第29話 聖と邪の境界線
デラートの司令室兼私室へと続く階段を、騎士団の一隊が臨戦態勢で駆け上がっていた。
その先頭の男は、途中で吐き捨てるように呟く。
「カシアン殿が団長もファビアン曹長も死んだと言ったが……信じられるか…!」
緊張の空気が走る。
数刻前まで声を荒げていた上官が、あまりにも唐突に「死んだ。」と言われたのだ。
確かめるまでは、とても納得できない。
やがて一行は司令室の前に辿り着く。
そこに広がる光景を見た瞬間、誰もが息を呑み、汗も一瞬にして引いていた。
床を這いずり、血の跡を残した末に絶命した男――。
顎の骨は砕かれ、右腕は無く、そして顔の皮が根こそぎ剥がされ、白い頭蓋の地肌が露わになっていた。
その無惨な死体こそ、紛れもなくファビアンであった。
「……曹長……!」
「な……なんて死に方だ……!」
騎士たちの背筋に寒気が走る。
誰かが扉を蹴破るようにして開け放つ。
中は静寂。だがその中心には――。
椅子にもたれかかるように崩れ落ちたデラートの姿。
胸は抉られ、心臓を引き抜かれた穴がぽっかりと残っている。
傍らの床には、力任せに潰された血塊――生きたまま握り潰された心臓が転がっていた。
誰もが言葉を失い、やがて一人が震える声で呟く。
「……これは……悪魔の所業だ……。」
司令室の冷気と血の臭いの中、その言葉は妙に現実味を帯びて響いた。
「と……とにかく報告だ…!……急げ!!」
騎士たちは凍りついたまま、直ちに上層部への報告へと動き出した。
--------
アルザフル政府の重鎮たちが揃う会議室。
そこに国王も王子もいないのは異様な光景だったが、彼らに決定権があるのは変わらない。
その中央に立つのはカシアン。
彼はいつもの冷静さを保ち、何事もなかったように淡々と告げる。
「申し上げます。
デラート騎士団長とその息子ファビアン曹長は亡くなりました。
それとグレゴール・ヴァンデンベルクとレオン・ヴァルグレイは裏切り、グレゴール殿は殺害、レオンは取引にも応じぬ過激派でしたので、これからザイファの養成キャンプにて全世界に向けて処刑を中継いたします。
そして同時に秘密研究所から逃げ出したザフィーラも、既に私が捕えましたのでご安心を。」
その報告に、場はざわめき立つ。
一人の重鎮が立ち上がり、机を叩いた。
「急過ぎないかね?
儂らの了承もなく勝手に事を進めおって!
騎士団長と曹長が死んだだと!? 何があったんだ!」
「どうやら灰狼の残党がいつの間にか侵入し、殺害されたのでしょう…。」
カシアンのどうでもいいかのような物言いと表情には上層の幹部達は我慢ならなかった。
「なんだ!その言い方は!
