初めてのオラクルダンジョン
気が付くと、私たちは見知らぬ場所に立っていた。
石造りの回廊が延々と続く、薄暗い空間。
高い天井には、あちこちに青白い光を放つ石が埋め込まれており、冷たい空気が肌を刺す。どこか遠くからは、水滴の落ちる音が微かに響いている。
古代遺跡――そんな言葉が自然と頭に浮かぶ、神秘的でありながらも不気味な場所だった。
「ここが……オラクル?」
「ああ。第一層の入り口だ」
紅蓮が周囲を見渡す。その顔つきは、先ほどまでの余裕を完全に消し去り、戦闘モードへと切り替わっていた。
「侵入者たちは、すでにかなり奥まで進んでいる。急がなくては」
私はスマホを開く。画面にはマップが表示されていて、赤い点が第一層の最深部近くまで到達していた。
一方、青い点――おそらく私たちを示すであろうそれは、まだ入り口付近を示している。
「もうこんなに進んでる……間に合うの?」
「間に合わせる」
紅蓮はそう言うと、私の体をひょいと抱き上げた。
「うわぁっ!! ちょっと、何するの!?」
「時間が惜しい。しっかり掴まっていろ」
紅蓮が走り出す。その速度は人間離れしており、石の回廊を風のように駆け抜けていく。
私は彼の首にしがみつき、ただ必死に振り落とされないよう祈るしかなかった。
「ちょっ、速すぎっ……!」
「慣れろ。ここから先、もっと過酷になるぞ」
進むにつれて、回廊の壁には奇妙な文字が刻まれていた。青白く光るそれは、まるで古代の言語。
さらに、ところどころに明らかに人工的な装置のようなものが見える。
「紅蓮、あれって……」
「罠だ。だが今は止まっている」
「止まってる?」
「侵入者たちが解除したのだろう。なかなかやるようだ」
そんな会話をしている間に、私たちは第一層の中央の部屋に到達していた。紅蓮がペースを緩め、私を下ろす。
「ここからは歩け。敵がいる」
「敵って……」
角の向こうから現れたのは、まさに神話そのもの――
3つの頭を持つケルベロスだった。蛇の尻尾をうねらせ、獣のような赤い目がこちらを見据えている。
「け、ケルベロス……!?」
「知っているのか?」
「アニメで見たことあるから……三つ頭の冥界の門番でしょ?」
「その通りだ。ここでは、オラクルの門番として配置されている。本来なら侵入者を排除する存在だが――」
しかしそのケルベロスは、私たちを見ると道を開け、三つの頭を揃えて深々と頭を下げた。
「え?」
「やはりな。我々を"主"だと認識しているようだ」
「"主"って……どういうこと?」
「このダンジョン――東京湾オラクルダンジョンは、貴様を"支配者"として選んだ。つまり、貴様はこのダンジョンのマスターだ」
「し、支配者……!? 私が!?」
「まぁ与えられた権限の範囲内だろうがな。それより先を急ぐぞ」
「え、ちょっ……!!」
敵がいないと分かると否や、紅蓮は私を抱き上げさらに奥へと駆け出した。考える暇すら与えてはくれない。
道中、いくつものモンスターとすれ違ったが、どれも私たちに敵意を示すことなく、まるで迎えるように道を空けていく。その様子は、まるでVIP待遇――のようだが、緊張感は増すばかりだった。
「……このままでは、核の破壊を阻止できん。奴らの現在位置は?」
「えっと……」
スマホのマップ画面を紅蓮に見せる。
赤い点は、すでに核の間の目前。一方、私たちはまだ離れていた。
「……このままでは間に合わん。だが――」
紅蓮が眉をひそめる。
「厄介だな。奴ら、まるで最短ルートを熟知しているかのような動きをしている……」
「誰かが案内してくれてるとか?」
「案内人か……いや、それ以上に厄介な可能性がある」
紅蓮の表情が険しくなった。
「"管理者"が直接脳に情報を送り込んでいるのかもしれん」
そのとき、スマホの画面が赤く点滅し、新たな通知が表示された。
―――――――――
【緊急警告】
敵性契約者が核に接近中
◆到着までの残り時間:3:45
◆魔力残量:120/150
□ 緊急転移装置を使用しますか?(消費魔力:40)
※リスク:待ち伏せの可能性あり
【 実行 】 【 キャンセル 】
―――――――――
「緊急転移装置?」
「恐らくそれで核の間まで直接飛べるのだろう。だが……」
紅蓮が躊躇している。
「だが、何?」
「転移には大きなリスクが伴う。待ち伏せされている可能性を考慮しても、危険が高い。それに……」
紅蓮が画面の"消費魔力"を指差した。
「その魔力は貴様のものだ。消費が増えるほど、我の維持にも支障が出る。……それでもいいのか」
私は画面と紅蓮の目を交互に見つめ、深く息を吸った。
「このままじゃ、間に合わないんだよね?」
「……ああ」
画面の【実行】ボタンに指を向ける。
「……やってみよう」
「本当か? この先は命の危険だけでなく、相手が"洗脳"されている可能性もある」
「……洗脳?」
「"管理者"による精神操作だ。もしそうなら、対話は通じん。力で止めるしかない」
