげる」とアタシは言ったのだが、クソガキは警戒して金貨を出そうとしないので、つまずいたフリをして何度も蹴ってやったら泣いた。アタシは面倒になって一人で森の奥にズンズン分け行っていくと、前方から怪異の気配がしたので、慌てて胡蝶ちゃんの元に駆け戻る。

「胡蝶ちゃん、怪異が来たよ助けて」と言うと、                  「はやくアーカムストアを探しましょ。いまの私の武器だと、多くの怪異が来たら喰われちゃう」なんてクソガキ胡蝶が言った。バカにすんなよ。綾波志津子がクソガキが助けてくれるって言うから安心してたんじゃないの!もうイヤ。

 アタシは胡蝶を負ぶって、森の中を走り回る。あちこちから怪異の不気味な声が迫ってきた。

 かなり近いぞ。アタシは生きた心地もしないのだった。

「あれ、あった。見つけた」アタシは森の奥にアーカムストアを見つけたのだ。それはコンビニのような建物だった。

 紅い看板に、白字でアーカムストアと描いてあるので間違いはないのだろうけど、なぜ怪異の森に、そんなものがあるのか、わけがわからないのだが、そんな事を気にしている余裕もなく、慌ててアーカムストアに飛び込む。

 そこには、年老いた魔女のような婆さんがレジの前に座っていた。

「お婆さん、魔法石はありますか」胡蝶はアタシの背中から降りて老婆に詰め寄った。店を怪異たちが囲んでいる。この店は結界のようなもので護られているのか、恐ろしい姿の怪異たちは中に入れないようだ。

「お嬢ちゃんは、魔法少女になる覚悟はできているのかい?」と老婆が言った。最初っから、こんなガキに関わらなければよかったと後悔したが、もう手遅れのようで怪異が、店のガラスを割ろうとしているのか、激しく体当たりをしていた。

「はいお婆さん、私は魔法少女になって怪異と戦わなければならないのです」と胡蝶は大真面目に言っている。まあ幼稚園児だし……

「暗黒の魔法石しかないけど……どうする」と魔女みたいな婆さんはいう。

「大丈夫です。金貨で交換してください」と胡蝶は、老婆に金貨を渡す。怪異はいっそう激しく体当たりを繰り返す。悪意に満ちた眼が恐ろしい。

 老婆は変わった形の宝石箱を胡蝶に渡す。

「その魔法石を掲げてシャイニートラペゾヘドロンと叫ぶのじゃ」と婆アが言った。

 怪異が暴れてどうしようも無いので、アタシは仕方なくギターをソフトケースから取り出しチューブラーベルズという曲を奏でる。怪異は少し怯んだようだが、どんどん数が増えてくる。

 

「シャイニートラペゾヘドロン」と胡蝶が叫ぶ声が、すぐ後ろから聞こえ、周りが黒い光とでも呼べばいいのだろうか、そうとしか呼べない光に周りが包まれる。

 アタシが振り返ると、変身と言っていいのだろうか、魔女のようなつばの大きな帽子を被り、黒い露出度のはげしい衣装をマントで隠した胡蝶がそこにいた。

「魔法少女シャイニートラペゾヘドロン参上!」と胡蝶が言った。

「あんたら厄介ごとは表でやっておくれ、店が壊されたらたまったもんじゃない」と老婆は言いながら、アタシたち二人を怪異の群れる店の外に放り出すのだった。

「いやあああああ怖いいい」とアタシは泣きながら腰を抜かし、また漏らしてしまった。「グヒヒヒヒッヒ」胡蝶が怪しげな声を出して笑っていた。口からだらだらと涎を垂らしていて、もうどっちが怪異なのかわからない。

 アタシは魔法少女というのは怪異の一つなのだと理解した。胡蝶の腕は怪異の身体を飲み込むほど大きくなり長い尖った爪まで生えて、それは悪魔の腕のようだった。その腕で怪異を捕まえるとグチャグチャに引きちぎって殺したり、自分の口元まで引き寄せると、口が耳まで避けて鬼のような形相で怪異の頭をかじったりする。怪異の頭がグシャリと潰れて目玉が胡蝶の口からこぼれ落ちた。

 アタシは堪えきれず嘔吐してしまう。あっという間に胡蝶は怪異を片付けてしまった。

「魔法少女の力を思い知ったか!クケケケケケッケ」と胡蝶は鬼のような形相で笑いながらアタシに近づいてきた。

「私は、やられた事は倍以上にして返すタイプなのだけれど、さっきはよくも虐めてくれたな……あ!それと、バスの人たちは異空間に閉じ込めてあるから、いつでもムツミちゃんが見れるようにしてあげるね。あの人たちは死ねないから……グヘヘヘ」と胡蝶は悪魔の手でアタシの頭を掴んだ。アタシは仕返しに頭がつぶされると思った。

「ごめんなさい!ごめんなさい!なんでも言うこと聞きます。うんこでもなんでも食べますから許してください」とアタシは心の底から詫びた。なんだよ、なにが魔法少女だよ……こんなもん悪魔じゃねえかよ……怖いよ怖いよ。アタシは泣いていた。

「あ!そうだ。記憶を消さないとママに怒られるわ」と胡蝶が言った瞬間、一瞬にして森一面が炎に包まれた。

「いい加減にしておくれよ。お前達のせいで炎の魔女クトゥグアまで来ちまったよ。もうこのンガイの森もおしまいさ」と言いながらアーカムストアの老婆は手に持てるだけの荷物を抱えて逃げ出した。

 胡蝶はアタシの記憶を消そうと呪いを唱えた。急な睡魔に襲われるアタシの意識が消える寸前に胡蝶は火だるまになって転げ回っていた。そしてその後ろには、炎で包まれた真っ赤な森をバックに美しい女が立っていたのが最後の記憶だった。

