第28話 灰狼、復讐の炎

「殺してやる…クソ野郎がよ!」


 低く唸るような声が、司令室の空気を一瞬で凍らせた。

 その目は獣のように血走り、口元には抑えきれぬ怒気が滲む。


 カイルはすでに鞭を握っていたファビアンの腕を床へと叩き落としていた。

 鮮血が噴き、ファビアンは悲鳴を上げて後ずさる。

 父デラートはあまりの速さと衝撃に動けず、固まっている。


 ライザは即座に三人の女のもとへ駆け寄り、引き裂かれた衣服を整えながら「逃げて!」と声をかける。

 その背後から、カイルが低く命じた。


「ライザ、この女たちを安全な場所に連れて行け…ここからは俺がやる…。」


 ライザは一瞬だけカイルの横顔を見る。その目の奥に、暗く冷たい怒りの炎が燃えているのを感じ、無言でうなずくと、蒼井とエリックの方を振り返り、女たちを連れて司令室を後にする。


 エリックが問う。「…どうする気だ…?」

 だがカイルは答えず、ゆっくりとファビアンへ歩み寄る。


「テメェ…女を捕まえては強姦、男は皮を剥いで拷問して殺してきたよな。」

 その声は冷たく、しかし底に煮え立つ溶岩のような怒りを孕んでいる。

「灰狼旅団の仲間も、アルザフル騎士団の牢で散々弄ばれて殺された…。」


 ファビアンの顔を鷲掴みにし、壁に叩きつける。

「笑ってたよな…それが戦争だってよ。だったら――俺も同じことをしてやるよ!!」


 顎のエラをがっ、と掴み、力任せに引き剥がす。

 骨が砕け、そのまま肉と皮が裂ける。

 この塔全体に響き渡る程の絶叫が司令室を切り裂く。


「やめろぉぉぉッ!!」

 デラートが剣を抜いて駆け寄るが、その刃は蒼井の猛スピードの踏み込みで阻まれる。

 蒼井は冷静にデラートに告げる。


「己のやったことを悔い続けろ…。」


「こんな所業、許されんぞ悪魔め! 我が息子を――!」


 カイルは引き剥がした皮をデラートの胸に投げつけ、息子を突き飛ばす。

「どっちが悪魔だ…クソ野郎がよ!

