王国を救ったのは、農業スキルしかなかった役立たずでした

藤宮かすみ

第1話「追放と辺境への旅立ち」

 俺の名前はアルト・クレイヴン。王国有数の武門であるクレイヴン侯爵家の三男だ。この国は剣と魔法が何よりも尊ばれる、実力至上主義の世界だ。貴族の子息は皆、幼い頃から厳しい訓練を受け、いずれは家名を高める戦士となることを期待される。俺も例外ではなかった。幼い頃から剣を振るい、魔法の詠唱を学んだ。しかし、俺には才能がなかった。剣も魔法も、兄たちはおろか、同年代の者たちと比べても見劣りするレベルだった。


 そして、決定的なのは、成人を迎え授かった「スキル」だった。貴族の子には、先祖代々受け継がれたものか、あるいはその身に秘められた才能に応じたスキルが宿ると言われている。兄たちは強力な剣術スキルや精霊魔法のスキルを授かり、父上や周りの者たちから祝福されていた。俺も、どんな強力なスキルが宿るのか、ほんの少し期待していた。


 結果は、見事なまでの期待外れだった。


『【豊穣の恵み】』


 それが、俺に授けられたスキル名だ。スキル内容を確認しても、地力を高め、作物の成長を促進し、病害虫を防ぐ、とある。まるで、農夫のためのスキルだ。


「農業スキルだと?役立たずめ!」


 父上は、俺のスキルを知るや否や、激昂した。武門のクレイヴン家において、農業など賤しい仕事だ。戦場で役立つスキルならまだしも、農作業を助けるスキルなど、貴族の子が持つなど言語道断。侯爵家の子として恥ずかしいとまで言われた。母上や兄たちも、露骨に失望の表情を浮かべた。あれほど可愛がってくれた使用人たちでさえ、腫れ物を見るような目で俺を見た。


 その日を境に、俺は家の中で居場所を失った。食事も、前は家族と共に賑やかに摂っていたのに、一人離れて摂るようになった。誰からも話しかけられず、まるで存在しないかのように扱われた。やがて、父上は俺を呼び出し、冷酷な言葉を言い放った。


「アルト。お前はこのクレイヴン家の面汚しだ。もはやここに置いておくことはできん。辺境の、あの荒れ果てた領地へ追放する。二度とクレイヴン家を名乗るな」


 追放。それまで漠然と感じていた疎外感が、はっきりとした形となって俺を襲った。侯爵家から追放されれば、爵位を継ぐ権利はもちろん、貴族としての地位も失う。もはやただの人間に成り下がるということだ。


「お待ちください、父上!私もクレイヴン家の者として――」


「黙れ!貴様のような役立たずが、一体何ができるというのだ!剣も魔法も使えぬ上に、農業スキルだと?笑わせるな!あの荒れ地を開墾することでもしていろ。それで少しは世のためになるかもしれん」


 父上の目は、完全に俺をゴミを見るような目だった。反論する気力も失せ、俺はただ立ち尽くすしかなかった。


 そして、わずかな荷物と、追放を証明する追放状だけを手に、俺は生まれ育った家を追われた。門を出る際、誰一人として見送りに出てこなかった。ただ、長年俺の世話をしてくれた老齢の執事が、そっとリンゴを一つ渡してくれたのが、唯一の温かい別れだった。


 追放された先は、クレイヴン家の領地の中でも最も辺鄙で、痩せた土地が広がる場所だった。かつては小さな村があったらしいが、今は廃墟と化していると聞いている。生きるためには、そこで自給自足をするしかない。


「役立たず、か……」


 馬に揺られながら、俺は追放状を握りしめた。雨風にさらされ、埃を被った文字は、俺の惨めな現状を嘲笑っているかのようだった。


 旅の途中、立ち寄った宿場町で、深刻な話を聞いた。王国の各地で長引く日照りが続き、作物が壊滅的な被害を受けているというのだ。今年の収穫は絶望的で、既に食料価格は高騰し、飢えに苦しむ人々が続出しているという。これが、数十年ぶりの大飢饉だと騒がれていた。