 そしてアタシの多くの記憶は五年間のあいだ封印されていたのだ。                             「ムッちゃん!ムッちゃん!大丈夫」クミの声でアタシは意識を取り戻す。

 周りを見るとクミとカヌマーンが、アタシを覗き込んでいた。アタシはスタジオの長椅子に寝かされていた。そうだ、明日森に行くことが決まって、音合わせのためにリハーサルをしていたのだけれど、アタシは途中で気分が悪くなって蹲ってしまったのだった。

「気分はどう」とアカリが、クミたちの後ろにいた。

「うん、だいじょうぶよ。ルートビアが飲みたいわ」とアタシは立ち上がって、スタジオのドリンクベンダーの置いてある所まで行って、ポケットから小銭を出そうとするのだけれど、ライダースのポケットから小銭が出て来ない。

「買ったげるよ」とクミが自分の小銭を自動販売機に入れて、ルートビアを買ってくれた。

「ありがとう。ちょっと目眩がしてね」とアタシは、そういうとルートビアを飲む。

「私と神沼くんは、二人で一部屋用意してもらったから、ムッちゃんも今日は休んだほうがいいわ」クミはそう言うとカヌマーンと二人で、住居の方に行くからと言って、二人でアカリの屋敷の方に歩いて行った。

 アカリがいつの間にか取り出した缶ビールを飲みながら、アタシを見て微笑みかけてきた。

「立てるようなら、私の部屋に行きましょうか」とアカリは口を開いた。

「五年前のこと、全部思い出したよ。それで聞きたいんだけど、胡蝶って子どうなったの」アタシは、アカリの後ろについて行く。

「……そっか、ムッちゃんの本当の名前は、思い出せて?」アカリはアタシの質問は無視して、理解できないことを言ったが、アタシは、何の事やらと考えていたら、彼女は屋敷から出て裏庭のような所に歩いて行く、少し歩くと小さめの野外劇場のようなところに辿り着いた。

 その中心に何故か金属の大きな扉があり、アカリはその扉を開く。

「この場所も覚えてないよね……」とアカリは呟くように言った。もちろんアタシは、こんな扉のことなど知らない。扉の中は碧く怪しげな光に満たされていた。

「危険はないから入って」と言われアカリについて行く。奇妙な空間は少し続いて、突然街の真ん中に出る。広い道路に高いビルディング、夜でも煌々と照らす道路脇に設置された照明たち。

 アカリは、振り向きもせず歩き続け、歩道橋の階段を上がって行く。

「ここで、私たちは初めて出会ったのよ」アカリは歩道橋の真ん中で立ち止まり振り向いた。ビル街には人気は無く、一台の車さえも走ってはおらず。歩行者用の信号からのメロディだけが虚しく響いている。

「ここはどこなの?」アタシが聞くと、

「ここが本当のきさらぎ駅よ」と言ってアカリは地下鉄の出入口を指差した。アタシがキョトンとしていると、

「行きましょ。そこの公園の裏だから」と言ってアカリは、また歩き出した。

 歩道橋を降りると公園があり、その横の細い歩道を少し歩くと、五階建てぐらいの集合住宅があった。集合住宅の入り口から小さなエレベーターに乗り四階で降りた。

「まあ覚えてないでしょうけど」と言いながらエレベーターのすぐ横の部屋に招かれる。

「ムッちゃんと、出会った時に暮らしてた私の部屋よ。ここで胡蝶が世界をリセットしてから、きさらぎ以外の場所と、私以外の人間が消えてしまったの……」アカリは、そう言いながら部屋の照明をつけると、冷蔵庫からルートビアとビールを出して椅子に腰掛けたので、アタシも彼女と向かいあわせて座り、テーブルに置かれたルートビアに手を伸ばした。

「なんで、消えたの? 世界……」と言いながらアタシは、ルートビアのリップル捻る。

「まあ、騙されてやったとはいえ、あなたが消したんです。ここでこのセリフをムッちゃんに言うのは、もう何百回目かしら……伝えるたびに、なんていうか怒りというか殺意!うん殺意よ。殺意が湧いてくるわ」とアカリは不愉快そうに缶ビールを飲む。

「なんのことだか?身に覚えがないです」とアタシは言うのだが、アカリは睨み続ける。

「ムッちゃんは、自分が神様だったと言われても、何のことかもわかんないよね」と言われても、何を言っとるんだ?この女は。

「思い出させようとして、大事な場所に連れて行くたびに、酷い事になるんだけれど、もう、これ以上は悪くならないので、神の部屋に行きましょうか」アカリがそう言うと、窓から見えていたビル街が消えて、只々真っ白いオブジェクトが立ち並ぶ景色へと変わった。それと同時に冷蔵庫の横に白い扉が現れる。

「どうぞ」とアカリはビールを飲みながら、白い扉を開き、中へと入って行くのだった。

 その中は、だだっ広い真っ白なコントロールルームのような場所になっていた。

「なんだか夢の中で来たような……」とアタシの口から言葉が漏れた。

「そりゃそうよ、ここで私たちが作った世界を制御してたんだから」とアカリは言うのだが、どうもピンとこない。

「アンタと出会った頃、私は仕事や人間関係に疲れて、死のうと思っていた。歩道橋から車の波に飛び込んで終わりにしようとしてたら……バカみたいに酔っ払ってご機嫌な、二人の自称神様が空から舞い降りてきて言ったのよ」アカリはため息を吐いてから、

「アタシも、さあ、世界をコントロールするの飽きちゃってさぁ。何だったらリセットしやう?やっちゃう?どうよどうよ。なんて言ってきたのよね。それがムッちゃんと胡蝶なんだけどね」と言った。

