第35話 裁かれざる者達

 砂漠に、小さな墓標が立っていた。

 岩と砂で築かれた粗末な墓だが、一同の祈りと意志がそこに刻まれている。



 風が吹き、乾いた砂が舞う。

 グレアムは荒い息をつきながら、その墓に背を向けた。

「さらばだ、戦友よ。」

 彼の声はかすれ、肺の痛みで震えていた。



 レオンは深く頭を垂れ、蒼井は黙って墓を見ながらアマツ刀、雪霞に手を添えていた。

 ザフィーラの自己犠牲、そしてグレゴールもまた逝った。

 その意志は必ず次の時代へと引き継がれていく――そのことを誰もが肌で感じていた。



 しかし、立ち止まっている暇はない。

 迫りくる戦乱の予兆を知るがゆえに、彼らは歩みを止められなかった。



 ――砂漠を進む。

 しかし悪魔アスモデウスの時空の歪ませた影響か、アルザフルでは感じられない気候になっており、熱気と冷気が混じり合う荒野の風が、ひときわ冷たく頬を撫でていく。

 それはまるで、彼らの背を押すかのように。



 沈黙の行軍の中、やがてリタが口を開いた。


「……親父。灰狼旅団と……避難した村人たちのことを、話さなきゃならない。」



 レオンの目が彼女を捉える。


「ああ、教えてくれ。」


 リタは一瞬唇を噛み、それでも視線を逸らさず告げた。


「……皆、死んだ。

 灰狼の仲間も、生き残った村人も……ひとり残らず…。」


 その言葉は、砂漠の静寂より重く沈んだ。

 レオンは立ち止まり、拳を握る。


「……そうか……。」


 低く落とした声には、言葉にしきれぬ痛みと怒りが込められていた。

 リタは悔しさを噛み殺しながらも、その場に崩れ落ちそうな膝を必死に支えた。


 レオンはただその痛みを、自らの胸に抱き込むように――再び歩き出した。


 砂を踏みしめる足音だけが、無言の鎮魂歌のように続いていった。


 ----


 やがて日は落ち、蒼い月が砂漠の空に浮かび、夜が訪れた。

 焚き火の炎が揺らぎ、皆の影を砂地に長く伸ばしている。



 沈黙を破り、蒼井が口を開いた。


「……グレアム殿。今のうちに、伝えておきたいことがあります。」


「なんだ?」


 深い傷に苛まれながらも、焚き火に照らされるグレアムの横顔には衰えなど微塵もない。

 その眼光と気迫は、歴戦の英雄としての重みを放ち、誰もが息を呑むほどの威を示していた。


 隣でエリックも真剣な表情で、蒼井の言葉に続く。


「俺とこいつは……騎士団を裏切りました。

 …裏切りというよりも、見捨てた、というべきですかね。」エリックが自嘲気味に言った。


「連合騎士団のやり方に従っていれば、灰狼旅団や何の罪もない村人達が滅んでいた。

 だから俺達は命令を無視し、灰狼旅団と共闘することを選んだ。」


「実際…救えた、とは言い難いですがね…。」



 重い告白に、周囲の空気が張り詰める。

 シエラとライザは黙って彼らを見つめ、リタはシエラの腰に手を回し、身を寄せ合った。



 しかし、グレアムはすぐに笑った。

 荒い咳を混じえながらも、確かに笑ったのだ。


「ハハッ……お前達の判断は、若いなりに大したもんだ。

 正しきを成したんだ。」


「……ですが、国や社会から見れば俺達は裏切り者で、大勢の騎士を斬りました…。」

 エリックが顔を伏せながら言う。



 グレアムは焚き火を見つめ、煙に咳き込みながらも冗談めかして告げた。


「まあ、そうだな。社会の倫理からすれば、お前達は悪者だ。

 ノア連邦が悪名高いアルザフル王国と密約を交わし、めちゃくちゃな圧政をこれ以上やらせんために俺が独断で決めてきたんだ。

 俺も一緒だよ。」



 エリックは目を見開き、そして苦笑する。

 蒼井は真剣にグレアムの言葉を受け止めた。



 すると火の粉が夜空へ舞い上がり、星と混じり合って消えていった。


 ----


 夜明け。

 砂漠の地平が薄金色にほどけ、冷たい朝風が焼けた砂の匂いを攫っていく。

 一行は無言のまま歩き出した。昨夜の焚き火の赤はすでに記憶の端に沈み、代わりに乾いた靴音だけが刻まれていく。



「ん!?……風が変だ。」

 エリックが足を止め、遠目を細める。

 蒼井も肩越しに振り返った。

「砂煙……騎兵だ、数が多い!」



 ほどなく、地平線に黒い帯が現れた。

 軍鼓が腹の底を震わせ、幾百の蹄が砂を巻き上げる。アルザフルの旗が翻り、槍の列、盾の壁、後方には法衣の魔導兵。規模は五百は下らない。



「ちっ……もう来やがったか…!」カイルが舌打ちし、柄を握る。

 ライザは巨槌を抱え直し、シエラはリタの肩をそっと引き寄せる。レオンは無言で息を整え、グレアムは荒い呼吸のまま槍を杖代わりに立った。



 軍勢の先頭、白馬にまたがる若い男が歩度を落とす。

 切りそろえられた黒髪、冷ややかで生意気な表情。 

 王族の紋章を染め抜いた外套が朝日を受けて閃いた。


「アルザフル王国王子、ジャファルである!!」


 声が砂漠中に響く。

「今ここで告げる!汝らは王国の秩序を乱し、政府幹部と騎士団幹部を殺害し、数々の善良な民が住まう村を滅した。

 国家反逆およびテロ行為の大罪だ。

 ここで拘束する。」



 グレアムは一歩前へ出た。「……拷問と強姦マニアのクズ王子が! 

