白球は空を舞う

@ryuya0110ruka

第1話

見上げると青い空。

雲ひとつなく穏やかな風が吹く。


「すみませーん」


振り返ると、白い上下の練習着に白い帽子をかぶった高校球児。


「なぁに?」


ここは土手沿いにある、高校の野球場。

私はのんびり土手を散歩していたところだ。


「おひとりですか?」


大人をからかっているのか。思わず目を見開いた。


「……えぇ。よくこの辺を散歩しているの」


すると彼は白い歯を見せて嬉しそうに笑った。


「ですよね。よく見かけるから。良かったら近くでもっと練習見ていってくださいよ!あ、野球好きですか?」


30歳を過ぎた私には眩しすぎるその笑顔を断ることも出来ず、坂をくだり練習場の敷地内へ招き入れられた。


見ず知らずの人を敷地内に入れてもいいのか彼に問いかけると、今はテスト前で自主練の人しかいないから大丈夫と、照れながら微笑んでいた。


仕事に疲れ、しばらく有給消化をしていた私は毎日決まった時間に彼の元を訪れ練習している様子を見守った。


指導者のような人は見かけなかったが、部員の子は何人も練習に来ていて中には一緒にキャッチボールしてくれる子もいた。

私はこの場所で過ごす時間が大好きだった。ノックをする彼らの眩しいこと。バックホームの声が青空を舞い心に響いてくる。1週間という短い時間だったが毎日心が踊っていた。


明日からテストが終わると言うので、私もここ来てゆっくり出来るのが最後になった。


「テストが終わったら練習試合とかもするのかな?また応援にきていい?」


彼らは目を泳がせて戸惑いの表情を浮かべる。そして1番初めに声をかけてきた青年がゆっくりと口を開く。


「毎日、楽しかった。明日からはここに来ないで欲しい。また、どこかで会えるから。ね?お願いします。」


わけが分からなかった。

ここへ来てはいけない理由も、またどこかで会えると言う理由も。


もやもやと一抹の不安を抱いたままその日は帰路に着いた。


薄暗い室内に灯りをともし、今日言われたことを思い出していた。なにか引っかかる。

ふと目に付いた本を手に取りペラペラとめくる。それは新聞のスクラップ記事。高校球児達の活躍を記録したものだった。私は高校時代野球部のマネージャーをしていた。そこそこ強豪で、県予選は常に決勝に残るチームだった。思わず懐かしく思い、ページをめくり進めると、1つの記事に目が止まる。


小さな野球少年が、決勝戦を見てインタビューを受けていた。


―――勝ったチームのチームワークはとてもすごい!かっこいい。甲子園でも頑張って欲しい。でも、負けたチームはもっとすごい。涙をこらえて最後まで悔しさを見せずに勝ったチームを称えていた。僕は負けたチームこそ、かっこいいチームだと思った―――


そう。うちは負けたチームだった。高校2年、3年と、2年も決勝に行ったのに勝てなかった。


そこには大泣きする私と、可愛い少年が指切りする写真が1枚挟まっていた。そういえばインタビューの少年に話し掛けられたことをなんとなく思い出した。でも、どんな約束をしたのだろう。思い出せないままぼーっとしているとその日はそのまま眠ってしまった。


あの日からあの場所へは行っていない。


少年のこともなかなか思い出せない。


そうして記憶が薄れていく中、夏の甲子園へ向けた県予選が始まっていた。


私は暑い中もスーツを身にまとい毎日仕事に占領される毎日を送りあの出来事すら忘れていた。


毎日毎日暑さも続き、ついに7月も後半へ。テレビでは県予選の決勝が行われるようだ。休憩室でコーヒーを飲み書類に目を落とすと、心を燻る声がする。


「……?」


声の主はテレビの中。そこにはこれから試合に望む球児達がそれぞれインタビューを受けていた。


『この球場は、12年前にとある人と約束した場所なんで絶対に勝ちたいんです。僕は6歳の時初めて両親に連れられ、高校野球を見ました。試合はとても白熱し、9回の裏で逆転勝利する手に汗握る試合でした。』