「んな、わけないじゃん」アタシは断固否定する。

「だよね。私も、そう思いました。でもね自称神様が言うのよ。懐から大きな白いボタンを出して、リセットしちゃえよ。なんだ怖いのか?この根性なしのチキンがよおお。と言いながら挑発するのよね。酒臭い息を吐き出しながらね」とアカリが言う。      「アタシお酒飲んだ事ないし……」アタシは、そう言いながらも、アカリの言葉に嘘はない気がしている。

「全部忘れちゃったんだよね。あああああああああああ!むかつく」アカリはよほど我慢していたようで、信じられないような大声をあげてアタシを睨みつける。

「わかりました。また全部説明します。かなり長い話になるけど、途中で寝たらナイフで滅多刺しにするから、そのつもりでね。ムッちゃんは不死だから、いくら痛くったって死ねないってのも思い出しといてね」アカリはナイフを取り出すと、少し嬉しそうに笑った。

「そうね、この世界から人間が消えてから、もう一千年以上は経つのよ。歩道橋で死のうとしていた私をムッちゃんは助けてくれたのよ。そう言えばいい話に聞こえるかも知れないけど、そのあとが最悪だった。

 私は助けてくれたお礼にと、あなたを部屋に連れてきて一緒にビールを飲んだのよ。

 私は、その頃付き合ってた男に騙されて多額の借金は背負わされるわ。両親は事故で亡くなるわ。悪い病気が見つかって余命半年なんて診断されるわ!と最悪な状態だったんだけど、アンタたちに会ってなければ、誰もいない世界で不死になる事もなかったんだけどね」アタシは、アカリの言葉に相槌を打つしかなかった。目が怖い。いつ刺されるかわかったもんじゃない。

「ムッちゃん、アンタはね。この部屋で飲みすぎてひっくり返って、間違って世界のリセットボタンを押しちゃったのよ。

 それでも、世界のデータはサーバーみたいな所に残っているから、すぐ復旧できるから心配は要らないってムッちゃんは言ったのよ。

 で、この真っ白な部屋に連れて来られて、一緒に直そうって言われたので、着いてきたのよ。そしたら、アンタが機械にビールこぼして機械が壊れちゃって、隣接する世界を管理していたアンタが今お兄ちゃんだと思ってる雷太と、綾波志津子に助けてもらおうと連絡したら、ムッちゃんは、二人から馬鹿にされて三人で大喧嘩になったのよ。

 それで、アンタは世界修復無理!とか言い出して、別次元にコピーした地球を造ったのよ。綾波志津子と雷太の管理していた宇宙も自分の領土とか、胡蝶が言いだしたから、なんか恐ろしい事になるんじゃないかなぁ、なんて思ってら、案の定酷い事になったのよ。いまから思うと、全部が胡蝶の計画だったのよ」アカリは缶ビールを飲み干した。

「あの、よく分からないんですけど」とアタシは小さな声で言った。アカリは興奮してきたのか、説明する気がないのか、ナイフでアタシを刺そうと振り回す。

「怖いんですけど……」アタシは泣きそうになる。アカリは怯えたアタシを見て、心の底から喜んでいるようだ。

「アカリさん、アタシが何をしたか覚えてないんですけど許してもらえないでしょうか」アタシはとりあえず土下座をする。

「もう、いいのよ。自力で修復したから……千年もかかったけどね。綾波志津子さんが、私にくれた辞書と、あなた達の世界のマイクロコンピューターをマスターしてね……だから、ムッちゃんが酷いことをした綾波さんとと雷太さんには、お礼しなきゃ……」アカリはそう言うと、白い部屋からでるように手招きする。アタシはアカリの機嫌を損ねないようにビクビクしながら、冷蔵庫の置いてある部屋に戻る。あちこちをナイフで切りつけられたので自分の身体から、結構な量の血が流れている事に怯えていると、冷蔵庫の横でアタシのお腹は、アカリのナイフで滅多刺しにされる。

 死んだ!と思い、あまりの痛みに気を失うのだが、しばらくすると目が覚めて部屋中が血まみれになっていた。

「そこに、要らない布を積んでるから綺麗に掃除するのよ。血まみれの服は捨てるのよ」とアカリは、何事もなかったかのように言うのだ。アタシは血塗れの衣服を全部捨てて全裸になったのだが、身体に傷がない。

「あれ!」とアタシは声を漏らす。

「だから、アンタ達は死ねないって言ったでしょ」アカリは、落ち着いたようで、いつもの無表情な顔でビールを飲んでいた。

 アタシは部屋を綺麗にすると、バスルームを借りてシャワーで血を洗い流す。なんとなくいつもは使わないドライヤーで長い髪を乾かした。                「まあ、ちょっとだけ気が済んだから帰ろうか」とアカリは言って部屋を出ようとする。

「あの……アカリさん。服がないんですけど……」アタシは何か着るものが欲しいと言うのだが、

「うるさい、お前に服なんかもったいない。逆らったら、もっと痛くするわよ」とアカリさんはナイフをチラつかせるので、

「すいません!ごめんなさい」と言いながら全裸で部屋から飛び出すと、アカリはアタシのみぞおちに膝蹴りを喰らわし、痛みでうずくまったアタシの腹を執念いぐらい何度も何度も蹴り付ける。蹴りが止んでからアタシは腹を押さえてゴホゴホと咳き込んでいたら、アカリが、さっきまでアタシを蹴っていた右脚を少し前に出して、

「ムッちゃん!お礼は」と言って睨むのだった。アタシは慌てて床に這いつくばると、アカリの靴のつま先から、靴底までベロベロと舐めて、

「ありがとうございました」と言った。アカリは少し満足そうな顔で、

「それだけ?」と小さな声で言うので、

「ありがとうございます。とっても美味しいです……」とアタシは言ってしまった。

「じゃあ、少しお散歩してから帰ろうね」とアカリは無表情に言うのだが、機嫌がいいのがわかる。

 アタシは以前にもアカリに酷い目に合わされたような気がする。はっきりとは覚えていないのだが逆らうと尋常ならざる苦痛を与えられる気がするのだ。それは痛みの記憶なのか恐怖の記憶なのだろうか、アカリの態度で無意識に身体が反応してしまうのだ。