 偉そうに出来るような生き方などしておらんだろ!」


 視線だけで目の前のジャファル王子と数百の騎士達を制する。


「!?…これは…グレアム殿…。まさかあなたもこのアルザフルに来ていたとは…。

 しかし、その言葉は偽りである!

 何を根拠にそんなことを…!

 ほら…お前等!さっさとこの者達を捕らえよ!!」



 カイルが目に殺意を剥き出しにしながらも歯噛みし、ライザが悔しげにジャファルを睨みつける。

 エリックは観念し、盾と剣を地に落とした。

 レオンはリタの前に立ち、シエラは魔力を沈める。

 蒼井も刀から手を離し、抵抗の意志を鎮めた。



 騎士たちが雪崩のように寄せ、冷たい鉄の枷が次々とかけられていく。

 魔封じの鎖が肌に触れた瞬間、シエラが小さく息を呑んだ。

「……魔力が、吸われる……。」


「今は抵抗するな…。」レオンが低く囁く。


「くそ……!」カイルが踏み出しかけ、エリックが肩を掴んで首を振った。



 最後に、グレアムの両腕にも重い鎖が巻かれる。

 それでも彼の眼光は曇らず、ただ王子を真っ直ぐに射抜いていた。

 ジャファルは表情ひとつ動かさず、見下ろしていた。



 鎖が擦れる金属音だけが、広い砂原に長く長く響いた。

 彼らの朝は、こうして鉄の重みへと塗り替えられた。



 ----


 暗く湿った石造りの牢獄。

 そこに押し込められたのは、グレアム、レオン、蒼井レイモンド、エリック、カイルの五人だった。

 それぞれが離れた牢に鎖で拘束され、魔封じの呪符によって力を奪われている。

 身動きもままならず、暗闇に重苦しい沈黙が漂っていた。



 一方で、シエラ、ライザ、リタの三人は別の部屋へと連行されていた。

 そこは豪奢な調度に彩られながらも、明らかに女性を辱めるために設けられた空間。

 それぞれ椅子や寝台に縛りつけられ、身動きできない。



 軋む扉が開くと、ジャファル王子が下卑た笑みを浮かべて入ってきた。背後には、柄の悪い騎士が二人。


「ふん……悪くない景色だな。

 久方ぶりに上物だ。」


 ジャファルはライザに目を止め、舌なめずりをする。

 ライザはジャファルを睨みつけた。


「気持ち悪いな!近づくなっ!」


「俺はこの金髪がたまんねぇ。これは俺がもらうぞ。」


「青髪のクールな顔とこの身体つきいいな。」

 と一人がいやらしく笑い、もう一人はリタを舐めるように見て「この灰色の肌も悪くねぇ。良い珍品だぜ。」と手を伸ばす。



 リタが怒号を上げても、騎士は笑いながら衣服を剥ぎ取ろうとした。

 同時に、ジャファルはライザのショートパンツに手をかけ脱がそうとする。



 次の瞬間。


「……ガッ!」


 ジャファルの目が見開かれた。背後から鋭い閃光が走り、彼の腹を剣が貫いていた。


「ぐおぉおッ!」


 血を吐いて崩れ落ちるジャファル。振り返る暇もなく、残った二人の騎士も瞬きの間に斬り伏せられる。



 三人の目の前に立っていたのは、ノア連邦の騎士――ミハイルだった。

 アルザフル騎士団の中央塔へ向かう道中で戦った連合騎士団の一員で蒼井達の同期だ。

 顔には疲労の色が濃いが、その瞳は冷たく燃えていた。


「……借りを返しに来たぞ…!」



 拘束を解かれ、自由になったライザは無言で頷いた。

 まだ息のあるジャファルが床をのたうち回る。

 ライザは迷わなかった。

 傍らに転がっていた片手ハンマーを握り、彼の頭蓋を無慈悲に叩き砕く。


「……この下種が!!」


 血の臭いが漂う中、ミハイルは吐き捨てるように言った。

「俺は……こんな奴らの犬だったのか。反吐が出るぜ。」



 シエラが声をかける。

「どうしてここに……?」


 ミハイルは苦々しく笑う。

「すげぇことが起きてる。アルザフル王国は……もう終わりだぞ!」



 ----


 アルザフル王宮。

 玉座にふんぞり返るサルマン国王のもとへ、慌てふためいた家臣が駆け込んだ。


「こ…国王!! 隣国カリフダーン王国の騎士団が……!!

 十万を超える軍勢が、国境を突破し、この王宮に迫っております!」


「なんだと!?」


 国王は狼狽し、玉座から立ち上がる。


「まさか…我が国が弱ってることが漏れたのか…。

 貴様!!中枢の崩壊と混乱は隠しておけと言ったはずだ!!」



「も…申し訳ございません!

 しかし……どこかから漏れたのか…。

 …もはやこの混乱は止められません……!!」



 言葉が終わるより早く、轟音が響いた。

 王宮の門が破られ、カリフダーンの騎士達が雄叫びを上げながら雪崩れ込んでくる。

 次々とアルザフル騎士達は成す術なく殺され、廊下は血に染まり、王侯貴族は悲鳴をあげながら斬り伏せられる。


「くそっ……衛兵ども、我を守れ!!」


 サルマンは必死に叫ぶが、抵抗は一瞬で押し潰された。

 やがて、王は剣に貫かれ、血を吐いて倒れる。



「アルザフル王、サルマン討ち取ったぞ!!」


 敵将の声が轟き、サルマンの首が槍に掲げられる。


 ――この日、アルザフル王国はカリフダーン王国の大軍により、あまりにあっけなく滅亡した。

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