お前の横暴には目をつぶってきたが……これ以上は許せん!」
「カシアン、お前は今この場をもって役職を解かれる。即刻退出しろ!衛兵!!」
号令に応じ、衛兵たちが扉を開けて入ってくる。
だが、カシアンは肩を震わせて笑った。
「……やはり。
だから人間とは愚かだ。無能で、低脳で、醜悪で……何の取り柄もない。
あるのは家柄だけ……いい加減俺も嫌気がさすな…。」
一気に会議室の空気が重くなる。
「なっ……なんだと…!貴様もう一度言って……!?……。」
その瞬間――カシアンの瞳が赤く濁り、頬が歪み、背中に炎がまとわりついた。
「…お前たちはもう用済みだ。
使い物にならん。」
重鎮たちの身体が次々に硬直する。
次の瞬間――
体内から炎が噴き出した。
「ぎゃあああああ!」
「燃える! 助け……!」
肉が焼け焦げる臭いが立ち込める。
断末魔の悲鳴が次々と上がり、会議室は地獄絵図と化した。
カシアン――いや、アスモデウスは微笑みながら立ち尽くし、その光景を眺めていた。
「これからは俺一人で国王と王子を操り、この国を導く。
あの二人も所詮は下等だが俺が直接精神を操る。
そして世界を――俺のものにする!」
燃え盛る会議室を背に、彼は悠然と扉へ歩き出す。
しかし重鎮達に纏わりつく炎はなかなか人体を焼き尽くさず、なおも燃え続け苦痛の悲鳴をあげる声が業火の中から響き渡る。
「おっと言い忘れてました。
私の炎はベリアルとは違ってあまり力がないのでね。
私好みにじっくり時間をかけて焼いていきます。
楽しんでくださいね、ホホホホ。」
笑いながら退出したカシアンは冷や汗をかく衛兵に告げた。
「これからは私が騎士団のトップです。
さぁ、レオンの処刑に立ち会いましょう。
乗り物を用意しなさい。」
衛兵は目をぽっかりとさせて、カシアンの言葉に従った。
--------
砂漠の果てに広がる異様な村――。
外から見ればただの貧しい集落。だが、その内部は血と狂信に満ちていた。
ザイファ教の中でも過激派の家族と予備軍だけが集められた隠れた村。いや難民キャンプのようだ。
女も子供も、皆が盲目的に教義を信じ、牙を剥く「兵士」として育てられている。
その中央広場。
柱に縛り付けられ、無残な姿で晒されているのはレオンだった。
顔に打撲痕、身体中に縄の痕、呼吸は荒くともまだ戦士の威厳を保っている。
その視線は鋭く、群衆の憎悪を受けても屈してはいなかった。
だが――。
群衆の熱狂は、やがて遠くから近づく「音」によってさらに高まっていく。
――重厚な車輪の軋み。
――砂を巻き上げる蹄の響き。
――鋭く整列する騎士たちの行進。
砂煙を割って現れたのは、黒鉄の装甲を纏った荘厳な馬車だった。
旗にはアルザフルの紋章と、紅に染まった異様な印。
その護衛を務める騎士団は、整然と列を組み、まるで「王の凱旋」を演出するかのようだった。
村人たちは歓声を上げる。
「導き手が来られた!」
「主の使徒、我らの勝利を告げる方だ!」
やがて馬車が広場の中央に停まる。
扉が開き、降り立ったのは――カシアン。
彼はいつもの貴族的な微笑を浮かべながらも、その目には禍々しい赤の光が宿っていた。
周囲の熱狂を浴びることを楽しむかのように、ゆっくりと歩を進める。
その後ろには、まだ意識を失ったままのザフィーラが従えられていた。
群衆の視線が一斉に集まる中、カシアンは両手を広げて高らかに告げる。
「見よ、この男を!
かつては勇敢と謳われた戦士も、いまや過激派の頭目として堕ちた。
そして今日、ここで世界に示されるのだ――アルザフルの正義を!」
歓声が爆発する。
「正義を!」
「裁きを!」
カシアンは馬車の傍らから差し出された黒曜石のような魔導石を掲げる。
「世界中の目に、この処刑を刻み込め!
