第36話 灰狼の誓い

 重い鉄の扉の奥は、湿った空気と血の匂いが漂う地下牢だった。

 明かりすら届かず、時折響く鎖の擦れる音が唯一の鼓動のように闇を揺らしている。



 グレアム、レオン、蒼井、エリック、カイル。

 それぞれが満身創痍のまま、冷たい石壁に寄りかかっていた。

 だがその眼差しには、まだ戦いを捨てぬ炎が宿っている。



 その静寂を破ったのは、石段を下りてくる足音だった。

 鍵が回る音とともに、鉄格子が開き、差し込む灯りの中に少女たちの姿が現れる。



「……遅くなって、ごめんなさい。」

 シエラとリタが駆け寄りそれぞれの牢を開いていく。

 ライザも同じように囚われの者たちに手を差し伸べる。

 その背後には、冷静な眼差しで牢をひとつひとつ鍵を開けるミハイルの姿がある。


「もう大丈夫だ。」



 沈黙を破り、最初に低い声を発したのはグレアムだった。

「……解放、だと?

 何があった?」



 ミハイルの口から語られた現状は、彼らの予想を遥かに超えていた。


「グレアム殿。アルザフルはもう終わりました。

 隣国カリフダーンが攻め入りました。

 国は完全に崩壊です。」



 その言葉に蒼井の瞳が大きく揺れる。

 エリックは信じられぬといった顔で口を開き、レオンは無言で拳を握り締めた。



「二国はもとより資源と宗教を巡り戦いを繰り返してきた。アルザフルが弱ったと知り、好機と見たカリフダーンが騎士団を差し向けたんです。」



 グレアムは眉間に深い皺を刻み、低く唸る。


「……ならば誰が密告した。アルザフルが崩壊寸前であることを、いったい誰が…。」



 その問いに一瞬場が張り詰めた。

 だがカイルが吐き捨てるように笑った。


「んなこと後で聞けばいいじゃねえか。

 とにかくこれでこのクソ国も終わりだぜ!」



 ----


 階段を上がりきった瞬間、外の眩しい光に皆が目を細めた。

 そこに広がっていたのは、もはや見慣れたアルザフル王国の景色ではない。



 城の中庭一帯はカリフダーンの騎士団で埋め尽くされ、鎧の列が規律正しく並び、剣先は捕らえられたアルザフル騎士へと突き付けられていた。

 抵抗する者はすでに地に伏し、血が石畳に黒い染みを広げている。


 ――制圧は完全に終わっていた。



 その光景に誰もが言葉を失う中、一人の男が足早に近づいてくる。

 浅黒い肌に整った髭、鋭さと礼節を併せ持つ眼差し。

 彼はカリフダーン騎士団長、ラシードであった。


「……お久しぶりでございます、グレアム殿!」


 声は低く、それでいて深い敬意を込めていた。



 グレアムはその顔を見て、短く息を吐き笑顔を見せる。


「おお……ラシード。久しいな。

 元気そうだ!」


「はい!

