オラクル・コントラクター ~推しと一緒に世界を護ります~

松川 瑠音

推しが画面から出てきたんだが


──その日、私はただ、いつも通りにスマホを弄っていただけだった。


華の金曜日。

長い長い労働時間が終え、くたくたになりながら家に帰る。

道中で買ってきたコンビニスイーツを片手に、私はベッドにごろりと寝転がった。


そして、いつものように、大好きなスマホゲーム『Abyssalia《アビサリア 》』を起動する。

このゲームは通称【Abys《アビス》】と呼ばれており、地獄に堕ちた主人公が極楽浄土を目指す、地獄×幻想の人気ゲームだ。


今夜は待ちに待った新ガチャの実装日。

紅蓮、来い……! 私は心の中で呟く。


彼はゲームの中で、炎と氷を纏った冷酷な番人。リリース当初から敵として何度も立ちふさがってきたが、未だにガチャには姿を現さなかった。

それが、今夜、ついに解禁される。


「ああ、長かった……!」


つい息を吐き出した。

周囲のチャットも「紅蓮はまだか?」とざわついている。私だけじゃない、みんな待ち焦がれていたんだ。


しかし、ついに!

長年の待ち続けていた念願のガチャ実装!


僅かな希望に縋ってコツコツと貯めていた召喚石を使う時がきた!


「……よし、いっけぇぇぇええ!」


祈るような気持ちで、私はガチャボタンをタップ。


すると画面が暗転し、通常ならば召喚陣が現れる――はずが、代わりに黒い亀裂が走った。

背後からは呻くようなうめき声が聞こえる。


──来た、SSR演出!


バキィィィン……!

亀裂は一気に広がり、そこに現れたのは血のように赤く染まった巨大な【門】

無数の手が這い上がり、地の底から"何か"が這い出ようとしている――


「……地獄の門が答えたか」


低く、重い声。

門がゆっくりと開き、蓮の花が咲く。

その中央には、一人の男の影が。


「ま、まさか……!? あ、あ、ああ……!」


紅い瞳と、銀白に紅を散らした髪。それは、まるで炎と氷が混じり合ったかのような不思議な色合いで――


間違いない、紅蓮だ──!

こんな早くに来てくれるなんて! しかも、一発で……!? 神引きすぎる!


「う、うそでしょ……? 今年の運、全部使いきったかも」


そう確信した――次の瞬間だった。

スマホの画面から、突如まばゆい光が溢れ出す。


「……え?」


目を覆いたくなるほどの閃光。

反射的に目を閉じたそのとき。



「紅蓮地獄により来たるは、凍てつく裁きの番人――紅蓮。貴様の罪、我が裁いてみせよう」


「我を喚んだのは貴様か」


男の声が、すぐ耳元で響いた。目を大きく見開き、心臓が激しく脈打つ。


「えっ……えええええっ!?」


声が震え、体が震えた。目の前に立つのは、間違いなく紅蓮だ。


スマホの画面で何度も見てきた、あの炎のように揺らめく瞳――画面ごしでは感じられなかった圧倒的な存在感が、今ここにいる彼からひしひしと伝わってきた。

心臓がドクンと跳ね、手が震えてスマホを落としそうになる。


「嘘……これは夢?それとも……」


頭が混乱して、理屈なんて追いつかなかった。


「ど、どこから湧いたの!?  ていうか、何これ!? どういうこと!?」


パニック状態で部屋の壁に背中をぴったりと押しつけながら、震える手でスマホを確認する。だけど、そこにはもうガチャ結果の画面はなく、そこに残っていたのは“契約完了”という文字だけ。


「貴様の名を問うているのだが……聞こえぬか?」


紅蓮は不思議そうに眉をひそめ、じっと見つめ返す。彼の緋の双眸は、CGとは思えないほど現実味を帯びていた。


「いやこっちが聞きたいわ!!!!」


私は、涙目で叫んだ。


「ちょっと待って!! ほんとにどういうこと?! 私、もしかして夢見てるの!? いや幻覚!?」

「落ち着け。小娘よ」


「落ち着けるかっ!! いやいやほんと可笑しいって、何で私の部屋に推しが居るわけ!?」


騒ぎ立てる私をよそに、紅蓮はゆっくりと立ち上がり、部屋の中を興味深そうに見回す。


「……此処は我の知る地獄ではないな。異世界への転送か? いや……」


紅蓮は窓の外の暗い空をじっと見つめ、眉をひそめた。


「この現象は……あの計画と関係があるかもしれぬ」

「貴様は、知っているのか?」


彼の声には、どこか重い秘密が隠れているようだった。言葉が途切れ、部屋には重苦しい静寂が訪れる。


その刹那、スマホが突然震えだし、低い振動が空気を揺らした。まるで何かが動き出す合図のように。


私は混乱した。頭の中が一瞬真っ白になり、心臓が激しく鼓動を打つ。


「ただ、推しを引きたかっただけなのに……」


しかし、目の前にいるのは紛れもなく彼だった。

現実の重みを感じる存在に、理屈なんて吹き飛んでしまう。


これが夢じゃないというなら、これはもう……。


「これ、やばいやつだ」


私は呟き、そのままシャットダウンするように意識を手放した。


***


──その夜。

世界各地の海底で、異変が静かに始まっていた。


日本、アメリカ、フランス……深海の暗闇の中で、巨大な構造物がゆっくりと海面へ向けて上昇を開始する。


"無限階層ダンジョン・オラクル"の出現まで、あと数時間。


そして、眠りについた彼女を含め、世界中の一部のスマートフォンでは、密かにある現象が発生していた。


【ゲーム内キャラクターの現実世界への召喚】


しかし、これらの情報は厳重に秘匿され、各国政府は水面下で緊急対策を協議していた。一般市民がこの異常事態を知るのは、もう少し先の話になる。

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