第6話 遊撃隊の旗と歪んだ聖性
橘陽斗がシルヴァ砦から持ち帰った情報は、黒曜の御座の首脳陣に大きな波紋を広げた。玉座の間で開かれた軍議は、これまでにない熱気を帯びていた。
「人間の中に、和平を望む一派がいる…。にわかには信じがたいが、あの商会長の印章は本物だ」
参謀ザラキアスが、アルマンから託された指輪を掲げてみせる。将軍ボルガスをはじめとする武官たちは、腕を組んで唸った。長年の戦争で染み付いた「人間は全て敵」という認識は、そう簡単には覆らない。だが、嘆きの谷とシルヴァ砦での陽斗の功績は、彼らの心に小さな、しかし確実な変化を生んでいた。
軍議を静かに見守っていた竜王ディスノミアが、重々しく口を開いた。
「我らはこれまで、人間の侵略に対し、力で応じてきた。それは、我らが生き残るための唯一の道であったからだ。だが、もし人間の中に、異なる声があるのならば…。我らもまた、剣以外の対話の術を模索すべきであろう」
その言葉は、魔王軍の戦略が、歴史的な転換点を迎えることを意味していた。
「ザラキアス、新たな部隊を編成せよ」
「はっ。して、その部隊の役割は?」
「軍事行動のみに縛られぬ、独立遊撃部隊とする。潜入、諜報、そして…和平を望む人間たちとの接触および保護。力と知略を併せ持ち、戦場の理の外で動く、我らの新たな『刃』だ」
ディスノミアの言葉に、幹部たちが息を呑む。そんな特殊な任務を率いることができる者など、いるのだろうか。全員の視線が、自然と、間に立っていた一人の人間に注がれた。
「その隊長は、橘陽斗、お主に任せる」
竜王からの、あまりにも破格の指名だった。一介の兵士どころか、元は敵だった陽斗を、特殊部隊の隊長に任命するというのだ。
「お待ちください、ディスノミア様!いくら功績があったとはいえ、人間に一軍を任せるなど…!」
ボルガスが思わず声を上げる。だが、ディスノミアは静かにそれを制した。
「ボルガスよ、お主も見たはずだ。この男の力を、その信念を。人間の世界を知り、聖剣を操り、そして何より、殺戮を好まぬ心を持つ。この任務に、彼以上の適任者がいるか?」
ボルガスは、ぐっと言葉に詰まった。反論できなかった。嘆きの谷で、陽斗が自らの部下を、そして自分自身をも救った光景が脳裏をよぎる。
陽斗は、驚きに目を見開いたまま、ディスノミアと、そして自分を見つめる幹部たちを見渡した。信頼、期待、そして未だ残る猜疑心。様々な感情が渦巻く中で、彼は覚悟を決めて一歩前に出ると、深く頭を下げた。
「謹んで、お受けいたします。この命に代えても、必ずや期待に応えてみせます」
こうして、魔王軍独立遊撃部隊、通称「暁(あかつき)の遊撃隊」が誕生した。隊長は、元勇者・橘陽斗。 副官には、彼の最も信頼する仲間であるフィリアが就任。斥候および諜報担当として、ゴブリンのキギが引き続き任に当たる。そして、ディスノミアの粋な計らいか、あるいは監視の意味も込めてか、あのミノタウロスの将軍ボルガスが、部隊の戦術顧問として陽斗の下につくことになった。さらに、嘆きの谷で陽斗に命を救われたリザードマンの戦士「ソルド」をはじめ、陽斗の戦いぶりに感化された志願者たちが、部隊の兵士として名を連ねた。
かつて陽斗を「人間のスパイ」と罵った者たちが、今や彼の部下として、同じ旗の下に集う。それは、黄昏の地において、信じられないほどの速度で起こった奇跡だった。
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だが、陽斗たちが新たな希望を見出し始めたその頃、人間側では、より深い闇が蠢動していた。
シルヴァ砦での一件は、大神官ゼノンの耳にも届いていた。穏健派の不穏な動き、そして「裏切り者の勇者」の暗躍。自らの支配体制を揺るがしかねないその事態に、ゼノンは怒り狂い、そして、より強硬な策に打って出た。
「魔族に内通する国賊どもに、神の鉄槌を!アルマン・グライフをはじめとする穏健派の領主、商人たちを、反逆者として討伐せよ!」
ゼノンの号令一下、主戦派の騎士団が、同じ人間の街へと牙を剥き始めた。内戦の勃発。それは、ゼノンにとって、自らの権力を絶対的なものにするための、計算された行動だった。
さらに、ゼノンは王城の地下深く、禁忌の祭壇で、おぞましい儀式を執り行っていた。
「光の栄光のため、その身を捧げよ。痛みも、恐怖も、感情も、全ては不要。ただ、神の敵を滅ぼすための、聖なる器となれ…」
