あの声を思い出せない

御厨 なこ

あの声を思い出せない

「元通りの生活を送るには最低半年は覚悟しておいた方がいいかと思います」

リムワールドから帰還した朱雨しゅうを診察した医師は真剣な眼差しでそう言った。一緒に聞いていた俺も、それはそうだろうな、と思っていた。思っていたのに。



「今日は俺の番でしたっけね晩御飯」

待っててくださいね、と言ってキッチンへ引っ込んでいく朱雨がこの地球に帰還して僅か二ヶ月。元通りの生活どころか再就職まで果たした彼に、俺も主治医も驚くばかりだった。

その回復力は研究に値すると通院の継続を打診されたのだが、彼はきっぱりと断った。報酬も出るというのに、だ。

「あなたと一緒にいる方が大事なんで」などと耳障りのいいことを言う彼に一抹の違和感を覚えたのは何故だろうか。

「出来るまでゲームでもするか……」

生来のネガティブ思考が加速していくのを感じて頭を二、三度振り、ゲームの電源を入れる。気分転換だ、ソフトはなんでもいい。とにかく一度頭を空っぽにしよう。



「出来ましたよー」

約三十分後。

朱雨の呼ぶ声に応じ立ち上がる。

食卓に着く前から空腹を刺激する香りがしていたが、果たしてそこには香り通りの美味しそうな光景が広がっていた。

ご飯、味噌汁、焼き魚に……

「……ブロッコリー?の、塩茹で?」

「あれ、嫌いでしたっけ」

「いや、俺は、」

好きなんだけど知ってたよね?と続きかけた言葉を慌てて飲み込む。何故だかこの先は朱雨に伝えてはいけないような気がした。

美味しそうにブロッコリーを口に運ぶ彼に「好きだったっけ」と問えば「あの環境が俺を変えてくれたんすよ」などと言う。その言い回しも、なにか引っかかるものがあった。



食事を終え、俺は寝室に、朱雨はシャワーへと向かった。

ベッドにどさりと倒れ込み、白い天井を眺めながら考える。

───思い起こせば、そもそもリムワールドに居る時から何かがおかしかったのだ。粗暴な振る舞い、癇癪、侵攻してきた生物への必要以上に残虐な行為。どれをとってもいつもの朱雨ではなかったじゃないか。

あの過酷な状況がそうしてしまったといえばそれまでだ。

だがもし、もしも。

あの好戦的な振る舞いや残忍な行いが、その理由が、それだけではなかったとしたら。

背中がゾクリと粟立った。

「もし彼の気が変わったら教えてほしい」と医者に教えてもらった電話番号を手元のスマホに打ち込むと、杞憂であれと願いながらコールボタンを押した。

「もしもし、どうしました?こんな時間に」

「……せ、先生あの、しゅ、」



「八重さん」



朱雨の様子がおかしいんです、という言葉を遮るように、静かな、しかし明確な、恐らくあまりよくない意思を持った声が背後から聞こえた。

その声に気圧されだらりと下げた手の中からは、先生のくぐもった声がする。


ひた、ひた、ひたり。


足音が近づく。指一本動かせない俺の肩に手がかかり、耳元に唇が寄せられる。

「                                   」




付けっぱなしにされていたリビングのゲームから「GAME OVER」という音声が聞こえた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

あの声を思い出せない 御厨 なこ @nanamiko

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