彼の言葉がすんなり耳に入り、私の目には涙が落ちる。そう。それは私が高校生の頃の話だ。

高校3年。最後の夏。決勝の舞台でまた敗北した。悔しくて悔しく仕方なかったけれど、彼らは涙を見せず相手を称えた。その背中が虚しくて私は涙が止まらなかったのだ。そんな私を閉会式が終わった彼らは真っ先に見つけ……


「誰よりも信じていてくれてありがとう」


と言った。

涙をこらえる彼らに、私はさらに嗚咽しながらも泣き続けた。悔しくて仕方なかった。

そんな私を見ていた少年が声をかけてきた。


「お姉さん、甲子園行きたかったの?」


私はびっくりして思わず顔をあげた。

涙と鼻水がつまり何も話せない私に、球児の1人が少年へ応える。


「お兄さん達が約束したのに破ってしまったんだ。お姉さんはね、毎日僕らのためにおにぎりを作ってくれたり、暑い日も寒い日も麦茶を作ってくれたり、掃除をしてくれたり頑張ってくれたのに……お兄さんは、何もお返しが出来なかったんだ。」


その言葉に私はハッとした。感謝して欲しかった訳ではないが、そんな気持ちを抱いてくれていたのかと。私は、毎日練習を頑張る彼らを支えたい一心で日々を過ごしていただけだった。


「違うの。私は悔しくて泣いてるの!あんなに練習頑張ったのに!毎日毎日頑張ったのに!!!」


綺麗にまとまらない思いが溢れ出す。保護者の人も駆け寄り泣き崩れる私を支えだした。球児達は監督に呼ばれその場を去ろうとした時少年が大きな声をあげる。


「じゃぁ僕、ここの学校に入って必ず甲子園に行くから。お姉さん絶対に見に来てね?僕のこと誰よりも応援してね?」


そういうと彼は小指をこちらへ向けてきた。

そこにいた皆が、絶望的な気持ちだったが暖かな眼差しを向け始めた。


「……ありがとう。約束する。」


私は少年と指切りをし、涙を拭いながら笑って見せた。その瞬間をカメラがおさめていたのだ。後日、貰ったこの写真を私は忘れまいとあのスクラップ記事に挟んだのだ。いつでも思い出せるように。



『僕は、応援して欲しい方がいてここまで来ました。今日は必ず勝ちます!』



テレビ画面に笑顔を向ける球児は、少し前に練習着で出会ったあの球児で、12年前の約束を交わした少年だったのだ。


全てが繋がった私は、有給届けを出し急いで野球場へと向かっていた。道のりは長くとても遠く感じた。球場へ着く頃には9回になっていた。

息を切らしながらバックネット裏から見守る。遠目からなのか彼の姿が分からない。名前も知らないからボードを見てもどこを守っているか分からない。周りはガヤガヤと音もうるさく、声も聞こえない。しかし、攻撃が始まる前の最後のボール回しのタイミングだった。


―――バックホーム―――


思わず目を見開いた。彼はキャッチャーなのだ。

ぶぁぁぁぁっと何かが湧いてきて胸が熱くなった。1回しか見れなかったが、手に汗握る試合を目の当たりにした。



……。


閉会式も終わり、選手が球場の外へ出てきた。

首から紺色の紐の銀メダルをかけた彼と目が合った。彼はとても気まずそうに目をそらす。


「……ありがとう。私を忘れないでくれて。」


やっと絞り出せた一言。彼も悔しそうに唇を噛みしめながら顔をあげる。


「約束……。したのに。果たせなかった。」


私はその約束を覚えていてくれたことが何よりも嬉しかった。そしてここまで野球を続けてくれていた事が嬉しかった。


「お揃い」


私はカバンから同じ紺色の紐の銀メダルを出した。彼は驚いたように口を開けて私を見つめる。


「参ったなぁ。全然かっこつかないや」


そういうと、いたずらに笑って見せた顔はあの日の白い練習着の彼だった。

OBとして試合を観戦していた私の同級生とも再会し、準優勝で落ち込んでいた気持ちは12年前の思い出と一緒に新しい思い出として胸に刻まれた。悔しかっただけのあの日が、少年との出会いで新たな思い出となり。私たちを再び球場へと戻してくれたのだ。


「お姉さん」


「なぁに?」


「今日の涙はどんな涙ですか?」


「……」



見上げると青い空。

雲ひとつなく風が吹く―――


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