 アタシの記憶は、何度も何度も書き換えられたり、書き足されたりしている事は間違い無いのだと知る。

 アタシには、アカリは復讐の準備をすべて整えたので、近いうちにアタシを含めたターゲットに思い知らせてやると、死刑宣告されているのではないかと思えて仕方がないのだった。

 ここの、きさらぎ駅は大きな街で、すべての店舗に入る事もできた。ただ、駅の表記は漢字で如月駅と書いてあった。

「ここで、服を選ぶといいわ」アカリが派手な照明のジーンズショップらしき店の前で立ち止まった。看板には『六美の店』と書いてある、アタシは言われるがままに店内に入るが、そこはアタシのクローゼットのような店で、さっき血で汚れ捨てた衣服も、綺麗な状態で何着も置いてあるのだ。

 アタシがポカーンとしていると、

「さっさと選びなさい。昨日この店造ったんだからね。いまは、私が神でゲームマスターでゲームクリエーターだから」アカリはすっっかり上機嫌になっていた。

 彼女の機嫌の良いうちに、さっさと衣服を選ぶ事にした。いつものライダースに、黒いマイクロビキニと黒い革のホットパンツに20ホールのロングブーツを着用して、ようやく全裸散歩から解放される。

「ムッちゃん帰ろうか」アカリはそう言うと店内に大きな金属のゲートを出現させる。扉が開くと来た時と同じ碧く光る空間があった。二人でゆっくりと空間を歩く。

 アタシは、アカリを怒らせた原因の記憶はすでになく、おそらくもう戻る事もない記憶なのだと思われるのだが、今日のアカリは、ちょっと怒りをぶつけたかっただけのように思えた。

 ナイフで滅多刺しにされたりもしたが、アタシが死なないと、わかっているからしているのだし、どうやらアタシたち二人は、相当仲の良い友達だったのだと、いまのアカリの表情や態度から感じた。

「アカリ、なんっも覚えてないんだけど、ゴメンね」とアタシは言った。

「ハハ!あんたは、いつもそうだ。たぶん明日で、私が考えてた形に出来るはず」アカリは、そう言うと嬉しそうに笑って、アタシを強く抱きしめた。

 ゲートを抜けて、スタジオグラバートの裏庭にでた。

「ムッちゃん、さっき胡蝶のこと聞いてたよね」とアカリは少し意地悪な顔で言った。

「あ、うん。あの娘って……因縁あるんだよねぇ……アタシは五年前に森で出会った事以外は、まったく記憶から消えてるけどね」アタシは正直に言った。

「私には、あの子が悪の根源だからねぇ。絶対に許さない」と言いながら、アカリは納屋の横に置かれ、ひどく破損した犬小屋を睨んでいた。

「え!まさか?犬小屋の中……」とアタシは恐る恐る聞いてみた。

「そうよ、五年間あそこで飼ってるのよ。ちゃんと餌もやってるから生きてるわよ。アイツだけは許さない……易々と殺したりしないし……あいつも死ねないんだけどね」とアカリは笑うのだが、眼から殺意が消えないので、あの胡蝶って娘は余程のことをしたに違いないと思うのだった。

 だって、アカリは大抵の事は許してくれるような性格だから……

 あれ?アタシのこのアカリに対する信頼はなんだろう……おそらくこれは記憶をなくす前からの彼女に対する想いなのだろう。


 アタシはシャワーを浴びて、アカリのベッドに潜り込む。

 夢を見た。アタシは母と二人でテレビを見ていた。父は仕事でいない、そうだ夏休みのなんでもない午後で、そろそろ宿題でもやらなきゃなんて思いながら、ぼんやりとテレビをつけてスマホを触っていた。

 突然テレビと、スマートフォンから、緊急事態発生と警告音が、けたたましく鳴り響く。

「母さん、なんか長距離ミサイルが世界中に飛んだって……」アタシが言うと、母がこちらを振り向く。

 そして、全てが眩い閃光に包まれまぶしくて何もみえなくなる。

 次の瞬間、アタシは如月駅のビル街に、一人立っていた。

 街には人も多く、車もたくさん走っていた。車のことはよく知らないけど、お父さんが好きそうな年代の車がたくさん走っていた。

 アタシは、この如月駅が何県なのか、今日は何日なのか、分からないことを行き交う人達に、尋ねるのだが、街ゆく人々はアタシのことが見えていないし、声も聞こえていないようだった。

 アタシは地下鉄に乗ったり、見知らぬオフィスに入ったりしてみたが、やはり誰もアタシの存在には気付かない。アタシは母と部屋で死んでしまっていたのだろうかと考えた。

 母はどうなったのだろう?この如月という場所はなんだろう?

 寂しくて恐ろしくて、アタシは、その場にうずくまって泣き続けた。何日もそうしていたけれど、何も変わらない。人々はただアタシをすり抜けて行くだけで、気づく事もない。言葉もかわせない孤独だった。

 もう一度死ぬことが出来れば、違った世界に行けるかも知れないと思った瞬間、アタシは走っていた。歩道橋を駆け上がり、交通量の多い道路を見下ろす。

 飛び降りようと思い、歩道橋の手すりに右手を乗せた時に、

「待ちなさい」と肩を掴まれた。アタシは振り向いて、

「私のこと見えてる?」と聞いた。その女性はポカンとしてアタシを見た。

「アンタは漂流者ね……私は綾波志津子。あなた名前は覚えてる?」アタシは、こうしてシズちゃんと出会ったのだった。

「……ええっっと 牟田貞子」この時でさえアタシは自分の名前を忘れかけていた。この時からアタシはムッちゃんと呼ばれるようになったのだった。

 