これが人間を導く力……これこそが我の統治だ!」
彼の声は、炎のように群衆を煽り立てる。
そして、ふと視線をレオンに向け、嗤う。
「お前の最期は、全ての人間の未来を飾る“見世物”となるのだ。」
カシアンが群衆を見渡し、ゆっくりと手をかざす。
その声は炎のような熱を孕みながらも、不気味なほど穏やかだった。
「皆の者……もうすぐ世界の目が、ここに注がれる。
ゆえに――お前たちは“ただの善良な村人”を演じるのだ。
無垢に、敬虔に、そして素朴に。
この村が“悪に抗う正義の地”だと、世界に知らしめるのだ。」
その言葉に村人たちは一斉に頭を垂れ、声を揃える。
「ザイファの神は偉大なり……!」
「導きの下、我らは善き信徒なり……!」
しかしその目には、剥き出しの狂信が宿っている。
普段の彼らは殺戮と憎悪に染まったテロリストの家族であり、子供すら小さな兵士。
だが今は、カシアンの言葉に従い、善良で穏やかな信徒を“演じて”いた。
カシアンは微笑み、芝居を楽しむ観客のように手を叩く。
「いいぞ……それでいい。
世間は騙されやすい。表面の善意に酔い、真実の血を見ない。
我らは、虚構の信頼をまといながら、世界を征服するのだ!」
彼はそう言うと、レオンに視線を戻す。
「お前の最期は、その虚構の舞台に彩りを添える……
さぁ、ショーの始まりだ。」
広場の空気がさらに高まり、群衆の熱狂と偽善的な敬虔さが混ざり合い、異様な“劇場”と化していった。
シエラとリタは、処刑場と化した村の広場を陰から見下ろしていた。
穏やかで善良そうに振る舞う村人たちの姿。
だが二人には、一部始終を見ていた。
この村全体が、カシアンの采配に従い芝居をしているのだ。
リタは拳を震わせ、赤くなった目に怒りを燃やす。
「親父……!今すぐ助けないと!」
彼女は疲弊しきった体で短剣を抜き、飛び出そうとする。
「待ってリタ!」
シエラが必死に抑える。
「正面から行ったら殺されるだけ!……私が今から魔力を練る。
吹雪で一気に凍らせる。その隙にレオンを……!」
シエラの指輪に嵌め込まれた魔導石が淡い青白い光を放ち、彼女の周囲の空気が冷え始める。
しかし――
「連れてこい!」
カシアンの一声で、騎士が馬車から引きずり出してきた女の姿を見た瞬間、シエラの集中は乱れた。
「ザフィーラおばさん……!? おばさんが、なぜ……!?」
処刑されたはずの彼女が、闇の力を封印する拘束具に縛られたまま現れたのだ。
ザフィーラは意識を取り戻し、血走った目でレオンを見つめる。
「……レオン…レオン!?」
その絶叫は村の熱狂に掻き消される。
カシアンが両手を広げ、全世界に中継された放送へと顔を向けた。
「これが正義だ! 我らが神に仇なす者、
テロリストの頭領レオンは、ここで裁かれる!」
村人たちは一斉に両手を掲げ、善良を装った声を張り上げる。
「ザイファの神は偉大なり!」
「正義の裁きはここに下る!」
そして、処刑するための剣を持った女が前に進み出た。
「異端の者……破壊者……大悪党……ここで死ね!」
剣を高く掲げ、今まさにレオンを刺し殺そうとした瞬間――
空が裂けた。
轟音と共に飛空艇が急速に降下し、その甲板から一人の男が躊躇なく飛び降りる。
「ここでいいッ!!」
落下の勢いを殺さぬまま着地し、手にしたグングニルの槍を閃かせる。
処刑の剣を振り下ろそうとしていた女は、一瞬で縦に真っ二つに裂かれ、血飛沫を撒き散らしながら絶命した。
村人の歓声が悲鳴に変わる。
砂煙の中から立ち上がった男の鎧は、太陽を浴びて黄金に輝いていた。
「……ノア連邦の英雄……悪魔殺しのグレアム・ウェクスラー…!?」
その名を呟いた瞬間、シエラもリタも目を見開き、
カシアンは彼の姿を見て、人間の姿から悪魔の姿に変化するのをコントロール出来なくなっていた。
「お前達のことは全て知っている…。
ザイファの狂信者共…。
それとお前は悪魔だな…?
フッ…既に人間の姿を保ててないぞ?」
カシアン…いやアスモデウスはこの時はじめて余裕を無くし額に汗を滲ませた。
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