 あなたに鍛えてもらった賜物にございます。」


 ラシードは胸に拳を当て、深々と頭を下げた。



 やがて彼は顔を上げると、淡々と告げる。


「ある者からの密告により、アルザフルが崩壊寸前であると知りました。

 国王陛下の命を受け、直ちに攻め入り、この通り完全に制圧を果たしました。」



 グレアムの瞳が鋭く光る。


「サルマン国王は?」


「既に討ち取りましてございます。

 しかし…王子ジャファルがまだ…。」


 ラシードが頭を抱えるように言った。



 その時、沈黙を破って一歩踏み出したのはライザだった。


「あの王子なら、私が殺したよ。

 あのド変態クソ野郎、ハンマーで頭潰してやったよ。」



 彼女の吐き捨てるような言葉に、ラシードはわずかに驚きを見せ、そして深く頷いた。


「それは朗報です。あやつの悪行は我が国にも広く知れ渡っておりましたからな……よくぞ。

 お嬢様方、危険な目には遭わなかったかな?」



 シエラはリタを抱き寄せ、安堵の吐息を漏らす。

「ええ……でも危なかった。でも、この方に助けてもらいました。」


 彼女の指先はミハイルを示していた。



「そうか……勇ましいことだ。」


 ラシードの瞳に敬意が宿る。



 やがて彼はグレアムに向き直り、深く頭を下げる。


「では、私は職務に戻ります。では!」



 そう言い残し、再び騎士たちの中へと消えていった。


 残された静寂の中、グレアムが低く呟く。


「……俺たちも行くぞ。ノア連邦に連絡を取らねばならん。」


 その声に、全員が頷いた。



 ----


 ノア連邦の飛空艇が城壁の外に停泊していた。

 静まり返る作戦室に、通信水晶の青白い光が淡く揺らいでいる。

 グレアムはその前に立ち、硬い声音で報告を始めた。


「こちらグレアム。……アルザフルは陥落した。

 詳細を求む。」



 通信の向こうに現れたのは、ノア連邦政府の執政官の一人だった。

 顔は薄暗く映っているが、言葉にはどこか隠せない満足げな響きがあった。


「……ご苦労でしたな、グレアム卿。

 既にカリフダーン王国との密約は成立している。

 アルザフルの資源を分け合い、国境線を安定させる約定だ。アルザフルの混乱は、我が国にとっても好機であった。」



「……密約だと?」


 グレアムの声が低くなる。



 執政官は平然と続けた。


「そうだった…あなたは知らないのか。

 グレゴールはアルザフルを混乱させ、カリフダーンに密告することで、攻め落とさせることが目的だったんだ。」



「何だと!?

 それでは彼ははじめから…。」



 その場の空気が凍り付いた。

 蒼井の肩がぴくりと震える。



 グレアムは押し殺した声で問い返す。


「……その作戦を彼が、独断で?」



「そうだ。グレゴール殿は自らアルザフルに潜り、内情を探り、我らに報せを寄越した。

 彼は言っていたよ。『この国はいずれ必ず崩壊する。だから敵同士である隣国カリフダーンと協力することで悪名高いアルザフルを死に追いやれる。』と。

 実に見事な策略だ。

 ああ、そうだ。

 あの村での全世界の生中継のことなら心配いらん。

 アルザフルが滅んだことで、あれは編集されたフェイク映像だと既にメディアでは流している。

 安心して帰ってこれるぞ。それではな。」



 通信が切れると、沈黙が落ちた。

 誰もが重い息を吐き、言葉を探せずにいた。



「……そういうことだったのか。」


 蒼井が呟く。

 拳を握り締め、複雑な感情が胸に渦巻いていた。

 父上は暴挙に出たのではない、自らを犠牲にアルザフルを滅するため。



「あいつめ…なぜ私にそう言わなかった…!

 まったく!いつも奴は肝心なことを内に秘めおって…!」



「なぁ…もしかすると、グレゴール殿はお前がアルザフルとの共闘を拒んで、騎士団を裏切ることすら予想したんじゃないか…?」


 傍らに座るエリックが蒼井に告げた。

 グレアムはそれを聞いて確信した。


「そうか…!グレゴールは息子である君の性格、人間性を熟知した上の作戦だったのかもな…。

 アルザフル王国と灰狼旅団の実態を知れば、必ず騎士団を、国を捨てることすら厭わず良き者達のために戦うと信じていたんだ。

 ……国は正義で動かん。

 それをわかっていたグレゴールはカリフダーンとの密約の見返りを条件にノア連邦政府を動かしたんだ。」



 蒼井はアマツ刀、雪霞を見つめ瞳を静かに閉じた。

 それを聞いた他の一同は英雄の覚悟と信念を貫いたことに敬意と悲しみで黙り込んだ。



 長い沈黙の果てに、グレアムが低く言い放った。


「国は正義で動かない…。

 そして社会、法律、騎士団、そして神すらも動かない…。

 ならば私が創ろうではないか。」



 焔に照らされた横顔は、揺るぎない決意を帯びている。


「救われぬ良き者達を救うためならば、俺はこの立場の全てを駆使して、新たに組織を創設し、その者達のために戦う。

 ……騎士団の暗部の組織として。」



 その言葉に、皆の視線が一斉に彼へと集まった。

 重い言葉が空気を張り詰めさせた。

 誰もすぐには返せない。



 沈黙を破ったのはレオンだった。


「いいじゃねえか。国も神も、騎士団や宗教家も、救うべき人を救わねえで見殺しにするわ、平気で殺したりする悪党や偽善者共は散々見てきた。

 だが、あんたがそういうクソ野郎共と戦うってんなら、希望はある!

 そうだなぁ……その組織の名は……死隠部隊しいんぶたいなんて良いんじゃねえか?」


「しいんぶたい?」


エリックが聞き慣れない言葉に聞き返した。


「死を以て隠れる悪を殺す部隊…って意味だ。

 これから誰も咎められなかった悪をぶっ殺すんだろ?

 丁度いい名じゃねえか!」



グレアムはレオンのその言葉を気に入ったようだ。


「んん…!良い名だ!