紅蓮が私の手を掴む。
その目に冗談や迷いの影はなかった。
私は一瞬だけ、迷った。でも、もう決めた。
スマホの表示が【残り2:59】へと切り替わるのが見える。
「……やる」
「まだ分からないことだらけだし、役に立てるかも分からないけど……でも、後悔はしなくない」
紅蓮は目を伏せほんの数秒考えた後、目を開けた。
「ならば、我も全力で貴様を守ろう」
私はボタンをタップした。
―――――――
【転送準備中……】
魔力消費:40%
魔力残量:80/150
―――――――
白い光が、私たちを包み込んだ。
視界が晴れると、そこは直径50メートルほどの巨大な円形の空間だった。天井は遥か高く、壁面には白い大理石のような石材で繊細なレリーフが彫られている。ところどころに神々しい彫刻が置かれていた。
そして、中央には人の頭ほどの大きさの青く光る水晶がゆっくりと回転しながら宙に浮かんでいる。
スマホの画面が自動的に更新される。
―――――――
【ダンジョンマスター権限(Lv.1)】
現在位置:第一層核の間
◆核の状態: 軽微の不安定化
◆核破壊まで残り時間: 5:59
―――――――
「あれが、核……」
「ああ。そして……見ろ」
紅蓮が視線を向けた先。
そこには、核に近付こうとしている男女が立っていた。
20代前半であろう男性と高校生ぐらいの女の子。そして、彼らの隣には見覚えのあるキャラクターが――
「うそ……! あれって……!」
男の子の隣には、大人気RPGの主人公らしき剣士。女の子の隣には、女児向けアニメの魔法少女。
だが、それ以上に衝撃だったのは――二人の表情だった。遠目でも分かる、虚ろな目。
まるで操り人形のように、決まった動きしかしていない。
すると、スマホ画面が赤く点滅し、大きな警告が表示された。
―――――――
【警告!】
○精神操作の痕跡を検出
対象:敵性契約者2名
洗脳レベル:重度
―――――――
「……力づくで行くしかなさそうだな」
「おや、やっと来ましたね」
男性がこちらを振り返る。その表情は人間らしさを完全に失い、まるで精密な人形のように無機質だった。
「随分と遅いお出ましでしたが……もう手遅れです」
男性が手に持ったスマホを掲げる。
画面から、不気味な赤黒い光が漏れ、見たことのないアプリが起動していた。
「【Oracle・Liberator《オラクル・リベレーター》】……管理者様から授かりました。これさえあれば、どんなオラクルだろうと破壊できます」
私は息を呑んだ。やっぱり、本当に核を破壊するつもりなんだ。
「そんなことをして……一体何のために!?」
女の子が機械的な笑顔を浮かべた。
「世界を、解放するためです。管理者様は、この退屈な現実を素晴らしいものに変えて下さるのです」
「それは世界の破綻を招くだけだ」
紅蓮が低い声で割り込んだ。
「貴様ら、洗脳されているな。本当の目的を理解していない」
「洗脳?」
男性が理解できないというように首を傾げるが、その動きはまるでロボットのようだった。
「私たちは自分の意思で行動しています。管理者様が真実を教えて下さったのです」
スマホの画面に新しい情報が表示された。
―――――――
○詳細分析結果
契約者A(剣士使い)
>洗脳深度: ★★★★☆
>残存自我: 12%
>解除難易度:高
契約者B(魔法少女使い)
>洗脳深度: ★★★☆☆
>残存自我: 28%
>解除難易度: 中
洗脳解除の可能性: 45%
―――――――
「紅蓮、この人たち……」
「管理者に完全に操られている。恐らく、契約時に仕込まれたのだろう」
紅蓮の表情が悲痛になった。
「だが、完全に諦める必要はない。洗脳を解除する方法があるかもしれん」
「もう話し合いは無用です。妨害要素は排除します」
二人の傍にいたキャラクターたちが一斉に戦闘態勢を取った。しかし、そのキャラクターたちの目にも同じような虚ろさがあった。どちらも面影などない。
「酷い、キャラたちまで……」
「契約者が洗脳されてしまえば、召喚された者たちにも影響が及ぶ。運命共同体なのだ」
「そんな……」
紅蓮がため息をついた。
「小娘よ、下がっていろ。そして、戦闘中もその端末を見ていろ」
「え、でも……」
「洗脳解除のチャンスがあるかもしれん。画面に何か表示されたら教えろ」
紅蓮が前に出る。その瞬間、彼の周囲に氷の結晶が舞い踊り、それらを縁取るように炎が立ち昇った。
スマホの画面が戦闘モードへと切り替わる。
―――――――
□戦闘開始□
紅蓮 HP: 100% MP: 90%
魔力残量: 80/150
対象: 敵性契約者×2、パートナー×2
戦闘目標: 非致傷制圧
洗脳解除機会を探索中……
―――――――
「――行くぞ」
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