 そしてシズちゃんの部屋に連れて行かれて、色々な世界の分岐点になっている如月駅に住み着くことになったのだった。

 この、如月には色々な世界をサーバー上で管理する会社が多数あって、シズちゃんも数人の仲間と、そんな会社を経営しているということだった。

 シズちゃんが言うには、ここ最近そんなサーバーが破壊される事件が、相次いでいてシズちゃんも管理者として他人事ではないと言っていた。

 別サーバー内の住人でサーバーが破壊された時に意識体として、この如月駅に出たのではないかと言っていたが、そう言ったシズちゃんですら、そんな事例を見たことがないと首を傾げていた。

 アタシはシズちゃんと、接触したことをきっかけに、きさらぎ駅では実体化して、誰からも見えるし話だって出来るようになった。やはり、アタシは別サーバーから出てきた異次元の住人のようだった。

 それを調べるためにも、アタシは空間構築シュミレーションサーバーの勉強も兼ねて、シズちゃんの会社に勤め始めたのだった。

 そして、その会社のリーダーが胡蝶だった。そしてシズちゃんを慕っていつも側にいたのが雷太兄ちゃんだった。

 アタシに色々と教えてくれたのは……そうだ優秀なプログラマーの胡蝶だ……

 そうだ、その裏で胡蝶がサーバーを破壊している犯人で、その目的はいろんな次元のサーバーの破壊と再構築で、それによって、あらゆる仮想現実と現実を繋ぐことだったのだ。

 冥界と天界も異界として繋げ、全てを管理しようとする狂った組織の末端の一人が胡蝶だったのだ。

 アタシたちのサーバーも胡蝶の計画で、アタシが破壊したようなものだ。そしてアタシたちは意識も消され異界に飛ばされてしまった。

 だが、どういうわけか最後まで、無人の如月駅に独り残されたアカリが、アタシたちを覚えていてくれたのだ。そして長い歳月をかけて、アタシのもとへ辿り着いてくれたんだ。

 アカリは胡蝶への復讐と、彼女らの野望を阻止する為に、小さな、きさらぎ駅を作り出しスタジオグラバートに潜伏し機会を伺い、彼女の仲間であったアタシとシズちゃんと雷太兄いちゃんを探し、たった独りで計画を練り上げていたのだ。


 アタシはガバっとシーツを捲り、目覚めた。窓を見ると薄っすらと空が白みはじめていた。

「ムッちゃん、どうしたの?まだ早いよ」とアカリが薄目を開けて言った。

「多分、全部思い出せたと思う。アタシの本名は牟田貞子」アタシはいう。

 アカリは、起き上がるとアタシに抱きついて離れなかった。


 アタシはベッドの上で、アカリがくれたクッキーを食べていた。

「でも、困ったなあ!今日は、もう一度森に皆んなで行くけど、雷太と志津子とやりあわないとなんないだろうなあ」とアカリがため息混じりに言う。

「なんで?」アタシはそう言いながら、雷太兄ちゃんがアカリに気をつけろと言ってたことを思い出した。

「チャイルド管理局の司令なんて、胡蝶の自作自演みたいなもんだからね。でもムッちゃんが記憶を取り戻してくれたのは驚いたよ。肉体は変わっても以前のバックアップサーバーにアクセスできたのかも知れないね」アカリはそう言いながら嬉しそうに、アタシに身体を絡めてくる。

「そうか、兄ちゃんもシズちゃんも、胡蝶が作った記憶のまんまだったねぇ」アタシはルートビアも飲みたいと付け加える。

「昔のままの肉体を持ってるのって私だけだからね。胡蝶なんか子供になってるしね……」アカリの言葉で、アタシは胡蝶さんに会った時のことを思い出した。

「そうだ、胡蝶さんって昔は意地悪そうな、お姉さんだったもんねぇ、あんな可愛らしい子供になってたねえ」アタシは昔の胡蝶に、よく虐められてたのを思い出した。

「ねえアカリ、兄ちゃんとシズちゃんの記憶のコピーとか用意できないの?」アタシはルートビアを受け取り、口へ運ぶ。

「その手があったか。私がシズを押さえつけてムッちゃんが強制インストール」とアカリはいう。

「それぐらいしかないよね。兄ちゃんかシズちゃんのどっちかだけでも記憶が戻れば、なんとかなるかもね」アタシはそう言いながら衣服を身につける。アカリはマイクロカードに二人のメモリーを写しているようだった。