 自分がやってきたことと同じことされたくらいでピィピィ言うんじゃねえ!!」


 一歩ずつ、デラートへ詰め寄る。

「レイモンドよぉ…悪いが、この復讐は俺がやらせてもらう…。

 仲間の屈辱と苦痛…。

 俺がここで晴らしてやるよ!!」


 その言葉と同時に、カイルの右手がデラートの胸を貫く――。


 デラートの目が見開かれた。

 胸を貫いたカイルの手から、熱い血が滴り落ちる。


「が…あぁぁ……!!」

 言葉を吐き出すより早く、カイルの指は冷徹に心臓を掴み上げる。


「女を犯し、男を拷問して殺したテメェのその腐った心臓……。」

 カイルの目は血のように濁っていた。

「俺が灰にしてやる!」


 ごぼり、と音を立てて心臓が引き抜かれる。

 その瞬間、デラートの体から力が抜け、膝が床に落ちる。


 カイルはその心臓を手の中で握り締め、

 骨と筋が潰れる湿った音を響かせながら、ゆっくりと潰していった。


 血飛沫が司令室の床に散り、残ったのは肉塊のようなものと、カイルの荒い息だけ。


「これが…テメェが撒いた恨みの報いだ!」

 投げ捨てられた心臓の残骸が、デラートの傍らに転がった。


 蒼井は一瞬だけ目を伏せたが、何も言わなかった。

 エリックもただ黙って、カイルの背を見ていた。


 カイルは返り血を拭いもせず、

 転がるファビアンに鋭い視線を向けた。

「残りの借りは…まだ終わっちゃいねえ…。」


 床に転がったファビアンは、顎の骨を砕かれ、顔の皮を剥がされた無惨な姿だった。

 血がだらだらと流れ、口の奥から漏れるのは、言葉にならないくぐもった呻き声だけ。


 カイルはそれを冷ややかに見下ろし、ゆっくりと片足を上げる。

 踏み下ろせば頭蓋は砕け、即死だ。


 その瞬間、背後から蒼井の声が低く囁いた。

「…こいつはもう再起不能だ。わざわざトドメを刺さなくても、勝手に死ぬ。」


 カイルの足が宙で止まる。

 数秒の沈黙ののち、荒い息を吐きながら、低く言った。


「……そうだな。」


 視線を落とし、ファビアンの虚ろな瞳を睨みつける。

「てめぇがやったことを…骨の髄まで味わって死ね!」


 言い捨てて、足を下ろす。

 返り血で靴底が赤黒く染まったまま、カイルは踵を返し、蒼井やエリックと共に司令室を後にした。


 背後に残されたのは、父の死骸と、地獄のような痛みに喘ぐファビアン――そして鉄の匂いだけだった。



 ---------


 作戦室の空気は焦げた匂いと血の匂いが混ざり、異様な静けさに包まれていた。


 先ほどまで空間を支配していた黒い鏡の壁は跡形もなく消え、そこに立つのは、息一つ乱れていないカシアン――完全に人間の姿に戻ったアスモデウスだった。


 床には胸を貫かれたグレゴールが血を流し、動かず横たわっている。

 傍らではレオンが意識を失い、血の跡を引きながら倒れていた。

 ザフィーラは傷一つないまま、深い眠りのような意識のない状態で横たわっている。


 その時――作戦室の扉が開かれ、数人の騎士たちが慌てて駆け込んできた。

「カシアン殿! あの音は……!」


 カシアンはゆっくりと振り返り、まるで今しがた会議を終えたかのような穏やかな笑みを浮かべた。

「安心してください。すべて終わりました。」


 騎士たちが足元の惨状を目にして息を呑む。

 カシアンはその視線を受けながら、淡々と説明を始める。


「この者――グレゴール卿は裏切りました。

 まったく……親子揃って騎士団を裏切るとは血とは恐ろしいものですね。

 仕方なく、ここで始末しました。

 それとこの女は秘密研究所から抜け出し、ここへやってきたので私がしっかり制圧しときましたよ。」


 まるでただの事務的報告のように、血に染まった英雄の亡骸とザフィーラを示す。


 そして、意識のないレオンを顎で示す。


「この男を例の村へ。国が管理するテロリスト(ザイファ)の家族や予備軍が集まるあの場所です。」


 騎士の一人が動揺して問いかける。

「……処刑、なさるおつもりで?

 しかし、デラート騎士団長の話では…。」


 カシアンの笑みがわずかに深くなる。


「デラート騎士団長とその息子ファビアン曹長は死にました。

 指揮系統は一時的に私に委ねられています。」


 その言葉に騎士達は衝撃と疑念を隠せなかった。


「まさか…団長殿とファビアン殿は安全な司令室へ…。」


「いいから私の言う通りに。

 後でわかりますよ。

 さぁさぁ、この灰狼の首領を早く連れ出してください。

 それとこの女は私が責任を持ってコントロールし、後でレオンの処刑に共に立ち会いますよ。」


 カシアンの笑みは騎士達も引くほど不気味に歪んでいた。


「全世界のメディアで、凶悪テロリストのリーダーとして処刑。

 民衆は歓喜し、我らの威信はさらに高まるでしょう!」


 レオンを抱え、作戦室を出ていった騎士達。

 そしてカシアンら足元のザフィーラへ視線を落とす。

 しゃがみ込み、彼女の頬に指先を添えながら、囁くように告げる。


「あなたは私に逆らえない。

 後で最高のエッセンスを見てもらうよ…。」


 その穏やかな声音には、ぞっとするほどの冷酷さが同居していた。


 カシアンは何事もなかったかのように背筋を伸ばし、手袋の皺を整える。

 そして、作戦室からゆるやかに歩み去った――すべては己の筋書き通りであるかのように。



 ---------


 灼けるような陽光が、砂を銀色に照らしていた。

 二つの影が寄り添うように並び、砂丘を越えていく。


「……あと少し、ね。」

 息を切らしながらも、シエラは隣を歩くリタの肩を支え続ける。

 その腕には、互いを支える確かな重みがあった。


 あの鉱山――腐臭と血と、呻き声の渦の中で、リタは一度死にかけた。

 シエラは震える手で、聖なる白銀の魔導石を加工し、鳩尾に埋め込んだ。

 白光がリタの内から広がり、ゾンビ化の呪いを焼き払い、代わりに獣のような力と速さを与えた。

 それは命を繋ぐための賭けであり、そして愛そのものだった。

 しかし、肌の色が白灰色に染まり、瞳は赤いままだった。


「シエラのおかげで私は生きてる…。ありがとう。」

 リタが小さく呟く。

 シエラはただ笑みを返し、リタの肩をギュッと抱き寄せる。


 砂の地平線の先に、土壁の村が見えてきた。

 井戸で水を汲む女、干し草を運ぶ子ども――だが、その眼差しは異様に鋭く、口元には奇妙な祈りの文句が小声で繰り返されていた。

 村全体が何かに取り憑かれたように静まり、じっと二人を見つめる。


「……ここの雰囲気、悪いね。」

 シエラの声に、リタはわずかに頷く。


 次の瞬間、年老いた女が甲高い声を上げた。

「ザイファの敵だ! 穢れをもたらす悪魔だ!」


 怒号とともに、女や子どもたちが石を投げつけてくる。

 その目には憎悪と狂信の光があった。


「ザイファの神は偉大なり!」


 シエラが庇うと、その隙に数人の子どもが彼女の腰や胸元へと下卑た手を伸ばす。

 怒りを押し殺し、その手を乱暴に払いのける。


 吐き気が込み上げるほどの下卑た笑顔――信仰と暴力が混ざった目だ。


「……ここ、まずいわ。」


 シエラが低く言うと、リタは思い出したように言う。

「聞いたことがある……ザイファ教の中から過激派だけが分離し、組織化したテロリスト、ザイファ。

 そのザイファの兵を育てるための村。

 戦える男は前線に、残ったのは女と子どもばかり……でも、全員が予備軍…。」


 そのとき、地鳴りのような足音が近づいた。

 砂煙を上げて、鎧を着た騎士団の大軍が村に押し寄せてくる。


 中央――重い鎖で繋がれ、両肩から血を流しながらも、鋭い視線を保ったまま歩く男がいた。

 レオンだ。


 その目が、一瞬だけシエラとリタを捉える。

 だが次の瞬間、騎士たちに乱暴に引きずられていった。


 シエラの胸に、冷たい予感が走る。

 何か取り返しのつかないことが、この村で始まろうとしている――。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る