 レオン、礼を言う。」



 レオンは微笑み、肩をすくめる。


「まっ!楽じゃねえだろうがな。

 なんたって相手は世界そのものだ…。

 よし、俺もついてくぜ!…と言いたいとこだが、俺はまだやることがここに残されてるからな。

 すまねえが、ここでお別れだ。」



 蒼井はグレアムに真剣な眼差しで声を張った。


「俺は…父上は例え憎まれようと貫いた強い想いと覚悟をしかと受け止めた。

 その死隠部隊に俺はついていく!」



 エリックも同じく答えた。


「俺もついていきますよ!

 もう国に帰れないと思ってたけど、これからもやって行けそうだ。」



 シエラは真っ直ぐな瞳でグレアムを見る。


「私もリタと一緒にノア連邦に…死隠部隊について行きます。

 偽善や権威に縛られぬ騎士団の新しい組織……それがあるなら、守れる命が必ずある。」



 ライザはニヤリと笑う。


「決まってるよ。私も行くよ。

 この国でやれることはもうないからね…。」



 シエラに抱かれるリタも小さく頷き、柔らかく微笑んだ。

「私も……一緒に。

 守られる側でなく、今度は誰かを守れる力になりたいから。

 親父…ここでお別れだね。」



 レオンは微笑んで言った。


「おう、良いじゃねえか!俺のことは気にすんな。

 姉ちゃんと仲良くやれよ!」



 黙っていたカイルも口を開いた。


「俺は残るぜ。

 レオンとこの新しいカリフダーンでまた灰狼を復活させるんだ!なぁ、レオン。

 だから元気でな、お前等、楽しかったぜ!」



 グレアムは皆の答えを静かに受け止め、深く頷いた。


「……よし。けど、いいか…。

 死隠部隊は今回の戦いのように悪であれば例え相手が女や子供だろうが容赦なく斬り捨てる。

 一切の甘えなくな…。甘えが許されるのはフィクションの話だけだ。」



 一同はグレアムの強い想いを真剣に受け止め黙って頷いた。



 「では、準備が出来次第出発する。

 我らが歩むのはもはや正義ではなく、闇の道だ。

 だが、そうでしか希望は届けられぬこともある。

 レオン、カイル…。世話になったな…ありがとう。

 私は飛空艇の準備に取り掛かる。それじゃあな。」



 グレアムが部屋を後にすると、レオンとカイルは飛空艇を出ようと立ち上がりレオンは皆に別れを告げた。


「俺達も、ここで…。元気でな…。」


 皆も立ち上がり、それぞれ別れを告げた。



 カイルも「じゃあな。また会えるだろうさ!」と笑ってレオンに続いた。



 そう言って二人は飛空艇を降りた。



 --------



 漆黒の空に雷が走り、地平は灼熱の血の河で覆われていた。

 そこは魔界。終わりなき苦痛と憎悪が渦巻く異界。



 暗き淵から、腐臭を帯びた瘴気と共にひとつの影が這い出す。


「……はっ!……ここは!?……魔界か……?」



 アスモデウスの巨躯が闇から再び姿を現した。

 肌は裂け、血は乾き、肉体は崩れてもなお、その瞳はぎらつく欲望を宿している。



「ふはは……我は不死身。……今度こそ滅ぼしてくれる!」



 その時だった。

 炎の車輪が轟音と共に走り抜け、火焔の嵐が辺りを舐めた。

 業火纏う車輪の上に佇む二つの影――美しき双子の少女の悪魔ベリアル。



「…あっ…アスモデウス……?」

「そう、あのアスモデウスだ……あの、みっともない欲望の権化……。」


 二人は淡々と表情一つ変えず、しかし露骨に不快を滲ませる。



 アスモデウスは嘲るように笑った。


「ベリアルか…!

 何を言うのだ同志。手を貸してくれ!今度は共に人間界を蹂躙しようではないか…!」



 だがベリアルは炎を纏い、唇を歪めた。


「同志……? …あなたのような下劣な者と同列に扱われるのは…我等への侮辱…。」

「そう…侮辱。我等…お前が嫌い…。」



 アスモデウスの笑みがわずかに崩れ、汗を滲ませる。


「待て……そんなことを言うものではないぞ…。」



 その瞬間。

 闇が揺らぎ、圧倒的な威圧が辺りを支配した。


「久しいな、アスモデウス。」


 黒き影が歩み出る。神々しくも禍々しい存在。

 その名を、アスモデウスは歯を食いしばり吐き捨てた。


「……ルシファー……!」



 ルシファーの眼差しは冷え切っている。


「人間界での行い、すべて見ていたぞ。

 品も誇りもない下等な欲望の塊よ……そんな貴様が我ら高位悪魔と同列に語られるのは不快でならない…!」



 アスモデウスは必死に言葉を返す。


「ふん…器を失った抜け殻め!ああそうだ…知っているぞ?