「辺境の荒れ地で、一体どうやって……」


 自分の置かれた状況の厳しさを改めて感じた。ただでさえ痩せた土地なのに、この日照りでは、さらに何も育たないだろう。生きていけるのだろうか、という不安が胸を締め付けた。


 辺境の地にようやくたどり着いたのは、追放されてから二週間後のことだった。そこは、想像以上の荒れ果てた場所だった。枯れ草が生い茂り、土はひび割れ、まるで砂漠のようだった。かつて村だった名残らしき石積みが点々と残っているだけで、人の気配は全くない。


「これが、俺の新しい住処か……」


 呆然と立ち尽くしながら、俺は荷物を下ろした。持ってきたのは、最低限の生活用品と、父上が憐れみか、あるいは嫌がらせかで持たせたらしい、一袋の小麦の種だけだった。


 その夜、廃墟の軒先を借りて眠りについた。遠吠えらしき声が聞こえ、心細さに襲われた。こんな場所で、俺は一体どうすればいいのだろう。剣も魔法も使えない、ただの役立たずの貴族崩れが、どうやって生きていけばいいというのか。


 翌朝、目を覚ますと、眩しい日差しが降り注いでいた。今日も雨は降らないだろう。喉が渇く。持ってきた水筒の水も残り少ない。


「どうする……?」


 考えあぐねた末、俺はふと自分のスキル【豊穣の恵み】のことを思い出した。父上は役立たずと言ったが、もしかしたら、この状況で役に立つかもしれない。藁にもすがる思いだった。


 荒れ果てた土地の一角に立ち、俺は【豊穣の恵み】を発動した。スキルを使うのは初めてだった。何か特別な詠唱やポーズが必要なのかと思ったが、特に何も必要なく、ただスキル名を心の中で念じるだけで、温かい力が体内から湧き出し、両の手を通じて地面に注がれるのを感じた。


 すると、どうだろう。乾いてひび割れていた大地が、まるで吸水したかのようにみるみる色を変えていく。茶褐色だった土に、ほんのりと潤いが戻り、わずかに粘り気が出てきたのだ。土の中から、かすかに草の芽が顔を出すのが見えた。


「すごい……本当に効果があるのか!」


 俺は驚きを隠せなかった。あの父上が役立たずと断じたスキルが、この絶望的な土地に確かに変化をもたらしたのだ。


 興奮した俺は、その潤いを取り戻した土地に、持ってきた小麦の種を蒔いた。そして、再びスキルを発動する。すると、種を蒔いた場所を中心に、土の色がさらに濃くなり、生命力が宿ったかのように地面が脈打っているように見えた。


 その日は、体力も尽き、そのまま眠りについた。翌朝、期待と不安を胸に畑を見に行った俺は、目を疑った。


「う、嘘だろ……?」


 昨日、種を蒔いたばかりの場所から、既に青々とした芽が出ていたのだ。しかも、ただの芽ではない。僅か一日で、既に膝丈ほどの背丈にまで成長しているものもあった。中には、既に小さな穂をつけ始めているものまである。


 俺は慌ててスキル内容を確認した。「地力を高め、作物の成長を促進し、病害虫を防ぐ」。成長を促進、とは書いてあったが、まさかここまで劇的にとは聞いていない。これは、ただの促進ではない。まるで、時間を早送りしているかのようだ。


 その後、俺は連日【豊穣の恵み】を使って畑を耕し、種を蒔き続けた。スキルを使った土地は、まるで魔法がかかったかのように潤い、種は一日で驚異的な成長を見せた。小麦の種は、わずか三日ほどで立派な黄金色の穂をつけ、収穫を迎えたのだ。


「これが、俺のスキル……【豊穣の恵み】の力!」


 初めて自分の手で収穫した小麦の穂を手に、俺は震えた。父上は役立たずと言った。剣も魔法も使えない俺は、貴族としては確かに役立たずだったかもしれない。だが、このスキルは、この飢饉に苦しむ世界で、きっと役に立つ。いや、役立てなければならない。


 俺は、この辺境の地で生きていくことを決意した。そして、このスキルを使い、この荒れ地を豊かな畑に変え、飢えに苦しむ人々を救うことを誓った。それは、追放された俺にできる、唯一の、そして最大の反抗だったのかもしれない。

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