世界崩壊、開始のお知らせ
「ちょ、ちょっと待って……!! 頭が追い付かないってば!」
私は慌ててスマホを握りしめ、思わず立ち上がった。
だが、チャイムは鳴り止まず、その上――
ガンッ! ガンッ!
無遠慮に扉を叩く音まで響き渡った。
「開けてください! 政府機関の者です! 緊急事態につき、この地域の住民に聞き取り調査を行っています!」
――政府機関!?
「嘘でしょ……!? 何で私の家に……」
私の動揺をよそに、紅蓮は静かに立ち上がった。
「落ち着け。慌てふためいている場合ではない」
「いや、落ち着けって言われても……!?」
「まず、奴らに我の存在を知られるわけにはいかん。どこか隠れる場所はないか」
「え……ク、クローゼットとか……?」
紅蓮は頷くと、テレビのリモコンを置いて私が指差した方向へと向かう。しかし、数歩歩いたところでこちらを振り返った。
「一つ忠告しておく。今この世界で起きている異変――それは偶然ではない。貴様が"ゲーム"と呼ぶもの、それが扉を開いた」
「扉って……」
「詳しい話は後だ。今はこの場をやり過ごす事に集中しろ。油断するなよ」
そう言い残し、紅蓮はクローゼットの中へと消えた。それとほぼ同時に扉を叩く音がさらに強くなる。
「すみません! お急ぎ下さい! この地域で異常な電磁波反応が検知されました。住民の皆様の安全確認が必要です!」
――異常な電磁波反応?
私は慌てて部屋の姿見に駆け寄り、自分の格好を確認する。姿見に映ったのは、パジャマ姿の自分。――このままじゃ無理。
私はタンスを開け、Tシャツとジーンズを引っ張り出して着替えた。髪は手櫛で整えるだけで精一杯だ。
外からの呼びかけは、着替えている間にもどんどん大きくなる。焦る気持ちを押さえ込み、玄関へ足を向けた。
「は、はーい! 今出ます!」
ふと手元のスマホを見ると、画面には、まだオラクルのマップが表示されていた。慌ててホーム画面に戻し、何食わぬ顔で玄関を開ける。
そこには、黒スーツにサングラスをかけた二人組が立っていた。一人は中年男性、もう一人は20代前半ほど。
映画のエージェントのような雰囲気だ。
「お忙しい中、申し訳ありません。内閣府特別対策室の村田と申します」
中年の男性が身分証を見せる。
「こちらは大田です。少し時間をいただけますか?」
拒否権などなさそうな圧を感じ、緊張しながら「はい……」と頷く。心臓が嫌なほど早く打っている。
「ありがとうございます。まず確認ですが、今日の深夜から今朝にかけて、何か変わった事はありませんでしたか? 地震、停電、電子機器の異常……あるいは――」
村田さんが手帳を見ながら続ける。
「アプリケーションに見慣れない機能が追加された、といった現象。これらに心当たりはありませんか?」
血の気が引いた。まさか、もう……?
「……えーと」
動揺を隠すつもりでも、声がわずかに震える。
その小さな違和感を村田さんは見逃さなかった。
「何か、心当たりが?」
「い、いえ! 特に何も……昨日は疲れていたので、早めに寝てしまって……」
――嘘だ。
本当はスマホに得体の知れないアイコンが追加され、そしてクローゼットには推しが隠れている。
若い方の大田さんが疑いの色を宿した視線を向けて一歩前に出た。
「失礼ですが、スマートフォンを拝見しても? 勿論、プライバシーに関わる部分は見ませんので」
「え……」
断る理由が思い浮かばない。ここで断れば、かえって怪しまれる。
私は手の震えを抑え込みながら、ロックを解除しスマホを渡した。さっきホーム画面に戻しておいて本当に良かった。
「ありがとうございます」
太田さんがスマホを手に取り、アプリ一覧を開いた。――その指先が一つひとつをなぞるたび、喉の奥がきゅっと塞がった。
「……特に異常はありませんね」
内心ホッとしながら手を差し出しかけた時、大田さんが【Abys《アビス》】のアイコンを指した。
「こちらのゲームはよくプレイされますか?」
「あ、はい……たまに」
「起動してみてもいいですか?」
――やばい。ばれる。絶対に。
「あの、でも個人情報とか……」
「そういった画面は開きません。ホーム画面だけ確認しますので」
何度渋っても引き下がらない。覚悟を決めて頷いた。
アプリが起動し、ロード画面の後――
「あれ?」
大田さんが首を傾げた。そこにあったはずのオラクルリンクのアイコンは、綺麗に消えていた。
「特に変わった様子はありませんね……」
「……そうですね」
困惑しつつスマホを受け取る。こっそりホーム画面を確認しても、やはり何もない。
「他にお気付きの点はありませんか?」
「いえ、本当に何も……」
「そうですか。すみません。では、もし何か異常を感じたらこちらへご連絡ください」
名刺を渡され、二人は頭を下げて去っていった。
扉を閉め、私はその場にへたり込む。
「……はぁ」
「良くやったな」
振り返ると、紅蓮がいつの間にかクローゼットから出てきていた。