「アカリ!胡蝶を見に行ってもいい」とアタシが言うと、

「私も行く!毎朝あいつを虐めるのが日課なんだ」とアカリは笑った。そうアタシも胡蝶を何発か蹴ってやろうと思っていたのだ。

 アカリとアタシは、胡蝶を閉じ込めている犬小屋に行く。頑丈そうな鉄格子で囲われた犬小屋の中には、目つきの悪い全裸の美少女がこちらを睨んでいた。

「なんで、裸にしてあるの?」アタシはあかりに聞いてみた。

「私たち以外には、胡蝶は犬にしか見えないプログラムをしてあるからよ」と言って笑いながら、アカリは首輪についた綱を引っ張り、胡蝶を犬小屋の前に座らせる。

 アタシは胡蝶のお腹がやけに膨れている事に気づく。アカリが胡蝶のポッテリと出た腹を踏みつけたり、蹴ったりしはじめた。

「お願い!やめて。堪忍してください……お願いですから、ウンコさせて」と言いながら丸まって泣き出す胡蝶だった。

「へえ胡蝶さんも、子供になったせいかおとなしいじゃん」とアタシがいう。

「あぁあ、これね五年前ここに閉じ込めてから、お尻に栓をして、月に一回しかウンコさせてないから苦しいのよ」と言いながら笑った。

「えええええええ」アタシは、アカリも中々に怖い女だった事を思い出した。

「初めの頃は、三ヶ月我慢させてたら、こいつ口からうんこ出すんだよ」と言いながらアカリは、腹立たしげにガンガンと胡蝶の腹を蹴り続ける。

「うっぐううううう!痛い痛い。お腹が!お腹があああああ」と胡蝶はのたうち回るのだった。アタシは段々と気分が悪くなってっ来た。

「やめなよ!」アタシは反射的に、アカリを蹴り飛ばしていた。そして胡蝶の尻に突っ込まれていた筒を引っこ抜く。

「アカリ、いくらなんでも五年間も、こんな檻に閉じ込めて、これって酷いと思うんだけど」アタシは、アカリに怒鳴っていた。

「ああ!バカ。その筒にはトラペゾヘドロンと、大便封印の術式が入っているから取り上げて」アカリが必死に叫ぶ。

「輝け!トラペゾヘドロン」胡蝶は、トラペゾヘドロンを頭上に掲げると魔法少女に変身する。そして筒ごと術式を燃やし灰にしてしまう。

 そして胡蝶は、

「うわあああ!漏れちゃう」と叫びながら凄まじい速度で飛び去ってしまった。

「ムッちゃん、私のこと嫌いになった?」とアカリが効いてきたので、

「見損なったわ!なんのつもりか知らないけど、ちょっと可哀想じゃない。あんた前は、そんなことしなかったよ」アタシはアカリに怒っていた。なんだか信頼を裏切られたような気持ちになっていた。

「後で、惚れなおしたとか言わないでよ」とアカリは、憎々しく笑っていた。

 確かに、胡蝶は出会った時から意地悪で性格の悪い、本当に嫌な奴だったけど、アカリが五年間も身近に置いていた。たとえ酷い監禁状態とはいえ世話をしていたのは、少し考えにくい……

 アカリは胡蝶のことが嫌い過ぎて、近寄りもしなかったのだから。


 スタジオの裏にある小さな森を抜けると、管理局から支給された装備品なんかの格納庫があり、シズちゃんが前に乗っていたのと、同型のドラムセットが一体になった、ドローンタイプの飛行音撃機から、各種楽器用の音撃機と、各楽器の音質音量をミキシングするための、大音量飛行型PAシステムが収納されていた。

 アタシたちが格納庫に着くと、クミとカヌマーンは先に来ていた。

「このシステムって、怪異と呼んでる低級霊をターゲットにしたもんだから、相手が反乱分子の人間相手だと普通に銃撃戦とかになるから、フルオートにしてドローンに任せて、私たちは撤退する事になるかな」とアカリが言った。

「反乱分子の人ってどういうことですか」クミが、出撃前の命令変更にイラッとしている様子だ。

「綾波志津子と雷太が、異星人の洗脳で敵として攻撃してくる可能性が高いという情報が入ってね」アカリは、五年前から知っていた情報をさも突然の状況変更のように伝えた。

「あと魔法少女と名乗るエルフ型異星人と思われる敵個体を見つけたら、相手にせず逃げろ。基本危なくなったらすぐに逃げろってことでよろしくお願いします」アカリは、そういうとフレットレスのエレキベースを持ってドローンを浮上させた。アタシもドローンの足元にエフェクターを並べると、ブロークンアローを持ってドローンを格納庫からだす。

「じゃあ、ンガイの森へ行くよ」アカリのドローンが飛び出すと、その後を皆が続く。

 その後ろにはスピーカーとアンプ音響機材が一式セットになった飛行型PAが、追従する。

 風が心地よかった。ゆっくりと目的地の森が近づいてくる。兄ちゃんとシズちゃんが攻撃してきたら、どうしようアタシは潔く逃げれるだろうか?イヤイヤその前に、二人に正しい記憶をインストールしなきゃならないのだ。


 五年前に燃えて灰になった森は背の高い樹々の群生する暗い森となっていた。バスもどこかに沈んでしまい見つけることさえ出来ない。

「森の中に、かなりの数の怪異と思わしき群れを確認」アカリの声がモニター用のヘッドフォンから聞こえた。二足歩行で蠢く黒い影は元は人間だったのかもしれない。

「空中のスピーカーは、怪異を包囲した。曲はマイフェイバリットシングス、ギターメインで鍵盤はオルガンで攻める」アカリのベースと、クミのオルガンが同時に入る。ドラムの後に、アタシはコンプレッサーでブーストしたクリーントーンでフレーズを絡めていく。

「低級霊には効果抜群だね」カヌマーンがフィルを入れながら言った。黒い影はあっという間に消えていくのだが、空に黒点が現れ、その点はどんどんと大きく広がり、空間にポッカリと開いた穴になる。

「なんか来るわ」クミの声がした。

「胡蝶よ!クミちゃんと神沼くんは撤退して」アカリが言うより先に、悪鬼の形相をした自称魔法少女の巨大な爪が、カヌマーンの機体のプロペラをひとつ粉砕する。バランスを失い森へ落下するカヌマーン。

「クミ!カヌマーンを」アタシは叫んだ。クミはふらつくカヌマーンの機体に接近して、カヌマーンがクミの機体に飛び移った。それと同時にアカリが、ドローンの下部に取り付けられたバルカン砲で胡蝶を攻撃する。

「くそ!アカリめ」悪魔の姿をした魔法少女は、その耳まで裂けた醜い口から真っ赤な炎を吐き、アカリに襲いかかる。

 アカリは、間一髪で炎をかわし、バルカン砲のありったけの弾丸を胡蝶のコウモリの翼にも似た羽根に打ち込んだ。

「とどめよ!消えちまいな」アカリは小型ミサイルを全弾発射する。

 胡蝶は、急旋回でミサイルを避ける。空間の穴からドラムセットを積んだ音撃機が、勢いよく飛び出してくる。綾波志津子だった、シズちゃんにおぶさるように雷太兄ちゃんが、サブマシンガンを構えている。