古代の禁術。それは、人間の兵士から人間性を奪い、聖なる力だけを増幅させて、痛みを感じない狂戦士へと変貌させる非道な秘術だった。こうして生み出された、感情のない瞳を持つ兵士たち。彼らは「聖戦士」と呼ばれ、ゼノンの最も忠実な駒として、穏健派の街へと差し向けられた。
その報は、すぐに「暁の遊撃隊」にもたらされた。
「大変だ、アキト!穏健派の街の一つ、ローエンの街が、王国の討伐軍に包囲された!率いているのは、神罰執行官と、正体不明の重装部隊だ!」
キギの報告に、作戦司令室の空気が凍りつく。ローエンは、シルヴァ砦のアルマンと連携していた、穏健派の重要拠点の一つだ。ここが落ちれば、和平への道は大きく遠のく。
「出撃する」陽斗は、地図を睨みながら即決した。「ローエンを救援する」
「待て、アキト」戦術顧問のボルガスが、冷静に制した。「どうやって救援する?我らが魔王軍の旗を掲げて現れれば、どうなるか分かっているな?『魔族が穏健派と手を組んで人間を滅ぼそうとしている』。ゼノンのプロパガンダを、我らが証明してしまうことになるぞ」
「分かっています。だから、俺たちは魔王軍としてではなく、正体不明の『義勇軍』として動く。旗は掲げない。目的は、敵軍の撃退と、街の防衛のみです」
「あまりに危険な賭けだ。我らは、どちらの陣営からも攻撃される可能性がある」
「それでも、行くしかない。見過ごせば、和平の火種は消されてしまう。俺たち『暁の遊撃隊』の初任務は、その火を守り抜くことです」
陽斗の揺るぎない瞳に、ボルガスはそれ以上何も言わなかった。彼は、この若き人間の隊長に、全てを賭けてみることに決めたのだ。
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ローエンの街は、既に戦火に包まれていた。城壁の一部は破壊され、街中から黒煙が上がっている。街を守る兵士たちは、圧倒的な戦力差の前に、絶望的な防衛戦を強いられていた。
特に彼らを苦しめていたのが、ゼノンが生み出した「聖戦士」の部隊だった。銀一色に塗られた、表情のない仮面をつけた重装鎧。その動きは機械のように正確で、こちらの攻撃を受けても一切怯まず、ただ前進して破壊を繰り返す。その瞳には、人間らしい光は一切宿っていなかった。
「化け物だ…!こいつら、人間じゃない!」
ローエンの兵士たちが、恐怖に叫ぶ。その時、討伐軍の後方から、突如として地響きが起こった。
「何だ!?」
討伐軍が振り返ると、そこにいたのは、どこの所属とも知れぬ、しかし精強な一団だった。ミノタウロス、エルフ、ゴブリン、リザードマン、そして、その先頭に立つ、白銀の聖剣を携えた一人の青年。
「ローエンの民に告ぐ!我らは、理不尽な暴力に立ち向かう者たちの声に応え、馳せ参じた義勇軍である!」
陽斗の朗々とした声が、戦場に響き渡る。敵も味方も、その正体不明の部隊の出現に、一瞬動きを止めた。
「構うな!所属不明の輩だ、まとめて始末しろ!」
神罰執行官の指揮官が叫び、聖戦士たちが新たな標的である陽斗たちへと向き直る。
「ボルガスさん、街の兵士たちの支援を!フィリア、キギ、ソルド、俺に続け!あの仮面の連中を止める!」
「応!」
「暁の遊撃隊」の初陣が始まった。陽斗は、真っ先に聖戦士の部隊へと突っ込む。これまでの騎士たちとは明らかに違う。その動きには、一切の躊躇も感情もない。陽斗は、これまで通り、相手の武器を破壊し、関節を狙って的確に打ち据えた。
だが、聖戦士は倒れなかった。腕の骨が砕けても、足を折られても、まるで痛みを感じていないかのように立ち上がり、再び襲い掛かってくる。その姿は、まさしく亡霊の軍団だった。
「アキト、こいつらダメだ!意識がない!いくら殴っても止まらないぞ!」
キギが叫ぶ。フィリアの矢が急所を貫いても、ソルドの剣が胴を薙いでも、聖戦士は動きを止めない。陽斗の非殺の戦いが、初めて通用しない相手だった。
「くそっ…!」
仲間を庇いながら戦う陽斗は、苦戦を強いられた。このままでは、ジリ貧になる。彼は、聖戦士の一体を聖剣で突き飛ばし、距離を取った。そして、召喚時に得た知覚能力を最大限に高め、敵の内部を探った。
(何かがおかしい。こいつらは、生きているようで生きていない。力の流れが、普通じゃない…)
意識を集中させると、聖戦士たちの鎧の胸当ての奥に、微かだが、禍々しい魔力の光が点滅しているのが見えた。それは、聖なる力とは似て非なる、歪んだ力の源。埋め込まれた、小さな紫色の魔石。
(あれだ…!あれが、こいつらを動かしている核だ!)