 お前の器は人間界に生まれ落ち……まだ幼子だそうだな? 

 それにお前の愛した人間も転生して二年か…?   

 ホホホ…この俺がまた人間界に出向き、お前の器と愛した人間を殺すことも出来るのだぞ?

 それに器が死ねばお前は人間界に行けない。

 それでも我に大口を叩くか!」



 挑発は続く。


「哀れなものよの……神に並ぶと言われた悪魔の王が、今は肉体すら持てないとはな!」



 次の瞬間、目の前に闇が広がると同時にルシファーの手がアスモデウスの首を掴んでいた。


「……貴様ごときに、我の真意は測れぬ。」


 握力がゆっくりと増し、骨が砕ける音が魔界に響く。


「アスモデウスよ……本当の地獄を知っているか?」


 その声はどこまでも冷徹だった。


「ここ魔界で滅びれば、死では終わらぬ。

 永遠の苦痛に囚われ、死すら許されぬ深淵へ堕ちるのだ…。」



 アスモデウスの目が飛び出し、舌が垂れ下がる。必死に暴れるが、抗う術はなかった。


「がっ…あっ!ああぁぁぁ〜!!」


 生々しい音と共に、首が潰れ、地に転がり落ちる。

 その魂は引き裂かれ、地獄の深淵へと引きずり込まれていった。



 静寂の中、ベリアルは業火の車輪を緩ませながら呟いた。


「……気持ち悪い悪魔が消えた。嬉しい……ルシファー…ありがとう。」

「ありがとう…ルシファーは…優しい…。」



 ルシファーは僅かに微笑んだ。


「それは良かった。だがまだ品のない悪魔どもが人間界に蔓延っている。

 何でも私の名を騙って人間を支配しているのもいるとか……アスモデウスの器は手に入れた。

 これで我が器と、愛する者に会うことも叶おう…。」



 影はゆっくり闇に溶け、消え去った。

 ベリアルは炎の車輪を走らせながら、退屈そうに言葉を残す。


「我等……人間界……興味ない…。」

「ここの方が…たくさん可愛い子…いる…。

 人間…汚い…醜い…。」


 轟音と共に業火の車輪を走らせ、ベリアルは魔界を駆け抜けていった――。



 --------



 夕陽が砂漠の果てに沈みかけ、空は赤く染まっていた。

 オアシスの崖の頂には、静かに佇むザフィーラの墓。

 乾いた風が吹き抜け、砂塵が舞い、どこか哀しい音を立てる。



 その前に立つレオンの背には、蒼雷の大剣があった。

 柄に手をかけ、彼はカイルへと振り返る。


「なあカイル……俺はずっと罪に苛まれてきた…。」



 夕焼けの赤が彼の顔を照らし、険しい影を刻む。

 やがて、蒼雷が抜かれると同時に鋭い光が散った。


「俺は灰狼を裏切り、悪魔や政府と繋がり、ザフィーラとの約束すら守れなかった…。」



 カイルの目が見開かれる。


「おいおい、いきなりなんだよ。

 まだ引きずってんのか…!?

