第10話 社交界の光と影、そして開かれる新たな世界

エミリーがデザインし、心を込めて縫い上げたドレスがアンナの工房のショーウィンドウに飾られて以来、その評判は瞬く間に町中に広がり、一陣の旋風を巻き起こしていた。それまで、アンナの工房は確かな技術で知られてはいたものの、新しい流行の最先端を行くというよりは、伝統と格式を重んじる顧客に支持されてきた。しかし、エミリーのドレスは、その斬新な美しさで、これまでとは異なる層の人々の注目を集めたのだ。


工房には、ドレスを見に多くの人々が押し寄せた。貴族の夫人たち、新興の商人の妻たち、そして流行に敏感な若い女性たち。誰もがエミリーのドレスに魅了され、その作者が、かつて路地の片隅にいた貧しい少女であるとは、想像すらできなかっただろう。彼女たちは、エミリーのドレスが放つ独特の輝きに、ただただ息をのんだ。


アンナは、そんな工房の賑わいを静かに見守っていた。彼女の目には、エミリーが作り上げたドレスが、単なる布の塊ではなく、希望の象徴のように映っていた。そして、このドレスが、エミリーの才能を、より大きな舞台へと導くことを、確信していた。


ある日、工房に、これまでの顧客とは明らかに違う、威厳に満ちた女性が訪れた。彼女は、町の社交界を牛耳る、公爵夫人、ヴィクトリアだった。ヴィクトリア公爵夫人は、流行の最先端をいくだけでなく、その影響力は町の隅々にまで及んでいた。彼女が身につけるもの、口にする言葉は、そのまま社交界の常識となるほどの力を持っていた。


ヴィクトリア公爵夫人は、ショーウィンドウに飾られたエミリーのドレスを一目見るなり、その場に立ち尽くした。彼女の鋭い眼差しが、ドレスの細部にまで注がれた。


「…このドレスは、誰が作ったの?」


公爵夫人の声は、低く、そして威圧的だった。アンナは、一瞬たじろいだが、すぐに気を取り直し、公爵夫人に応対した。


「公爵夫人様。このドレスは、私の弟子、エミリーがデザインし、制作いたしました」


アンナの言葉に、公爵夫人の視線がエミリーに向けられた。その目には、疑念と、そして、かすかな好奇心が混じっていた。エミリーは、公爵夫人の圧倒的な存在感に、思わず身を小さくした。


「この子が?たかが一見習いごときが、これほどのものを…」


公爵夫人の言葉は、まるで氷のように冷たかった。エミリーは、再び、自分の出自を侮辱されているかのような、深い屈辱感を覚えた。しかし、今回は、セシリアの時とは違った。彼女の心には、既に揺るぎない自信の芽が育っていたからだ。


「公爵夫人様。ドレスに込められた情熱と技術は、地位や身分で測れるものではありません」


アンナが、毅然とした態度で公爵夫人に答えた。その言葉に、公爵夫人の眉がピクリと動いた。


「面白いことを言うわね、アンナ。…このドレス、私が身につけて、社交界のパーティに出席してみましょう。もし、皆がこのドレスに感銘を受ければ、あなたと、この娘の腕を認めても良いわ。ただし、もし私をがっかりさせるようなことがあれば…二度と、私の前に現れることは許さないわ」


公爵夫人の言葉は、エミリーにとって、恐ろしいほどの挑戦状だった。このドレスが、彼女の未来を左右する。成功すれば、新たな道が開けるだろう。しかし、失敗すれば、彼女の夢は、この町の片隅で潰えてしまうかもしれない。


エミリーは、公爵夫人の言葉に、深く考え込んだ。不安とプレッシャーが、彼女の胸を締め付けた。しかし、その不安を打ち消したのは、彼女自身の内に秘められた情熱だった。自分がデザインしたドレスで、この町の社交界を驚かせてやる。そして、自分の実力を、誰もが認めざるを得ない形で証明してやる。


「承知いたしました、公爵夫人様。私に、その機会をいただけますか?」


エミリーは、震える声で、しかし、力強く答えた。その言葉に、アンナは、誇らしげにエミリーを見つめた。公爵夫人は、エミリーの返答に、不敵な笑みを浮かべ、工房を後にした。


その日から、エミリーは、来るべき社交界のパーティに向けて、公爵夫人のドレスの最終調整に没頭した。アンナは、エミリーの才能を信じ、すべての裁量を彼女に任せた。エミリーは、ドレスの細部にまでこだわり、一針一針に魂を込めた。公爵夫人の気品と威厳を最大限に引き出し、同時に、エミリー自身の創造性を表現する。それは、これまでで最も困難な課題だった。


数週間後、ついに社交界のパーティの日がやってきた。エミリーは、工房の片隅で、公爵夫人の身につけたドレスが、社交界でどのような反応を示すのか、不安と期待がないまぜになった気持ちで待っていた。


夜が更け、アンナが工房に戻ってきた。彼女の顔には、満面の笑みが浮かんでいた。


「エミリー!大成功よ!公爵夫人のドレスは、社交界の中心となったわ!誰もが、そのドレスの美しさに目を奪われ、その作者が誰なのか、しきりに尋ねてきたそうよ!」


アンナの言葉に、エミリーは、全身の力が抜けるような安堵と、言い知れない喜びに包まれた。彼女の努力が、ついに報われたのだ。


そして、翌日、公爵夫人から、エミリーの工房に、正式な依頼が舞い込んだ。彼女は、エミリーに、自身の次なる社交界のパーティのためのドレスを依頼したのだ。それだけではない。公爵夫人は、エミリーの才能を認め、社交界に広く紹介することを約束した。


その日から、エミリーの工房には、公爵夫人を始めとする、多くの貴族や有力者からの注文が殺到した。彼女のデザインは、瞬く間に社交界の新しいトレンドとなり、エミリーの名は、天才ドレスデザイナーとして、町の隅々まで響き渡るようになった。


エミリーは、もはや路地の片隅にいた貧しい少女ではなかった。彼女は、自らの才能と努力で、光の当たる場所へと駆け上がったのだ。アンナという偉大な師の導きと、図書館の女性の支え、そして、彼女自身の揺るぎない信念が、この奇跡を生み出した。


工房の作業台で、エミリーは、新たなデザイン画を描き始めた。その瞳には、未来への限りない希望が宿っていた。彼女の物語は、今、華やかな光と成功の章へと、その舞台を移したのだ。

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