しかし、それを破壊することは、事実上、相手の「命」を絶つことに等しい。陽斗の心に、一瞬の葛藤がよぎる。だが、目の前では、感情のない殺戮人形によって、仲間が、そしてローエンの民が傷ついていく。
(こいつらは、もう人間じゃない。ゼノンによって、命を弄ばれ、尊厳を奪われた…哀れな犠牲者だ。ならば、俺がすべきことは、殺すことじゃない。その呪縛から…解放することだ!)
決意を固めた陽斗の瞳に、強い光が宿った。彼は、聖剣ルミナスブレイブを逆手に持ち替え、叫んだ。
「フィリア、援護を!俺が、こいつらを止める!」
陽斗は、再び聖戦士の群れへと突っ込んだ。狙いは、胸の中心、ただ一点。敵の攻撃を最小限の動きでいなし、懐へと潜り込む。そして、聖剣の切っ先を、魔石が埋め込まれた胸当てへと突き立てた。
「聖なる光よ、その偽りの器を砕き、迷える魂に安らぎを与えよ…浄化(パージ)!」
陽斗がそう唱えると、聖剣から眩いばかりの純粋な光が溢れ出し、聖戦士の体内に注ぎ込まれた。それは、破壊の光ではない。歪んだ魔力を中和し、浄化する、慈愛の光だった。
「ア……ァ……」
聖戦士の仮面の奥から、初めて、苦悶とも安堵ともつかない、人間らしい声が漏れた。胸の魔石に亀裂が走り、砕け散る。すると、あれほど頑強だった聖戦士の体は、まるで糸が切れた人形のように崩れ落ち、二度と動くことはなかった。
「やったか…!」
方法さえ分かれば、あとは早い。陽斗は、次々と聖戦士たちの核を「浄化」していく。その光景は、戦いというよりは、鎮魂の儀式のようでもあった。
陽斗の活躍により、最も厄介だった聖戦士部隊が沈黙すると、戦況は一気に傾いた。ボルガス率いる本隊が討伐軍の騎士団を圧倒し、やがて神罰執行官たちも撤退を余儀なくされた。
戦いが終わり、静けさが戻ったローエンの街で、住民たちは呆然と陽斗たちを見つめていた。自分たちを救ってくれた、正体不明の義勇軍。その中には、人間が「魔族」と呼び、恐れていた種族の者たちがいる。そして、彼らを率いていたのは、国を裏切ったはずの、元勇者。
ローエンの領主が、恐る恐る陽斗の前に進み出た。
「あ、貴殿は…一体…?」
「俺たちは、ただ、理不尽な暴力に苦しむ人々を見過ごせない者たちです。それ以上でも、それ以下でもない」
陽斗はそう言うと、部隊に撤退を命じた。彼らの役割は、あくまで火種を守ること。これ以上、人間側の内戦に深入りするつもりはなかった。
去っていく陽斗たちの背中を、ローエンの民は、恐怖とも、感謝とも、困惑ともつかない、複雑な感情で見送っていた。だが、彼らの心の中には、確かに刻み込まれた。「魔族」と呼ばれた者たちに命を救われた、という消せない事実が。それは、和平への道筋を照らす、小さな、しかし確かな灯火となるだろう。
陽斗は、ローエンの街を振り返りながら、大神官ゼノンの非道な行いに、静かな、しかし燃えるような怒りを感じていた。
(本当の敵は、竜王ディスノミアじゃない。人間でもない。あの男だ。自らの野心のために、平然と人の命を弄び、この世界に憎しみをばら撒き続ける、大神官ゼノン…!)
彼の戦いの目標は、今、明確になった。それは、単なる人間と魔族の共存ではない。この世界の歪みの根源そのものを断ち切ること。偽りの聖者の仮面を剥がし、真の平和を勝ち取ること。
「暁の遊撃隊」の旗の下、陽斗の真の戦いが、今、幕を開けた。
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