 それは仕方ねえ事情があったって、もう知ってるよ。」



「すまねえな、カイル。これは俺のけじめだ!」


 レオンは深く息を吐き、真っ直ぐに剣を構える。


「最後はお前の刃で……俺の罪を終わらせろ!」



 その叫びとともに、夕陽を背にしたレオンが踏み込む。

 蒼雷の刃が大地を割るほどの勢いで振り下ろされた。



「おいっ!?レオン!」


 カイルも己の大剣を抜き放ち、受け止める。



 轟音。そして火花。

 二人の剣が幾度も打ち合わされ、砂煙が舞い上がる。


 そこにあるのは紛れもない命の削り合い。

 レオンの一撃は重く速く、カイルに一切の余裕を与えなかった。



「ガキの頃の稽古とは違うんだ!手を抜けば死ぬぞ!」



 蒼雷が唸りを上げる。

 魔導石はないのにも関わらず雷光を帯びたかのような斬撃が振り下ろされ、カイルは必死に受け止めた。



「くっ……! コノヤロウがあ!!」


 全身の力で押し返し、ついにレオンの蒼雷を弾き飛ばす。

 蒼雷は砂地に突き刺さり、カイルはその場からワンステップで距離を取り、剣を地に突き刺した。



 だが、レオンの動きは止まらなかった。


「まだだ!これで終わりだ!」


 腰から抜き放った短剣が、夕焼けに閃光を描いて突き出される。

 咄嗟にカイルは自分の胸に向かってくる刃をザフィーラから身体に染み込むまで教わった体術でその刃を反射的に返し、レオンの鋼の鎧を貫いた。



 レオンの動きが止まる。

 返された短剣が、レオン自身の心臓を深々と突いていた。


「はっ!レオン!!」


 夕陽に照らされながら、赤い血が砂に滴る。

 レオンは苦しげに息を吐き、だがどこか安堵した笑みを浮かべた。


「……俺はずっと……罪の中で生きてきた……罰が欲しかったんだ……カイル……すまねぇ……こんな役回り……。」



「待て…今止血を!おい、しっかりしろ!」

 カイルの瞳から涙がこぼれる。

「このバカがっ…何で…!?」



 レオンの声は震えながらも、確かに響いた。


「あの村で……お前を拾ったとき……お前の父を殺した……小さなお前は……その死体を見て……“父ちゃん”って呼んだ……その言葉が……ずっと……俺の頭から離れなかった……。」



 瞳が揺れ、光を失いかける。


「お前を苦しめていたのは……俺だった…お前は…俺を一度も……親父と呼んだことが…なかったから……これで……やっと……償え…っ……。」


 血に濡れた口元に、かすかな笑みが浮かぶ。



「馬鹿野郎……!!」

 カイルは泣き叫んだ。

「そんなこと思ったことねぇ! 俺はずっと……今も昔も……本当の親父は、あんただけだ……!!」



 握った手が震える。

 涙が止めどなく落ち、砂に染み込んでいく。


「なぁ……親父……。」


 その呼びかけに、もう答えは返らなかった。

 レオンは微笑みを浮かべたまま、既に息を引き取っていた。


「……親父……親父?

 親父!親父!親父ぃぃっ!!

 なぁ聞けよ!親父いぃあああああ!!!」


 夕陽が沈む砂漠に、カイルの慟哭が響き渡った。



 -------


 飛空艇の甲板では、部下たちが出航の準備を整え終えていた。

 グレアムは「よし出発だ!」と告げる。

 その言葉に応じて、兵たちが「はっ!」と返し、飛空艇は砂漠の風を切るように動き出そうとしていた。



 皆がそれぞれ出発を待つ中、エリックはサイドポーチからグレゴールが投げ捨てた闇の魔導石を一人黙って見つめた。

 エリックはその魔導石をシエラに見せて言った。


「なあシエラ…。この闇の魔導石…。

 ノア連邦に着いて、落ち着いたら分析してくれないか?」



 リタと肩を寄せ合っていたシエラはエリックの手に持つ闇の魔導石を見て違和感を感じた。


「その魔導石から感じる魔力の気配…。

 確かに闇の気配だけど、普通の魔力じゃない…。

 わかった…!任せて。」



 蒼井が窓の外に視線を落とした瞬間、思わず声を上げた。


「待ってくれ!外に彼が!」



 皆の視線が外に向かう。

 砂塵を背に、一人の影がゆっくりと歩みを進めていた。



 それはカイルだった。

 背に負っているのは、見慣れぬ黒鉄の大剣――いや、見覚えのあるもの。


「……あれ? レオンは?」


 リタが思わずつぶやく。



 ライザはカイルの背から覗く剣を見て言った。


「あの剣……カイルのじゃない。あの剣って確か…。」



 カイルは涙に濡れた顔で、まっすぐ飛空艇を見上げていた。

 握った黒鉄の剣の柄が、小刻みに震えている。

 その瞳には、悲しみと共に、何かを受け継ぐ覚悟が宿っていた。



 飛空艇は静かに下降し、昇降機が降りた。

 そしてカイルは黙って飛空艇に搭乗した。

 甲板の上で皆は、カイルを迎えに走ってゆく。



 ――砂漠の夕陽が落ち、やがて静かに飛空艇はこの砂漠の国を飛び去った。



 砂漠の崖の頂にひっそりと並ぶ二つの墓。

 ひとつはザフィーラの墓。その横には新しく建てられたレオンの墓。



 その前には、大剣が二本。

 ザフィーラの墓にはカイルの剣。

 そしてレオンの墓には、蒼雷の剣が墓標のように突き立てられていた。



 砂漠の風が吹き抜け、剣の刃が夕闇に鈍く光を放つ。

 そこには、戦いの果てに残された誓いと悲しみが、静かに刻まれていた。



 どんなに悲しき死が刻まれようと、物語は次なる運命へと進んでいくのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

咎に咲く、暁の華 --灰狼の誓い-- 月嶋ネス @anemone1797

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