その物語に、私はいない

御厨 なこ

その物語に、私はいない

「この書き出しどう思う?」

そんな言葉と共に眼前に広げられたノートに目を落とす。

「……悪くないんじゃない」

「リアクション薄すぎない?もう少しアドバイスちょうだいよ」

捨てられた子犬のような目、という表現があるが、この子ほどそれが似合う人はいないと思う。

そして犬好きの私は、もちろん捨てられた子犬を放っておくことなどできず。

「そうだなぁ、だったらここの表現は───」



「ありがとう!」

笑顔でそう言いながら彼女は席を立つ。

手には私と共にブラッシュアップされた小説のノート。

これを携えて、彼女は文芸部の部長の元に赴くのだ。

そうして褒められ、アドバイスを受け、それを私に報告してくる。頬を紅潮させ矢継ぎ早に言葉を紡ぐその姿は、ただの『部長』というよりも──―。



このいつものルーティンが心苦しくなったのはいつの頃からだったか。

もちろん彼女は自分の手柄になどしない。私と共に作りあげたものであることもきちんと説明している……というのは、渦中の『部長』から直接聞いたことだった。

人好きのする笑顔を浮かべながら「いつも楽しそうに話してくれるよ」と。

あなたから聞かずともあの子がそういう子じゃないことぐらい知っている。私の方が、私の方が───ずっとずっと前から。

そんな言葉をぐっと飲み込み「そうですか、あの子らしいですね」と強がってみせたあのときの私は、どんな表情をしていただろうか。

『部長』はどう思ったのだろうか。




────こんな感情、あの子は知らなくていい。


それから、私も、


「……気づかなきゃ良かった」

空っぽの椅子を見つめながら呟いた私の声は、放課後のチャイムの音に掻き消されていった。


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その物語に、私はいない 御厨 なこ @nanamiko

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