「兄ちゃん!シズちゃん!撃たないで」アタシは音撃機ごと二人に体当たりをする。アタシは兄ちゃんの背中に乗っかって首筋から液状データをインストール。それから続けてシズちゃんにもデータを入れると、アタシは重量オーバーになった機体から飛び降り、自動操縦の自分の機体を呼ぶ。アタシは地面に叩きつけられる寸前で、自分の音撃機に救われる。

「アカリ!やったよ」アタシは二人に、元の記憶データをインストールしたことを知らせた。

 シズちゃんと兄ちゃんを乗せた音撃機は、森の端にある少し広い丘に着陸していた。

 アカリとアタシも丘に着陸する。

「シズ!ライタ!記憶はどうよ」アカリが言った。

「胡蝶の奴!ひどい目にあったぜっ」兄ちゃんが言う。

「久しぶりに如月ソラリスが勢揃いなのにねえ、頭が痛過ぎて動くの無理」シズちゃんが言った。

 胡蝶も入れた五人で、アタシたちは如月ソラリスというチーム名で、ゲーム内の世界を創るように自由に、この宇宙や人々の生活環境を構築していた。

 それを胡蝶は悪質な支援団体と秘密裏に手を組んで、アタシたちを裏切ったのだ。

 現実化した世界を破壊したうえ、決して行なってはいけない歴史の改竄と、常識の差し替えによる狂った世界をアタシたちは構築させられてしまったのだ。

 管理者であれば、その構築した世界の肉体に、魂を自在に動かせることが出来ることを利用した胡蝶は、アタシたち元サーバー管理者の肉体と記憶まで改竄したのだった。

 ひとり閉じられた空間に閉じ込められたアカリは、その胡蝶が消し去った筈の世界と、胡蝶が新しく作り上げた改竄された世界のあいだに、きさらぎ駅という異界を作り上げ、独り潜んで怪異が出没する不可解な事件を起こし、胡蝶たちの団体から、世界を取り戻す機会を伺っていたのだ。

 空中から悪魔の身体を手に入れた。自称、魔法少女トラペゾヘドロンこと胡蝶が丘に舞い降りてきた。

「アカリ!よくも酷いことしてくれたわね。もう手遅れよ。この星は銀河帝国と光の戦士たちが取り囲んでるわ。一度あなたたちごと、この星と世界を消して、私たちでまた書き直すとするわ。数百隻の宇宙艦隊を相手には、何にも出来ないでしょ」胡蝶が勝ち誇って笑うのだった。

「えええ!マジで、私と雷太そろそろ結婚して、子供を作ろうかって思ってたのにさぁ」とシズちゃんがアタシにはショッキングなことを言った。

「じゃ、ひとまず地球の軌道にある人工衛星ソラリスに、移動しようか!」アカリが丘の上にいる三人に言うと転送装置を稼働させたようだ。

「あらぁ!本当に地球が艦隊に囲まれていますね」アカリが言う。アタシと兄ちゃんとシズちゃんも、ドーム上の人工衛星に転送されていたので、月の周りに大型の母艦が十隻ほど待機しているのが見えた。

「ムッちゃん、さっきは助けてくれてありがとうね。次の転生はアカリの飼い主にしたげるね」と胡蝶の通信が人工衛星内のモニターに大きく映し出される。

「アカリは家畜に決定!志津子と雷太は、自分たちの知らない間に協力してくれて、本当に感謝してる。だからアタシの部下の夫婦にしたげるね」胡蝶がおかしそうにゲラゲラと品なく笑っている。そうだ、アタシはちょっとだけ、胡蝶の作った世界で夢を見ていたのだ。そっか、雷太兄ちゃんのお嫁さんになれる世界はないんだ……つまんないなぁ、なんか変にちょっと夢を見させられたのが、腹立つなあ!

 胡蝶の奴は、自分が悪質な計画を企んだ時に、アタシがシズちゃんの恋人の雷太兄ちゃんを好きなのを知ってて、こんな設定の世界を創ったんだ。

 アタシが、この夢を受け入れるように……

 そう考えると、すげえ腹が立つなあ!アカリも悔しいだろうな。せっかくここまで独りで作戦立てたのに、また胡蝶につぶされるのかぁ。

「ごめんアカリ……アタシが胡蝶を犬小屋から逃さなければ……」アタシはしょんぼりと呟く。

「それがねぇ胡蝶が思うようには、行かないのよ」とアカリが可笑しそうにいった。

「強がっても終わり」と胡蝶が意地悪くモニター越しに手を振る。

 アタシたちの人工衛星ソラリスは、眩い光に包まれる。

 これは、月の横に並んだ宇宙艦隊の一斉砲撃だ。予定通り地球ごと消し飛ばして、あたらしい世界を作り直すのだろう。

 アタシたち四人の核と言える魂のデータは外宇宙にあるのだけれど、肉体が消しとべば、あとは世界を構築する胡蝶次第でどうにだってできるのだ……


「アハハハハハハ!驚いたかしら」ソラリスの衛星内でアカリの声が響き渡っていた。

 驚いたことに破壊されていたのは、月付近にいた宇宙艦隊だった。胡蝶のひきつった顔がソラリスのモニターで凍りついている。

「胡蝶さーん、私五年前に貴女を捕獲したときに、お尻の筒に入れた術式を燃やせば普通に排便できるようになるって言ったでしょ」アカリは楽しそうだ。五年間も狭い犬小屋で、そこまで酷い事をしていたのか……アカリって、やはり頭のネジかなんかが壊れているのかもしれないと思った。

「胡蝶さん、ムッちゃんに逃してもらった時よっぽどウンコがしたくて苦しかったから、慌てて術式プログラム燃やしたじゃない……術式の内容も確認せずにね!ヒャハハハハハハハ」アカリは楽しそうだ。

