第19話 グリル天月①

「いらっしゃいませ。おひとり様ですか?」と、明るくも落ち着いた声が店内に響いた。カウンターの奥から現れたのは、ショートカットがよく似合う、年齢は50代くらいだろうか。どことなく、面影があるような、ないような…。東動は少し緊張しながら、「はい、一人です」と答えた。


 店内を見渡すと、以前の記憶よりもずっと明るく、モダンな印象を受けた。テーブルの配置も変わったように思うし、壁の色も塗り替えられている。カウンターも新しくなっているだろうか。懐かしさは感じるものの、まるで違う店のようにも思えた。

「お好きな席へどうぞ」と女性に促され、東動は窓際の二人掛けのテーブルを選んだ。席に座り、改めて店内を見回していると、女性がメニューを持って近づいてきた。

「こちらがメニューになります。何かお飲み物はいかがですか?」と、にこやかに尋ねる女性。


 東動はメニューを受け取りながら、意を決して尋ねた。「あの… こちらのお店は、昔からご夫婦で経営されていましたでしょうか?天月というお名前のご夫婦だったと思うのですが…」

 女性は、目を丸くして少し懐かしむように微笑んだ。「ええ、そうです。私と主人の二人で始めた店なんですよ」

(あぁ、やっぱり天月のおばさんだ!)東動は心の中で叫んだ。少しふっくらとした体型や、優しそうな笑顔は、子供の頃の記憶と重なる。時の流れを感じさせながらも、確かにあの頃の面影が残っていた。


「あの… もしかして、天月のおばさんですか?」と、少し緊張しながら尋ねると、女性は 記憶を辿るように目を細めて微笑んだ。

「あら、まあ!もしかして… 裕方ひろたか君?」

 その言葉を聞いた瞬間、東動の中で、まるで封印が解かれたように、様々な記憶が鮮やかに蘇ってきた。このお店の温かい雰囲気、カウンターによく座っていたおじさんの優しい笑顔、そして何よりも、このおばさんの明るい声。懐かしさがこみ上げてきて、思わず胸が熱くなった。


「はい!覚えていますか?本当に、お久しぶりです!」東動は、自然と笑みがこぼれた。

「あら、裕方君は今、いくつになったの?」

「顔があなたのお父さんの若い頃に似てきたわね」と、矢継ぎ早に天月のおばさんは懐かしそうに目を細めて言った。

年齢トシは29歳になりました。今は会社勤めをしながらたまにお笑い芸人をしています。顔ですか…、自分では母に似ていると思うんですけど……」東動は苦笑いを浮かべながら答えた。

 「父親に似ている」その言葉は、売れていない芸人と言われるよりも、東動にとって何倍もショックだった。なぜなら、彼の父親は40歳前に急速に頭髪が薄くなり始め、今では髪の薄さをイジられるネタをする先輩芸人のような髪型になってしまっているからだ。母親が裕方に、お父さんに騙されたとよくこぼしていたのを思い出してしまう。

(よりによって、父親の若い頃に似ているとは…。複雑な気分だ…)

 心の中で渦巻く微妙な感情を悟られないように、努めて明るい声を出したつもりだった。


(そうだ、この店に来るといつも、ナオちゃんが元気な声で「ひろニィ、いらっしゃいませ!」って迎えてくれたなぁ…)ふと、そんな光景が鮮明に頭に浮かんだ。ナオちゃんは、天月のおばさんの娘さんで、僕より少し年下だった。いつも笑顔で、お店のお手伝いをしていたのを覚えている。

(あれ?なんでこんなにもスラスラと昔の記憶が出てくるんだ?)まるで、長い間閉ざされていた記憶の扉が、この店に入った瞬間に一気に開いたかのようだ。香ばしい料理の匂い、店内の温かい雰囲気、そして何よりも、天月のおばさんの変わらない笑顔が、彼の記憶を優しく呼び覚ましているのかもしれない。

「あの… おばさんの娘さんのナオちゃんは、お元気ですか?」東動は、懐かしさを込めて尋ねてみた。


 優しく微笑んでいた天月のおばさんの表情は、その瞬間、硬く険しいものに変わった。「ナオはね… 裕方君が引っ越してからしばらくして、タチの悪い風邪をこじらせて高熱が下がらなくてね… 色々と手は尽くしたんだけど、治療の甲斐なく、亡くなってしまったのよ」


 東動は、天月のおばさんの言葉が信じられなかった。「ウソだろ… あの、あんなに元気だったナオちゃんが…」声が震えた。最後に会ったのはたしか、引っ越す時に、「サヨナラ」を言いに「グリル天月」に行った時だ。寂しそうな顔をして「バイバイ」って言って手を振ってくれたっけ。あの時は「また、会えるよ」って言ったけど、あれが最後になるなんて…。いつも、笑顔で駆け回っていた、あの明るいナオちゃんがもういないなんて、東動には信じられなかった。

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