「寿命が縮むかと思った……!」
「ふん。大げさな」
「あ……! そういえば紅蓮。Abys《アビス》に追加されてたあのアイコン、いつの間にか消えてたんだけど……」
「当然だ。あんなもの、他人の目に晒すわけがなかろう」
「え?」
「貴様が契約者である以上、必要な時以外は機能を隠す。それがシステムの基本だ」
紅蓮は静かに腕を組み、こちらを見下ろした。
「しかし……奴らがゲームの異変に気付いているとはな。恐らく、既に他の契約者が現れ、その中に軽率にも秘密を漏らした者がいる」
紅蓮の声がさらに低く沈む。
「そういう者は、無自覚に"向こう"の目を引き寄せ……やがて事態は手遅れになる」
その声音には、刺すような緊張が滲んでいた。
私は思わず息を呑む。胸の奥で何かぎざわめき、落ち着かない。
無意識に、スマホの画面へ視線を落としていた。――いつの間にか、アイコンは復活している。
「これから、どうなるの?」
紅蓮は窓の外を見据える。
「戦いが、始まる」
「戦いって、何と?」
「……全てを話すにはまだ早い。だが確かなことが一つ。貴様はもう普通の人間ではない。契約者としてこの世界の運命を背負う」
「いや、大袈裟でしょ……私はガチャを回しただけ――」
「些細な行動が運命を変える。そうなった以上、もう逃げられん」
その言葉重みに、胸が詰まり、呼吸が浅くなる。
息を吐くのも忘れ、震える手の中のスマホが微かに震動していることに気づくのに、数秒かかった。
「震えているぞ」
「あ……」
視線を落とすと、画面に【Abys《アビス》】の通知が浮かんでいた。
オラクルリンクのアイコン――緑色だった目玉が、赤に変わり、激しく瞬きを繰り返している。
「それを押してみろ」
嫌な予感が背筋を走る。それでも、紅蓮の声に従い、指を伸ばした。
画面が切り替わり、あのダンジョンの見取り図が現れる。地図の中央で赤い文字が明滅していた。
【緊急事態発生】
「紅蓮、これ……」
「見せろ」
紅蓮がスマホを覗き込む。その表情が一気に険しくなった。
「やはりか……」
「え、何? 何がやはりなの?」
「第1層に侵入者がいる。しかも複数だ」
画面のマップを見ると、確かに東京湾オラクルの第1層に複数の赤い点が表示されていた。その点は徐々に奥へと向かっている。
「侵入者、って……もしかしてさっきの人達?」
「いや、違う。あいつらでは第1層であろうと即座に命を落とすだろう」
「じゃあ、誰が」
紅蓮の表情がさらに険しくなる。
「他の契約者だ。しかも我々とは違った目的を持った者たちらしいな」
「契約者って……え、味方じゃないの?」
その時、スマホの画面に新しいメッセージが表示された。
―――――――
【警告】
悪意ある契約者がオラクル内部に侵入しました。このままでは第1層の核が破壊される可能性があります。
至急、対応して下さい。
【失敗:東京湾オラクル機能一時停止】
【成功報酬:???】
―――――――
「核って何?破壊されたらどうなるの?」
「オラクルは単なるダンジョンではない。この世界と"向こう"を繋ぐ要石のようなもの。その核が破壊されてしまえば……」
紅蓮が最後の言葉を告げようとした時、突然テレビの音量が上がった。テレビにはニュース速報が流れている。
『東京湾沖に出現した構造物周辺で、謎の発光現象が確認されています。また、周辺海域の海水温度が異常な程に上昇しており、海上保安庁が……』
「始まったな」
紅蓮が低く呟くのを聞き、胸がざわつく。
「向かうぞ」
「……え!? ちょっと待って!? 私がオラクルダンジョンに行かないといけないってこと!?」
「その通りだ」
「む、無理無理無理! 普通の会社員なんだよ!? 戦った事なんてないし、高校生以来運動してないし、しかも運動音痴だし!」
しかし、紅蓮は私の必死の抗議を遮り、真剣な眼差しでこちらを見つめる。
「契約者に選ばれた以上、貴様には必要な力が宿っている。それを信じろ」
スマホに新しい表示が現れた。
―――――――
オラクルダンジョンへ転送準備完了。パートナーと共に転送しますか?
消費魔力:30
魔力残量:150/150
【はい/いいえ】
―――――――
指が震える。これを押したらもう元の世界には戻れないかもしれない。
でも、画面に映る赤い点は確実にオラクルの奥へと進み続けている。
「……死なないよね?」
「必ず貴様を守ると約束しよう」
紅蓮が私の肩に手を置く。その手は、見た目とは裏腹に驚くほど温かかった。
「案ずるな。我がついている」
深く息を吸い、ゆっくりと吐く。
怖いけれど、推しが必ず守ると言ってくれた。
こんな経験は一生に一度、いや、もしかしたら二度と出来ないかもしれない。
そう思うと少し勇気が湧いてきた。
女も、度胸!
震える指先で【はい】のボタンをタップした瞬間、世界が白い光で包まれた。
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