「何をしたの?あんな紙切れ一枚に書き込める術式プログラムなんて、たかだか知れてる……」胡蝶はモニターの向こうで狂ったようにキーボードを打っているようだ。

「私もねえ、こんなにうまく行くとは思ってなかった。よっぽどセキュリティに自信があったのかしら?」アカリは冷蔵庫からビールを取り出すと、

「排便の制限の術式を無効化するために、自分の書き換え可能な世界と鳥居灯の書き換え可能な世界を入れ替えますって付け加えといたの、で昨日の晩にアタシが書き換え可能な世界は胡蝶さんを監禁してた犬小屋だけにしといたのね」アカリが笑う。でも、射撃は出来ているし、こちらから艦隊に攻撃などしていない。

「ひょっとしたら、私が書き換えできる世界を無しにしておけば、何も起こらなかったかもね。おそらく犬小屋は灰になってるかもね、でも犬小屋に入り切らないエネルギーが戻って艦隊の主砲が吹き飛んだんでしょうね。って事だから胡蝶さんはどっかに消えて。今、私がひとりで組み立てた世界のインストールを始めたから、ひと月ぐらいで新しい世界に書き変わるわ。バイバーイ!」アカリはそう言うと胡蝶との通信を切った。

「シズちゃんと雷太もビール飲む?無重力は飲みにくいけど」アカリはそう言いながら、アタシに向かって、ゆっくりルートビアを放り投げた。

 シズちゃんと雷太兄ちゃんが、イチャイチャしている。これが本来の世界だとわかっているのだけれど、わかっているのだけれど……

「あのアカリ、あれを書き換えることは出来ませんか?」とアタシは、シズちゃんと雷太兄ちゃんを視線で指し示す。

「ダメよおおお。あなたには私というものがあるじゃないですか!それとも胡蝶みたいに犬小屋で飼ったげようか?」と言われるので、アタシはブルブルと首を横に振り続けた。


 人工衛星ソラリスから見える地球はとても青く美しかった。

「でも、アカリが組立てた新しい世界は、ちょっと楽しみかな」とアタシはアカリの胸に顔を埋める。埋めるほど大きくはないけれど、アタシは頬を擦り付ける。

「また、何年かしたら胡蝶が仕返しに来るだろうなぁ」とアカリは楽しみにしているように見えた。

「さすがに、もう懲りたんじゃない?」とアタシは、アカリを見つめる。

「いいえ!あの娘は、絶対来るよ。忘れた頃にね」やはり彼女は楽しみにしているようだ。

「ホントは胡蝶さんのことを好きなんじゃないの?」なぜかアタシはキツく言ってしまった。

「もう、嫉妬深いんだから」とアカリは笑う。


 アタシは母堂六美、今どき珍しい個人営業の古本屋を副業として営んでいる。

 如月駅前商店街のアーケードを抜けた三叉路の右手に公園があり、店は公園の向かい側にあるのだが、爺ちゃんが亡くなってからは、お店をあまり開けたことがない。

 兄ちゃんが、シズちゃんと結婚して家を出ていってからは、一人暮らしなのだが、兄ちゃん夫婦は近所に住んでいるので、アタシは毎日、兄ちゃんの家で晩御飯を食べている。

 ご飯を食べてから家に帰って、黒猫のマゾと一緒に寝て、朝になるとたまに仕事に行く。

 仕事は、宇宙全体を構築するサーバーとでも言えばいいのだろうか?

 皆さんは、この宇宙が仮想空間で、誰かが作り上げたバーチャルな世界だと思ったことはないだろうか。

 アタシたちは、実際に構築したサーバーに暮らしていて、メンテナンスや管理なんかも任されている。と言っても一旦構築さえしてしまえば、ほぼ自動でサーバーが管理してくれる。

 まあ、それよりサーバー内に自分たちが実体として暮らしている事実を知る人は、ほとんどいないのだけれど。

 まあ、アタシたちは四人でサーバーのバグなんかを直接調べてメンテナンスなんかをするのが、主な仕事なのだけれど、実際に直接管理しているのは自分たちの住む星だけで、それ以外は委託会社に任せている。

 胡蝶さんが事件を起こすまでは、大きな親会社のもとで如月ソラリスとして自分たちの住む地球の管理だけ、していた委託会社だったのだけれど、胡蝶さんの凶悪事件を解決した、鳥居灯ちゃんの活躍がサーバー連合協会に認められて、アタシたちの宇宙全体を管理するサーバー自体の所有権が、如月ソラリスへと譲渡され、地球以外のほとんどの星のデータ詳細管理は委託している形になったのだが、そのメンテナンス費用や委託にかかる費用のことは全てアカリちゃん任せになっているので、アタシはよく知らないのだ。

 胡蝶さんは、サーバー内の決して触ってはいけない個人データと歴史データを書き換えた罪で、全空間全サーバーの時空間管理局に指名手配されたまま未だに捕まっていない。

 我々のような仮想空間サーバー運営に携わる者は、外宇宙にある魂の保管場所を頻繁に移動する癖がついている。

 その上、我々のサーバーと同規模のものが、天文学的な数字で存在しているのだから、一旦逃げ切って新しい名前と顔を持てば、捕まえることは困難を極めるのです。

 現在の如月ソラリスのメンバーは、鳥居灯:二十歳(嘘)、母堂六美:十八歳、母堂雷太:二十五歳、母堂志津子:二十七歳の四人だけでやっているのだ。というか本当にやれているのだろうかとアタシは日々不安に苛まれている。


 如月ソラリスは、短期、長期を問わず、エンターティメントとして魂に肉体を提供ができるサーバー会社です。

 弊社サーバーをご利用中のお客様は、怪異かな?とか、データバグ?かなとか、危険を感じる超常現象などを感じられた際は、お気軽に如月ソラリスに、ご相談ください。 

 広報担当:母堂六美

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る